その42


 あれから竜王は破格の成長を遂げていた。
 死神どころかその辺の野良犬にも負けるんじゃないかと噂されていたのだが、今や彼に勝てる竜は島内にいない。
 実力がついて自信がついたのか、はたまた王として覚悟を決めたのか。ダイヤモンド製のヒヨコみたいだった横顔も心なしか凛としてきて、見守る会の会員をじょじょに増やしている。
 そんな彼はいま、木陰にかくれてチラッチラしながら少女を見つめていた。
「いつまでもそんな変態くさいことをしていないで、とっとと声をかければよいではありませんか」
 人型に化けた竜族の少女が隣にかがんでそっとささやく。
 魚のヒレのような形状の耳。気品あふれるたたずまい。つり上がった切れ長の瞳はあでやかで、濃い水色。虹彩はたてになっている。同じ色の長い巻き髪を後ろで高く結わえ、ロングスカートに鎧を着こんでいる。
 目も耳も人間と同じように化けることができるのだが、あえてしないのは竜族ということに誇りを持っているからである。力のある竜によく見られる傾向だ。
「へ、変態……?」
 竜王がショックにうち震える。
「かわいかろうが幼児だろうが変態はいけません。なんならわたくしがさらってまいりますわ」
 彼女がすっと立ち上がり、竜王があわてる。
「わっ、やめろドロシー!」
「自分で声をかけるのですか?」
 流し目で問われるが、首を振った。
「いや……もう島を出る」
「彼女と話していかないのですか? このヘタレチキン」
「優しくいたわるような顔してさり気なく罵らないでくれ」
 二匹の視線の先には湖が一つ。
 傍らに木が生えていて、その木陰で少女がお弁当を広げていた。
 さらさらの亜麻色の髪と瞳。あどけない顔立ちと裏腹にしなやかで色っぽい体つき。もふもふとサンドイッチを頬張るエマを見て、竜王が顔を赤らめる。
 が、ふいっと顔をそむけ、足早にその場をはなれてしまった。
「よくわからないが、いま話しかけてはいけない気がして……。心配をかけるだけというか、もしまた泣かせてしまうことになったら……」
「また? 一度も話したことがないのになにをいってらっしゃるの?」
 ついてきたドロシーが眉をひそめる。
 可哀想な子にむける眼差しだ。
「そ……そういえばそうだったな。なぜかもう何年も前からずっと知っているような錯覚が」
 うろたえる竜王をドロシーが後ろから抱き上げ、頭の角にちゅっと口づける。
「竜王さま、わたくしいつでもウエルカムですから。好きな子に挨拶もできないからってストーカーに走るのはおやめになって。キモいですわ」
「……もういい」
 竜王がげんなりして彼女の腕から逃げると、ドロシーはふと真面目な顔をした。
「先代の竜王さまはあの死神に殺されたのですよ。あなたさまをみすみす死なせるつもりはありませんけれど、後悔しないでくださいませ」
「わかっている」
 竜王が大きく翼を広げ、ふと彼女をふり返る。
「まさか、ついてくる気なのか?」
 ドロシーは不敵に笑んだ。
「ここで行かねば竜王さまを見守る会、会員ナンバー2の名がすたりますわ」
 続いて男の声がわって入る。
「もちろん会員ナンバー1のわしもお伴しますぞ」
 口調は年寄りのようなのに声や容貌は二十代くらい。
 魚のヒレ状の耳を持ち、額に二本の白い角。紫の瞳だがやはり虹彩はたてで、長い黒髪を三つ編みにしている。全身に重々しい甲冑を身につけていた。
「チェンロンよ、おまえもか」
 竜王に名前を呼ばれ、青年は得意げにふんぞり返った。
「まさか、お忘れになったのですか? 毎日あなたのオムツを替えていたのはこの爺やだということを! いわば育ての親ともいえるわしが、竜王さまを一人で行かせるわけがないでしょう!」
「我は生まれた時からあるていど育っていたから、オムツなぞつけた覚えはないのだが」
 冷めた顔で指摘する竜王をよそに、ドロシーがムキになって張り合う。
「それをいうなら、竜王さまにお乳をあげたのはこのドロシーですわ! お育てしたのはわたくしよ!」
「竜族は卵生だから乳を飲まないし、出ないのではないか……?」
「愛があれば乳くらい出せます!」
「わしだって、その気になれば乳くらい……!」
「出さんでいい」
 ツッコミに疲れ、竜王はそのまま死神討伐の旅に出発した。
 護衛は二匹。
 他にもついていきたがった者は多かったのだが、足手まといになるからとドロシーとチェンロンがひそかに黙らせた。
 見守る会の会員ナンバーは先着順ではなく、実力順なのである。

