その34


 動かなくなったルシアを見て、イヴァンはようやく我に返りました。
 殺すつもりなんてなかったのです。
 すぐに魔術師を呼んで彼女の手当をさせましたが、すでに魂がさってしまっているといわれました。なにをやっても生き返りません。
 それでも諦めきれないイヴァンは、昔聞いたキツネの伝説を思い出しました。
 キツネも結局は失敗したわけですが、歴史に残っている中では一番成功に近い失敗です。なにせ城の魔術師たちときたら、ルシアの指一本動かすことさえできないのですから。
 キツネが行った呪いを改良していくのが、もっとも効率的に思えました。
 それからイヴァンはキツネに関する伝説が書かれた文献や彼が残した呪いについて調べ始めました。
 キツネは帝国をさった後、ゲジという島国にわたって生涯を終えたという説があります。没年彼がいた国なら、どこかに彼の血を引く子孫がいるかもしれません。伝説の呪い師の子孫なら呪力も高いでしょうし、呪いのやり方についてもなにか知っているでしょう。
 魔力や呪力を測ることができる魔石を使い、イヴァンはゲジ人を中心に呪力の高いものを集めていきました。

◆

「おまえもその一人というわけだ」
 とエムリス。
「へ、へえ……あの石は呪力を測るものだったんですか」
 とナギ。
 内心、キツネって初代御巫のことじゃなかろうかという気がしていたが、余計なことはいわないでおいた。実感などまるでないが、数ある子孫たちの中から御巫に選ばれるだけあって、ナギの呪力は高いと聞いている。が、呪いのやり方なんてちっともわからない。生まれてこの方、やったことがないし教わってもいない。ゲジ国で呪いを使えたのは初代御巫だけだ。
「うむ。ふれたものの呪力や魔力に反応して石が光る。石が壊れるほどのものはなかなかいないからな。おまえには期待している」
 そんなこといわれても。
「すみませんが、私ではお力になれないと思います。呪いなんてしたこともないですし、そんなすごい人でもできなかったことが自分にできるとはとても思いません」
 エムリスは聞き間違いをしたとでもいうかのように、オウム返しにたずねた。
「呪いをしたことがない?」
「はい」
「おまえいくつだ?」
「十一歳です」
「これだけの呪力があれば、普通に生きているだけで無意識に呪を使ってしまうものだが……」
 彼は顔をおおっていた布をずらし、黄金の瞳を露出させた。
 しわしわで厳しい顔のおじいさんだ。短い髪はすべて白髪で、少し癖がある。彼は切れ長の目をすがめて、にらむようにこちらをながめた。
「なんだこれは。変な呪をいくつもかけよって……せっかくの呪力を本人ではなく他人が使うなど……ふざけよって」
 エムリスはぶつぶつと早口で悪態をつきながら、宙にせわしなく図形を描く。
「良いか小娘。わしは奴隷だろうがバケモノだろうが、呪力の高い者には相応の敬意を払うことにしている。呪力は生まれもった才能だからだ。努力ではどうすることもできない。遺伝であるていど受け継ぐことはあっても、それもすべてではない。呪力の強い家系でも落ちこぼれはいるし、まったく呪力をもたない家系でも伝説に残るような呪い師を輩出することがある。神と契約しても、元々の素養がなければ呪力も魔力も手に入らない」
「そうですか」
 なにがいいたいのだろう。
 曖昧にうなずいて見つめ返すと、彼が続けた。
「その気になればおまえの力をすべてわしが使うこともできるのだ。それをせず、あえておまえが自分で使えるように治してやったことをよく覚えておけ」
 フンと鼻をならすと、手を止めて布をかぶり直す。
「それは、断ったら私の呪力を奪うという脅しでしょうか」
「見かけほど愚鈍ではないようだな」
 敬意を払ってくれるんじゃなかったのか。
「死人を蘇らせるなんてムリですよ。できるものならとっくにやってます」
 ため息まじりにナギがいうと、エムリスがニヤリとした。布の合間から見える口元がかすかに弧をえがいている。
「おまえにもいるのだな。だれか生き返らせたい者が」
 思わず言葉につまった。
 脳裏に浮かぶのはあの夜の匂い。
 血と死臭がただよう中で、みんなが憐れむような目で自分から隠したそれ。
 どんな有様だったのだろう。
 動いて笑ったり怒ったりしていたときの様子しか覚えていない。死んだなんてウソだったんじゃないか、だれかちがう人の死体と間違えているのかもしれないと今でも思う。
「心配するな。おまえ一人にやらせるつもりはない。魔力や呪力の強い者を集めているといっただろう? 一人二人にできなくとも、大勢で協力すれば可能かもしれない。この呪いが成功したら、おまえの望む者を蘇らせてやってもいいぞ」
 すぐには答えられず、ためらいながらナギは答えた。
「少し、考えさせてください」
「午後までならまとう」
 エムリスは満足気にうなずき、退室する。
 その後姿にふと、たずねた。
「どうしてあなたはいつも顔を隠しているんですか?」
 エムリスはいぶかしげにふり返り、一言だけ告げる。
「見えすぎて疲れるからだ」

