その13 いにしえの闘技場
「なんだったんですか、いまの?」
事情をしっていそうなシュカにきいてみた。
「オバケ」
ふざけているのかと思った。
でも、なんか血でてたし。牢屋のどこを探しても、いないし。
本当に……?
ぞくっと背筋がふるえて、ナギはシュカにくっついた。
「あんたオバケなんかこわいの?」
「だってはじめてみたし……」
「ふつう、明日殺されるかもってことの方がこわくね?」
「牢屋に入って処刑されそうになるのは2回目なんで、そっちはべつに」
「10歳のくせにどーいう人生おくってんだおまえは」
ドンびきするシュカ。
もちろん、ナギだって死ぬのはイヤだしとってもこわい。でも、前回にくらべたらお仲間がたくさんいるし。みんなで暴れたら、殺されるまえに逃げることだってできるのでは?
なんて前むきに考えているのだった。
それはさておき。ナギは手元の首かざりをもてあました。
「これ、どうしたらいいんでしょう?」
「……おまえがもってろ。あいつ、おまえを指さしてたろ」
「そうですけど……なんで私に? しりあいでもないのに」
「さあな」
それきり、シュカはだまりこんでしまった。
他にもなにかしってそうだけど。話す気分じゃないんだろう。
ナギもそのまま眠ることにした。
◆
朝おきたら、シュカがいなかった。牢屋中を探したけれど、みつからない。
まさか彼女もオバケだったとか……?
とまどっていたら看守がきて、牢屋を追いだされた。
ナギと傭兵たちが連れてこられたのは、変なところ。
なんにもないそこには、大きな穴だけがぽっかりとあいている。
穴の先はまっくら。
だけどよく見ると、赤いものがゆらゆら動いていた。
なにあれ?
じっとみていたら、どんと背中を押された。
全身がふわっと浮きあがる。
ナギは穴の中へ落ちていった。
「きゃあああああああっ!?」
どこまでもどこまでも落ちていく。つかまるものは、どこにもない。
泣きさけんでいたら、水の中に落ちた。
「がぼっ!?」
どぶんと全身が水にしずむ。思いきり鼻と耳に水が入ってしまった。
あわてて手足をばたつかせるが、足がつかない。
そもそも泳ぎは得意じゃないし。動きにくい服まできてる。体が重くてしかたない。目に映る水底がすみきって美しいのが、皮肉だった。海と同じくらい底が深そうだ。
空気もなくなり、気が遠くなってきたころ。
だれかの腕がぐいっと腰にまわされた。そのまま一気に水面へひきあげられる。
「はあ……はあ……ッ」
ナギは魚のように大口を開け、肩で息をした。
その間にも、腕は彼女の体をひく。岸へあがって、やっと恩人の顔をみた。
同じ牢にいた傭兵の女性だ。他の傭兵たちも近くにいる。それぞれ泳いだり、岸へ上がったりしていた。
みんなあの穴から落とされたようだ。
「アリガト!」
おぼえたてのパキラ語で告げると、
「いいってことよ!」
とばかりに背中をたたかれた。体育会系のノリを感じる。
ぬれそぼった服をしぼって、はっと青ざめる。
オオゲジサマのキバがない。
服の中に隠しもっていたから、手ぶらに見えたんだろう。
それとも子どもだから? 軽い身体検査しかなくて、とりあげられずにすんでいたのに。
落ちたりおぼれたりしたから、どこかに落としてしまったんだ。
ちなみに首かざりは大丈夫だった。ちゃんともっている。
キバが水に浮いてないか、探した。
やっぱりどこにもない。岸にも水にも、服の中にも。
水面をながめてあせっていたら、ジャーンとうるさい音がした。
顔をあげて、ようやくまわりに気づく。
あたりを照らすのは、大きな燭台。壁ぎわにいくつも置かれている。そのせいだろう。穴をのぞいたときはまっくらだったのに、ここは明るい。
いまいる場所は3つの階層にわかれていた。
1番上はたぶん貴族。みんなキラキラした服きてるし、従者までいる。
中央のひときわ立派な席に、えらそうな男がすわっていた。
遠くてあんまり見えないが、王さまかもしれない。
歳は30くらい? 王さまなのに、体も鍛えているみたい。背が高くて筋肉質。なんか強そうなふんいきだ。黒ヒゲがよくにあってる。なのに顔つきはエロ親父丸だしという、どこかもったいない男だ。
護衛が数人。そして、たくさんの美女にかこまれている。
家来が再び大きく楽器を鳴らし、なにかをさけぶ。
王さまがなにかしゃべってるけど、パキラ語だからわからない。
でも、傭兵たちがおびえた顔をした。なんかイヤな話かもしれない。
ナギは他の階層へ目をむけた。
逃げられそうな場所があるかもしれない。
2つ目の階層には、一般市民らしい人々がいた。なんだかとってもワクワクした様子。上の階とちがって立ち見らしい。下をのぞきこんだり、王さまの話に耳を傾けたりしていた。