◆

 翌朝。
 旅支度を終え、ナギたちは名無しの町を出た。
 が。
「で、どこ行くんだ?」
 ヨウに問われてナギは内心頭をひねる。
 実はまだ目的地を決めていなかった。
「刺激を与えなければ暴れないようなので、とりあえず人気がない所へとは思っていますが……どこ行きたいですか?」
 ユルドゥズに聞くと、彼はぼんやりと答えた。
「アシュレイの側に」
「うわっ、しゃべった!」
 ヨウが大げさにおどろき、ユルドゥズが反射的に右手を一閃させる。
 とっさにヨウが身をかわすと、彼がいた場所の木が斜めに切断された。
「……ちょっと沸点低いんじゃねーのおまえ」
「ユルドゥズ、彼は味方だから攻撃しちゃ駄目です。ヨウも挑発しないでください」
「ふつーに話してるだけじゃん」
 ヨウは悪びれない。
 ユルドゥズは不思議そうに首をかしげた。
 彼が攻撃したのはこれが初めてではない。
 大人やオオゲジサマが大きな声を出したり、ナギに対して急に近づいたりするとその度に反応する。
 できるだけ止めるようにしてはいるのだが、攻撃が素早すぎて止め切れないのだ。
 オオゲジサマや双子だから避けたり反撃したりして大事になっていないが、これが普通の人だったら即死である。彼を町に置かなくて正解だったとナギはひそかに戦慄していた。反対してくれた保護者組に感謝だ。やっと増えつつある住人が殺されてしまったら、どうしていいかわからない。
「それで、アシュレイってどこにいるんですか?」
 たずねると、ユルドゥズはなぜかこちらを指さす。
 ナギの背後の方角ということかと移動してみるが、移動すると指先もついてくる。
 まさか。
「あのー、前にも名乗った気がしますが、私は御巫(みかなぎ)。通称ナギです。アシュレイって人じゃないですよ」
 彼はナギの頭から爪先までをしげしげとながめ、頭をなでた。
「どこからどう見てもアシュレイです」
「ちがいます」
 以前のオオゲジサマみたいに、人間の見分けがほとんどつかないのだろうか?
 あるいは……。
 嫌な考えが浮かんで冷や汗をかくと、ユルドゥズがポツリとつぶやく。
「嫌な夢を見ていました」
「夢?」
「はい……夢です。夢だったんです」
 そう告げる彼の表情は魂のない人形みたいだった。
 それきり彼は黙りこんでしまい、けっきょくナギと双子で目的地について議論を始める。
 ナギと間違えている”アシュレイ”の居場所を探しに行こうかとも小声で相談したのだが、彼が仕えていたジュナ国はとうの昔に滅びている。”アシュレイ”もすでに亡くなっている可能性が高いし、ジュナ国の跡地に建っていた国はユルドゥズが壊滅させたので墓も残っていないだろう。
 どうしようもない以上、この事にはふれずそっとしておこうと結論がでた。
「山奥とかどうですか。近くだとこの辺とか」
 広げた地図をナギが指さし、レンヤが却下する。
「そこは隣国の所有地だし、この時期は狩猟区域に入る」
「じゃ、海は? どっか無人島とかなかったっけ」
 ヨウが地図上の島をいくつか示すが、再びレンヤが不採用する。
「あるにはあるが、実質海賊の巣窟らしい」
「なんでおまえんなこと知ってんの?」
 ヨウがちょっと引いた目で兄を見る。
「ミカ、商人や旅人その他から話を聞いたとき、おまえも一緒に聞いていただろうが」
「あれ、そーだっけ? ざっとなら覚えてるけど、まさかこんな辺ぴなとこに行くことになると思わなかったからさー」
 レンヤの返答にヨウは笑って誤魔化した。
 しばらくそんな感じでグダグダしていたら、見かねたようにオオゲジサマが地図に前足をのせた。
「ここ」
 ちなみに今日の姿は三つ頭の狼である。
 頭は三つもあるのに、なぜそれぞれ単眼なのかを気にしなければわりとかわいい。ちなみにそういったらヨウは「趣味悪っ」と顔を引きつらせ、レンヤは「シロの方がかわいい」と答えた。ゴキブリよりマシだ。
「砂漠ですか」
 肉球でしめされた場所は水源から外れた、なにもない所のようだが。
 オオゲジサマはふさふさのしっぽを一度ゆっくりとゆらした。
「御巫の隠れ家の一つ」
 若かりしころ、ご先祖さまは各地を転々としていたそうだ。
 夜逃げのように国を出たり、従者や同僚に住処を荒らされたり、荷物が戦火で焼けてしまったり。
 いろいろなことがあり、彼は大事な物を保管し、なにかあった時に逃げこめる避難場所が欲しくなった。
 自分以外は入ることも見ることもできない、秘密の隠れ家。
 ゲジ国に定住してからは安心したのか、どうでも良くなって放置していたらしいが、今のナギたちにはうってつけの場所だろう。
「私たちに使えるでしょうか?」
 ナギの問いにオオゲジサマは小さく笑った。
「たぶんね」