その43


 オオゲジサマの提案どおり、御巫の隠れ家を目指すことにした。
 安全な街道を通って行きたいところだが、ユルドゥズがいるので、できるだけ人気の少ない寂れた道を進んでいく。
 空を飛ぶことも考えたのが、ユルドゥズが上空から人に襲いかかったら止めるのが厳しそうなのでやめた。
 彼と比べると、オオゲジサマが理性的に思えてくるから恐ろしい。
 ぞろぞろと獣道を歩いていると、ふとヨウが提案した。
「なあちびちゃん。そいつ、鎖でしばって運ぶとかどうよ?」
 そいつ、とはユルドゥズのことか。
 ナギはさり気なく距離をとった。
「どうしたんですか突然。変態趣味にでも目覚めたんですか?」
「んなわけあるか!」
 大声に反応したように風がざわめく。
 とっさにヨウが後退すると、それを追うように彼がいた場所の草木が疾風によって切断されていく。骨まで切断できそうな、小気味良い音がした。
「彼は味方ですってば」
 ナギがユルドゥズのそでを引くと、ぱたりと風が止む。
 ヨウが軽くため息をついた。
「これだよこれ。そいつがしょっちゅう攻撃してくるのをどーにかしてくれっつってんの」
「すみません。そうしたいのは山々なんですが、人間不信を悪化させるようなことは、ちょっと。そもそも鎖くらいなら引きちぎれると思いますよ。本性から考えて」
 ユルドゥズはナギに手や腕をつかまれている時は暴れない。振り払おうとすらせず、されるがままである。空いている方の手でだれかに攻撃しようとすることはあるが、巻きこまないように気を使ってくれているようだ。
 だから、ずっと手をつないでいればいいのではとも考えたのだが。オオゲジサマが無言でなにかを訴えてくるのでやめた。それに、ユルドゥズは手足を使わずとも風を操れるのであまり意味はない。
 どうしたものかと本人を見ると、物憂げな表情の彼と目が合った。
 この生き物はよくわからない。
 話を聞いている時といない時があるのか、反応もあったりなかったり。話を理解しているフシはあるのに、なぜか何度いっても味方を攻撃する。特にオオゲジサマとヨウばかりを。不思議とレンヤはあまり被害にあっていない。弟とちがって物静かだからだろう。
 ふと、ユルドゥズが顔をよせてきてささやく。
「貴方はだまされている」
 そうきたか。
 やはり被害妄想気味だなあとは思うが、何度も殺されかけたり封印されたりしたらこうなってしまうものなのかもしれない。
「そんなことないですよ。彼らは本当に味方なんです」
「貴方を怒鳴った」
「ただのツッコミです」
「……」
 とても信用できない、と顔に書いてある。
 ヨウに本気で怒鳴られたことなんてないし、むしろ彼は一行の中で一番優しいくらいなのに。
 こればかりは時間をかけて説得するしかないだろう。
 そんな短いやりとりの間に、双子はなにやらケンカしていた。
「好きでついてきておいて文句をいうな」
 レンヤがいさめると、ヨウはしかめっ面をする。
「おまえはいーよなあんまり狙われてないから。つーかいい加減兄貴ヅラすんな。周りが勝手にレンヤが兄貴っていってるだけで、俺たちどっちが先に生まれたかわかんねーんだからな」
「またそれか。周りに流されて俺のことを兄貴と呼んでいるおまえがいうな。くやしかったら兄らしくしてみろ」
「流されてっつーか、小さいころからの刷りこみで……ほんっとムカツクなこのくそ兄貴はよおおお!」
 何やら殴りあったり絞め技をかけたりしているが、ナギは放置した。
 双子はわりとしょっちゅうケンカするが、3歩あるけばなにごともなかったかのように仲直りしている不思議な関係なのである。心配するだけ無駄だ。

◆

 そんな調子で、のらりくらりと歩みを進めていたある日。
 草原の奥でなにかがゆれているのを見つけた。
 大きくて半透明。骨格らしきものはなく、全体的にぐにゃぐにゃしている。クラゲの上半身を人型にして薄紫にしたら似ているかもしれない。
 宙に3つほど浮かんだそれはオオゲジサマにむかってぺこぺことおじぎのような仕草をくり返している。
 オオゲジサマは誘われるまま彼らに近づき、しばらくなにか話していた。
 主と魔物が会話する姿なんて、呪いの村にいた須佐以来だ。ほとんどはオオゲジサマの気配におびえて姿も見せない。
 案外、知り合いだったりするんだろうか。
 ユルドゥズをなだめながら見守っていたら、クラゲもどきが仲間を一匹さし出し、オオゲジサマがそれをバクリと食べてしまった。
 今日の主はトンボとハチを混ぜたような姿だったのだが、顔面が割れて牙だらけの口が飛び出すさまは虫というより肉食獣に近い。
「あの……なんですか今のは」
 彼らと和やかに別れてもどってきた主についたずねる。
「挨拶されたついでに御巫一族の生き残りについて聞いたら、御巫一族かわからないけど、ここから左に曲がってまっすぐの森にゲジ人たちがいるって、教えてくれた」
「ゲジ人がこんな所に? って、それも気になりますが、親切に教えてくれた生き物を食べるなんて、酷いじゃないですか」
「酷い? なんで?」
 本気でわからない様子だ。
 借りや義理人情には理解があると思っていたのだが。
 どう説明しようか戸惑っていたら、オオゲジサマが解説した。
「彼らは僕の気配に気づくのが遅れて逃げそびれたんだよ。それで下手に出ていろいろ情報を話したり、仲間の一匹をさし出して命乞いをした。僕はそれに満足したから残りの二匹を見逃した。ほら、酷くないよ?」
 食べたばかりだからか、そこそこ機嫌が良い。
 微笑まれて、ナギは内心首をひねった。
「うーん……三匹とも見逃すという選択肢はないんでしょうか」
「せっかくおやつが向こうからやってきたのに逃したりしないよ。今は満腹でもないし」
 主にとっては彼らもエサの範疇らしい。けっこう雑食だ。
「そうですか。それにしても、あっさり仲間をさし出すなんて魔物の世界は厳しいんですね」
「そうかな。人間と同じだよ」
 ハチもどきはつまらなさそうに答えた。

