その28
だいたいの野生生物と同じように、竜は生命力の強い子どもしか育てない。
これは育たないと見切りをつけると、育児放棄するか、殺してしまう。
突然変異の白竜は生命力が弱いと判断された。
それは間違ってはいなかった。
突然変異で長生きした例外もいるが、彼は生まれながらに虚弱で、100年ほどしか生きられない。
ただし、攻撃力はずば抜けていた。
卵から孵化するまでの期間が長い代わりに。生まれてすぐ飛行し、エサを狩るのが竜だ。
それでも親を殺した赤子というのは前例がない。
本人にしてみれば、自分を殺そうとした生き物を返りうちにし、腹が空いていたから食べただけ。
けれど、それを見た仲間たちは彼を共喰いの危険分子とみなし、始末しようとする。
それが更なる被害者を増やした。
竜たちをことごとく引き裂き、白竜は島を飛び出した。
そうして、ただの獣のように野山で暮らしていたある日。
彼は人間の子どもと出会った。
12,3歳くらい。やわらかそうな金髪におだやかな緑の瞳。少しトロそうな、おっとりした顔だち。灰色っぽい服を着て、腰に飾り物の剣を下げている。
背後に従者らしき人間が二人。彼らは全員、馬にのっていた。
「お初にお目にかかります、神竜さま」
一同は馬からおりて地面にひざまずき、少年が声をかけてくる。
白竜は困惑した。
森で暮らすようになって約20年。たまに人と遭遇することはあったが、彼らは攻撃してくるか悲鳴をあげて逃げ出すばかり。会話をかわしたことなどなかった。家族も友人もおらず、同族の竜とさえろくに話したことがないのである。
どう接すればいいかわからない。
だまっていると、少年が続けた。
「ぼくはジュナ国の王子、アシュレイといいます」
気が遠くなるほどの昔。
ジュナ国は貧困にあえぎ、寒さも相まって多くの民が亡くなった。
このままでは全滅してしまう。
民を憂いた王が天に祈ると、空から白き神竜が舞い降りた。
神竜は国を繁栄にみちびき、多くの民を救った。
けれどそれも百年ほどで終わりを告げる。
神竜が凶刃に倒れ、国は少しずつ衰退の一途をたどった。
「今また我が国は滅亡の危機に瀕しているのです。神よ、どうか我らをお救いください」
歴代の国王が何度も天に祈ったが、だれも神竜を呼べなかった。
アシュレイの祈りも届かず、民はもはや絶望している。
神竜などただのおとぎ話だったのだ、と。
ところがある日。
ラグナ国の森深くに白竜が出るという噂を耳にした。
それで居ても立ってもいられず、遠路はるばるやってきたという。
白竜はますます弱り果てた。
救えといわれても、いまいちピンとこない。具体的にはなにをするのか。知識など皆無だし、できることといえば。
「殺すだけ」
「えっ?」
あどけない顔がこちらを見上げてくる。
敵意のない視線。
それどころかそれは敬意や憧れといった、明らかな好意をあらわにしている。
こんな風に見つめられたことがなくて、とっさに翼で自分の顔をおおった。
見られているのがはずかしい。
「できる、それだけ。なにも、できない」
けれど、視界をふさぐと不安でたまらない。
今まで会った竜や人間は殺意や嫌悪、侮蔑をむき出しにぶつけてきた。この白いウロコを気味悪がり、仲間を殺された怒りに燃え、あるいは竜そのものにおびえる。目の前の少年も隙あらば襲いかかってくるのではないかと不安になって、翼の合間からこっそりのぞきみた。
彼はおだやかにほほえんでいる。
白竜は笑顔というものを初めて見た。
衝撃に胸が震え、冷や汗が背中をつたう。妙に顔が熱くて、怖いのか嬉しいのかわからない高揚に襲われた。
「かまいません。あなたがいてくださるだけで、民は安心するのです。もちろん、ぼくや彼らもです」
王子は背後の従者たちをさす。
彼らはひざまずいたまま両手を組み、祈りを捧げた。
「僭越ながら、我らからも重ねてお願いいたします」
