6話 セクハラおやじ

 関(せき)課長は50代の割には清潔感がある。
 デブでもないし、ハゲでもない。しいていうなら顔つきがちょっといやらしいくらい。
 だからそこまで苦手じゃなかったんだけど。握手の件で完全に嫌いになってしまった。
 あまり近よるなエロ中年め。
 そう思っていたら、奴はさっそくやってきた。
「久瀬くん。今日はちょっと鈴木さん借りるね。時間があるときに俺の補助業務も覚えてもらいたいから」
「はい」
 課長の言葉にあっさりうなずく久瀬さん。
 ひどい。
 仕事だからしかたないけど、つい彼をうらんでしまう。
「鈴木さん、捨てられた子犬みたいな顔してるぞ」
「やめてください」
 神野さんが久瀬さんをからかう声が聞こえた。
 課長の席へ行くと、まず彼の秘書を紹介される。
「彼女は柳 深雪(やなぎ みゆき)ちゃん。俺のメインアシスタント」
 22,3歳くらいだろう。
 ふわふわの茶髪を編みこみにしてまとめている。以前はスーツ姿だったけれど今日は私服で、ミニスカ。顔立ちはアイドル系のかわいらしい感じで、スタイルもいい。
「よろしくね」
 柳さんがニコニコほほえむ。
 早乙女さんは「バカ女」といっていたけど。別にそんな風には見えなかった。たぶん私よりは賢いと思うし。優しそうだし、けっこう好きかも。
「よろしくお願いします」
 挨拶をすませると、課長が私の肩を軽く抱いた。
「じゃ、得意先に挨拶いこっか」
 いやいや、さっそくなにしてくれてんの?
 気安くさわるなと殺意がめばえる。
「あの、今日私服なんですけど大丈夫でしょうか?」
 身をよじってはなれると、彼はハハハと笑った。
「ああ、いいよいいよ。別に社長とかじゃないし」
 それから私は来客にお茶を出し、柳さんとともに挨拶をした。後は、課長とお客さんが話すのをだまって聞いているだけ。
 5,6回くらいそれを繰り返し、1日が終わった。

