10話 久瀬さんのウワサ

●久瀬さんのウワサ

 会社帰りに同期の女の子から聞いた話。
 久瀬さんは有名人らしく、他部署でもたまにウワサを聞くそうだ。
 遅刻魔で欠勤が多く、ミスや忘れ物、失せ物が多い問題児。
 しかし久瀬さんが辞めたら私の所属する1課は潰れてしまう。それほど重要な人物なのだと。
 うちの会社には代表的なヒット商品がいくつかある。その内の1つ、商品A。
 うちの会社をしらなくてもその商品の名前はしってる。一般的にそんな知名度のやつだ。
 2年くらい前に流行ったときは街のあちこちで見かけた。ブームがさった今でも根強いファンがいて、支持されてる。
 それを作ったのが、久瀬さんらしい。
 ウソだ。話盛ってるでしょ。
 日頃の恩も忘れてそう思ってしまった。いや、彼は確かに小から中ヒット商品までは定期的に作り出してるけど。そんな功績があったら、なにかの役職についてるんじゃないの? 彼はふつーの平社員のはず。
「うちの会社は年功序列だから、役職につくのは順番まちなんだって」
 同期はのほほんとほほえむ。
「久瀬さんて鈴木さんの教育係なんでしょ? どんな人なの?」
 そう聞かれて、軽く目をそらす。
「ぱっと見怖いけど、優しくて……尊敬できる人かな~」
 最近なんだかかわいく見えてきた。
 なんて言ったら視力の心配をされそうで、いえなかった。


●横どり事件

 ある日のオフィス。
 私は怒っていた。久瀬さんが怒らないからだ。
 少し前、彼はある商品を開発した。
 それはいままでありそうでなかった、ユニークで目を引くもの。
 でも、それは完成間近で他部署に横どりされてしまった。「こういう商品はそっちよりうちの課の専門だから」とかそんな理由で。
 やがて、発売まもなくその商品は大ヒットした。
 テレビ、雑誌、ラジオ、新聞。
 各メディアで連日とりあげられ、会社の売り上げに大きく貢献した。そのため、その商品に関わった担当者たちは社長じきじきに褒められ、金一封を授与。
 その中に久瀬さんはふくまれない。
 商品の企画・デザイン・設計とほぼすべて担当していたのに。完成させたのは他部署だからという理由だけで。
 ありえない。こんな理不尽があってたまるものか。
「どうして名乗りでないんですか。あれは久瀬さんが作ったんだって」
 社内の人たちも、あれは他部署が1から作ったものだとすっかり信じている。
 他部署の同期はともかく、社長や部長などの幹部クラスまでそうなのだ。
 久瀬さんが手間ひまかけてアイデアを凝らし、作っていくのを私はずっと隣で見ていた。なのに、すごいすごいと褒められて自慢げな他部署が信じられない。
 キーキー憤慨する私をよそに、久瀬さんは涼しい顔で平然としている。
「先輩の顔をつぶすようなまねはできないよ。一部の人間は事情を知ってるし。もっと良いもの作るから平気」
「……」
 納得できなくてだまっていたら、彼はおかしそうにほほえんだ。
「ありがとう」

◆

 多少スッキリしたのは数ヶ月後のこと。
 大人気だった例の商品はもちろんシリーズ化され、2弾3弾が作られた。でも、あんまり売れなかった。
 久瀬さんのデザインが良かったから、第1弾はヒットしたんだと思う。他部署が作った2弾3弾は、素人の私が見てもなんかダサかった。
 さらに、致命的な欠陥が見つかった。
 すぐ壊れてしまう不良品だったのだ。
 急きょ商品は販売中止、回収さわぎ。サポートセンターは返金対応に追われたらしい。
 それでも他部署では解決できず、久瀬さんにヘルプを頼んでやっと修正された。
「こんなところにこんな部品つけたら、そりゃ壊れるよ」
 久瀬さんがぼやく。
 他部署が勝手に仕様変更したのが原因だった。
 しかし、修正しても売れないものは売れない。
 この商品はシリーズすべて廃盤となってしまい、会社としては赤字に終わった。
 他部署の制作チームは責任をとり、総辞職したという。
 そのときはスカッとしたんだけど、
「こんな商品、もう見たくもない!」
 社長がそうさけんだとき、久瀬さんは少し悲しそうに見えた。