◆

 エムリスの部屋。
 部屋の主がいない間、奴隷たちはせっせと室内を掃除していた。
 二人の少女の内、一人が手を止めて棚の上を見る。
 そこには高そうな酒瓶が置かれていた。栓の上に三角形に似た図形が描かれた札がはられている。
「ちょっと、なにサボってんのよ」
 真面目に掃除していたおさげの少女がそれを見とがめる。
 注意された短髪の少女はへらりと笑い、酒瓶へ手をのばした。
「一口だけ、飲んじゃ駄目かな」
「はあ!? なにいってんの。イヴァン様に殺されても知らないわよ。エムリス様だって魔力がないやつには冷たいんだから」
「なめるだけだって。あたしらは一生こんないい酒飲めないんだもん」
「ちょっと、あんた」
 おさげの制止も聞かずに短髪が酒瓶の札をはがそうとしたとき。
 札をつかんだ手が、ボトリと落ちた。
「え?」
 シャアアアアッと威嚇音。
 札の先端が赤いヘビと化し、少女の手首を噛み切ったのだ。
 ヘビは無機質な瞳で少女たちを見つめ、チロチロと舌を動かすと元の札へもどった。
 少女の腕の断面から血が吹き出す。
 さびた鉄のような血の匂いがむせ返り、短髪がオロオロとおさげに目をむける。
「え、あ、うあうで、うで、うで」
 おさげも硬直して震えるだけで、どうしていいかわからない。
 一分後。
 二人の少女の絶叫がひびいた。

◆

 悲鳴におどろいてナギが様子を見に行くと、途中でエムリスに捕まった。
「ネズミが悪さをしただけだ。おまえが気にする必要はない」
「ネズミ? それにしてはすごい悲鳴でしたけど」
「おまえには関係ない。さて、まだ正午だがちょうどいい。返事を聞かせてもらおうか」
 つい眉尻が下がる。
「一応目的あって旅をしている途中ですし、私の連れとも相談しないと答えられません。オオゲジサマを見ませんでしたか? ヨウを連れてきてくれるといっていましたが、まだ時間がかかりそうですか?」
 エムリスは不思議そうにうなる。
「見ていないし、来ていないな。見つけたら連れてくるようにいってあるのだが……案外、あちらはおまえのことなど気にしていないのではないか? いなくなったと諦めて、どこかへ行ってしまったのかもしれんぞ」
 いたわるように優しげな口調だからこそ、胸にグサリとくる言葉だった。
「そ、そんな……」
 そんなことない、とはいい切れない。
 いってしまえば彼は赤の他人だ。探しても見つからなければそこで諦めるのが普通かもしれない。
 でも、あの生き物は。
「オオゲジサマは帰ってきます」
 それだけは疑いようもなかった。
「そうか、ならばオオゲジサマやヨウが迎えに来るまでここにいればいい。衣食住は保証するし、望むものは用意させよう」
 なにやら優しげに聞こえるが、滞在している間は王子に協力しろということだろう。
 しばらく迷ったが、
「お世話になります」
 ナギはとうとう、うなずいた。
 けれど内心なにか怪しいとも思い始めていた。

