その22 コゲジサマ

 町を歩いていたら、話し声がきこえてきた。

「おまえなんか人間くさいな」

 人間くさい?
 犬や馬みたいに、人間だけの匂いがあるのかな。つい自分の手をかいでしまった。よくわからない。

「えっ、人間? そっかー、どうりで。翼もないのによくこんなとこ来たなー。でも早くでてった方がいいぞ。死神がおそいにくるかもしれんし。この島、いまは人間立入禁止だからさ」

 声に対して、だれかがパキラ語で返事をする。早口でよくわからない。でも「探している」という単語だけききとれた。
 というかこの声は。

「レンヤ」

 店の軒先にレンヤと見知らぬ青年がいた。
 たぶんこの町の住人だろう。片足がなく、杖をついている。レンヤがこちらに気づいた。

「ミギ」

 なんかちがう。

「御巫(みかなぎ)です」

「ミカナ?」

「呼びにくかったらナギと呼んでください」

 オオゲジサマはいえて、なぜミカナギがいえない? 発音しにくい単語なのかな。

「ナギ?」

「はい」

 特にケガもなく、元気そうだ。

「なんでゲジ語とパキラ語で会話してるんですか?」

 きいたら、青年が代わりに答えた。

「俺は竜語しか使ってないよ。俺の意思が君たちの脳にとどいて、君たちの言葉にきこえるだけだ。広域テレパシーみたいな感じ」

「てれぱしってなんですか」

「ええと……つまり、竜族の言葉はだれにでも通じるんだよ。他にもいろいろできるけど、ね」

「りゅうぞく。お兄さんは”りゅう”なんですか?」

「ははっ、なんだあんたら、そんなことも知らずにここにきたのか? この島にいるやつはみんな竜だよ。ここは竜の島だからな」

 いうなり、青年はトカゲもどきに変化した。
 茶色っぽくて固い、ウロコの皮膚。黄色い目の奥はタテになっている。

「それじゃ、お仲間も見つかったみたいだし。俺いくわ。あんたらも早く逃げねーと、まきぞえくうぞ」

 片足のない竜が南の空へ消えていく。

「あれが”竜”……」

 ぼうっと見送っていたら、レンヤが近づいてきた。ナギの頭にいたトカゲをつまみあげる。

「あ、その子は」

 ”なんか虫ついてる”とでも思ったんだろう。ぽいっと植えこみへ投げすてられてしまった。
 直後。レンヤは自分で自分をなぐった。ゴッと痛そうな音がひびく。

「な、なにしてるんですか!?」

「……」

 くちびるを切ったらしく、口元からつうと血がたれる。彼は自分の右腕を見つめ、トカゲにたずねた。

「オオゲジサマ?」

「えっ」

 ナギが目を丸くする。トカゲがレンヤをにらんだ。
 まさか。
 でもいわれてみれば、それっぽい。

「な、なんでいってくれなかったんですか。てっきりよその魔物だとばかり……なんとかいってくださいよオオ……コゲジサマ?」

 ふだんと比べてあまりに小さいから、つい。そう呼ぶと、不満げにキイキイとなく。

「しゃべれなくなっちゃったんですか?」

 こくりとうなずく。
 なんと。

「どーすれば治るんですか?」

 トカゲはこちらを見つめ返すだけだった。

◆

「にんげん……そう、私の夫は人間だった。人間だったから……どうなったんだったっけ?」

 エマの髪がざわざわと波たつ。爬虫類のような瞳があやしく光る。皮膚にうっすらとウロコの模様が浮かんだ。かわいらしいくちがさけていく。丸い両手の爪がだんだんとがり、異様にのびた。

「エマ!?」

 ヨウはとっさに距離をとった。
 エマは頭をかかえ、ふるえている。苦しそうにポロポロと涙を流した。

「わからない……ずっといっしょにいたはずなのに。あの人はだれ? なんでここにいないの? なんで涙がでてくるの?」

「おい、だいじょうぶか!?」

「あの人はどこ!?」

 女は巨大な竜へと姿を変えた。

 ブラウンのウロコとひとみ。大きく広がった翼は、コウモリとにている。ただしぶあつく、固そうだ。長い尾はヘビのようにうねる。木々をひとふりでふっとばした。

「キシャアアアアアアアアアアアアアア!」

 竜は涙を流しながらさけぶ。火山のようないきおいで、くちから炎をはきだした。
 熱い空気がせまってくる。炎のうずがはしってきた。

「ひー!?」

 ヨウはたまらず逃げだした。

◆

 まだ、まちあわせまで時間がある。でもみんなそろったし。ヨウをむかえに行くことにした。

 ナギはまだ雨よけの結界が残っている。
 でも、レンヤがぬれてしまう。小雨ならまだしも、あたれば痛いくらいのいきおいだ。

「カサがあったらいいんですけどね」

 あいにく、店はすべてしまっている。竜たちがみんなでていってしまったからだ。

「だいじょうぶだ。問題ない」

 とレンヤ。

 ゲジ以外のほとんどの国ではカサを使わない。あってもすごく高い。だから、水をはじく素材でできた上着を使うのが一般的らしい。

 ナギの分も買ってある。でもいまは必要なさそうだから、使う時がきたらくれるという。

「顔とかけっこうぬれてますよ」

 たしか、ヨウは川の方へ行くといっていた。
 町をでて、川をたどること30分。

 地平線に見えてきた森から、黒と灰色の煙が上がった。
 赤い炎がみえる。森の木が数本ふっとび、上空に黒い影がはしった。

 なにかが、半円をえがくように飛んでいる。それは速く、ほとんど線にみえる。頭が白くて、おなかが黒い。鳥の上に、人影が1つ。

「ヨウとシロ? あんな所で、なにしてるんでしょ」

 森からうたれた火炎が空をてらした。シロはそれをすばやくよける。なにかに攻撃されているようだ。
 でも、なんで逃げないんだろう。あのまま遠くへ飛べば、逃げられるのに。