王子と同じ、キラキラした目をむけてくる。
やめてくれ、きっと失望させてしまう。
そう思いつつも、気がつけば承諾してしまっていた。
◆
竜の姿は大きく、人の城に滞在するには不便。
だから、アシュレイをまねて人型になった。
それから半年ほどは本当にいるだけ。
民に姿を見せて欲しいといわれれば竜になり、他の王族の前へ連れて行かれもした。が、基本的にはアシュレイについて回って色々なことを学ぶ。
白竜は無知で赤子同然だったが、アシュレイやジュナ国の人々は辛抱強く、喜んで教育をほどこした。
竜は元々知能が高い。
潜在的に秘めていた知識欲が刺激されたのか、文字を覚えてからは寝る間もおしんで書物を開いた。コミュニケーションだけは苦手だったが、怪しかったろれつは回るようになったし、多少マシに話せるくらいには改善されていた。
そんなある日。
白竜がアシュレイに頼みごとをした。
「名前……つけてください」
王子のまねをして、味方には敬語で話す。
「あなたに、ですか? そんな畏れ多い。今までどおり”神竜さま”では失礼でしょうか」
彼だけではなく、ジュナの人々は皆そう呼ぶ。
だから”シンリュウサマ”というのが自分の名だと、ずっと思っていた。
けれど、書物で知識を得たとき雷が落ちたような衝撃を受けた。
”シンリュウサマ”は”神の竜”という意味。いままでそう呼ばれた竜は全知全能であったり、そうでなくてもなにかに秀でた素晴らしい存在だったらしい。
白竜にそう呼ばれるような価値はない。
「ちがう名前で、呼んでください」
様々な人と接する機会や知識を与えてくれたのはアシュレイだ。
名前をつけてもらうなら、彼以外にいない。
「では、ユルドゥズ、というのはいかがでしょう。異国の言葉で星を意味します。女性に多い名前なのですが、あなたは綺麗だし、ぼくたちの希望ですので……その、合うと思うのですが」
もちろん拒否するわけがない。
それから間もなく平穏な日々は終わりを告げる。
戦争が始まったのだ。
金も資源もなく食料はまもなく底をつきる。極寒にたえきれず、民は毎日死んでいく。
「このまま滅びるくらいなら、戦に賭けてみよう。我らが領土を奪還し、勝利を収めれば国はうるおい、様々な問題も解決できるにちがいない」
そういった理由でジュナ国からしかけた戦だった。
戦力差を考えると自殺まがいの特攻としか思えない。伝説の白竜を手中にしたことで王も民も血気はやっていたのである。
負ければ後はない。否、神がいるのだから負けるはずがない。
彼らはすがるような思いで白竜を信仰し、士気は最高潮に達した。
ユルドゥズも参戦しないわけにはいかなかった。
命じられたわけではない。周囲の期待を無視できなかったのだ。これまで捕食と正当防衛以外でだれかを攻撃したことはない。けれど、アシュレイや自分をしたってくれる民のためならかまわないと思った。
ジュナ国は大きな戦果を得る。
領土奪還だけでなく隣国を支配下に収め、食料問題は解決された。
しかし、その後ユルドゥズは血を吐いて三日ほど倒れる。
日常生活くらいなら問題なかったのだが、一匹で敵の半数以上を蹴散らし、身体に負担がかかったらしい。
けれど戦は終わらなかった。
「民が寒さをしのぐため、もっと多くの富が必要だ」
王が涙ながらに訴え、アシュレイからも民のためにと頼まれる。
ユルドゥズは兵たちを率いて、もう一つ国を落とした。
ジュナ国の貧困は解消され、寒さで死ぬ民は激減した。
兵力が拡大していく中、城内に他の竜を見つけて凍りつく。
殺さなければ殺される。
生まれてすぐに刻みこまれたトラウマが刺激され、気がつけば殺してしまっていた。
森にいたころは見かけるだけで殺すことなどなかった。けれど、たびたび戦場に出ることでタガがはずれやすくなったのかもしれない。後でそれは兵士として雇った味方の竜だと知らされるが、ユルドゥズの同族嫌いは治らなかった。味方だから殺してはいけないと、何度注意されても殺してしまう。
