その10 青い瞳の男

 ぐ~ぐ~腹を鳴らしていたら、お姉さんがリンゴを買ってくれた。

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 久しぶりのまともな食べもの。
 あっというまに皮ごと食べつくしてしまった。芯まで食べたいくらいだった。
 お姉さんがくすくす笑う。

「すみません。お行儀わるかったですね……」

 ナギは少し理性をとりもどした。

◆

 お姉さんに手をひかれるまま、町を歩く。

 自分と同じ、黒い髪と目の人間に何度かあった。
 やせこけて、道ばたにうずくまる少年。目があうなり逃げられてしまった。

 店で果物を売る少女。ゲジ人ではなくザイ人だった。
 そしてかっぷくのいいおばさん。

「ゲジ人の生きのこりを探してるんです」

 御巫(みかなぎ)が名のると、彼女は何ともいえない顔をした。

「あたしはもうゲジにもどる気はありません」

 あれだけ荒れはててしまった国だ。それもしかたない。

「そうですか……みんながどこに行ったか知りませんか?」

 おばさんは気まずそうに視線をそらす。

「さあ……ゲジはもうほろんだってみんないってるし。バラバラに逃げてったんで、わかりませんね」

 彼女はふっと口調を変えた。

「お嬢ちゃんも御巫なんかやめたら? こんなことになっちまったんだからさ。ふつうの子どもとして生きてったほうがいいだろ。あたしが逃げるとき、御巫一族を見かけたけど……あんたがお役目をサボったから、オオゲジサマがいなくなった。そのせいで国がほろんだってうらんでるやつがいたよ」

「そんな。サボってなんか……」

 おばさんは冷たい瞳でこちらを見つめる。

 「真実がどうだろうと、いまのあんたはただの子どもだ」と、いわれている気がした。

「オオゲジサマはただのバケモノだってのは本当かい?」

「そ、そんなことは」

「最近ザイ国もほろびかけたんだけどね。その時に、バケモノを見たってやつが何人もいるんだ。オオゲジサマがいなくなった日に、空を飛ぶ魔物も。……そりゃあバケモノの世話なんかまかされたら、逃げたくもなるよね」

「ちがいます! 私は、逃げたわけじゃ」

「じゃあ、オオゲジサマはどこにいるんだい?」

「……いまは、ちょっとだけでかけてて」

 彼女はなだめるように優しく語る。

「あたしはあんたを責めてるわけじゃない。たかだか10歳の子どもに、バケモノをまかせた国が悪かったのさ。もうみんな忘れちまいな。そのほうが、きっと幸せになれる」

「……そういうわけには、いきません」

 そう答えたものの。それはひどく心をゆさぶる言葉だった。

 もう帰る国はない。怒る人もほめてくれる人もいない。

 なのに、どうして私はあの生き物といるんだろう? 逆に、あの生き物はどうして私のそばにいてくれるの?

 わからない。

 ちょっとまえまで、ナギはオオゲジサマのたった1人の話し相手だった。
 でもいまはどこへでも行ける。

 少ないかもしれないけど……柚羅みたいに、あのブキミさを気にしない人間もいるはず。人でなくても、須佐みたいな魔物でもいいかもしれない。

「……」

 急に心細くなって、お姉さんにぎゅっとしがみついた。

◆

 夜に城門で、オオゲジサマとまちあわせ。
 そろそろ夕方になる。もう行かなくちゃ。

「いっしょにゲジ人を探してくれて、ありがとうございました」

 お姉さんの手をはなそうとしたけど、できなかった。彼女はナギの手をつかんだまま、なにかいう。
 どこ行くのって、心配してくれてるのかな?

「あのう……私そろそろ城門に行かなきゃいけないんです」

 身ぶり手ぶりで伝えようとした。
 だけど、お姉さんはニッコリほほえむばかり。

 連れて行かれたのは、こじんまりとした一軒家。木製の家が多いゲジ国とちがって、主に石でできてる。
 たぶん、彼女の家だろう。

 他に家族はいないみたい。家具などは一人分しかなかった。
 ……もしかして、泊めてくれるの? 親が見つからなかったから?

