その44


 ナギたちはのんびり野宿しながらオオゲジサマたちをまっていた。
「オオゲジサマはわりとなんでも食べるんですが、ユルドゥズは偏食ですね」
 肉、魚、野菜、木の実。
 その他いろいろ試してみたが、彼は水以外口にしなかった。
「なになら食べますか?」
「人肉じゃないか?」
 レンヤが他人ごとのように告げる。
「それは思ってもいわないでください」
 ユルドゥズはぼんやりと答えた。
「襲ってきたものを適当に……月に一匹食べれば十分なので、問題ありません」
「襲ってくるの前提なんですか」
 あちこちの国を襲った加害者のはずなのに、被害者みたいに思えてしまうのはなぜだろう。
「あなた本当に大勢の人を殺したんですか?」
 返り血だらけの姿も見たし、力があるのもわかるのだが、あまり好戦的ではないような。
「……あなたが一番よくしっているはずです」
 彼は不思議そうにこちらを見つめ返し、軽く膝をついて目線を合わせてきた。
 光がなくても赤紫の瞳は十分に美しい。
「殺したい者がいればいってください。滅ぼす国でもかまいません。命に代えても滅ぼしてみせます」
 前言撤回。
 やはりどこか好戦的な面もあるようだ。
 ここ数日の会話で”アシュレイ”は彼の仕えていた王子の名前だということはわかった。ユルドゥズはきっと、アシュレイのために殺し続けてきたのだろう。
 だがもうその国はないのだ。
「特にいません。強いていうなら、大人しくしていてください」
「……」
 彼はなにかいいかけたが、不意に背後をふり返った。
 レンヤに反応したのかとその腕をつかんだが、その方角にいたのはゲジ人だった。白い面を被っていたからわからなかったが、どうやらさっきまでいた右近の片割れらしい。
 彼は右近の側近で佐田二郎というそうだ。
 浅葱色の袴姿で、手には大きな風呂敷包を抱えている。さっきはとっさのことで面をつけていなかったが、普段外を歩く時はこれで顔を隠していないと落ちつかないのだという。
「この辺りの土地は黒髪黒目を不吉だといって嫌いますからね」
 面を被る方が不審な気もするが。
 この土地に合った格好をしたほうがずっと溶けこむだろう。
 しかし、同じゲジ人として着物を着たい気もちはわかる。国を出てからスカートやらワンピースやらズボンやら異国の服ばかりだが、やはり着物が一番落ちつくのだ。
 彼らは運よく着物をたくさん保管できていたのだろうか。それとも自分で作っているのか。
「なら、もう少し南へ引っ越したほうがいいんじゃないでしょうか? あの辺りでは特にそういった差別はなかったと思いますが」
 あちこちウロウロする内に学んだことだが、どうも人種差別は「多いもの勝ち」的な所があるようだ。その土地で多い人種は優遇され、少ない人種は疎まれる。
 旅人から見れば馬鹿馬鹿しいが、そんなものなのかもしれない。
「……我々はもう旅に疲れたのですよ」
 佐田は困ったように苦笑した。
「暗い話はこれくらいにしましょう。御巫さまとお連れの方々にもなにかお食事をと思いまして。ささやかではありますが夕食をお持ちいたしました。よろしければお召上がりください」
「わあ、ありがとうございます!」
 彼が風呂敷をといて重箱を広げ、ナギが目を輝かせる。
 豪勢な懐石料理をお弁当用につめました、という感じで故郷の味がぎっしりつまっていたのである。ニンジン一つでも綺麗に細工がされている。中には原材料がわからないものもあるが、どれもゲジ国が亡くなって以来食べていなかったものばかりだ。
 お花の形の和菓子などもあって、よだれが出そうになる。
「お連れさまにはお酒もありますよ」
 佐田が酒瓶を掲げる。
――毒入りかもしれません。
 頭の中に直接ユルドゥズの声がひびき、うっかり返事しそうになってぎょっとした。
 彼を見ると、もう一度同じ声が頭にとどく。
――食べないでください。ゆっくりはなれて、こっちへ。
 ナギは困惑した。
 こんな風に直接脳内へ語りかけられるのは初めてだが、彼は双子の出した食べ物にも「毒入りでは」と疑ったことが何度かある。もちろん一度も毒なんか入っていなかった。
 佐田が毒を入れた可能性がないわけではないが。毒が入っていなかった場合、せっかくの好意に泥を塗ることになってしまう。
 今まで面識はなかったが同じ一族の末裔。遠い親戚なのである。
 異国でようやく巡りあった身内が毒を盛るなんて、とても考えられなかった。