しまいには国が折れて、他の竜を雇わなくなった。
けれど戦はまだ続く。
「西の国が宣戦布告してきた」
「近隣諸国を制圧して国力を増強すれば、もうだれも我が国に手を出せない。これが最後の戦だ」
「我が国の未来を確かにするためには、あの敵国を滅ぼしてしまわなければならない」
王に乞われるまま幾度となく大地を血に染め、7年が経過した。
戦場からもどるたび血を吐いて倒れるようになり、ユルドゥズの寿命はすり減っていく。
「もう十分です。休んでください! このままではあなたが死んでしまう」
見かねたアシュレイが王に秘密で逃がそうとしてくれた。
しかし、死ぬならば、初めて自分を必要としてくれたこの地で、と決めている。
「……まだやれます」
アシュレイと話す時間もろくにとれず、毎日毎日だれかを殺して眠るだけ。
血にまみれた日々は彼をゆるやかに狂わせていった。
ギリギリでも正気を保っていられたのは、ある誓いを立てていたからかもしれない。
ユルドゥズは13歳以下の子どもは殺さないと決めていた。
理由はシンプルに好きだから。
アシュレイはすっかり大人になって姫まで娶り、もうじき子どもも生まれる。が、いまだに彼と出会ったときの衝撃を忘れられない。ユルドゥズにとってアシュレイはいくつになっても子どもに思える。おかげで子どもという存在に好印象を抱いていたが、ジュナ国の子どもたちに懐かれてますます好きになった。
戦場に子どもは少なく、危害を加えられた経験がないというのも大きいだろう。
その後「人間同士のパワーバランスを崩してはいけない。おまえのせいで他の竜が迷惑している」と竜王がいさめにきたものの。同族の姿に逆上したユルドゥズは彼を殺し、喰らってしまう。
そのせいで世界中の竜を敵に回し、反感を買っていた諸国からも総攻撃を受ける。
そして10年にわたる戦争の末、ユルドゥズは封印された。
「すいませんね。任務ですので」
そういって封印をほどこしたのは、キツネと呼ばれていたガマル帝国の呪い師。
16くらいで、黒髪黒目に黄色い肌の少年。整いすぎて人間らしくないほど、美しい姿をしていた。
闇につつまれた結界の中では時が止まり、外の状況がわからない。
ジュナ国の人々は、アシュレイはどうしているのか。
ユルドゥズは狂乱し、血反吐を吐きながら何度も暴れたが、封印は壊れない。気が遠くなるほどの時間をかけてようやく少しほころびを作ったが、近くの風を操り、思念をとばす程度が限界。竜に思念で呼びかけたところで再び封印されるか、とどめを刺されるのが落ち。ワラにもすがる思いで他の生き物を呼びよせ、脱出したが。
外の風にふれたとたん、アシュレイの死を悟った。
戦場に出ていてもなにかあれば助けに行けるよう、彼の周りに自分の風をただよわせていた。そうすることで遠くにいても彼の様子が手にとるようにわかる。封印されていた間は遠すぎて、感じられなかった風。それが、約300年分の出来事を伝えてきた。
ジュナ国は滅亡した。
アシュレイもその家族も、ユルドゥズをしたってくれた者たちすべてが敵の手によって殺された、と。
彼らを守れなかった。
かつて神竜は死してなおジュナ国を守った。衰退はしたものの、彼らは生きていた。
なのに。
同じ白竜でも、ユルドゥズは神竜にはなれなかった。
自暴自棄になり、あちこちを襲った。
ジュナ国をのっとったジルベール共和国以外に法則性などない。もはやなんでもよかった。とうとう完全に狂ってしまったのかもしれない。
そして今、ありし日に自分を封印した少年そっくりの男が目の前に現れた。
のびた黒髪に黒い瞳。東洋人特有の肌、人間ばなれした美貌。
帝国のキツネ。
なぜ生きているのかなどどうでもいい。
ユルドゥズは怒りに我を忘れた。