「だいじょうぶなんです。ちゃんと連れがいるんですよ」

 オロオロしているうちに、彼女はおふろのしたくをはじめた。
 お湯をわかして、大きなたらいに入れていく。

「おふろ」

 ナギは思わずごくりとのどを鳴らす。

 久しぶりのお風呂。とっても入りたい。これを逃したら、今夜も川で水あびだ。石けんとかないから、ちゃんと洗えてない気がするし……。

 いまの服は、ザイ国できせられた青い着物。元は上等な絹なのに、すっかりボロボロだ。
 きがえも用意してくれたみたいだし、ちょっとだけ……。

「入っちゃっていいですか?」

 主がまっているというのに。少女は誘惑に勝てなかった。
 お姉さんはニコニコして服をぬがせてくる。

「自分でぬげるのでだいじょうぶです」

 洗濯までしてくれるの?
 そのままどこかへもっていこうとしたから、

「あっ、まってください。このキバはお守りというか……オオゲジサマの目印だから、もってないとダメなんです」

 キバだけ返してもらった。
 お姉さんはちょっと首をかしげる。しかし、すぐナギを洗いはじめた。

「じ、自分で洗います」

 石けんのいい匂いがして、うれしかった。やっぱりお湯と石けんは最高だ。

 全身ピカピカにしてもらったあと。
 きがえたのは、お姉さんと同じ異国の服。

 装飾はないけど、やけにヒラヒラしてる。ちょっと肌をだしすぎじゃないかと、思いはするけど……ここまで世話になったら、文句いえない。

 この国はゲジより暑いし。ここではこれがフツーなのかもしれない。
 しあげに赤い花を髪にさす。
 そしてまた外へ連れていかれた。

「こんどはどこに行くんですか?」

 オオゲジサマとまち合わせしてるから、ちょうどいいけど。なんのためにお風呂に入れてくれたんだろう? ほっとけないくらい汚くみえたとか? ……まあ、さっぱりしたからいいか。

◆

 やがて、大きなお屋敷についた。
 警備がつくほどじゃない。でもふつうの家3軒分くらいには広い。オシャレというより、ハデすぎて下品なふんいきだ。

「だれの家ですか?」

 庭園には、いろんな種類の花がたくさん植えてある。色が多すぎて目がチカチカした。
 そこを通りぬけて、裏口へ。

 金ピカのケモノの彫刻がついた、丸いとって。
 それを動かして、お姉さんが扉をたたく。少しして、中からおじさんの声がした。
 お姉さんがニコニコして答える。

 扉がひらいて、使用人っぽいおじさんがでてきた。なめるような視線でこちらをジロジロながめてくる。

 きもち悪い。

 よくわからないけれど、悪寒がはしった。思わずお姉さんの後ろにかくれる。彼女は優しく頭をなでてくれた。だけど、中へ入りなさいと背中をおされる。

 しぶしぶ歩いたら、チャリンと音がひびく。
 おじさんが小袋をお姉さんにわたしていた。ずっしりしたナニカが入った、布の小袋。

 お金?
 お姉さんはとってもうれしそうに手をふった。

「い、いたい!」

 おじさんに腕をつかまれる。

「どこに行くんですか? はなしてください!」

 無視して奥へ連れて行かれる。
 いまのはなに? どうしてお姉さんはついてきてくれないの?
 イヤな予感がする。

「はなして、はなしてください! 帰ります!」

 がむしゃらに暴れたら、パアンと音がした。
 身体が床に投げだされる。血がでたみたいにほおが熱かった。

 なぐられた?
 人になぐられるなんて、はじめて。

 びっくりしているうちに、また腕をつかまれた。乱暴にひきずられていく。
 たどりついたのは、屋敷の奥。
 部屋に入ると、背中をどんとつきとばされた。

「きゃあっ」

 おじさんがなにかをしゃべって、でていく。
 ナギに、ではなく。中にいるだれかに、話しかけたみたいだった。

 顔を上げたら、おじいさんと目があった。

 イスに腰かけて、酒を飲んでいたみたい。しらが頭で顔はしわくちゃ。中肉中背。どこにでもいそうなおじいさん……なのに、目つきがきもち悪い。

 彼はニタニタしながら、優しい声で話しかけてきた。
 パキラ語だから、なにいってるかわからない。

 だけど……どこを見ているのか気づいて、ゾワ~ッと鳥肌が立った。
 まだろくにふくらんでない、ナギの胸元ばかり見てる。

 自分みたいな子どもを女として見る大人がいるなんて。とても信じられなかった。

「近よらないでください!」

 ナギがさけぶと、老人はかえってうれしそうにした。いそいそと服をぬぎ、下半身をあらわにする。

「……ッ」

 ナギはおじいちゃんという生き物がけっこう好きだ。
 みんなニコニコしてて優しいし。お菓子とかくれる。

 ゲジ国の人はよく川や海でおよぐ。だから、そのへんでハダカを目撃することもある。
 だからハダカは見なれていたし。特にどうこう思ったこともない。

 ……だけど。
 狂った欲望を見せつけられて、どちらも嫌いになってしまった。

 ここから逃げなくちゃ。
 とっさにはしって扉をあける。うしろでおじいさんが怒ってさけんだ。

 部屋をでて、長い長い廊下をはしる。階段をかけおりた。
 老人のどなる声がずっとひびいてる。

 何度か使用人とすれちがったけど、なんとか逃げた。入ってきた裏口からでようとしたら、さっきのおじさんに見つかった。

「ひっ」

 あわててひき返し、表の玄関をめざす。人生で1番足が速く動いた。
 扉に手をかける。あかない。あかない。カギがカギがカギが!

