その3 さびしがり屋の男の子


 ゲジ国の象徴とされている聖山。

 その上空で、ガのようなものが羽ばたいていた。
 遠くから見る分にはふつうの虫。だけど近よってみれば、恐ろしく大きなガだ。納屋と同じくらいだろうか。

 それは勢いよく風を切って飛んでいる。

 しかし、山の上空から外れたとたん。見えない壁にぶつかったように宙ではじき飛ばされる。にも関わらず再び虚空めがけて突進し、はじかれた。

 まるでカゴの中で暴れる虫のような動きだ。
 やがて、何度目かの突進のあと。
 羽根の1部が見えない壁をすりぬけた。

「あ、やった」

 が、その直後。
 ピシャアアアアアアアン!

 雷のような高圧電流が虫をおそった。全身を焼かれ、なすすべもなく落ちていく。
 どおんと大きな地ひびきがした。

「ちぇー……あとちょっとなのに」

 地面にめりこんだ消し炭がぼやく。

「御巫たちもいるし、ご飯はもらえるし。嫌じゃないけど、散歩くらい自由に行かせてくれないかなー」

 ブルブルッと全身をふるわせ、灰を落とす。
 あとには巨大なダンゴムシが残った。

 火傷の跡はおろか、触覚一つちぢれていない。
 近くで物音がして、ダンゴムシが嬉しげにふり返る。

 だがそこにいたのは期待していた少女ではなく、見知らぬ若い門番だった。

 灰色の着物は門番のしるし。
 彼らは門から動かず、山頂を訪ねてくることもない。

 なのにどうして?
 よくみると、変な格好だ。見なれない異国の服の上に、灰色の着物を羽織っている。

「なにかよう?」

 たずねると、門番は腰に下げていた中剣をぬく。

「俺がオオゲジサマか」
「はあ?」

 耳をうたがうダンゴムシに、門番がくり返す。

「オオゲジサマか、ちがうか答える」
「ボクはオオゲジサマだけど、君はちが──」

 緑の液体がしぶく。
 門番が剣をなぎ、ダンゴムシの頭部を切断していた。白身や神経の破片があたりに飛びちる。

「ああ、なるほど」

 オオゲジサマは悲鳴を上げるわけでもなく、怒り狂うわけでもなく。さとったようにつぶやいた。

「変だと思ったんだよね。いつもボクの存在を無視しやがる門番が訪ねてくるなんて……君はどっかの国の間者とか暗殺者とか、そういうやつか」

 久しぶりだなあ、と楽しそうに笑う。
 頭部の上半分がないダンゴムシ。その姿がカゲロウのようにゆがみ、カマキリに変わった。

◆

 山の中腹にある、自分用にあてがわれた家。

 そこで昼食のとろろそばと麦茶を味わったあと。
 御巫(みかなぎ)は下の方がさわがしいことに気がついた。

 なんだろう?

 山のふもとまで降りてみれば。そこにはブキミにうごめく変態……もとい、門番たちがいた。

 なぜか2人とも服をきていない。身につけているのは股間をかくすフンドシのみ。全身を赤縄であみあみにしばられている。

 これは、変態がするという”亀甲しばり”というものでは……?
 大人と話すことが多い御巫は、10歳にしては少々マセていた。

「変態ですか? 変態なんですか?」

 つんつんと木の棒でつっつく。
 門番たちはイモムシのように身をよじってうめいた。くちに猿ぐつわをかまされているから、なにいってんだかわかりゃしない。

「変態は目の毒だから見てはいけませんっていわれているので、よそでやってもらえませんか? こんな所でそんなことしてたら、オオゲジサマに死刑囚とまちがわれますよ」

 見なかったことにして、もう行こうかな。
 しかし、彼らは必死でなにかを訴えてくる。
 猿ぐつわを外してあげたら、門番たちが泣きさけんだ。

「変態じゃありません!」
「そうですか」

 正直どうでもいい。
 さっさと階段をのぼろうとすると、彼らはあわてて告げた。

「御巫さまと一緒にいた青い目の男です!」
「あの男が我らをこんなおムコにいけない格好に!」
「おじさんたち、すでに結婚していたような……」

「そんなことはどうでもいいのです! あの男は我らから着物をはぎとり、オオゲジサマの元へむかいました!」
「レンヤが?」

 御巫は目を丸くした。

◆

 ノコギリみたいな、独特な剣が異形の肉を切りさいた。
 茶色い体液をまきちらし、カマキリのカマが地面へつきささる。カマだけで大人の背たけほどあった。

 そのまま胴体めがけてレンヤが剣をふるう。
 同時に、カマキリの腹部から4本のカマが生えた。

「な……ッ!?」

 かん高く耳ざわりな音。

 4本のカマが剣をつぶして、レンヤをおそう。彼はとっさに右腕を盾にした。
 カマは肩をえぐって右腕をひきちぎる。さげていた剣のさやをふき飛ばした。ブシャアアッと血がふきだす。

