8話 歓迎会の帰り道
歓迎会が終わったあと。
店をでるとラブホの看板があちこちで光っていてゾッとした。入店した時は気づかなかったけど、なんて場所の店を選ぶんだ。
酔った課長が声かけてきたらイヤだな。
競歩で帰ろうと考えてたら、
「駅まで送るよ」
久瀬さんが声をかけてくれた。彼なら安心だ。
「ありがとうございます」
近くにいた小林さんと神野さんが顔を見合わせてニヤリと笑う。
「じゃーねー」
「お疲れ~」
返事もまたずにささーっとどこかへ消えて行く。
クラスのカップルを冷やかす中学生みたいな雰囲気だった。仲が良いのはあなたたちの方でしょう……。
私と久瀬さんはただの先輩と後輩。
それだけの関係なんだから、堂々としていればいい。
なのに、急になにを話せばいいかわからなくなってしまった。
話題、話題、なにか話題を。
「家はどっち方面?」
あせっていたら、久瀬さんが話しかけてくれてホッとする。
「××駅近くなんで、中央線です」
「じゃあ、こっち」
「はい。久瀬さんはどこに住んでるんですか?」
「俺は会社の近く。●●駅のとこ」
私は思わず足を止めた。
「●●駅、さっき通り過ぎましたけど……」
彼は平然とうなずく。
「知ってる」
「じゃ、ここまでで大丈夫です。ありが」
「でも夜遅いし。まだ話したいから」
「……そ、ですか」
ヤバイ。顔がまともに見れなくなってきた。
神野さん辺りにいわれたら笑って流せるんだけど。冗談いわなさそうな久瀬さんにいわれたら……照れる。
「そーいえば、私の前にも久瀬さんのお世話係っていたんですよね。どんな人だったんですか?」
「入れ替わり激しいから、あんまり覚えてないけど……鈴木の前は男だった。24くらいだったかな。まじめに働いてくれて、俺は気に入ってたんだけど。見た目がけっこう個性的で浮いてて」
「この会社、個性的な人多いと思いますけど」
頭髪や服装の自由度が高くて、赤や紫の髪の人もいる。
「ストレートにいうと、すごいデブでブサイクだったんだ」
「……」
「それが原因で周りになにかいわれたらしくて。ある日いきなりこなくなった。何度か電話して説得したけど、ダメだった。引き留めても、残ってくれない人の方が多いから……鈴木は根性あるよ」
「あはは、根性ある人は1週間で”辞める”なんていわないですよ」
大人になってまでいじめなんて、陰湿だなぁ。やっぱり、けっこう怖い職場なのかも、ここ。
そんなことを話しているうちに、駅につく。
「今日は本当にありがとうございました」
「……」
彼は少し困ったように眉を下げた。
「久瀬さん?」
「これ、俺の連絡先なんだけど。受けとってくれる? 会社じゃゆっくり話もできないし。課長のこととか、仕事のこととか。なんでも気軽に相談して」
差し出されたのは彼の名刺。
職場で見慣れてるけど、いつもとちがう裏返し。そこには手書きでプライベートの連絡先が書いてあった。
「ありがとうございます」
受けとると、久瀬さんは安心したように表情をゆるめた。
笑うとすごい印象変わるなぁこの人は。癒される~。
ふつうに聞いてくれたらこっちも教えたんだけど。上司に聞かれたら断れないとか気を遣ってくれたのかな?
「課長のことはまたなにか考えてみるから、明日からもよろしく」
「はい! よろしくお願いします」
地下鉄への階段を二段おりると、
「鈴木」
すぐ呼び止められた。
なにか忘れ物かと思ったら、
「家についたら電話して」
そんなことをいわれて、少しおどろく。
「はい」
他の男だったら下心を警戒してしまうところだけど、久瀬さんだしな……。
やがて、家についてから。
「もしもし鈴木です。いま、家につきました」
『なにもなかった?』
約束通り電話をかけると、耳元から彼の低い声がひびいてドキリとする。
「あはは、日本そこまで物騒じゃないですよ」
『ならいい。おやすみ』
「おやすみなさい」
そういって電話を切ったあと、ついスマホをながめる。
あまりにあっさりしたやりとりに、なぜか寂しさを感じている自分がいた。
◆
週明けの月曜日。
歓迎会でちょっとモメたから、課長と会うの気まずいなぁ……。
ソワソワしていたら、柳さんと目が合った。
今日もお洒落にスーツを着こなしている。
「おっはよー、鈴木さん」
「おはようございます」
彼女はつつつと近よってきて、小声でささやいた。
「もう大丈夫。シメといたから」
「えっ」
どういう意味かと聞くより早く。
関課長が出社してきて、告げた。
「鈴木さん、今週からまた久瀬さんのアシスタントにもどっていいよ」
思わずふり返ると、ニコニコほほえむ柳さん。
彼女が課長になにかいってくれたらしい。
「かしこまりました」
とりあえず返事して、柳さんに小声で耳打ちする。
「ありがとうございます! 今日ランチおごります」
課長がじとりとした目で私たちをながめる。
「せっかく2人仲良くなったのにねえ……ハーレムって難しいんだねぇ」
職場でなにいってんのオッサン。聞こえてるからね!
