その37


 館のどこかにいるという9人のゲジ人を探し、町ではぐれたヨウと合流したい。
 相談すると、オオゲジサマは触覚をゆらした。
「あっち」
 声がするらしい。
 導かれるままに館からはなれ、森の中を進むことしばし。
 白黒の鳥が上空からこちらへ接近してきた。
 猛禽類特有のするどいクチバシに、大人が数人のれそうなくらい大きな翼。丸い瞳。
 双子が飼っているシロだ。
 キューイと鳴いて旋回し、ゆるやかに飛んでいく。
 後をついていくと、馬車を囲む人影が見えてきた。その内の一人がこちらへ駆けよってくる。
 ヨウだ。
「ちびちゃん! 無事だったか。怪我は? 酷いこととかされなかったか?」
 彼はナギを抱え上げ、ざっと全身を観察した。
「オオゲジサマがいたので大丈夫でした。ヨウの方こそ平気でしたか? 後ろの人たちは……」
 いいかけてつい、目を疑った。
 馬車を囲んでいたのは普通の人間ではなく、ネコ親父やらヘビ女やら牛男だったからである。オオゲジサマかと思ったが、主は大ムカデの姿で隣にいる。
 ぽかんとしていたら、ヨウがこれまでの事情を説明した。
「イヴァンの館で実験台にされてたゲジの人たち」
 町で情報収集していたらナギたちが捕らえられたと聞き、追いかけようとしたら王子の部下たちに襲われた。
 1度は撃退したものの捕まってしまい、牢で彼らに会う。
 イヴァン王子に奴隷として買われた彼らは、呪いや魔術の実験台にされ、こんな姿になってしまった。
 などなど。
 食事を運ぶ為に通りがかった兵士を牢の中から襲ってカギを奪い、みんなで脱走してきたそうだ。
 ついでに他の牢にいた凶暴な実験動物たちも逃がしてきたので、兵士たちは今てんやわんや。混乱が収まってしまう前にこの場をはなれたほうがいいだろう、と。
 話が終わるとゲジ人たちはおそるおそるオオゲジサマへ近づき、ひざまずいた。
「オオゲジサマ、どうか私たちをお助けください」
 はたから見ると不気味な魔物の集会である。
 この場には、人間らしい外見のものはヨウとナギしかいない。
「会ったこともないのによく僕だってわかったね」
 不思議そうに主が問う。
 ゲジ国にいたころ、この虫は聖山の頂上に隠されていた。緊急時以外、国民がその姿を見ることはない。
「ヒィッ、く、国が滅びてから放浪する間にいろいろうわさを聞いておりましたし、ヨウからも事情を聞きましたので……」
 ネコ耳の生えた男が青ざめた顔でふり返り、ヨウがうなずく。
「ああ、牢の中で話しといた。教えてから名無しの村に連れてったほうがいいだろ? 嫌がるやつもいるだろうし」
 ということは、全員納得ずくでバケモノの支配する村へ来るということか。
 ナギには少し意外に思えた。
 巫女の自分でさえ、最初はバケモノに仕えることに抵抗があったのに。奴隷として酷い仕打ちを受けていたとはいえ、牢から脱出した今ならどこへでも行けるではないか。かつて会った柚羅のように、異形の姿では他の人間に迫害されると判断したのだろうか。
「ふうん。……おまえは弱いけど、人間の世話が上手いね」
 オオゲジサマがさらりといって、ヨウが目を丸くした。
「弱くねーよ! おまえが規格外すぎるんだっつの。てか、呪いとけたのか? ここしばらくヘビだったのに」
「あ。ホントだとけてる」
「今ごろ気づいたのかよ」
 ちょっと嬉しげなその姿を、奇妙なまなざしでゲジ人たちが見守っている。
 彼らはヨウを信頼したからついてきたのだろう。彼は躊躇なく敵を殺す非情な所はあるものの、不思議な親しみやすさも持ち合わせている。
 仲間がどっと増えたので、一度名無しの村へもどることにした。
 空に月が浮かび始めたころ。
 馬車の中でゆられていると、オオゲジサマがやや小さくなって隣へよってきた。だいたい人間と同じくらいの大きさだ。その脚が一つ、欠けたままなのを見てついたずねる。
「それ、さっきオオゲジサマが自分でちぎったとこですよね。なんで治ってないんですか?」
 いつもなら一瞬で脚が再生しているのに。
 ムカデはなんでもないように軽く答えた。
「あと20分もすれば治るよ」
「どうしてそんなに時間が……」
 そういえば、エムリスがなにかしていた。
 主が気づいていないとは思えない。
「オオゲジサマが私にかけてた呪いをエムリスさんが解いちゃったから、困ってるんですか?」
「別に」
 今は他のゲジ人も少し集まってきたから、問題ないとムカデはいう。
 だが、現に傷の治りがこんなに遅いではないか。
「また呪いをかけていいですよ」
 そうすると自分で呪力を使えなくなってしまうそうだが、今まで呪いを使わずに生きてきたのだから、特に抵抗もない。
 ムカデは朱色の瞳でこちらを見つめる。
「僕に気を使う必要はないよ。元々君の力なんだから、君が使えばいい」
 聞き間違いかと思った。
 主にとって呪力は大切なもののはずだ。
「えっ、な、なにいってるんですか。御巫の力はオオゲジサマへの供物みたいなものなんでしょう?」
「んー。ゲジ国滅んじゃったし、別に過去のことは気にしなくていいんじゃない? 別に呪力くれなくてもナギを殺したりしないよ?」
「どうして急にそんなことをいうんですか? 今までずっと血の契約とかいうの、してたのに」
 契約しなくても殺さないでいてくれる。
 その言葉は本来嬉しいはずなのに、不要だといわれたみたいで切なくなった。この呪はある意味、主従をつなぐ絆でもある。
 ナギのことなどいらなくなってしまったのか。
「一度呪を覚えた呪い師は、呪なしで生きられないものだよ。便利だから」
 呪い、使ったよねとオオゲジサマは自分の体を指さす。
 呪を覚えたナギから呪をとりあげるのは酷だろうと、気遣ってくれたつもりらしい。
「……私の力がいらなくなったわけでは、ないんですね」
 おそるおそるたずねると、オオゲジサマはきょとんとした。
「そんなんじゃないよ」
 その言葉を聞いて安心する。
「じゃあもらってください」
 ムカデは信じられないとでもいいたげに数秒ぽかんと口を開けていたが、
「……ありがとう」
 やがてそうつぶやいた。
 長い足でそっとナギの額にふれると、同時に欠けていた足が再生していく。
 さっそく契約とかいうのをしたのだろう。
 これでもう呪力は使えなくなったのか。試したくなって、昼間のエムリスをまねて両手で三角形を作り、大ムカデを見た。
 そこには大きなゲジゲジが丸まっていた。
 長い数百本の脚を器用に折りたたんでいる。
「え?」
 三角形をずらすと、やはりまだムカデの姿のままだ。
 もう一度三角形をのぞくと、そこには黒いトカゲ。
「オオゲジサマ、私もう呪力使えないんですよね?」
「そうだけど……まあ、ナギの呪力はケタ違いだから、簡単なやつならまだ使えるかも」
 見ている間に三角形の中がゆらりとゆらぎ、人間の少年になった。
 魔性を思わせるほどキレイな顔だちで、12,3歳くらい。褐色の肌にまっすぐな黒髪。露出の多い格好で金の装飾品をいくつかつけていて、肩から胸にかけて黒い刺青。
 なぜだろう、どれも何度か見かけた姿だ。
 一度っきりで二度と化けない姿もあるのに。
「オオゲジサマってどれが本当の姿なんですか? ゲジゲジか、黒いトカゲか人間……のどれかだったりします?」
 まさかなあと思いつつたずねると、三角形ごしに少年が笑う。
「ぜんぶ僕だよ」
 冷静に聞くと理解不能な答えなのに、なぜか心臓がドキィィッと高鳴ってナギは赤面した。
 反射的に数歩後ずさるが、それでも顔の熱が収まらず壁の方をむいてうずくまる。
 いやいやいやいやありえないありえない。
 落ちつけ落ちつけ。
「あれは虫、あれは虫、あれは虫……!」
「どうしたの?」
 ムカデが上機嫌でこちらへよってくる。
 ナギはすわった瞳でそれを見つめ返した。
「突然ですが、アゲハ蝶の幼虫に化けてくれませんか?」
「いいよ」
 主が即答し、黒と緑のシマシマにオレンジの斑点模様のイモ虫へと変わる。
 うねうね動くそれを見て、ナギはほっと胸をなでおろす。
「良かった、それなら大丈夫です」
「なにが?」
 イモ虫が小首をかしげた。