◆

 研究室とでもいうのだろうか。
 薬と血と獣の匂いがただよう、広くて大きな地下室へとナギは連れてこられた。
 辺りには様々な人種の学者や呪い師、魔術師たちがたくさんいてなにか作業をしている。
 エムリスに気づくと、手を止めて口々に挨拶をしてきた。
 彼はスクイート語で軽くナギを紹介したあと、こちらを振り返ってゲジ語に切り替える。
「彼らはそれぞれ独自の方法で蘇生法を探っている。大きく分けてミイラと降霊のニつ」
 要約すると、ミイラは死体から腐りやすい臓器等をとりのぞいて防腐処理したあと装飾をほどこす。その飾り立てられた死体を使って死者が生前と変わらぬ生活を送れるようにするものだという。こちらはルシアの死体をミイラ化することには成功したものの、肝心の魂が宿らないらしい。
 降霊はキツネの呪法を元に研究中。
 死者の魂を呼び出し、肉体に宿らせる。問題は死体を使うか生者の肉体を使うかなのだが、死体に宿らせてもすぐに腐って動けなくなってしまうし、操らなければ動かない。
「かといって生者に宿らせても気が狂うだけでな、まだまだ改良せねばならん」
 そら恐ろしいことをさらりといってくれる。
「百歩ゆずって死体はいいとして、生者の肉体ってまさか人体実験じゃないですよね?」
 こわごわと確認すると、くくくとエムリスが笑った。
「まだ獣でしかやっとらん」
 視界ギリギリに檻の中に入った獣の背中が見えた気がしたが、とても正視できない。
「獣とはいえかわいそうですよ。もっと穏便な方法はないんですか」
「かわいそう? よく見ろ、そんな愛らしいものではない。駆除する類の害獣だぞ? まあ、それでも嫌だというなら穏便で効率的な蘇生法をおまえが見つければいい。そうしたらすぐにでもわしがあいつらを止めさせてやろう。ま、あの害獣を野に放ったところで、猟師が撃ち殺すだけだろうがな」
「……」
 いい負かされてそっぽをむくと、視線の先に翠がいた。
 今日は少し簡素な格好で、長い黒髪を束ねて横に流している。彼女もゲジ人だからか、キツネの呪法を研究する面々に加わっているようだった。
 ナギはこっそり彼女に近よって小さく声をかける。
「ルシアさんを生き返らせる協力なんてして、いいんですか?」
 まだ色恋を知らない身ではあるが、翠はイヴァンが好きだということくらいはわかる。
 彼女はひかえめにほほえんだ。
「イヴァン様が喜んでくれるならいいの。それにね、一番はムリでも……私がルシア様を蘇生できたら、ご褒美に愛人くらいにはしてくれるかもしれないでしょ?」
 曇りのない瞳にナギはちょっとおののく。
「理解できません」
「うん、そのほうがいいよ」
「御巫、あまりウロチョロするな。薬の材料にされるぞ」
 エムリスが連れもどしにきた。
「あの、ここには翠しかゲジ人がいないみたいですが、他の9人はどこにいるんですか?」
「彼らは呪力がないからな。代わりに外で働いている」
「いつ会えますか?」
「会えることは会えるが、彼らは労働の後で疲れている。彼らの休みの日にしてやったらどうだ?」
「そうですか、お疲れなら仕方ないですね」
 ナギは戸惑いながらうなずく。
 なぜか翠はそそくさとはなれていってしまった。