祖父の葬式・上

●祖父の葬式

 私が4歳くらいのころ、祖父が亡くなった。
 小さかったので、彼のことはあまり覚えていない。カラカラと音がなる車いすにのっていたことと、笑顔が優しい人だったということくらいだ。話した内容や彼の声までは思い出せない。
 当時はまだ生死の概念がよくわかっていなかった。だから、黒い穴のような焼却炉から出てきた祖父がまっ白な骨になっていたときも、どうして大人たちが泣いているのかと不思議に思ったものだ。
 むせ返るような線香の香りに混ざって、別のこげ臭い匂いがつんと鼻をつく。
 鉄と肉の焼ける匂いだ。
 静まり返った室内。黒服の集団がしくしくと泣いている空間はどこか異様で、心細くなって母の手をひく。
「ひなちゃんも悲しいのね」
 小学校に上がるまで、母は私のことを「ひなちゃん」と呼んでいた。
 泣いていると思ったらしく、彼女はこちらの顔にハンカチを押し当ててくる。「悲しくないし、泣いていない」とはいいだせず、しばらくされるがままになっていた。
 やがて、なにをするでもなくぼうっと辺りを見ていたら、変なことをしている人を見つけた。
 骨になった祖父を大人たちが長いハシでつまんで、司会のもつツボへ入れていく中。叔母は陶器製の小さなタッパーをとりだし、骨を入れてバッグへしまったのだ。
 もって帰るんだろうか。
 母のそばをはなれ、骨ののったテーブルごしに叔母を見上げる。
 視線に気づいたらしく、彼女は苦笑した。
「骨じゃないのよ。これよ、これ」
 さっきしまったタッパーをとり出し、開けて見せてくれる。
 そこには黒く焼けこげた五円玉が数枚入っていた。
「お金?」
 問うと、叔母はうっすら涙の残る顔でいう。
「こうやって遺体といっしょに小銭を焼いてもらって、身につけておくとお守りになるの」
 当時、まだ霊や怪談というものの存在をしらなかった私には、とても不思議な言葉だった。
 数年後。
 親戚の集まりで再会したとき、彼女はまた奇妙な話を教えてくれた。
 あのお守りを持つようになってからというもの、たまにだれかがたずねてくるようになったという。
 職場で残業していたり、家でくつろいでいたり。
 夜、一人でいるときにそれはやってきてドアを引っかくらしい。
 爪でカシャカシャやるときもあれば、手のひらで何度もなでるようにスッ、ス……ッ、と音を出すときもあるが、ドアを開けてもだれもいない。
 一度だけ夫がいるときにきたことがあり、とても驚かれたそうだ。
「それって」
 ちょっと怖い。
 私がそういいかけたとき、
「おじいちゃんが様子を見に来てくれてるのかも」
 かも、といいつつ叔母は確信に満ちた様子で笑った。
「……」
 嬉しそうな彼女に水を差す気になれず、のどまで出かかった疑問を飲みこむ。
 おじいちゃん、どうしてノックしないんだろう?
 答えは今でもわからない。

◆

 中学校を卒業したばかりの春休み。
 その日は特に予定がなかったので、私は気もちよく惰眠をむさぼっていた。昼までおきないつもりだったが、部屋のドアをたたかれて目が覚める。
 だれだろう?
 母と姉ならノックと同時に入ってくる。父はノックしてもけしてドアを開けない。
 考えていたらまたドアがたたかれた。
 たぶん父だろう。
 ベッドを出てドアを開けると、満面の笑みを浮かべた高橋さんが立っていた。
「おはよう!」
 朝日に輝く黒髪。切れ長で大きな二重の瞳。だまっていれば真面目に見える中性的な美貌。スラリとした身体、さりげない感じに洒落た服装。今日はなぜかメガネをかけている。
「お、おはよう……」
 思わず固まる私をよそに、彼は朝から異様にテンションが高い。
「おはよー! おはよーひな!」
 するりと抱きしめられ、背中やら髪やら頭やらなでられている内にようやく脳みそが働き出した。
 ちょっとまて、なんで朝から私の家に高橋さんがいるの?
 ていうか寝おきで顔洗ってないし、たぶん寝ぐせついてるし。よりによって今日のパジャマめちゃくちゃ子どもっぽ……。
「ノーブラだ」
 彼が嬉しそうに小声でささやいて、私の顔面が火を吹いた。
 あわてて密着していた身体を引きはがし、ドアを閉める。
「今さらはずかしがらなくてもいいのに」
 扉のむこうで彼がくすくす笑った。
 気にするよ!
 三角ずわりで頭をかかえ、はずかしさで死にたくなる衝動を必死でこらえる。
「今日会う約束してなかったよね? なんでいるの?」
「俺、ひなのお母さんともラ●ンやってんだけどさ」
「なんで」
 初耳だ。
「たまにひなの写メとか送ってくれるんだ」
「……」
 おばあちゃんに送ったりしているのはしっていたけど、まさか彼にまでとは。
 つきあっていることは話しておらず、デートするときも女の子の友達と遊びに行くといっている。だから、高橋さんのことはたまに遊ぶくらいの仲としか認識していないはずなのだが……。
「それはともかく。ひなのお母さんに”あの子どうせ寝てるだけだから外へ連れてってやって”って呼ばれたからきた。ふつーに家あげてくれたし、まさか本当に寝てるとは思わなかったけど」
 そしてその元凶は父と姉を連れて早々に外出したという。
 姉はともかく、父がそんな状況で出かけるはずがないから、彼はたぶん高橋さんが来ていることをしらないのだろう。寝ている娘になにかあったらどうするつもりなのか母よ。
「ゴメン。今後、うちのお母さんからの呼び出しは無視していいから」
「お義母さん公認でひなに会えるならいつでも来るよ」
 カテキョ終わってから堂々と会える時間減ったし、と高橋さん。
 身支度してからリビングへ行くと、彼はPのつく携帯ゲームで遊びながらまっていた。テーブルには「ひなたへ高橋さん呼んでおいたからよろしくね!」と書かれたメモとともに朝食が用意されている。もうつっこまないぞ母よ。でも目玉焼きは美味しいです。
「そういえば、メガネ買ったの?」
 ごはんを食べ終え、片づけながら聞く。
「うん。最近またちょっと視力下がってさー。車運転するときとか、目使うときだけかけようかと思って。似合う?」
「メガネしてない方がカッコイイ」
 メガネしてると優しげに見えるけど、裸眼のときのキリッとした目つきが実は好きだったりする。
 つい素で答えたら、高橋さんが速攻でメガネを外した。
「メガネなんか捨てる」
「ごめん。してない方が好きだけど、メガネも似合ってるよ」
「いいよ、俺はもうコンタクト派に目覚めたから」
「ごめんって。メガネ姿の高橋さんもたまに見たいな」
「そう?」
 ようやくメガネをかけ直してくれた。
 歯磨きしてもどると、もうちょっとでゲームが切りのいい所でセーブできるからまって欲しいとのこと。
 私はソファでネコを抱っこしながらまつことにした。
 我が家のアイドルことトラ猫チャロである。
 頭やらおしりやらなでていたら、お気に召したらしくちゅっとキスしてくれる。お返しにこっちからもキスしようとしたら、後ろから手がのびてきた。
 チャロのあごを軽くもち上げ、私をはさんで高橋さんがチャロに一瞬口づける。背後から彼に抱きしめられてるみたいに密着したので、ちょっとドキッとしてしまった。石けんの匂いがかすかに残る。
「いこっか」
 彼はそういって私の頭をなでた。