◆

 隠れ家へむかう途中ではあるが、ゲジ人の生残りがいると聞いてはほうっておけない。
 だが、ユルドゥズがいるのでナギはそこへ行けない。オオゲジサマはナギが一緒でなければ行かないと主張。
 そんな事情でナギ、オオゲジサマ、ユルドゥズ、レンヤは森の近くで待機。
 ヨウだけが森に入り、様子を見てくることになった。
 なにかあった時のためにレンヤも一緒に行ったほうがいいのではと聞いたが、双子は「大丈夫」と異口同音に告げる。なにかあったらレンヤも行くが、それより人外二匹の方が信用ならないらしい。
 ヨウが森に入り、やがて見慣れない大人たちを連れてもどってきた。
 みんな、ナギと同じ黒髪黒目の黄色人種で懐かしい着物を着ている。確かにゲジ人だ。名無しの町に勧誘成功したのだろうか。
 だが、なぜかヨウは微妙な顔をしていた。
「とにかくオオゲジサマに会いたいって」
 ナギはユルドゥズに後ろをむかせ、はなれた場所へ誘導した。
 二人の男たちは一瞬ぎょっとしたものの、すぐに感極まったようにオオゲジサマの前にひざまずく。
「お会いできて光栄です。よくぞご無事で……!」
「どうぞ我が村へおこしください。我らはゲジ国を復興させるために、ゲジ人の生き残りで集落を作っているのです。守り神としてお迎えさせて頂きます」
 ハチもどきはさして関心もなさそうに告げる。
「僕は君らの村へは行けないよ。でも、君らが僕の町にくるならかまわない」
 こちらはこちらで集落を作っていたことを説明すると、男たちが眉根をよせる。
「それはできません。我らはもうここに居ついています。だから、どうかこちらへ」
「そう。じゃあ元気でね」
 オオゲジサマがふいと背をむけると、あわてて前へと回りこむ。
「なぜおいで頂けないのですか?」
「どうすれば我が村へ来ていただけますか?」
 主はさらりと即答する。
「ナギが村に入れないから。ナギがここに住むなら僕も住む」
 男の一人が笑みを消し、もう一人は首をかしげた。
「ナギとはいったい何者ですか?」
 長い昆虫の脚がこちらをしめす。
「あそこにいる、僕の巫女」
 ナギは軽く頭を下げた。
 そこでようやく、男の一人に見覚えがあることに気づく。
 御巫の里に住んでいた、同じ一族の者だ。
 名は右近 一彦(うこん かずひこ)。
 お役目をついで巫女になった者は苗字がなくなるが、それ以外は御巫一族でも苗字がある。ちなみにレンヤとヨウにも苗字はあるのだが、長ったらしいので普段は使っていない。
 右近家は御巫を輩出したことはないが、それなりの有力者だったように思う。
 国の葬儀はすべて彼の家がとり仕切っている。ナギも死体になれる為に何度か手伝いをしたことがあった。そこの長男だ。
 三白眼でそばかす顔だが造作は整っていて、すらっとした細身。白装束姿で、首と左手に長い数珠を巻いていた。
「御巫さま。生きておられたんですね」
 心底おどろいた様子で目を見開いている。
「オオゲジサマが助けてくれたんです」
「ご無事でなによりです。私たちの村にいる者はみんな、オオゲジサマへの信仰があつい者たちばかりです。オオゲジサマと御巫さまが住んでくだされば喜びます。ぜひ我が村へ」
 同じことをしている人たちがいた。
 同胞であり同志でもある人に会えて嬉しかったが、ナギは首を振る。
 ユルドゥズのことを少しぼかして説明すると、彼らは残念そうにため息をつく。
「そうですか……そちらはそちらで居ついているようですし、町と村を合併させるのは無理でしょうね。ですが、我らの他にも同胞が生きていると知って安心いたしました。せめて一日だけでも村の者たちに挨拶してやってはくれませんか? みんな、いつかオオゲジサマがもどってこられることを夢見て今までがんばってきたのです」
 右近は涙さえ流しそうな目をオオゲジサマへむける。
 もう一人の見知らぬ男は彼とそろって地面へひざをつき、真剣な横顔で成り行きを見守っている。
 ナギは主の肩をそっとたたいた。
「行ってきてあげてください。ここでまってますから」
 ハチもどきは心なしか寂しそうに触覚を下げる。
「……そういうと思った」
 長い前脚が頭をなでてきたので、ナギはなだめるように軽くそれにふれた。
 双子が軽く目配せし合い、ヨウが前へ出る。
「じゃ、俺もついてくよ」
 右近はにっこり微笑んだ。
「御巫さまのお連れでしたら、歓迎しますよ」