その2 優しいバケモノ
「ナギ。ナギナギナギ」
雑草をぬいたり、水をかけて血を流したり。聖山を掃除していたら、オオゲジサマがこちらをむいて奇声をあげた。
「もしかして、それは私を呼んでいたりしますか……?」
「そう。御巫(みかなぎ)だからナギ。ちなみに七代目はミカ」
「六代目は?」
「ゴンベ」
「……」
「それよりナギ。ナギは今日が初仕事だよね。大丈夫?」
カサカサと巨大なカメムシが近よってくる。
ナギは走って逃げそうになるのを必死でこらえた。大きくなければ踏みつぶしたい。
「ひっ……なんのことです?」
「夜、カワヤについて行ったりそい寝したりしてあげようか?」
「やめてください嫌がらせですか」
「ほら、御巫ってお役目についたら親元はなれて、一人で山にすむじゃん? 今晩あたり、お母さんが恋しくて夜泣きしたり、オバケが怖くておねしょしたりするんじゃないかと思ってさぁ」
「けっこうです。おねしょなんかしません!」
ところが悲しいかな、その夜。
ナギは布団をかぶってしくしくすすり泣いていた。
あのバケモノが自分を殺しにきたらどうしよう……。
とてもおいしそうに、楽しそうに人間を食べていた。ナギのことだって、おやつかなにかに見えてるんだろう。昼間おそってこなかったのは、エサを食べたあとでおなかがいっぱいだっただけ。
だとしたら、夜中に小腹がすいて食べにくるかもしれない。
大量殺人鬼の大男をたやすく殺したバケモノだ。子どものナギが勝てるはずがない。きっと同じように頭からガブリとかじられてしまうんだ……。
そんな風に考えはじめると眠れなくて。扉につっかえ棒をしてふるえていた。
なにかあったときのために、と小さな懐刀を持たされている。だけど、これで刺したところで意味ないだろうなぁ……。あのバケモノは大きすぎる。
「お母さん……」
おうちに帰りたい。
心細くて、ぼろぼろ涙がでた。本当におねしょしちゃったらどうしよう。
手で涙をぬぐっていると、おかしな音がした。
ぽと。
そんな、なにかの液体が落ちる音。
ぽと、ぽと、ぽと。
すごく近い。この部屋から聞こえる。けれど、近くに水気なんかない。そんな音がする心あたりといったら、雨もりくらい。だけど今日はよく晴れていて、一滴の雨もふっていない。背筋にぞくりと悪寒が走った。
……ここ、オバケがでるの?
たくさんの死刑囚が処刑された山だ。オバケがでてもおかしくない。
これは血がたれる音、なのかも。
オオゲジサマが食べた男の人が、血まみれで立っていたりしたらどうしよう。
ぼとっ。
そろりとふり返る。
なにもない。
そこには暗い座敷があるだけだ。が、ふと視線を感じて上を見た。
天井に巨大なナメクジがはりついていた。
触覚のようにひょろ長い、飛びでた二つの眼球。それがこちらをじいっとながめている。暗闇でテカテカと光るそれから、ぼとっと水滴が落ちた。ナメクジの粘液が、雨もりのようにしたたり落ちていたのだ。
「ひきゃああああああああああああああ!?」
「ナギー」
ナメクジは鳥のようなくちばしを動かして、鳴いた。
「うわああああああああああああ!」
「ナギー」
「ひえええええええええええええ!」
「ナギってばー」
「みぎゃああ……えっ?」
「ボクだよー。なにさけんでるのさうるさいよー」
「オオゲジサマ?」
「うん」
「私を食べにきたんですか!?」
やっぱり殺されるんだ!