◆

「斉藤んち行ってみたくない?」
 高橋さんの車にのり、シートベルトをしていたら、彼がニコニコしていった。
「斉藤さんもいわくつきの家に住んでるの?」
 私だって学習するのである。
 しかし彼はめげない諦めない。なぜか私を連れて心霊スポットに突撃するのが好きな人である。
「あいつ、いろいろ面白いものもってると思うよ」
 ……まあ、高橋さんと斉藤さんがいればそんなに怖い目にはあわないだろう。久しぶりに斉藤さんの顔も見たい。
「じゃあ、ついでにわたすお土産があるからとってくる」
 友達と卒業記念に遊びに行ったときのやつだ。高橋さんにはすでにわたしてある。
 再び車内にもどると、彼が電話をかけていた。
「今日ヒマ?」
 が、切られてしまったらしくスマホを耳からはなしてリダイヤル。
 そしてなぜか私の耳に押し当ててきた。
「え」
 とまどっている内に電話がつながる。
『なんだよ』
 低くて気だるげで、でも不思議と透明感のある声。
 斉藤さんだ。
「ごめん。いま高橋さんと斉藤さんの家に遊びに行きたいなーって話してたんだけど、今日って空いてる?」
『……来れば?』
「ありが」
 とう、といい切るより先にスマホが高橋さんの元へもどる。
「このロリコン!」
『おまえにだけはいわれたくない』
 そんな声がもれ聞こえた。
 斉藤さんの家は良さそうな感じのマンションだった。
 日当り良好で爽やかで、怖い感じはまったくしない。これは大丈夫かもしれない。
「ドアが開いてる部屋以外は入るなよ」
 久しぶりに会った斉藤さんはちょっと落ちついた印象になっていた。
 ほぼ金髪の茶髪にひげ姿だったのに、ほんのり明るい茶髪のみになっている。ひげも似合っていたけれど、ひげがないと端正な顔がより際だつし、若く見える。その分、眼光の鋭さも目につくので威圧感は変わらないが。
 涼し気な一重の目元は怖いけどセクシーだとひそかに思う。
「イメチェン?」
 高橋さんが問う。
「店長命令」
 斉藤さんはそれだけ答えた。
 こっちの方が断然いいと思う。
 それからお土産をわたして談笑していたら、視界の隅に変なものがよぎった。
 奥の部屋のまん中に立つ、人間みたいな形の大きな黒い影。
 けれど、それは一瞬だけですぐに消えてしまう。
 見間違いかと思って見なかったふりをしようとしたら、斉藤さんが無言で席を立ってドアを閉めに行った。影が見えた付近の部屋だ。
 閉めてから数秒後。
 斉藤さんがこちらの部屋にもどってくると同時にキイッとドアが開いた。彼は一人暮らしで、あの部屋にはだれもいないはず。玄関にも私たちの他に靴はなかった。
 つい硬直していたら、高橋さんが笑う。
「元から?」
「いや、物についてきた」
 と斉藤さん。
 ここは事故物件でもなんでもないのだけれど、彼がもついわくつきの物のせいでたまり場になっているそうだ。
 やっぱりぜんぜん大丈夫じゃない。