 ガタガタとふるえる両手でカギを外す。
 ぐいっと髪の毛を乱暴につかまれた。

「あっ!」

 いたいというより、頭皮が熱い。ズルズルひきずられて、涙がでた。

「オオゲジサマ、いたいよたすけて!」

 さけんで、やっと思いだした。
 オオゲジサマのキバ。
 腰のあたりにかくしていたそれを、さっとつかみだす。

「……っ」

 そして、ナギの髪をつかむ男の手にグサリとつきさした。
 まるで剣のようにあっさりと肉をつらぬく。

「アアッ!?」

 反撃するとは思ってなかったみたい。
 悲鳴をあげたおじさんは、顔をまっかにしてこぶしをふり上げた。

 またなぐられる。
 ナギはぎゅっと目をつぶる。

「ああああ!?」

 だけど男はうめき声をあげて、苦しみはじめた。

「えっ?」

 おそるおそるナギが目をあける。
 キバでさした男の手が、紫色に変わっていた。

 手から肩まで、パンパンにふくらんでいる。いまにも腐ってくずれそうだ。
 このキバ、毒があるのかも……。

 もっているのがちょっと怖くなった。でも、そんな場合じゃない。

 いまのうちに逃げなくちゃ!

 ナギはキバをにぎりしめて、はしった。
 外へでると、生ぬるい空気が体にまとわりついてくる。
 空はすっかり暗く、月が浮かんでいた。

◆

 屋敷の窓から、老人がうるさくわめいている。
 すぐうしろから、使用人たちが追いかけてくる足音がした。

 ナギは死にものぐるいではしり続ける。
 こわい。足音と声がどんどん近づいてくる。

 追手をまきたくて、何度か角をまがった。大人が入ってこれないような、せまい路地へ体をすべりこませる。あわてていたから、なにかにぶつかってしまった。

「いたっ」

 ガシャンッ! ドオンッ!

 何個かつんであった木箱がたおれていく。
 町中に大きな物音がひびいて、ナギは生きた心地がしなかった。

「あ……」

 見つかる。
 さあっと血の気がひいていく。

 ふと、パキラ語でだれかに声をかけられた。
 そばの路地に人がいる。
 頭に布をまいていて、顔がよく見えない。この国でよく見る、動きやすい服装。腰に剣が2つ。男だ。

「ヒッ」

 逃げようとしたのに、足が動かない。腰がぬけてしまっていた。

 男はしゃがみこんで、優しい口調で話しかけてくる。
 それがますます、こわかった。
 お姉さんとおじいさんも、優しく話しかけてきたから。

「近よらないでください! さわらないで!」

 もうだまされない。そうやって油断させて、またあの屋敷に連れて行くつもりだ。
 つかまったら、どうなっちゃうんだろう。

 考えると、ぼろぼろ涙がとまらない。
 キバをブンブンふりまわして威嚇すると、

「ちびちゃん?」

 おどろいたように男がつぶやいた。
 とっても上手なゲジ語。よくみると若いし、どこかで聞いた声だ。

「俺、俺だよ! つかどーしたんだよ、泣いちゃって」

「こ……こっちにこないで!」

 だれだったか思いだせない。
 数人の足音がバタバタと近づいてきた。使用人風の男たちがさけび、御巫をつかまえようとする。

「……っ」

 キバをぎゅっとにぎる。
 だけど、それをふり上げるより先に変な音がした。

「うっ」

 使用人の1人。ナギの近くまできていた男がたおれる。
 その背後に、さっき話しかけてきた青年が立っていた。

 彼は剣をサヤからぬいて、パキラ語でなにかいう。
 使用人たちの中で、剣をもっている者が2人。同時に彼へ斬りかかった。

 まばたき1つほどの短い時間。

 青年は彼らの剣を打ちおとし、それぞれのノドを切りさいた。
 ぶしゃっと大量の血がふきだし、男たちがたおれる。

「うぼあああああああああ!」

「あげええええええ」

 くぐもった悲鳴をあげる彼らをみて、使用人たちがひるんだ。
 ケガ人をたすけるか、ナギをつかまえるかで悩んでいるようだ。

「ほら、いまの内に逃げよーぜ」

 ふり返った青年の頭からは、布がとれてしまっていた。

 パキラ人の中でもひときわキレイな、深い青い瞳。少年のように笑う、美しい顔に見覚えがある。

「ヨウ」

 ナギはぽかんと口を開けた。

 頭の布がとれているのに気づいて「あっやべっ」とヨウが冷や汗をかく。
 ナギはわんわん泣きながら彼にしがみついた。