7話 おそめの新人歓迎会

 柳さんがああいってくれたけど、あまり期待しないでおこう。
 他人を頼りにしすぎるのもどうかと思うし。念のため辞表を書いておこうかな……。
 簡単な事務作業をしていたら、悩みのタネが顔をよせてきた。
「鈴木さん。週末、君の歓迎会やるからね」
 歓迎会というには時間がたちすぎでは?
 と思ったらちゃんと理由があった。
 新人がすぐ辞めてしまうので、ちゃんと続くか様子見されてたらしい。
 認められたから歓迎会してくれるようだけど……。すいません、辞表かこうと思ってます!

◆

 就業時間が終わったあとの、夜7時半。
 会場はお座敷。
 料亭? 割烹? 居酒屋?
 ここをなんて呼ぶのかわからない。着物姿の仲居さんがむかえてくれた。
 メンバーは同じ課の人たち。
 たくさんいるから、全員の名前はまだわからない。
「鈴木 律(すずき りつ)です。未熟者ですが、いっしょうけんめい仕事を覚えたいと思いますので、よろしくお願いします!」
 大田原さんと早乙女さんの目が怖いので、深々とおじぎした。
 それから課長が音頭をとって乾杯し、それぞれ飲み食いを始める。
 それはいいんだけど。なんでここでも課長の隣なの? ここはキャバクラか?
 うんざりしながら彼のジョッキにビールをそそぐ。柳さんが意味ありげに目配せした。
 今夜、課長に話をしてくれるのかな?
 あきらめて課長の自慢話を聞き流していたら、久瀬さんが向かいの席にきた。
 酒が入っているからか、切れ長の目が少しとろんとしてる。顔の造りはちょっとキツめで怖いんだけど、なんかかわいい。
 やわらかそうな茶髪にラフな私服姿。
 仏頂面で彼が問う。
「鈴木って飲めるの?」
「少しだけ。お酒弱いので、今日はウーロン茶だけにしようかと」
 答えると、課長が笑った。
「鈴木さんが酔ったところ見てみたいな。どんな風になるの?」
「どうって、酔いつぶれて眠るだけですよ」
「いいねそれ。飲みなさい飲みなさい」
「だから飲みませんて」
「近い」
 不意に、久瀬さんが口をはさむ。
「課長、近い。はなれて」
 私にもたれかかっていた課長の肩を、押しのけてくれた。
「はなれて」
 久瀬さんが繰り返すと、課長がようやく体をはなす。
 良かった。何度はなれてもくっついてきて地味に不快だったから。胸とかならおおっぴらにセクハラあつかいする。でもたかが肩だしっていいにくかったんだよね。
「お固いね~久瀬は」
「課長の奥さんに写真送りつけますよ」
「うわやめろって、洒落にならん!」
 久瀬さんの言葉に、ヘラヘラしていた課長が初めてあわてた。
 へー、奥さんには弱いんだ。
 今が逃げ出すチャンス。私はそっと掘りごたつ式のテーブルから立ち上がった。そろそろと移動しようとしたら。
「鈴木さんどこ行くの~?」
 気づいた課長が私のおしりへ手をのばす。
 ぽんとおしりをさわられる寸前、久瀬さんがキレた。
「だからさわるなって!」
 ふだんおだやかで物静かな彼の怒声である。
 賑やかだった室内は水を打ったように静まり返った。
 課長はビクっと手を引っこめ、固まっている。私もぽかんと口を開けてしまった。
 うなり声すら聞こえてきそう。久瀬さんが課長をにらみつけている。こんな怖い顔した彼は初めて見た。いつものちょっと天然入った雰囲気からはとても想像もできない。まるで知らない人みたい。
「ダメじゃないですか課長ったら、気をつけないと」
 一触即発の空気を破ったのは、柳さんだった。
「久瀬さんも、そんな怒鳴らないでくださいよぉ。酔って手元が狂っただけじゃないですかぁ。ほら、ちょっと廊下で頭冷やしてきてくださーい」
 天使のように愛らしいほほえみ。
 場が和んだのが肌でわかった。
 彼女はびしっと廊下を指さし、久瀬さんもしたがった。
「……」
 でも、いつも物腰やわらかい彼が謝罪しない。
 俺は謝らないという強い意思を感じた。
「久瀬さん酔ってるみたいだから、様子みてきてあげてね?」
 そういって、石化していた私の肩をたたく。
「あ……ありがとっ」
 小声でつぶやくと、笑ってくれた。

◆

 男子トイレと女子トイレの分岐点。
 ちょっとひらけていて、ほとんど人気がない。酔った人が休憩するのにピッタリな場所。
 そこで久瀬さんはたたずんでいた。
「久瀬さん」
 ふり返った彼と目が合って、足が止まる。
 ものすごい不機嫌顔だ。
 目つきが悪くて背が高くて、ただでさえ怖いんだから。いつもみたいにぽやんとしているくらいが丁度いいのに。しらない人みたいで、落ちつかない。
「さっきはありがとうございました。課長にはとても困っていたので……怒ってくれて、すごく嬉しかったです」
「鈴木はもっと怒っていい。あんなベタベタさわって……失礼だ」
 いつもより数段低い、うなるような声。
 自分のことのように怒ってくれているのがわかって、胸が熱くなる。
 本当にいい先輩だ。
「あの人、こっちがギリギリ怒りださないラインをわきまえてるから、やりづらくて」
「上に訴えようか? 前から目に余ると思ってたんだ」
「私としては、そこまでするつもりはないです。あまり大事にしたくないですし」
「みんなそういうから、あいつが調子にのる」
 セクハラ被害にあって、そういって辞めてった人たちがいるのかな。
「それに、柳さんがなにか考えてくれてるみたいだし」
 久瀬さんが眉根をよせる。
「俺じゃ、頼りない?」
 さびしげに聞かれて、思わず心臓がはねた。
「そ、んなこと、ないです。近い立場の女性だったから相談しただけで。会社で一番信頼してるのは久瀬さんです」
「……」
 久瀬さんは数秒こちらを見つめていた。
 やがて、脱力したようにほほえむ。
「なら、いいけど」
 たまに目撃するひかえめな微笑とはちがう。子どもみたいな笑顔で、つい見とれてしまった。「かわいい」なんて言葉とは正反対の人なのに。こんな顔もできるなんて。
「訴える覚悟ができたらいつでもいって。準備してるから」
 準備って?
 気になったけど、なんか怖くて聞けなかった。
「……はい」
 宴会場へもどったころには、すっかり場の雰囲気も良くなっていた。
 周囲に軽く冷やかされながら課長の席へ近づく。
「声を荒らげて申し訳ありませんでした」
 久瀬さんが軽く頭を下げる。
 課長は少しおびえた様子だったけど、ホッとしたように笑う。
「いいよ、いいよ。飲みの席だし、無礼講ってことで」
「ありがとうございます」
 そういって、久瀬さんがテーブルをはなれる。
 私は課長の対面の席にすわったまま、迷っていた。また隣にもどる気はない。でも、近くにいた方が角は立たないだろう。だけど、本音はどこか別のテーブルへ行きたい。
 どうしよう。
「鈴木」
 おいで、とばかりに久瀬さんが呼ぶ。
 喜んでついて行こうとしたら、課長が冗談めかしていった。
「ちょっと、俺のサブアシ連れてっちゃうの?」
 久瀬さんが皮肉めいて笑う。
「俺のお世話係だって、いったのは課長でしょ」
 そういった彼の横顔は、正直めちゃくちゃ格好良かった。