◆

 エムリスによる治療が済んだあと。
 兵士や呪い師たちをすべて人払いし、イヴァンはルシアの骨が散乱する床にうずくまった。くだけた骨を一つ一つ拾い集めながらつぶやく。
「会話らしい会話もできなかった……」
 もしもう一度話すことができたら、謝りたいと思っていた。おだやかに微笑む彼女とずっと一緒にいたかっただけなのに、二度も彼女を殺すはめになるなんて。
 そんなことを延々と考え続けていたらやがて、まっ暗になった部屋にエムリスが燭台をもって入ってきた。
「しばらく近よるなといっただろう」
 怒鳴る気力もなく、鬱陶しげに告げるが老爺は平然としている。
「もう夜ですが。どうします? まだ研究を続けますか」
「正気ではなかったが、あれは姉上そのものだった。あれ以上のものなどできるわけがない」
 骨だけになってなお、彼女の仕草が残っていた。声も気配も記憶の中のものと一致する。
「まだ改良の余地がある気もしますがな」
「くどい」
 舌打ちすると、エムリスがうながす。
「では、いつまでも落ちこんでいる暇はないでしょう。他にやることがあるはずだ」
「……」
 突如、魔術師はしらけたように警告した。
「おい。わしはフヌケに仕える気はないぞ」
 イヴァンが目を見開く。
「俺がフヌケだと!?」
「ちがうというなら、そろそろ約束を果たしていただきたい。蘇生法の研究はそれなりに面白かったが、元々我らは別の目的を果たすために手を組んでいたはず」
 エムリスは元々ガマル帝国の出身ではない。
 蘇生法を研究するうちに知り合った異国の魔術師だ。初めて会ったとき、俺に仕えろというイヴァンに彼はこういった。
「おまえは父を憎んでいるのだな。わしもあいつには故郷を滅ぼされた恨みがある。共に王を討つ気があるなら手を貸そう」
 と。
 イヴァンは長く、息をはく。
「わかっている」
 やがて数年ののち。
 彼らがおこす内乱によってガマル帝国は三つに分断される。
 一つは王とそれに味方する兄妹たち。
 二つめは隣国の支援を得て台頭してきた騎馬民族。
 三つめはイヴァン率いる反乱軍である。
 三大勢力は十年にわたり戦乱を続けることになるのだが、それはまた別の話である。