「……ッ」

 のたうち回るレンヤの姿に、巨大カマキリ……オオゲジサマがニヤァと笑った。

「ざんねんだったねー。人間にしては強かったよ」

 地面に転がったレンヤの右腕をぺろりと飲みこむ。彼に斬られたカマキリのカマが復活した。
 バケモノは合計6本のそれを、処刑ガマのようにふり下ろす。

 ところが、それは見えないなにかにはじかれた。
 バチバチッと強い電撃がカマを焼く。

「げっ!?」

 オオゲジサマが大きく後ずさる。
 レンヤは眉をひそめた。

 ふらふらと体勢をたて直す。けれどオオゲジサマはむかってこない。
 なにかを気にしているようだ。

 視線を追うと、白い鳥居が立っていた。
 その先には長い長い石段。

「……」

 相手は斬っても突いても再生するバケモノ。武器も片腕も失ったいま、戦っても勝ち目はない。
 出血死するまえに、一度もどろう。

 レンヤは石段を駆けおりて逃走した。
 オオゲジサマが石段横の林へおりて後を追う。

「おまえここ通れるないか」

 いうなり、レンヤは門番の着物を脱いで投げつけた。

「だからなに? 石段にいれば安全だなんて思うなよ」

 一瞬で着物がバラバラに切りさかれる。
 そのすきに石段を大きく飛びおりると、

「きゃっ」

 小さな子どもの声がした。
 下の石段。レンヤの落下地点。そこに、縄の跡が残るフンドシ姿の男が二人。すぐそばに女の子が立ちすくんでいる。

 あれはたしかミカナギ?
 ミカナギというのは、オオゲジサマの巫女だと聞いた。

 門番たちも彼女をうやまっているようだった。国の要人かもしれない。暗殺は失敗したが、この子を連れ帰って交渉してみよう。

「ぐっ!」
「げっ!」

 フンドシ男二人の顔面を交互に踏みつけて着地すると、

「すまん」

 レンヤは御巫をひっつかんで山をでた。

「ナギ!」

 オオゲジサマが顔色を変えてレンヤを追う。
 が、その体が聖山を一歩でたとたん高圧電流が流れた。

「ああもう、これジャマッ!」

 焼けこげながらガリガリと見えない壁をかきむしる。
 それでも壁は通りぬけられない。

「ナギ連れてっちゃダメ!」

 かんしゃくをおこしたらしい。
 地団駄をふむ子どものようにあたりを転げまわり始めた。木々がふき飛び、岩が粉々にくだける。地面に大穴があいた。

 バキッ!
 そのうち、なにかが壊れる音がした。
 オオゲジサマの後ろ足が1本。壁を通りぬけて、ふもとの鳥居をくずしていた。

「あれ?」

 オオゲジサマがそろそろと顔をのばす。
 見えない壁は消えていた。

◆

 レンヤに拉致され、御巫(みかなぎ)は鳥の背にのって空にいた。

 白黒もようで、ふわっとしたトサカがある。大人3人は座れそうなほど大きな猛禽類だ。クチバシや爪が鋭くてごついので、つつかれたら死にそう。

 舌をかむからしゃべるなといわれて、約3時間。
 やがて、2人はザイに入った。

 海をはさんだ隣国ザイ。
 かつては御巫たちのゲジ国と仲が良かった。なのに、ザイの指導者が変わったとたん。

「ケモノが神さま? バカみた~い。私動物とかムリなのよね。ケモノくさくって」

 などと、感じ悪いことばっかりいうようになってしまった。

 ゲジ国がお金もちになってきたから、いろいろうばいたくなった。
 というのが本音のよう。
 なにかにつけて、ぼったくろうとしてくる。

「昔はまずしい国同士で仲良くしてたし……金で争うなんてやめようや」

 ゲジの殿さまはしばらく我慢していた。
 けれどゲジの船がザイにおそわれて、キレてしまった。

「お人形あそびしてるおまえらよりマシだね!」

 ザイの神さまは女神さま。
 彼らは女神像を各地に作り、あがめているのだ。

「なんだとコラ!?」
「やんのかコラ!?」

 売り言葉に買い言葉。
 二国の関係は悪化し、国交を断絶。いつ戦になってもおかしくない。
 ……そんなところに連れてこられてしまった。

 御巫はひそかに身ぶるいした。
 よくわからないけど……レンヤはオオゲジサマに追われてた。右腕がなかったし、食べられたんだろう。だから、聖山に入っちゃダメっていったのに。