居酒屋の一件で、さすがに少しは反省したと思ったのに。
「でも、商談のときは鈴木さんも来てね」
捨てゼリフのように課長がいう。
「商談するのは課長ですし。私は横についていただけで、なんの役にも立ってなかったと思うんですけど」
やんわり指摘すると、彼は首をふる。
「A社さんとB社さんは鈴木さんのこと大好きだから。商談のとき横にいてくれるだけで良い条件もらえるよ」
いやいや、そんなバカな話があるか。そんな会社すぐつぶれるよ。
「お茶出しだけで十分でしょう」
私が否定するより先に、久瀬さんが鋭く告げる。
「こんな常識をわざわざいわなければいけないのは嫌なんですけど。女性へのボディタッチは厳禁です。その他、迷惑行為もつつしんでください。以後は警告しませんから」
にらまれて、課長は声を小さくした。
「……なんなの? 久瀬は鈴木さんのお父さんかなにかなの?」
年齢的にはお兄ちゃんだと思う。お父さん世代は課長の方でしょ。
なにはともあれ。
私は以前の業務に復帰し、課長は別人のように大人しくなった。
そして、他にもセクハラ被害に悩んでいた女性は多かったらしく。女性社員一同から久瀬さんへ菓子折りが贈られた。
……課長って、若い女ならだれでも良さそう。
◆
10月になった。
最近ようやく、ミスせずに仕事をこなせるようになってきた。……と思っていたのに、またやらかした。
うっかりA社へ送るはずのファックスをB社へ送ってしまったのである。
そのせいでA社との契約が流れてしまい、会社に損害が発生。
私はもちろん、教育係の久瀬さんがたくさん怒られてしまった。会議などでこの話題が出るたび胃が痛み、「いっそ殺せ……いやクビにしてくれ」という気分でいっぱいになる。いつ解雇宣告されるかとビクビクおどおどしていた。
でも、まだここにいて良いらしい。
損害は出たものの。そこまで問題にするほどではないとのこと。しかし同じミスをしないようにと厳重注意がくだされた。
クビになるまでは、がんばろう。
「本当に申し訳ありませんでした」
泣きそうな思いで頭を下げる。
久瀬さんは「送る前に3回は確認して」と注意したあとで、こっそり教えてくれた。
「いまはまだ周りを見る余裕がなくて、気づいてないかもしれないけど。ミスなんかだれでもしてるから。落ちこむ必要はないよ」
先輩、優しい……!
このまえ、取引先に会社用ケータイを忘れた人がいうと説得力がある。なんて思ってない、思ってません本当。私に比べたらすごく小さなミスだし。
「だいたいこれは鈴木だけじゃなく小林さんのミスでもある。鈴木が社名を確認していれば防げたミスだけど。小林さんのわたした名刺が間違ってたんだから」
久瀬さんはチラリと彼女を見た。
そういえば、小林さんもいっしょに怒られていたっけ。
他の先輩たちもミスしたりするのかな。
こっそり周りを観察しながら仕事をするようにしていたら、それは本当だとわかった。
他の先輩たちも大なり小なり、いろんなミスをしている。
軽く謝罪するだけですむものもあれば、始末書を提出する必要があるものまで。
ただ、彼らはあまり動じないし騒がないので目立たないのだ。ミスをした後のフォローも早い。
ミスするとつい動転してしまうけど、これからは私も冷静でいられるように意識してみよう。
そう考えると少しだけ、気が楽になった。