そして3つ目。
ナギと傭兵たちがいる、最下層。
ここは、大きな大きな池に浮かぶ、小さな島だった。
出口はない。湖のような、深い水たまりにかこまれている。
でも、他の階層にはちゃんと出入口のような階段があった。壁をよじのぼれば脱出できるかもしれない。だけど壁にはつかめそうなデコボコがない。それに高い。2階だての家くらい高いから、とてものぼれそうにない。
ふと、もう1つ島があるのに気がついた。
間には深い池があって、けっこう遠い。
そこにはレンヤとヨウだけがいて、王さまをにらんでいた。
無事だったんだ。
がんばっておよいでむこう岸へわたれば、合流できる。
およぐのは苦手。だけど、そんなこといっていられない。ゆっくり進めば、大丈夫だろう。
水に足を入れたそのとき。
「くるな!」
レンヤがさけぶ。
池から、赤くて大きなものが飛びだした。
最初に目についたのは、するどいキバ。踏みつぶされたようなグチャグチャの顔。どこみてるんだか、わからない目。頭にはとがった、赤いトサカ。長い背ビレもこれまた赤い。ヘビそっくりの長いおなかはハガネ色に光っている。
一言であらわすなら、赤い刃物みたいな巨大魚だ。ナギなんか丸のみにされてしまいそう。
「オオゲジサマ?」
そのみにくい姿を見て、つい期待した。
でも巨大魚はおたけびを上げて威嚇する。
なんだ、ちがった。オオゲジサマなら言葉をしゃべる。
巨大魚の口の中を見ながら、そんなことを考えた。
「バカ死にたいのか! 固まってないで逃げろっ!」
一般市民の観客席からシュカがさけぶ。
「シュカ!? なぜそこに」
食べられそうになって、ナギははしった。
刃がきらめくような光。
ドガアアンとハデな音をたてて、陸地のはしが食われた。
わきあがるような大衆の歓声。
「逃げろちび! 悪いけどいまたすけに行けない!」
遠くから、ヨウのそんな声が聞こえた。
◆
ほんのすこし前。
双子はいっしょに穴から池に落とされた。
岸へ上がって、レンヤは眉をひそめる。
ここは昔使われていたという、闘技場では? 奴隷同士を殺しあわせて見世物にしたと、教わった。なまぐさい血のにおいがしみついている。
ダイヤモンドが採掘されるようになってからは、使われていないはず。しかし、まだこわしてなかったのか。
「なーんか俺、これから何やらされっか予想ついちゃったかも」
水気を飛ばしながら、ヨウがぼやく。
「ギロチンよりはマシだな」
レンヤはあたりを見わたした。
ため池にかこまれた、逃げ場のない陸地。安全な観客席で、生死のやりとりを期待する観衆。そのさらに上に……こちらを見下ろして、笑みを浮かべる男がいた。
ルイ。
王になったとはきいていた。あいかわらず、ギラギラと野心に燃える瞳をしている。
昔1度だけ、あの男と刃をまじえたことがある。
国を追われる直前だったから……レンヤが13で、ルイが29歳のとき。
はれた王宮の中庭で、彼の側近や妾たちが見守る中。
「剣豪と名高い王子に稽古をつけてもらいたい」
そんな名目で勝負をいどみ、もちろん本気で斬りかかった。
しかし結果は完敗。ルイの左腕に傷跡を1つ作っただけ。レンヤはボコボコにされてしまった。
だけどルイにはほめられた。
「子どものくせにやるじゃないか。まるで下町のガキみたいに汚くて、実践的な戦い方だ」
「お褒めいただき光栄です」
たっぷりとしたあごヒゲをゆらして、ルイが笑う。
「レンヤ。おまえ俺に仕えないか。鍛えあげて重宝してやるぞ」
彼の暗殺を企む身としては、願ってもない話だ。
側近になればチャンスが増える。ひき受けるべきだ。しかし、ライゼンが嫌がった。
「じょうだんじゃない! 妻だけでなく息子までうばわれてたまるものか!」
その言葉が、やけに嬉しかったのを覚えている。
ルイは剣を片手でくるりとまわし、刃でライゼンの髪をなぶった。
「ライゼン。忘れたわけではないだろう? 俺は欲しいものは必ず手に入れる。……手に入らぬのなら殺してしまうぞ」
数年前。
ライゼンは王子の命令で、遠方の領地の視察へ行った。
帰ってきたとき。すでに妻レイシは慰み者にされ、城の塔から身を投げていた。
レンヤが玉座をにらみつける。
養父を幽閉した男がそこにいた。
おりてこいよ。見るだけじゃおまえも退屈だろう?
右腕を失ったぶん、不利。それでもなお、いまならあいつの首をとれるという自信があった。もう無力な子どもじゃない。
そんな挑発が効いたのか。ルイは従者に2本の剣をもってこさせる。
そして、こちらめがけて投げすてた。
2本の剣はまばゆくきらめき、双子の前に突きささった。