9話 無趣味な人


●悪どい久瀬さん

 少し肌寒くなってきたころ。
 久瀬さんが取引先と商談している中、お茶をもっていった。
 馴染みの会社なら会議室やブースですませてしまう。きちんとスーツを着て応接室でもてなしているところをみると、けっこう上客なんだろう。22,3歳くらいで見るからにエリートって感じの美青年だ。なんかキラキラしてる割にチャラくないし、すごくモテそう。少しエアコンが強すぎたのか、まっかな顔で汗をかいている。3度くらい下げれば大丈夫かな。
 なにかヘマをしたら怖いので、ボロが出ないうちに愛想よく一礼して退室。
 1時間後。
 客が帰ったあとで、久瀬さんがもどってきた。
「客帰ったから応接室片づけておいて」
「わかりました。……なにか悪い話だったんですか?」
 あまり表情が変わらないからわかりにくいけど、なんか微妙な顔してる。
 彼は少し声をひそめた。
「今回の件、断るつもりだったんだ。ひたすら手間がかかる仕様だし、うちの会社の得意分野ともちがうから冷やかしかと思って」
「へえ」
「だから相場の3倍でふっかけた」
「露骨すぎませんか」
 ちょっと笑ってしまう。
 久瀬さんはうすく口の端をつり上げた。
「それがバカなんだ。”ぜひこれでお願いします”だって」
 わあ。
「大丈夫なんですか、それ? 後で破談になったりとか」
「たぶん平気。あそこ、天下の●●会社さまだから。この不景気にもうかってもうかって仕方ない、バブル時代並の超一流企業。●●会社にとってははした金だよ」
「別世界の人ですね。でも良かったじゃないですか。最近、朝礼でも会議でも赤字赤字っていってるから、これでちょっとでも黒字になれば……」
「良い話ではあるけど、そこまでじゃない。会社の一部の売上が良くて、全体的に業績不振の状態だし。人気商品もいくつか出てるけど利益率が低かったりするから」
「そうなんですか」
 大口契約とっても赤字、売れても赤字とはせちがらい。
 不意に、久瀬さんが笑みを消す。
「ところで、さっきの人覚えてる?」
「え、はい。チラッと見ただけですけど」
「あの人、鈴木に一目惚れしたって。いっしょに食事したいっていわれたんだけど……どうする? もちろんこれは契約とは関係ないから。鈴木の自由にしていい」
「断っておいてください」
「わたして欲しいって、これあずかってるんだけど」
 さし出されたのは一枚の名刺。
 印刷された連絡先とは別に、手書きで個人のアドレスと「連絡ください!」の文字が書かれている。
 私はそれをポイっと足元のゴミ箱へ投げ捨てた。破り捨ててやりたいくらいだけど、さすがにそれはやめておく。
「ごめん、彼氏いた?」
 軽く目を見開いて久瀬さんが聞く。
「いません。玉の輿も狙っておりません」
 私はそれだけ答えて、応接室の片づけへ行く。
 なぜだか無性にイライラした。


●ランチ

 とある平日。
 今日は小林さんと神野さんといっしょにランチ。会社から近い和食屋だ。
 ちょっと高そうだから気後れしたけど、良心的な値段でホッとした。
「そういえば、鈴木さんとゆっくり話すのって初めてかも。いつも久瀬が独占してるからさ~」
 神野さんが笑う。
 ほんのり長めの茶髪にロックな私服。たれ目の二重が優しげな人だ。
 若く見えるけど、実は35歳らしい。
「いわれてみれば、仕事以外で話したことあまりなかったですね。歓迎会のときくらいで」
「歓迎会といえば、あの久瀬がキレるとは思わなかった! 3年間いて、あの人がキレたの初めて見たんだけど」
 小林さんが頬杖をつく。
 赤毛のショートカットに薄いそばかす。ちょっとキツめの顔立ちの美人だ。
 彼女もたしか35歳。神野さんとつき合ってんのかな。
「久瀬さん、ふだんすごくおだやかで優しいですよね。久瀬さんが教育係で本当に良かったです」
 そういうと、なぜか顔を見合わせる2人。
「あー、まあ。おだやか? おだやかっていうのかなアレ。滅多にキレたりはしないけど、久瀬はさりげなく酷いやつだよ。冷たいというか、事務的というか。無関心? 悪いやつじゃないけど」
 神野さんは腕組みをして苦笑する。
 小林さんが話題を変えた。
「最近、鈴木さんずっとデスクで食べてるけど、嫌じゃないの? デスクにいると休憩中でも久瀬が仕事ふってくるでしょ。だからあたし、休憩中は絶対デスクに近よらないようにしてんの!」
 確かに、そうなのである。
 「休憩中は休んでいい」と彼はいう。でも、わからないことがあったり必要なことがあると休憩中でも仕事をふってくる。
 まあ、そう長くかかるような作業ではないし。いつもじゃないから気にしてない。
「別に嫌じゃないですよ。久瀬さんにはたくさんお世話になってますから。少しでも恩返ししたいですし」
「えらい! 真面目だねー、鈴木さん」
 神野さんが大げさに褒めてくれる。
 なんだか照れくさくなって、白状した。
「それに、デスクでご飯食べてると久瀬さんがお菓子くれるんです。チョコとかクッキーとか、缶コーヒーとか。あの人けっこう甘党ですよね」
 毎日、ひそかに楽しみにしている。
 1度お返しにクッキーをあげたら、「自分の分のついでに買ってるだけだから気にしなくていいよ。本当はちゃんとどこか食べに連れてってやりたいんだけど、バタバタしててごめん」といわれたので、それからはお言葉に甘えている。
 上司や先輩のおごりは気にしなくていいっていうし。
 大抵は仕事でいそがしそうなんだけど、たまに雑談してくれたりもする。
「あいつ甘党だったの? 似合わん」
 小林さんが真顔でつぶやく。
 神野さんはニヤニヤしながらたずねた。
「鈴木さんって年上大丈夫な人? 上は何歳くらいまでオッケー?」
「え? 10歳くらいですかねー」
「てことは30まで? けっこー守備範囲広いね。久瀬は25歳だよ! ちなみに俺は35だよ!」
 知ってる、知ってる。
「神野さんて若く見えますね。童顔というか」
「こういうのは若作りっていう」
 と小林さん。
 そんな話をしている内にお昼休みは終わった。
 3人でオフィスにもどると、神野さんが通りがかりに久瀬さんの肩をたたく。
「鈴木さんとランチしてきちゃった」
「そうですか」
 久瀬さんは眉一つ動かさずに答える。
 神野さんが自分の机にもどってから、久瀬さんがこちらをむく。
「明日の昼、食べに行こう」
「仕事、大丈夫なんですか?」
「もともと昼は休憩時間だし。平気」
 そういう彼のむかいの席で、神野さんがゲラゲラ笑っていた。