◆

 一方、オオゲジサマたちはというと。
 住人たちに囲まれ、山のようにおがまれた後は宴を開かれ、散々もてなされていた。
 館の大広間で酒がふるまわれ、舞や踊りが繰り広げられる中豪勢な料理が並んでいる。ヨウは料理に一度手をつけたが、嫌いな食べ物だったのか口には入れずに箸を置き、色々な女性と話をしている。
 オオゲジサマは勧められるまま大酒を飲んでいた。
「今の御巫がたいそうお気に入りのようですね」
 右近がオオゲジサマに酒をつぎながら話しかける。彼の周囲には酒ダルがずらりと並んでいた。
「うん……でも最近あんまりかまってくれなくてさびしい」
「ほう」
 右近が声をひそめてささやく。
「例えばの話ですが。あの子より小さくて可愛らしい女の子をさし上げたら、あなたはここに留まってくれるのでしょうか?」

◆

「大丈夫ですよ」
 ナギはとても小さな声でユルドゥズに返事した。人には聞きとれないが、彼なら聞こえるだろう。
 何事もなかったかのように佐田のさし出す小皿を受けとると、
「ナギ」
 針のようなもので重箱を物色していたレンヤに呼ばれた。
 ちょいちょいと手招きされる。
 てくてく歩みよると、背中の辺りで風切り音がした。
 ふり返ると、ユルドゥズの爪が鉤爪のようにのびて佐田の服を裂いた所だった。ナギがはなれたとたんに彼を襲ったのだろう。
「な」
 なにしてんですかー!
 絶叫する寸前、レンヤに引きよせられる。
「いや、今回に限ってはあいつが正しい。毒入りだ」
「えっ?」
 本当に毒入り?
 佐田は素早く後退すると、甲高く指笛を鳴らした。
「バカだな。毒で死んだほうが楽だったのに」
 辺りの茂みから面を被った忍装束たちが現れる。男女混じって30人ほど。いずれも武器を手にしている。
「アシュレイ……こちらへ」
 ユルドゥズが不穏な眼差しをレンヤへむけつつナギを呼ぶ。
 佐田のそばにいた時は心に話しかけてきたのに、レンヤのそばだと直に声をかけてくる。少しはレンヤを信用しているのだろうか。佐田の殺気を警戒していただけかもしれないが。
 レンヤはちらりとナギを見て、
「大丈夫そうだな。任せた」
 ぽんとユルドゥズの方へ押し出した。
「よくわかりませんが、とりあえずアシュレイではないと主張しておきます」
 ナギがよっていくと、ユルドゥズはかすかに双眸を和らげる。
 聞いていないようだ。
 忍者に包囲され、ナギはたずねた。
「どうして私たちを殺そうとするんですか? 同じ一族なのに」
 見ず知らずの他人に命を狙われる方がまだ納得できる。
 再会したときの笑顔も涙もウソだったというのか。
「わからないのか?」
 怒気もあらわに佐田に問われ、ついすくみそうになった。
 仮面の奥でのぞく瞳はどこまでも冷たい。
「おめおめと敵にさらわれ、国を滅亡させて。何人死んだ? 一族の恥さらしめ。わざとでなくても俺なら責任を感じて自害しているよ。それがのうのうと旅の最中? 平気な顔してオオゲジサマといられる神経がわからないね。どこまで図太いガキなんだ」
 鋭利な言葉がぐさっと心臓につき刺さる。
 パキラ国で会ったおばさんの言葉をようやく思い出した。
――ゲジ人の中にはあんたを恨んでるやつもいる。
 ……ああ、それはしかたない。
「おまえが死ねば、生き残ったゲジ人の中で一番呪力の高い右近さまが次の御巫になる。悪いと思うならゲジ国のために死ね!」
 しかたないけれど、大人しく殺されるつもりはない。
「悪いとは思っていますがお断りします。オオゲジサマがちょっと留守したくらいで滅んじゃう国もたいがいおかしいと思いますよ。ていうか、ゲジ国民が勝手に暴徒化して自滅したんじゃないですか。そんなことまで私のせいにされても困ります」
 いい返したけれど、まるで聞いていないようだ。
 佐田は忍集団に合図し、彼らから太刀を受けとって抜刀する。
「泣きもしないで開き直りか。かわいげのないガキだ!」
 忍集団が一斉に襲いかかってくる。
 斬りかかってきた佐田に応戦しながらレンヤが告げる。
「ちなみにさらったのは俺だ」
「どうでもいいわそんなこと!」
 佐田はレンヤの剣を刀で受けたかと思うと、そのまま刀身を切ってしまった。
 甲高い音とともに刃がふっとび、折れた刀身と柄だけが残される。
「右近さまこそが御巫にふさわしいのだ!」
 レンヤは目を見開き、かすかに口端を上げた。
 武器を捨て、素手でかまえる。
 笑っている場合かとヒヤヒヤしたが、人の心配をしている場合ではなかった。忍集団はもう目の前まで距離をつめてきている。
「すみませんが、助けてくれますか?」
 頼むと、ユルドゥズはゆるやかに目を細め、ナギを両腕で包む。
 ふわりと周囲で風が動き、髪や服がゆれる。
「十秒で片づけます」
 文字通り、周囲に血の雨が降った。