逃げようとしたけど、腰がぬけていて歩けない。
「え? ちがうよ。ナギが泣いてるんじゃないかと思って、様子を見にきたんだ」
やっぱり泣いてたんじゃないか。
ナメクジはそういって目玉をのばし、顔をのぞきこんでくる。
食べにきたんじゃないと聞いて、安心した。だけど怖いやらキモイやら、はずかしいやらでナギはさけぶ。
「泣いちゃ悪いですか! 笑いにでもきたんですか!」
「けけけけけけ」
笑い声こわっ。
身ぶるいすると、ナメクジはヌメヌメとたたみにおりた。
「ちがうよー。カワヤについていったり、そい寝したりしてあげようと思ってきたんだよ」
「え」
からかわれているだけだと思っていた。でも、本当に心配してくれていたらしい。
「そ……それは、ありがとうございます」
枕元においていた懐刀を、そっと枕でかくす。
こっちは、いざとなったら刺してやるなんて考えてたのに。
「うたがってごめんなさい」
ナギは反省した。
みにくいバケモノだけど、心は優しいのかもしれない。
それに意外と話しやすい。
みなれてしまえば、そんなに怖くはないかも……。
「それじゃ、布団ちょっとつめてよ」
「たたみで寝てください」
◆
あるはれた日の山頂。
「きれいなちょうちょになってください」
良いことを思いついた、という顔でナギがいった。
オオゲジサマはこころよくうなずき、ガになった。
体の大きさは馬三頭分ほど。キラキラ輝きながら宙にただようりん粉。毛虫みたいな触覚。なんかつぶれやすそうなイモムシ状のおなか。蝶とは方向性がちがう、毒々しい模様。
それだけでナギはもう鳥肌を立てまくっていた。しかし、トドメとばかりにオオゲジサマと目が合って、彼女は蝶も嫌いになった。
昆虫の目は、ぱっと見た限りではかわいらしい黒丸二つ。
だがその実態は数百から一万前後でできた複眼……つまり、小さな目玉のよせ集めである。間近で見る大きなそれは、とてもとても気持ち悪かった。
「嬉しい? ねえ、嬉しい?」
ほめて欲しそうにオオゲジサマが聞く。
何千個あるのかわからない目玉が見つめてくる。ナギは身をふるわせた。
「う……ありがとう、ございます」
きれいになるかと思ったらキモかった。しかもそれ蝶じゃない。
なんて、いえやしない。
「性格はいいんだけどなぁ」
ぼやくと、ほぼ同時に風がふく。
ガのくちがつるのようにのびて草木をなぎたおした。その奥にシカがひそんでいたらしい。ガのくちはシカの腹をつらぬき串ざしにしていた。
シカが悲鳴をあげ、ぼたぼたと血が落ちる。
「なんだ。侵入者かと思った」
オオゲジサマはぽつりとつぶやく。くちを変形させてシカを飲みこんでしまった。
人でなくて良かった。
ナギは内心ほっとする。
聖山に入れるのは関係者だけ。
山のまわりは深い堀でかこまれている。さらに入り口には門番がたって、きびしく監視。
例外となるのは殿さまと御巫。その手伝いにきた一族の者。そして死刑囚と一部の役人のみだ。彼らは一目でそれとわかる服装を義務づけられている。
だから見なれない服で山にいる者は食べてもよい。むしろ生かして帰すな。
オオゲジサマは、そう命じられているそうだ。
ちょっと山に入ったくらいで、そこまでしなくても……盗まれてこまるようなものなんて、ないんだし。
ナギはひそかに思う。
じつは彼女も七歳のころ、不法侵入したことがある。近所に放置された空き家があって、気になったから入ってしまった。野良ネコの巣になっていた。かわいかった。
そんな前科がある身としては「山に許可なく入った者は死ね!」なんていうのは、ひどすぎる気がするのだった。
◆
昼食を食べに帰るため、ナギが石段をおりていたとき。
むこう側からだれかがのぼってくるのが見えた。
先代の御巫が会いにきてくれたのかな?
