さくら
冬が過ぎ、すっかり暖かくなった気候の中。
「春だし、花見いきましょーよー」
バイク仲間たちにそう誘われて、斉藤は桜を見に行った。
陽に透ける白い花弁はほんのり桃色の影をつけている。左右前後のほとんどがその色でうめつくされていて、桜並木というより桜山と呼びたくなる。
満開の桜からは花びらが吹雪のように散っていて、それはそれは絶景だった。
その時についたのだろう。
自宅に帰ってバイクを降りると、桜の花びらが数枚、体についていた。
ほとんどは風で飛ばされて落ちたが、まだ服の隙間にはさまっていたらしい。
気にもとめず適当にはらって、風呂に入って寝た。
違和感を覚えたのは翌日の午後。
「なんかついてる」
仕事中、背中についていた桜の花びらを店長に指摘されてからだった。
前夜風呂に入って服も変えた。
それから桜には近よっていない。
が、今の時期どこにでも咲いているし、近所から風にのって飛んできた可能性はある。
だから気のせいだということにした。
けれど、それから毎日体のどこかに花びらが一枚ついている。
捨てても捨てても、気がつくと。
朝おきたら、という時もあるが、ないと思っていたらいつの間にか、というパターンが多い。外出する時につくのかと思い、試しに一日家から出ず、窓も閉めきってみたが変わらない。燃やしてしまえば二度とつかないのかもしれないが、ほうっておくことにした。
それは毎日じょじょにしおれていき、やがて、花見に行ってから約一週間後。
花びらは茶色く枯れはて、それきり体につかなくなった。
◆
「お姉ちゃん」
4月になったばかりの夜。
咲月(さつき)が自室でくつろいでいたら、妹のひなたが入ってきた。
自分が妹の部屋へ行くといつも「ノックして」とうるさいので、「おいこらノックはどうした」といってやろうとしたが、そもそもドアを全開にしていたことを思い出してやめた。
「この人どう思う?」
「ん?」
雑誌から顔を上げると、さし出されたスマホに男の写メが表示されている。
顔だちは端正だが、ひどく目つきが悪い。悪人面だ。つり上がった切れ長の一重で、黒目も小さく眉間にしわがよっている。口元までひきしまっているせいか不機嫌にみえるが、不思議とそれが色っぽい雰囲気をただよわせている。
「日本人男にヒゲは似合わないし、不潔っぽくて嫌いだからそれ」と常々思っているのだが、写メを見てほんのり考えを改めた。
うん、まあこいつなら似合ってるしいいんじゃない。
それにかなり明るい茶髪。高校卒業したら自分もやってみたいが、真面目ちゃん全開な妹の友達にしてはちょっとガラが悪い。
妹は生まれたときのままいじっていない黒髪黒目に、女の子らしい顔だち。
友達と遊ぶより一人で本ばかり読んでいたせいか、ぼけーっとした性格に育ってしまい、いろいろトロい。しゃべり方からして遅いのだ。こいつが「そうだねー」とほほえむ間に咲月はトースト一枚食える。いや、さすがにそこまででもないか。
とにかく、こんないかにも遊ばれそうな悪い男に引っかかるなよ。すげー女なれしてそうじゃん。
「彼氏?」
ちがうとは思うが念のため。
たしか少し前にカテキョとつき合い始めたはずだが。
あっちの方が真面目そうなイケメンだし、妹には合っていると思う。妹が中学生の時から欲情している変態で、ふったらストーカー化しそうな執着っぷりだが面倒見よさそうだし。地味にうちの親を懐柔しつつある所をみても責任とってくれそうだ。あんな重いの咲月は嫌だが、当の本人が気にしてないので問題なかろう。
「ちがうよ。すごくいい人なんだけど、お姉ちゃんどうかなーなんて……」
ひなたが期待するようなまなざしをこちらにむける。
いい人? ほんとか? めっちゃ怖い顔してんぞ。つーかおまえがあたしに男の紹介なんざ百年早いわ。彼氏いるし。
「好みじゃない」
投げやりに告げると、軽くショックを受けたような顔で妹が食い下がる。
「お姉ちゃんの好みってどんな人?」
「なにいっても逆らわない男。体型はちょっと太いくらいで、髪型は丸がりか角がり」
正直に答えると、ひなたはがっかりしたように肩を落とした。
お兄ちゃんが欲しかったらしい。
あと十年まて。
◆
ある休日の昼下がり。
高橋さんとケーキを食べに行ったら、彼がなにげなくいった。
「ひな、高校卒業したら俺んちでいっしょに住まない?」
「ううん、住まない」
入学したばかりなのに気が早すぎると思う。
それに私は家が大好きなので、あんまり早く出たくないのだ。
「即答? 考える余地なし?」
彼が恨みがましげに見つめてくるが、気にしない。
あれは3月のこと。
家庭教師の授業が終わる前。玄関で世間話をしていたら似たような問答になり、「しない」と断った。
それを聞いていた母が「そこは”どうかな~”くらいにしときなさい」とフォローを入れたが、「いや、ひなは”しない”でいいです」と真顔でいい切ったのはこの人だ。お言葉に甘えてハッキリお断りさせていただこう。
「そういえば気になってたんだけど、高橋さんと斉藤さんがはじめて会ったときってどんな感じだったの?」
話題をそらすと、「しかたないなー」って顔で笑いながら教えてくれた。
彼らは2,3年前に友達の紹介で知り合ったらしい。
下村さんという男の人。
高橋さんの大学の同級生で、斉藤さんの店の客だそうだ。
高橋さんいわく。
「隼人も軽く天然入ってたけど、あいつはド天然で電波」
例えばこんな話がある。
