西崎隼人の死

 6歳の夏休み。
 当時はまだ生きていた両親に連れられて、先祖の墓参りに行った。
 空全体を黒い雲がおおい、しとしとと雨の降る朝。
 蒸し暑く、生ぬるい風がまとわりついてくる。いくつもの墓石が並ぶ墓地には、それ以上に多くの人影が立っている。
 彼らはカサもささず、ぼうっと立っていたり、すわりこんでいたり。遊んでいるのか、墓石にめり込んでいる者までいる。
 彼ら死人は居るだけでなにもしてこないが、たまにこちらへ顔を向けてきた。
 生きている者は俺と両親だけ。
 死人の群れの中を進み、目当ての墓へつく。
 そこには俺が生まれる前に亡くなったという、祖父がいた。
 70歳くらいだろうか。
 わずかに残る白髪にしわしわの厳しい顔。半袖のシャツにズボン、サンダル姿。
 怒るでもなく、悲しむでもなく。彼は淡々と告げた。
「おまえは17で死ぬ」

◆

 6歳の墓参りのあと。
 両親が亡くなり、親戚の家を転々としたので墓参りどころではなくなった。
 だから、あれから一度も行っていないのだが。
 毎年、誕生日が近づくと祖父が現れるようになった。
 あるときは深夜の枕元に。
 またあるときは学校の帰り道に。
 周囲に人がいようがいまいが、関係なく。時間も場所もバラバラだったけれど、いつも同じ一言を告げていく。
「おまえは17で死ぬ」
 不思議と怖くはなかった。
 ああそうなのか、と。
 納得し、受け入れている俺はどこかおかしいのかもしれない。
 生への執着がうすい自覚はあった。
 同い年の子どもと比べると、自分は欲しいものもやりたいこともない。
 死んだところでなにも問題ないだろう。
 むしろ、本来生まれるべきではなかったのかもしれないとすら思う。
 やがて成長するにつれて、人の死相がわかるようになった。
 それは自分も例外ではなく。
 うっすらと浮かんだそれは、なんだか歪な影だった。
 生まれた時からすでに半分死んでいる。17になったら、残り半分も死ぬのだろう。
 そんな印象を受けた。

◆

 動物や虫も自殺することがあるらしい。
 人間よりも本能に忠実な彼らは、どんな理由で死を選ぶんだろう。
 そう問いかけると、高橋和也(たかはしかずや)は一言「ググれ」と答えた。
「そんな哲学的な問題はいいから、おまえはまず補習課題について考えろ」
 このまえの期末テストで赤点をとったので、放課後に居残りさせられているのだ。
 この級友は高得点で合格したにも関わらず、律儀にもつき合ってくれている。
 課題が解けたら職員室へ提出しにきなさい。
 そう告げて教師はさったので、教室には二人だけしかいない。
「カタツムリの話をしってるか」
「しらん」
 和也は答案を見下ろし、俺よりよほど真面目に課題について考えている。
「寄生虫に操られて死ぬカタツムリがいるらしい。ふだんは害敵である鳥に見つからない物陰にひそんでいるのに、寄生虫に寄生されるとわざわざ目立つ所へ行って、目を引く行動をする。そしてカタツムリは鳥に食べられ、中にいた寄生虫は鳥へ移動する」
「それで?」
 日頃なにかと愛想のいい彼がしらーっとした顔で問う。機嫌が悪いようだ。
「このカタツムリのことが、どうも他人ごととは思えなくて」
「課題が手につかないって?」
「そう。俺だったら、目立つ所で死ぬのは嫌だな。だれにも見つからないような場所で、ひっそり死ぬのが良い」
 うなずくと、和也は長いため息をつく。
「隼人(はやと)ってたまにわけわかんないこというよな」
 怒るべきかどうか迷って、とうとう呆れたようだった。
「寄生虫からしたら、目立たせて鳥に食わせるのが目的なんだからしかたないだろ」
「もし寄生虫の目的がそれじゃなくて。カタツムリを殺すことだけが目的だったら、死に場所くらいは選ばせてくれるかな」
 どう思う、と聞くと彼は投げやりに答える。
「寄生虫に頼んでみたら?」
「それもそうか」
「……おまえ、補習課題やる気ある?」
「あまり」
「どついてやろうか」
 自分にとっては、中学を留年するよりカタツムリの方が重要な問題なのである。
 留年しようが、卒業しようが。
 死ねば同じだから。
「そういえば、おまえ1回だけ全教科満点とったことあったよな。中1のころ」
 和也が思い出したようにいう。
「ああ、あれは面倒くさいからもうやらない」
 なんとなくできそうな気がしたからやってみたら、できてしまったのである。
 カンニングを疑われて、教師に呼び出されたっけ。
「勘で答えがわかるんです」
 そう答えたら「ふざけるな」と怒鳴られて。
 もう面倒くさくて「やっぱり勉強しました」といったら、教師と2人きりでテストを解かされて。
 それきりなにもいってこなくなった。
「隼人って実は頭いいんじゃ……」
 そこまでいいかけて、和也が口をつぐむ。
 俺が転んだからだ。
 消しゴムが机から落ちたので、横着してイスにすわったまま床下へ腕をのばしたら、バランスを崩したのである。ちょっと手首をひねったかもしれない。
「なわけないか。おまえ2ケタのかけ算とわり算も怪しいもんな。体育のハードル走で転んで流血するし、走り幅跳びはバー落としまくりで1度も飛べないし」
 大丈夫かと、和也がこちらを見下ろす。
 体育の成績は頭と関係ないと思う。

