その45


 オオゲジサマや双子が軽くかわしているから危機感がうすれてきていたが、ユルドゥズの風は凶器なのだと再認識した。刃物以上かもしれない。
 巻きおこった巨大な竜巻はいともたやすく忍装束の者たちを細切れにしていき、周囲を赤くそめあげる。
 宣言どおりものの数秒で片がつき、ナギは吐瀉した。
 死には慣れていたつもりだったが、かつての同郷を殺したと思うと生理的嫌悪感がおさまらない。
 これは正当防衛。
 だが紛れもなく自分がやらせたことである。
 自覚すると同時に、オオゲジサマとユルドゥズの世話が途方もない重圧に思えてきた。
 彼らはたやすく人を殺す。
 ナギをそれを止めることができる。
 逆にいえば、それは止めなければナギが殺したのと同意義ではないのか。
 自分で殺すと決めた相手ならいいが、それ以外の業もたくさん背負わなければならない。
 彼らといるというのは、そういうことだ。
「アシュレイ?」
 あまり表情に変化はないが、ユルドