その25
いわれたとおり、500数えてから先へ進む。
見えてきた光景にざわりと鳥肌が立つ。
むせ返るような甘い血の匂い。
オオゲジサマはお食事まっ最中だった。
巨大なイソギンチャクのような形状の頭部にムカデの胴体。顔に目はなく、大きく裂けた口へ人間の腕がのみこまれていく。周囲はおびただしい血でそまっていて、剣や鎧の破片が転々と散らばっていた。
赤く大きな血だまりの上に、馬車が1つ。
生きた馬が2頭つながれていて、幌は破れ、いくつも矢がささっている。中に人がいるらしく、ヨウがなにか話しかけていた。
それを見たとたん、吐き気のような予感がした。
嫌だ。見たくない。
すでに腐るほど死体を見てきたのに、今さらなにが嫌なのか。自分でもわからないけれど、なぜかそう思った。
鉄さびに熱湯をかけたような、この匂いのせいだろうか。
心臓が不吉に脈うっている。
やがて、ムカデもどきが食事を終えてこちらへやってきた。
「ミカがいるよ」
その言葉どおり、馬車から人影が出てくる。
白髪まじりの黒髪に黒い瞳。勝気そうな顔だちで、異国の服がすっかりサマになっている。
とても久しぶりに会った、先代の御巫だ。
「先代!」
ほっとして駆けよると、ぎゅうっと力強く抱きとめられた。
「元気そうね、八代目」
「はい。先代もご無事で……先代? 痛いです」
やわらかな胸におしつけられて、少々酸欠である。
訴えると彼女はわずかに力をゆるめてくれたが、顔を上げることは許してくれない。なのにずっと押し黙っている。再会に感極まっているにしては、空気がおかしかった。かたわらに立つ双子たちもずっと口を閉じている。
「落ちついて、聞くのよ」
ようやく口火を切った先代の御巫は、優しく語り出した。
荒れ果てたゲジから脱出し、家財を売って着物も金にかえ。奴隷商人から逃げてなんとかここまできたが、山賊に襲われた。
刀くらいは持っていたのだが、集団で囲まれ、矢を射かけられてろくに反撃もできず。死を覚悟したときにオオゲジサマが助けてくれた。
けれど、すでに仲間の内2人が命を落としてしまっていた。
よりにもよって。
「あなたの家族が」
無意識に体が震える。
「本当に死んでるんですか。ケガをしたばかりなら、まだ助かるかもしれないじゃないですか」
おそるおそる問うと、奇妙に裏返った声が出た。
「死んでるわ」
よっぽど酷い状態なのだろうか。
先代の声は確信に満ちていて、重かった。
「だれとだれですか?」
御巫には両親と兄と姉、そして弟がいる。
物心ついてから次代のお役目として教育を受けていたため、普通の家族より話す機会は少ないが、仲は悪くなかった。
「ご両親よ。あなたの兄弟たちはゲジを出るときに亡くなったわ。……八代目、どうしたい?」
鈍器で殴られたような目眩がする。
「生き返らせてください」
とっさに口走った言葉は、自分でも馬鹿げていると思った。
優しい手が何度も頭や背中をさする。
「死体を見たいか、ここへ埋めていいかを聞いているの。遺髪だけでもとっておく?」
「……見たくないです。遺体は」
「僕が食べようか?」
先代に抱きしめられたままなので姿は見えないが、頭上からオオゲジサマの声がする。
「こんな所に埋めたって魔物のエサになるだけだよ。魔物にくれてやるくらいなら」
答えられないでいると、ヨウが怒鳴った。
「いい加減にしろよこのバケモノ! ちょっと黙ってろ!」
直後、なにかが激しくふっ飛ばされた音がひびく。
主がなにかしたのだろう。
「大丈夫ですか?」
問うと、代わりに先代が答える。
「彼は大丈夫よ。それより……どうする?」
御巫は静かに呼びかけた。
「オオゲジサマ、そこにいますか」
「うん」
「死体、食べていいですよ」
「ちびちゃん!?」
ヨウの声がする。
「ナギ」
こちらはレンヤだろう。
「いいんです。ここへ埋めたら、ろくにお墓参りもできません。オオゲジサマが食べてくれれば、ずっと一緒にいられます」
「……そうね。あたしはわかるような気がするわ。御巫だもの」
先代が同意する。
「正気か……?」
ヨウがつぶやく。
御巫が続けた。
「でも、残さないでくださいね」
オオゲジサマは優しくささやいた。
「そのつもりだよ」
◆
ゲジ国式の埋葬が終わったあと。
馬車に乗っていた生き残りを紹介された。
女性が2人、子どもが1人。
里にすんでいた一族の仲間だ。
名前などを聞いた気がするが、なにをいわれたかまるで覚えていない。夢の中でふらふら歩いているときのように、思考回路がひどく鈍っている。
このままだと血の匂いにひかれて魔物や獣がくるというので移動し、その先で野宿した。
覚えているのはそれくらいだった。
夜。
馬車の中で毛布にくるまり、同胞の寝顔をながめていたら、オオゲジサマが話しかけてきた。
「お父さんかお母さんに化けてあげようか」
馬車の入り口に体が入らないらしい。
外から顔だけつっこんでこちらを見ている。
馬がおびえて逃げ出しそうな状況だが、馬たちは震えながらもこの生き物に従っていた。
逃げたら殺すとでも脅したのだろうか。
「ウサギがいいです」
ぽつりと御巫が願う。
「私がだっこできるくらいの、小さいやつになってください」
「こう?」
赤い二つの目。ふわふわの毛皮に丸っこい身体つき。
普通の愛らしい黒ウサギになり、主はぴょんとはねて膝にのってきた。
御巫がそれを抱きしめ、顔をうずめる。
初めての抱擁におどろいたのか、ウサギは長い耳をビクリと震わせる。やがて、とろんと目を細めた。ネコならのどでも鳴らしそうな風情だ。
「家族よりもウサギがいいの?」
両親と兄と姉と弟。
彼らの姿や思い出が走馬灯のように浮かんでは消えていく。
父は正直苦手だった。嫌いではないけれどどこか他人行儀で、わがままをいえるような間柄ではなかった。御役目中は滅多に会えないと聞いて少しほっとしていたくらいだ。
それでも。
「あの人は堅物だから表に出さないけれど、姉さんと同じようにあんたも可愛いと思ってるのよ。あんたが御巫に選ばれたとき、30年も山にいなきゃならないなんて可哀想だって、最後まで反対してたんだから」
そういった母の言葉が妙に嬉しかったのを覚えている。
怖いけど、やっぱり好きだったのかもしれない。
母は普通に好きだった。弟ができてからは甘える時間が減ったけれど、たくさんわがままをいったものだ。
兄は面白い人だった。御巫にはわからない、学者のような小難しい理屈をよく聞かせてくれて。正直ちっとも理解できなかったけれど、楽しそうに語る彼を見るとこちらも楽しかった。
姉はかわいい人だった。おしとやかを体現するような女性で、小動物めいた愛くるしさがあり、大好きだった。価値観がだいぶ違うらしく、共感できないことが多々あったものの、憧れていた。
弟は小さくてふにふにしていて、さわると気持ち良い。彼をだっこしてほおずりするのが好きだった。
御巫はゆっくり息をすう。
「まがい物はいりません」
「意地をはらなくてもいいのに。これからずっと君のお母さんの姿でいてもいいよ。お父さんと日替わりでもいいし」
「ずっとって、同じ姿はあきるから嫌だっていってたじゃないですか。それに、人より虫とかグチャグチャのとか、キモイやつの方が好きでしょう?」
あっ、とうとうキモイっていっちゃった。
怒るか傷つくかとヒヤヒヤしたが、主は特に気にしなかった。
「うん、気持ち悪いの好きなんだ」
綺麗なものも嫌いじゃないけれど、とケロリとしている。
「でも、ナギが喜ぶならいいよ」
そんな風にいってくれるとは思ってもみなかった。
じわりと目頭が熱くなって、拳でごしごし目をこする。
「いいえ、オオゲジサマはキモくていいです! まともな生き物に化けて欲しいときはいいますから、好きな姿でいてください」
赤い目でじっと見つめ返しながら、ウサギは不思議そうにたずねる。
「いいの?」
「はい!」
御巫は笑顔で答えた。
◆
あーあ、いっちゃった。どうせならずっとイケメンでいてもらえばよかったのに。
歴代の御巫もみんなそんな感じでオオゲジサマの意思を尊重しちゃったから、主がゲジゲジだのゴキブリだのになるのよね……。
オオゲジサマが自分から「人間の姿でいてもいい」なんていいだすとは思わなかったけど。まあ、八代目が元気でたみたいでよかったわ。
七代目御巫こと、ミカは寝たふりをしながら内心ほほえんだ。
ナギが寝つけないなら慰めようと思ったが、先をこされて声をかけられずにいたのだ。
あたしの出番はなさそうね。
彼女が本格的に寝入ったとき、馬車の外ではヨウが息を潜めていた。
あの怪物、嫌なやつだけどいいとこあるじゃん。
盗み聞きする気はなかったが、山賊や魔物などにそなえて見はりをしていたら耳に入ってしまった。
ナギから話は聞いていたものの。目の前で山賊たちを瞬殺してバリバリ食われたときはドン引きなんてものじゃなかったが、あの少女がなぜバケモノについていくのかはわかった気がした。
同じく馬車の外。
たき火から少しはなれた場所でレンヤは横になっていた。
見はりの交代時間まで仮眠をとっていたのだが、彼にも会話は聞こえていた。
ネコと小鳥が親しくしている所を目撃したような、奇妙な心境である。しかし、その関係はネコが飢えればたやすく壊れてしまうもの。
あの少女がバケモノを信頼しても、自分は最後までうたがっていよう。
世の中、なにがおこるかわからないのだから。