◆

 昔から、変なことができた。
 運動とか勉強とか。
 そういう他人ができることはできないのに、他人ができない変なことはできる。
 幽霊や未来、過去の一部が見えたり。勘が鋭かったり。
 他人の身体の悪い所が光って見える。強く考えていることが聞こえてくる。
 それは自分が半分死んでいるから。
 それ以上を考えたことはなかったけれど。半分生きている、理由があったらしい。
 一時期、叔母の家に居候していたときにいわれた言葉。
「隼人くんが生まれた時、しばらく泣かなかったから死産だと思って医者や看護師があわてたのよ。そのときお母さんが”自分は死んでもいいからこの子を助けてください”ってお祈りしたから、あんたは息を吹き返したんだよ。だから、お母さんの分も生きないといけないよ」
 これには大変困惑した。
 それじゃ生きなければ、と思う。でも、もう17で死ぬと決まっているのである。
 何度も他人の死相を見てきたからわかるが、これはくつがえせない。
 それに、そういってくれた叔母本人が亡くなったのである。
 母は事故死、父は心臓発作。叔母はガン。
 どれも気づいていたのに、なにもできなかった。
 できる限りのことはしたが、一度死相が消えてもまた別の死相が浮かぶのである。
 階段から転落死するのを防いだら車にひかれて死んだ。そんな感じだった。
「おまえ、呪われてるんじゃないか。気味悪い」
 そういって叔父は俺を引き取ることを拒否した。
 やっぱり、俺は死ぬべきだ。
 きっと、本当は生まれた時に死んでいた。それをムリに生き返らせたから、寄生虫がついたのだろう。
 ”運命”とか”呪い”とか。そういう名前の寄生虫。
 死んでいたはずの者が17まで生きる代償は、母一人では足りなかったのだ。
 そう思ったから、あまり他人と関わらないようにした。元々コミュニケーションは苦手だし、その方が楽だった。
 例外は高橋和也くらい。
 彼はとても器用に生きていた。
 不気味がられ、疎まれた俺とちがい。愛想よく、要領よく。運動も勉強もできたし、顔も良い。敵は多いけれど人気者でもあった。
 その代わり、霊感はそこまでないみたいだけれど。人間としては彼の方が価値があるだろう。
 別に気が合うわけでもないのに、彼とはいつの間にかいっしょにいて、よく遊んだ。
 最期の挨拶くらいはしておこうか。
 そんなことを考えているうちに、その時がきた。
 17の夏の夜。
 バイト帰りで疲れて寝落ちしていたらしい。
 暗い部屋の中で目が覚めた。
 いつも寝起きが悪いのに自然と身体が動き、上半身をおこす。
 すぐ目の前に、老人がしゃがんでこちらを見下ろしていた。
 しわしわの白髪頭に厳しい顔。
 初めて会った時とまったく変わらない。半袖のシャツにズボン、サンダル姿だ。
「隼人」
 ああ、祖父が迎えに来た。