◆

 あれから1週間。
 私はずーっと課長の補助業務を命じられている。
 本来の席は久瀬さんの隣。なのに、いつのまにか課長の隣に簡易テーブルが設置された。
 ちなみに、反対隣は柳さん。
「両手に花だよな」
「正妻が奥さん、第二夫人が柳さん、第三夫人が鈴木さん」
 そんなヒソヒソ声が聞こえてきたときは、帰りたくなった。
 他部署の男性2人組がニヤニヤしながらこっちを見ている。上から下までじろじろと、なめ回すような視線だ。
「失礼ですよ」
 通りがかった久瀬さんが彼らの肩をそっとたたく。
 邪魔するなって顔で彼らが久瀬さんをふり返った。
 けれど、目が合ったとたんに、
「すみませんでした!」
「失礼します!」
 そそくさと早足で逃げていった。
 無理もない。
 助けてもらっておいていうのもなんだけど、久瀬さんは見た目が怖いのだ。
 たしか日本人の平均身長は男性で170センチくらい。
 180センチ台は滅多にいない。学生時代に2人くらいいたかな? ってレベル。
 久瀬さんたぶん185センチくらい?
 海外ならともかく。日本人の集団にいると巨人のような迫力がある。
 たかが15センチの差でそこまで? と思うかもしれない。
 でも平均が170センチなだけで、実際は160センチ台も多いのだ。まわりの男性との身長差がすごい。
 背が高いってだけで威圧感あるのに、顔も怖い。
 三白眼でつり目、つまり目つきが悪い。
 いや、顔立ちは整ってるし。私はカッコイイと思ってるけどね!
 子どもが会ったら泣くかもしれない。
 そのうえ細マッチョ。スレンダーだけど、しっかり筋肉ついてるのだ。
 この人ににらまれたらきっと、男でも怖い。
 本当は優しいのになぁ……。
「ありがとうございます」
 お礼をいうと、久瀬さんは心配そうに眉を下げた。
「課長に変なことされてない?」
「ひどいなぁ、ちゃんとお仕事してますよ~!」
 ウワサをすれば影。
 席を外していた課長がもどってきた。
「ほら久瀬くんは会議行って。社長が呼んでるから」
「はい」
 ああ、私の癒しがさってしまった。
 ……いったい、いつまでこの状態が続くんだろ?
 いちおう課長といっしょに仕事をしてはいる。
 しかし、やたら課長との距離が近い。はなれてもいつの間にか背後にいたりする。一瞬だけ手やら肩やらをさわってくる。
 痴漢まがいのそれらを常に警戒しているせいで、すごく疲れる。
 簡単な仕事しかしてないのに……。
 同じようなあつかいの柳さんは平気なんだろうか。
「お昼、3人で食べに行こうか。なんでもご馳走してあげるよ」
 スケベ親父が鼻の下をのばして誘ってきた。
 私はけっこう露骨に嫌な顔をしていると思うんだけど、目が悪いのかな。
 柳さんがぽんと彼の肩をたたく。
「今日は女同士でお話があるんで、またこんど」
「そっかー、深雪ちゃんがそういうならしかたないな~」
 かわいくエヘヘと笑う彼女に、課長はあっさり引き下がる。
 話ってなんだろう?
 ちょっと警戒していたお昼休み。
 私は柳さんと会社の近くにあるカフェにきた。
 前に早乙女さんとランチした、イタリアン。
 会社から近いから、みんなよく来てるみたい。
 2階の少し奥まった席へすわり、彼女が口を開く。
「鈴木さんって課長嫌いなの?」
「はい」
 でも、あんなスケベ野郎だけど課長だし。繁忙期は真面目に仕事していたし。怒ったらなんか怖そうだから、あまり強く拒否できていなかったりする。
「ふーん、久瀬さんの方がいい?」
「そうですね」
「じゃ、助けてあげる」
 キッパリ断言されて、おどろいた。
「どうやって……」
「アタシ、前にそういうとこで働いてたから。おじさんの相手するの得意なんだ。課長チョロいし。だから、任せていいよ?」
 柳さんはいつも笑顔だ。
 でも、いまは目が笑ってない。
 高そうな腕時計の下にリストカットの跡がたくさんあるのが見えて、ゾッとした。
「柳さんはイヤじゃないんですか?」
「あはっ、イヤならとっくに辞めてるしぃ~。どっちかというと、アタシの男にちょっかいだされる方がイヤかな」
 アタシの男。
「か……課長のこと、好きなんですか?」
 早乙女さんが勝手にウワサしてるだけだと思ってた。
 本当に愛人だったとは。
「うん大好き」
 まだ若いのに、変わった趣味の人だ。
「そうなんですか。じゃあお願いします」
「……鈴木さんのこともちょっと好きよ。あたしのことバカにしたり嫌ったりしないから」
「それはどうも……」
 柳さんとまともに話したのは今日が初めてなんだけど。
 どのへんでそう思ったんだろ。
「あ、不倫は悪だとは思ってますよ。だれも幸せにならない」
「お説教とかいいんで。不倫女に助けてもらおうって人はお説教する権利ないから」
 柳さんがケラケラ笑う。
「別に助けてくれなくていいですよ。会社やめればいいだけだし」
 どうせ会社つぶれるんだから。辞めるのが早いか遅いかのちがいだ。
「奥さんに慰謝料とか請求される前に別れた方が」
「あーウザイウザイウザイ」
 柳さんが右手の爪でテーブルをコツコツたたく。
 せっかくのキレイなネイルがひび割れちゃうぞ。
 私もちょっと前までネイルしてたんだけど……。
 ネイルした手ではできない作業があって、見かねた久瀬さんが代わりにやってくれた。
 それがすごく申し訳なくて、それからやめてしまった。
 いつかまたサロン行きたいけど、求職中はさすがにムリかな。
「鈴木さんは辞めなくていいの。わかった?」
 それってけっきょく助けてくれるってこと?
 本当にやらなくていいのに。
 そりゃ仕事はいっしょうけんめいやってるけど。この会社に未練があるかっていえば、別にない。転職活動は大変かもしれないけど、貞操の方が大事だし。
「柳さんとはほとんど話したことないのに、なんでそこまで?」
「いつも笑顔で挨拶してくれるから」
 彼女はちょっと恥ずかしそうに答えた。
「……そんなの社会人なら当たり前じゃないですか?」
 大嫌いな大田原さんにも笑顔で挨拶してるよ、私。
「あはっ、鈴木さんておもしろーい!」
 柳さんはケラケラ笑っていた。
 この子は、あまり優しくしてもらったことがないのかも……。
 勝手に妄想して、切ない気分になってしまった。