大学の敷地内で上半身のない、人の足だけが歩いていた。それを見て下村さんが「なんで足しかないのに服は着てるんだろうな」と友達に話しかけたところ、「なにいってんだおまえ」的な反応をされた。
彼は生まれつき霊が見えていたが、その時はじめて他人には霊が見えないのだと知ったらしい。
大学生になってはじめて。
生まれつき霊感が強い人はたいてい小さい時に周囲の反応で気づくとよく聞くが、彼の場合は幸か不幸かそんな機会がなかった。
なぜかというと。
「手や足だけとか、頭つぶれてたりとか。変なの見ることはあったけど、他の人にも見えてると思ってた」
と語ったそうだ。
「そんなこと、あるの」
「ないない、滅多にない」
気づいてからは「変なの」について他人にいわなくなったが、五体満足な幽霊は生きた人間と見分けがつきにくく、たまに間違えたりしているらしい。
そういえば私がたまに目撃する幽霊も透けていない。幽霊は透けてるものじゃないのかと聞いてみたら、見え方には個人差があると教えてもらった。ちなみに高橋さんと斉藤さんは透けてるのも透けてないのも両方見えるという。
「で、下村に斉藤紹介されたときなんだけど、その時ちょうど手こずってたんだ」
秋から冬へ変わりつつある、肌寒い日のこと。
いそがしい日々がつづいて疲れがたまっていた高橋さんは、自宅のマンションでうたた寝していた。
すると、ひとり暮らしでだれもいないはずなのに足音がする。
靴ではなく、靴下でフローリングを歩くような音だ。
カギはきちんとかけたはず。
目を開けたがなにもいない。気のせいかと目を閉じようとした瞬間、目の前に男が立っていた。
歳は40代後半から50代くらい。白っぽいベージュの作業服姿で、両手をだらんとして立ちつくし、こちらに背をむけている。
体の芯から冷えるような気配に、霊だと直感した。
どうしてこっちをむかないのか。いいたいことがあるなら、いえばいい。
声が出せないので心の中で呼びかけたが、返事はない。
だいたい10分くらいそのままでいたら、突然ふっと体が動くようになり、男は消えていた。
男はそれから毎日あらわれるようになった。
昼夜とわず、気をぬいたときに出没する。なぜかいつも背をむけていて、こちらをふり返ることはなかった。
浄霊しようとしてみたが、どうも普通の浮遊霊とはちがう気がする。なら除霊してしまえとも思ったが、なぜかできない。というより、してはいけない感じがする。こういうときの直感はよく当たるので、それにしたがって解決法を探っていた。
下村さんに斉藤さんを紹介されたのは、そんなある日のこと。
まち合わせ場所で顔を合わせるなり、
「その人は?」
と下村さん。
「コーヒーカップ?」
と斉藤さん。
説明楽でいいなあこいつら、とテンション上がったという。
事情を彼らに話しつつ、斉藤さんの一言に心当たりが浮かんでくる。
いそがしくてすっかり忘れていたが、男が出没する少し前にある相談を受けていたのだ。
「友人にコーヒーカップをもらってから家に他人の気配がするようになった。だれもいないはずなのに足音やせきばらいが聞こえたりする。不気味だからなんとかして欲しい」
といわれて引きとった食器。
あれが原因だったのかと一気に納得したが、高橋さんは霊と直接やりとりするのは得意でも、物に宿った怨念などを読みとるのは苦手。ちなみに下村さんは見えるだけではらったりはできない。
一目で看破した斉藤さんに相談してみると。
「元の持ち主に返してやれば」
すすんで手放したものじゃないはずだ、という。
それから調べてわかったことだが。
最初の持ち主Aさんはこのコーヒーカップをとても大事にしていたそうだ。というのも、昔亡くなった父親にこのカップでよくコーヒーを入れてあげていた思い出があるらしい。
「コーヒーが飲みたくなるといつも私の前に背中をむけて立って、無言の催促をしてくる人だった」
と愛おしげにAさんは語った。
だから手放すつもりはなかったのだが、有名ブランドの高いカップだったので目をつけられたのだろう。
高橋さんに依頼したBさんに、
「あんたコーヒーなんか飲まないじゃん。使わないならちょうだい」
と繰り返ししつこくねだられ、しまいには盗まれそうになったので怖くなり、手切れ金代わりにあげてしまったらしい。
高橋さんはAさんにコーヒーカップを返し、Bさんと絶縁した。
「カップを返さないなら金を払え」とBさんがクレームをつけたので「あれは呪われてるから金輪際さわらない方がいい」等ウソをでっちあげていいくるめたそうだ。
あの男の霊はすでに一度成仏していたAさんの父親で、Aさんを見守るために出てきただけで、けして悪いものではない。
だからAさんやその家族が持っている限り、あのカップはお守りがわりになるらしい。
「Bさんのこと、オーラでわからなかったの?」
ちょっと前にオーラでその人の性格がだいたいわかる、みたいな話を高橋さんから聞いたが。
「気分次第でころころ変わるから、あまりあてにならない。よっぽど酷かったら別だけど」
と彼は答えた。
それから斉藤さんは高橋さんの得意分野が苦手だと知り、利害が一致するのでたまに協力するようになったとか。
話が一区切りついたので店を出ると、外はまだ明るかった。暖かい風が気もちいい。
「そろそろ帰る?」
軽くのびをしながら問うと、
「買い物いこう」
と手を引かれた。
「なに買うの? 服とか?」
「ペアリング」
にーっこり微笑まれて、返事に困った。
嬉しいけど、少しずつ確実に退路を断たれている気がするのはなぜだろう。