そう思って目をこらして、おどろいた。
「あのう、どちらさまでしょうか」
10代後半くらいのその青年は、見なれない服装をしていた。
役人じゃないし、もちろん御巫でもない。
着物ともハカマともちがう、動きやすそうな服。腰には変わった形の刀。
顔だちはあまり男っぽくない。でもどうどうとした、落ちついたふんいき。黒髪の合間からのぞく青い瞳。あんまり美しくて、うっかり見惚れそうになった。
こんなきれいな目、見たことない。
「この山は関係者しか入っちゃダメなんですよ」
声をかけると、青年はナギの頭をぽんぽんとなでた。そのまま横を通りすぎていく。
「だ、ダメですってば! ここにいるだけでも危ないのに。頂上なんか行ったらオオゲジサマに食べら──ばば罰があたりますよ!」
オオゲジサマが人を食べることは秘密だ。部外者に話してはいけない。
「ばち?」
ナギにうでをつかまれて、ようやく青年が足を止める。
「そうです。殿さま以外は御巫か、役人の服をきてないと罰が当たって死んじゃうんです」
「服ちがうだけ、死ぬ?」
変な発音で青年が聞く。
それでやっと、これが世に聞く”外国人”かもしれないと気がついた。
外国人、初めて見ちゃった。
「そうです。いまならまだ大丈夫ですから、山をおりましょう。里まで送ります」
「さた?」
手をひくと、青年は素直についてきた。
「里、です」
「村のこと」
「みたいなものです」
「死ぬな服ある?」
……おそらく「罰が当たらない、死なない服」といいたかったのだろう。
「あるけど、あげられないんです。オオゲジサマに会いたかったら、殿さまに許可をもらってください」
「……」
2人はほどなく山のふもとについた。
門番には「道に迷った外国人」と説明した。里はもう目と鼻の先だ。
山のふもとには御巫一族の里がある。そこを抜けると城下町につく。里に宿屋はないが、城下町になら宿でも食べ物でも、一通りの店がある。
そこへ行くといいと伝えると、青年がちょいちょい自分の顔を指さした。
「なんですか?」
「レンヤ」
「レンヤ?」
青年がうなずいて、次にナギをさす。
「あ、名前ですか? 私は御巫っていいます」
「ミカナギッテ」
「御巫」
「ミカナギ」
「はい。私はあと30年は山にいます。また会ったらよろしくお願いします」
レンヤはこくりとうなずいた。
◆
聖山の入り口。
門番の男が2人、立ったまま雑談に花を咲かせていた。
「ゆうべ夜番してたらオオゲジサマがそこまで降りて来ててさ~。もう少しで目があっちまうとこだったよ」
ただの人が神獣を見ると、眼がつぶれる。
おがむときは下をむくか、なにかのスキマからのぞき見る。とにかく目を合わせないようにしなければならない。
だいたいの国民がそうであるように、彼らはそんないい伝えを信じていた。
それでも、たびたび姿を見かける機会はある。
だから彼らはオオゲジサマが美しくないと、気づいていた。
しかしだれかに話せば、罪人としてあのバケモノに食われるだろう。門番たちはあれがエモノを殺す瞬間を見たことがある。ああなりたくはない。
「あるある。夜は御巫さまがいなくてヒマなんだろうなあ。俺も声かけられて、ちびりそうになったことがある」
つるつる頭の門番がうなずく。ちょびヒゲの門番は冷や汗をかいた。
「おいおい、御巫さま以外の人間がうっかり返事なんかしたら、魂をぬかれるぞ」
「わかってるって。そんな恐れ多いことしないさ」
おもむろに、里の方から人が歩いてきた。
ついさっき御巫に連れられて、山をおりたばかりの青年だ。城下町で団子でも食べてきたのか? どことなく、さっきより満ちたりた顔をしている。
門番2人がしゃんと背筋をのばす。
「おや、先ほどの……忘れ物ですか?」
「道がわからなくなりましたか?」
青年は軽く首をふり、
「ぬげ。服ほしい」
門番のみぞおちを剣のつかでなぐった。
「げふう!?」
もう一人が反応するまえに、そちらにも一撃。
あわをふいてたおれる男たちにむかって、
「とてもすまん」
と青年がつぶやいた。