その29

「かすり傷一つでも負わせたら殺すから」
 オオゲジサマが目配せし、レンヤはナギを抱えてその場から避難した。
 直後、赤い血しぶきが舞う。
 ユルドゥズがオオゲジサマの上半身を噛みちぎり、さらに追撃しようとしたとき、黒いトゲが彼の全身を貫いた。首、胴体、翼、手足、尾。いつのまにか計100本以上のトゲが彼に突き刺さっている。
 オオゲジサマが巨大な毛虫に化けていた。
 やわらかそうな身体はトゲだらけで、毛虫なのにクモみたいな長い足がうじゃうじゃ生えている。
 頭と心臓を潰されても生きているなんて、あの生き物の本体はどこにあるんだろう。本当に御巫一族がいる限り不死身なのかもしれない。
 遠巻きにながめて肝を冷やしながら、ナギはそんなことを考えた。
 オオゲジサマは長い足でユルドゥズに絡みつくと、その翼を引き裂いて喰らう。
 殺さないでくれと伝えたから大丈夫だとは思うが、ぺろりと平らげた後で「ごめん、忘れてた」なんていわれそうな気もしてハラハラしてしまう。見守っていたら白竜が悲鳴を上げ、連続で噛みつき返した。頭に血が上っているのか、トゲが顔や口を貫通してもお構いなしだ。
 二匹は野犬のように互いを噛み、引っかきながら転げまわる。
 怪獣大戦争である。
「オオゲジサマ、大丈夫でしょうか」
 物陰にかくれたままレンヤにたずねると、彼はのほほんと答えた。
「大丈夫だろう。あいつ、遊んでる」
「私の目にはけっこう苦戦しているように見えますが」
「とどめを刺せそうな隙が2度もあったのに、わざと致命傷にならない場所ばかり攻撃してる」
「殺さないでっていったから、手加減してくれているのでは」
「だとしたら、隙を見せたときにとり押さえて決着をつけるだろう。たぶん、痛めつけたいだけだ」
「……罠にハメられたの、根にもってたんですね」
 満足したのか、ユルドゥズの体力が先につきたのか。
 やがて、主が彼をくわえて引きずりながらこちらへやってきた。
 が、声をかけようとした瞬間、黒い液体が辺りに飛び散っていく。
 ぐったりしていたユルドゥズがいきなりオオゲジサマの身体を突き破って粉砕したのだ。
 角は折れ、翼が半分にやぶれて全身にトゲが刺さっている。ところどころ噛み跡が目立ち、肉ごとウロコがえぐれていた。傷口からは赤い血がだらだら流れている。そんな満身創痍の状態で白竜は空へと逃げた。
 飛べる状態ではないだろうと思ったら、突風がふき荒れる。
 砂埃を舞い上げて草木をなぎ倒し、風がやむと同時に彼の姿は消えていた。
「オオゲジサマ、大丈夫ですか!? というか、どれですか!?」
 生きているとは思うが、主が負けるなんて初めてだ。
 近くに落ちた肉塊に駆けよると、それはじゅっと溶けて地面にしみこんでいく。
「と……とけた」
 まさか全部こうなってしまったのか、と恐れおののいたのもつかの間。
「ムカつくムカつくムカつくムカつく」
 茂みの奥から声が聞こえてきた。
 少しはなれた所で、レンヤが不思議そうにそれを見下ろしている。
 まっ黒なヘビが、八つ当たりするように地面を連打していた。
「ザコのくせにザコのくせにザコのくせにザコのくせにッ!」
 どんどん大穴が開いていく。
「ええと……オオゲジサマ?」
 元気そうでなによりだが、かつてないほどお怒りだ。
「落ちついてください。これで土地は使えるようになったんですから、いいじゃないですか」
「……」
 慰めても腹にすえかねるらしく、グルグルうなっている。ヘビなのに。
 特に痛そうなそぶりもないし、勝ち逃げされたのが気に食わないのだろう。
「おまえは不死身だからって油断しすぎだ」
 不意にレンヤが告げた。
「斬ってもついても再生できるのをいいことに、捨て身の攻撃ばかりでろくに避けない。力押しばかりで戦略がない。今までは力量差があったからそれで良かったかもしれないが、あいつにはもう少し頭を使わないと勝てないんじゃないか」
「うるさい。僕より弱いくせに」
 主の瞳はかつてないほど殺気だっている。いまは味方でも容赦しないだろう。
 なのにレンヤもカチンときたのか冷酷そうな顔で挑発する。
「試してみるか?」
 熱中症をおこしそうな気温が一気に氷点下まで下がった気分になり、ナギはあわてて間に割って入った。
「オオゲジサマ、帰ってお酒でも飲みませんか!? レンヤ、オオゲジサマはあなたの命の恩人ですよ。忘れてないですよね?」
 少しは仲良くなったと思っていたのに、またこれである。
 歴代の御巫はみんな主と仲良くやれたのに、どうして他の人間は上手くいかないのだろう。
 ひそかに悩みつつ、彼らを必死でなだめてヨウたちのまつ街へと帰還した。