●ハンドクリーム

 ある日のお昼休み。
 めずらしく久瀬さんが仕事せず、ふつうにご飯を食べていた。
 とはいっても、相変わらずの不健康メニュー。
 カ●リーメイトとチ●ルチョコ2個。あとは缶コーヒーだけだ。
「それ、飽きませんか?」
 出張や力仕事も多いのに、肉とか食べなくて大丈夫なの? 野菜は? カルシウムは?
 明らかに栄養たりてない。
「味は毎日ちがう」
「……だからこんなに手が荒れちゃうんですよ」
 いいながら、軽く彼の手をとる。
 男の人だし背も高いから、大きくてごついのはわかるんだけど。ちょっとビックリするくらいガサガサ。皮もあちこち裂けて固まってしまっている。血がにじんでいる所まであった。
「こまめにハンドクリームを塗って、栄養と睡眠をきっちりとっていれば荒れないんですよ」
 久瀬さんはされるがまま、静かにこちらを見下ろす。
「確かに鈴木の手はキレイだな。小さいし、やわらかいし……気持ちいい」
 そんなことをいわれて、顔から火が出そうになった。
 上手い返しも思いつかず、とっさに手をはなす。
「俺にたりないのは、たぶん睡眠とハンドクリームだよ」
 彼はとことん動じない。
 ……この人、天然なのか狙ってやってんのか、よくわかんない。
「じゃあ、これあげます。無香料だし、男の人でも使えそうなデザインだから……使いさしですみませんが、その手は早めに治した方がいいですよ。痛そう」
 私のハンドクリームをとりだしてわたすと、久瀬さんは裏の説明書きをじっと読む。
 それから自分の手に出してぬり、無表情のまま両手をながめる。
「こんなベタベタしてたら書類にさわれない」
「出しすぎです。そして皮膚にすりこんでください」
 ちょっと迷ったけど……。
 周囲にだれもいないのを確認して、ささっと彼の手にハンドクリームを塗ってあげた。
 うるおった自分の両手を見て、久瀬さんはなんだかキョトンとしていた。
「……しみる」
 皮膚科を勧めた方が良かったかも。


●よからぬウワサ

 最近、ミスしてない!
 ベテラン社員にとっては当たり前のことかもしれない。でも、たったそれだけのことがすごく嬉しい。
 仕事をこなすだけでせいいっぱいの毎日だけど、それなりに充実してる。
 おかげで少し浮かれていたものの、久瀬さんから悪い話を聞いてしまった。
「経営がかなり危ないらしい。今も毎月少しずつリストラしてるけど、半年後には50人くらい減らすって社長が宣言してた。……なのに、来年の新卒は入れるって。変な話だろ」
「ええ、そんなヤバイんですか? 私リストラされるんじゃ……」
「鈴木はまだ大丈夫だよ。うちの会社で一番人数が多くて替えがきくのは●●課だから。まっ先にあそこから減らされていくはず。逆にうちの課はすごく人数少ないから、リストラされにくい」
「なるほど」
 入社したばっかりの時は辞めたい、辞めたいって思ってた。
 でもいまは、できればこのまま残りたい。
 せっかく仕事を覚えたばかりなのに。また就活してよその会社に入って、1から覚えなければいけないのは辛い。
 久瀬さんと会えなくなるのも寂しいし。
「倒産するとしても、大手に吸収合併される可能性が高いから、そう深刻なことにはならないよ。給料は最後まで出るだろうし。転職先だけ考えておいたらいい。会社都合の解雇なら失業保険もおりやすいし」
「前にもそんな話してましたね。なんで、そんなことわかるんですか? 吸収合併とか」
 聞くと、久瀬さんはひかえめに微笑した。
「そういう会議にもでてるから」
 とても納得した。