 あのあと、わざわざもどってきて聖山に入ったってこと?
 門番をおそったそうだし。自分をさらってここにきたってことは……レンヤはザイ国の間者?
 私もしかして拷問されたり、殺されたりする?

◆

 2人をのせた鳥は城門をこえ、城の中腹へおりた。
 御巫(みかなぎ)が事情を聞くよりも先に。兵士たちがわらわらと集まってきて、レンヤをどなりつけた。

 ほにゃらら。
 といってるようにしか聞こえない。たぶんザイ語なんだろう。意味はわからないけど、彼のケガを心配してるわけではなさそうだ。

 レンヤはとても具合が悪そうなのに。
 服を破って右肩にまき、止血はしている。だけど、血を流しすぎて顔が青ざめていた。

 レンヤは「ご苦労」とばかりに鳥のほおをひとなで。ザイ語でなにかを兵士たちに伝えた。兵士たちがみんなこちらをふり返る。

「ひっ」

 2人の男が御巫の両腕を捕らえた。
 ひきずるようにして、どこかへ連れていこうとする。

「れ、レンヤ!?」

 やっぱり拷問されるんですか?
 レンヤはひどく申し訳なさそうな顔をした。

「すまん。成人して欲しい」

 大人しくしてくれ、といったつもりらしかった。

◆

 連れてこられた先は牢屋だった。
 うす暗くって、かび臭い。冷たい石の壁にかこまれている。

 思いのほか広い空間には、鉄格子の扉がずらり。たまに中で人が横たわっている。その内の1つに御巫(みかなぎ)を押しこめて、兵士たちはさっていった。

「……」

 そっとふところに手を入れる。
 そこには白い懐剣を忍ばせていた。すらりとサヤをぬくと、刀身が銀色にかがやく。とても切れ味が良さそうだ。
 御巫の自殺は禁じられている。

 この剣は自分にむけるものではない。

「いざという時は最後まで戦え」

 と持たされているものだ。
 だけど。

 ここで生爪をはがされたり、ムチで打たれたり? そんなひどい目にあって殺されるくらいなら。さっさと死んでしまうほうが楽でいいなあ……というのが彼女の本音だった。

 オオゲジサマ、たすけにきてくれないかな?
 ふと思う。
 すごく強いし、さらわれたときも心配してくれてた。

 だけど、ムリだろう。オオゲジサマは聖山に封印されてて、あそこからでられない。殿さまが許可すればでられるらしいけど……たかが世話係のために、こんな遠くまできてくれないと思う。

 八代目の御巫が死んだら、九代目が連れてこられるだけだ。
 あいさつするだけで喜んでくれる、気持ち悪い神獣さま。夜、御巫が自宅に帰ろうとすると、いつも泣きそうな顔をする。
 まるで、さびしがり屋の男の子みたい。
 あの不思議生物にもう会えないと思うと、少し悲しかった。

「うう……レンヤ、うらんでやるから」

 もし次があるなら、もう侵入者なんかぜったい見逃さない。
 御巫が懐剣で自らののどを突こうとしたとき。

「君ってゲジの人?」

 どこからか、若い男の声がした。
 あたりを探すと、隣の壁がこんこんとたたかれる。よく見ると壁がひび割れ、穴があいている。御巫の頭くらいの高さだ。
 その小さな穴から、レンヤと同じ青い瞳がのぞいた。

「いまレンヤっていったよな? なあ、この言葉わかる?」

 何種類かの外国語で彼が話しかけてくる。

「レンヤのお知りあいですか……?」

 おずおずと答えると、「そうそうそう!」とひそめた声で器用にさけんだ。

「無口で朴念仁でゲジ語がへったくそな18歳の男の傭兵。こいついまどーしてるか知らないかな、ちびちゃん」