◆

 異変に気づいたのは街に入る前のこと。
 人前に出るのでまた人間に化けて欲しい。そう頼むと、なぜか主は押しだまった。ヘビの表情は読めないので推測だが、なんとなく戸惑っているような気がする。
「どうしたんですか?」
 問うと、ぽつりとつぶやいた。
「変化できない」
 ユルドゥズにバラバラにされたとき、呪いをかけられたらしい。
 また怒り狂うかと思いきや。オオゲジサマはしばらく黙りこみ、なにかを考えこんでいた。
 その後。
 竜巻がなくなった土地を買い、人を雇って資材を集め、小さな村が完成した。
 一族以外のゲジ人や外国人も混ざっているので「御巫の里」ではなくなってしまったが、その辺りはまた皆で話し合って名前をつけよう。とりあえずは「名無しの村」ということになりそうだ。
 くしくも、この日はナギの十一歳の誕生日だった。
 死体だらけで焼けこげた御巫の里。闇の中に燃え盛る炎。あの光景は今も脳裏に焼きついている。
 あのときはオオゲジサマと二人ぼっちだったけれど、同じ御巫やゲジ国の人々と再会できた。レンヤとヨウという味方も増えた。ここに家族がいないのが残念でならないが、少し肩の荷が下りた気分である。
 国が滅んだ一因という負い目があったのかもしれない。好きでさらわれたわけじゃないしと考えないようにしていたのだが、思い返すとやっぱり自分にもいろいろ落ち度があった。
 明日からは気に病まずにすむだろうか。
 難民と化して憔悴していた千夏たちもじょじょに回復している。やつれた彼女たちにせっせとご飯を食べさせ、衣服や住居を整えたかいあって、精神的にも少し落ちついてきたようだ。
 主に「話がある」と告げられたのは、そんなときのこと。
「なんですか?」
 ナギとオオゲジサマは同じ家に住んでいる。
 その居間で、黒ヘビがいう。
「一段落ついたし、ちょっと死神のクソッタレを八つ裂きにしに行ってくる」
 そうじゃないかと思っていた。
「できるだけ穏便にお願いします。ところで、探すあてはあるんですか?」
「あの白いのは目立つから、噂をたどっていくつもり。それに、まだどこかに御巫一族の生き残りがいるかもしれないし。死神探すついでに発見できれば一石二鳥じゃん」
「そうですね。仲間はたくさんいた方がいいですし」
 うなずきながら、迷子になってしまったような心細さがこみ上げてくる。
 たった一年とはいえずっとそばにいたのだ。しばらくはなれるとなると、なかなか切ないものがある。今では他に仲間もいるが、やはりこの生き物は別格だ。
 しかし、わがままをいって足手まといになるわけにもいくまい。
「だから、ナギ」
「はい」
「君もいっしょに行こうよ」
「お別れですね……えっ?」
 てっきり、留守番を頼まれるのだとばかり思っていたのに。
 また異空間にでも閉じこめられない限り、はなれていても呪力はつながる。無理に同行する必要はないはずだ。
「ナギがいないと寂しいよ」
 予期せぬ言葉に少し面食らったものの、
「私もオオゲジサマといっしょにいたいです」
 嬉しくなって微笑んだ。
 翌日。
 そんなこんなで旅にでることにしたと一同に告げると。
「ゲジが滅んだのはオオゲジサマに頼りすぎてたのも原因の一つかもしれないし。留守中くらいあたしたちでなんとかしてみるわ」
 ミカはそういって笑った。
 双子たちは、
「俺も行く」
 と同時に主張したのだが、か弱い女子どもだけ残していくわけにもいかず。片方は残ることになった。
 前回はレンヤが同行したので、今回はヨウがついてくるらしい。
 千夏たちに怖がられているレンヤを残していって大丈夫なのか心配だが、ミカにはおびえられていないようだし、なんとかなるだろう。むしろ親睦を深めるいい機会かもしれない。
「たまにはもどってきて顔みせなさいよ」
「はい。ミカ様たちもお気をつけて」
 別れを告げて、ナギたちは村を後にした。

◆

 そのころ、竜の島では数百年ぶりに竜王が孵化していた。
 竜の世界は世襲制ではない。竜王は唯一の存在で、死んでもやがて復活する。亡骸が卵になり、また生まれてくるのだ。
 なので歴代の竜王は同じ肉体と記憶を共有しているのだが、どういうわけか性格はすべてバラバラである。理由には諸説あるが、「亡くなるたびに別の魂が王の肉体に宿っている」という説がもっとも信じられていた。
 卵のカラが割れ、中から水色のウロコがのぞく。
 全身をおおうそれは宝石そっくりの質感で、同じ色の瞳は知的に輝いている。
 誕生を見守っていた竜たちがごくりとつばを飲んだ。
 今度の竜王がとんでもなく残虐非道だったりしたらどうしよう。
 竜王の記憶というのは強烈なものらしく、ほとんどは転生前の記憶を忘れて現世にそまる。性格の差はあってもそれなりに役割をはたしてくれるのだ。しかし可能性はゼロではない。問題児に手を焼いた前例はいくつかあった。
 いきなり攻撃してくるかもしれない。
 生まれたばかりの竜王は彼らをひたと見つめると立ち上がり、
「へくちっ」
 くしゃみと共に頭からずっこけた。
 あ、なんかチョロそうだこいつ。
 その場にいた一同はほっと胸をなでおろし、別の意味で不安にかられた。