「ナギ。おるすばん」

 ここにいろってことだろう。レンヤは森へかけていってしまった。
 追いかけたら足手まといになりそうだ。怖いし大人しくまっていよう。

「だいじょうぶでしょうか?」

 頭の上にいたオオゲジサマを、手のひらにのせる。
 トカゲはじっと森をながめている。

「あ、レンヤが森に入りましたよ」

 それに反応して、ヨウをのせたシロが低くとぶ。
 苦戦しているようす。激しい雨にもかかわらず、森がどんどん燃えていく。

「2人ともシロにのって逃げてくればいいのに」

 トカゲはぺろりと舌なめずりをした。不吉だ。
 直後、雷がおちる。

 丘に落ちたものよりは小さい。それでも、反射的に飛びあがってしまうくらい激しかった。

「ギャオウッ!」

 ケモノの悲鳴がひびく。

「まさかいまの雷って……いえ、天気あれてますしね。ぐーぜんですよね」

 茶色の竜がこちらへ突進してきた。
 ところどころ黒こげ。バチバチと電気をおびている。遠目でもわかるほど怒っていた。

「うわああ! こっちきた! こっちきましたよオオゲジサマ!」

 両手をのぞきこんだけど、主はいなかった。

 どこかに落ちてしまった? 頭に移動した? あたりを探しても、みつからない。せまりくる美しいケモノ。
 こ、殺される!

 死を感じたとき、ナギは見た。
 ちっぽけなトカゲが、大きな竜に頭つきしたのを。

 あまりの光景に、ハニワみたいなかっこで固まってしまった。
 竜はぐるんぐるん回転して落下。地面に大穴をあけた。

 トカゲは気絶した竜にとびのる。その翼をバクバク食べはじめた。

「オオゲジサマは……小さくなってもオオゲジサマなんですね……どこまでも」

 ナギは混乱している。
 やがてシロがこちらへきた。ヨウが飛びおりてさけぶ。

「うわちょっまて! その子食うなー!」

 小さな体なのに、どこに入ったのか? すでに左羽が1つなくなっている。

「ギャアア羽が! 羽ってどこの部分だ? 手、はあるし足もあるし……髪か!? 半分だけハゲちゃったのか!?」

「んなわけないでしょう」

 ナギが我に返った。

◆

 すぐにレンヤも合流。ヨウが事情を説明した。

「ってわけで。よくわかんないけど彼女は混乱してるだけなんだ」

 竜はまだめざめない。

 翼も失ったままだが血は止まり、傷口もふさがっている。人間よりだいぶ回復力が優れているらしい。こげたウロコもじょじょに再生しつつある。

「人間にイヤな思いででもあったんでしょうか」

 とナギ。

「おいしかったのに」

 残念そうなオオゲジサマ。丸ごと食べたかったらしい。
 いつのまにか1つ目のオオカミになっている。

 大きさは双子くらい。黒くてふさふさでちょっとカワイイ。でも、目玉が顔の中央にあってやっぱりキモイ。

「あ、よかった。話せるようになったんですね。なんで話せなくなってたんですか?」

「長くなるからあとで説明するよ」

 オオカミが竜に近づいていく。その前にヨウが立ちふさがった。

「おい、食うなよ」

「なんでおまえボクに命令するの?」

 大きなくちからたくさんのキバがのぞく。ヨウが剣の柄に手をかけた。
 オオカミは赤い目玉でそれをじいっと観察している。

「前から思ってたけど。主にむかって口の利き方がなってないよね。食べないでください、でしょ? いっておくけど、ボクがかわいがるのはナギだけだからね。おまえはちっともかわいくない」

 こわっ。
 オオゲジサマは主人。ナギはそれに仕える巫女であり、従者である。

 わかっているつもりでいたのに。最近すっかり気安くなっていた。動物をかわいがる飼い主みたいな気もちさえ、感じていたくらい。

 それに対して。飼われているのはこちらなのだと、思いしらされた気がする。

 いままで、たのみごとはすべて聞いてもらえた。でも、聞いてもらえて当然じゃないんだ。あたりまえだけど。
 ナギはふるえあがった。

「ナギ」

 レンヤが弟を指さす。なんとかしてくれと、その目がいっている。

「はい」

 むしろこれが本来の役割である。
 オオゲジサマに頭をさげ、国民をたすけてくれとたのむ。

 神と民との橋わたしとして、ささげられた者。それが巫女だ。
 したがってドゲザなど朝メシ前である。ここはひたすら謝って、キゲンを直してもらおう。

「オ」

「タベナイデクダサイ」

 棒読みだったが、ヨウがおれた。
 人に頭をさげるの、嫌いそうなのに。彼は剣をぬかず、ただ立っている。

「まあ、いいか」

 満足したらしく。オオゲジサマは殺気を消した。