◆

 次の日のお昼休み。
 約束通り、久瀬さんとご飯を食べに出かけた。
 今日は洋食。
 この会社、近くにいろんな美味しい店があって便利だな。
 ランチタイムはバイキングもやっているらしいので、それにしてみた。自家製の窯焼きピザがおいしそう。パスタもちょっとだけ食べようかな。
「昼に外で食べると変な感じ」
 ぽつりと久瀬さんがいう。
「カロリー●イトとウィダーばっかりじゃ身体壊しますよ」
「ソ●ジョイの日もある」
「いっしょですよ。朝と夜はどうしてるんですか?」
「朝は野菜ジュース、夜はその辺の店で適当に。最近の携帯食はけっこう栄養バランスいいから大丈夫だよ」
 そうかもしれないけど、毎日は問題あると思う。
 体調くずしやすいし、たまに肌荒れしてるの、知ってるぞ。エナジードリンクとコーヒーばっかり飲んで、頭痛もちなのも。
「久瀬さんて一人暮らしなんですか?」
「うん」
「自炊とか」
「カップ麺レベル」
 こういう人って都市伝説だと思ってた。
「自炊しましょうよ。私も一人暮らしだけどちゃんと自炊してますよ。1度にまとめて作ればそんなに手間じゃないし、栄養にいいし」
「鈴木はその辺きちんとしてそうだね。料理も上手だし」
「えっ?」
 手料理なんてあげたことないぞ。
「最近、お弁当もってきてるだろ。隣の席だと中身が見える」
「……み、見てたんですか」
 急にはずかしくなってきた。ちゃんとキレイに作った日だったらいいけど。ものすごい手抜きのアレとかアレとかを見られてたら。どうしよう。うあああああ。
 明日から、二度と手抜きはしない。
「久瀬さんもしや汚部屋に住んでるんですか?」
 無理やり話題を変えると、彼は顔色を変えずにいう。
「部屋はキレイ。寝に帰るだけだから。物もないし」
 確か、彼は夏のボーナス支給日のときに特別賞で表彰されていた。
 営業で大口契約をとり、ヒット商品を数多く作ったとかで。
 ボーナスとは別にそれで金一封もらっていたし。いつも遅くまで仕事しているから残業代もある。
 別にお金がないわけじゃないだろう。
「趣味とか、ないんですか?」
「ない。なにもない」
 友達と遊ぶ機会も減ったし、もともと友達少ないし、と久瀬さん。
 お洒落な人だけど、身だしなみも仕事の一環でやってるだけだという。だから服も流行り関係なく着られる、シンプルなものを選んでいると。
「ないって、ほらアウトドアとかスポーツとか。読書、映画、ペット。1つくらい好きなのあるでしょう?」
「昔は映画と読書が好きだったけど、かさばるし。時間がないから最近はぜんぜん」
「いまは仕事が命、ってやつですか?」
「それなりに楽しいけどそこまでじゃない。金がもらえるなら別に他の仕事でもいいけど、今の仕事以外にやれることが思いつかないからやってるだけ」
「……久瀬さんかわいそう」
 定年退職したら心配されてしまう人種だ。
 あっという間に時間がすぎ、会社にもどる帰り道。
 外へ出たとたんふりそそぐ日光を眩しそうにしながら、久瀬さんがこちらを見下ろす。
「また、食べに行こう」
「はい。今度は私がおごりますね」
 そういうと、彼は微妙に困った顔をした。
 無表情だけど困っているような気がする。
「後輩なんだから、おごられてればいいよ」
 女同士だと先輩後輩でもワリカンなことが多いんだけど。彼はそういうの気にする方らしい。
「ありがとうございます」
 お店ではふつうに食べてたし、食事が嫌いなわけじゃなさそう。
 こんど食べに行くときは、健康に良さそうなお店にしよう。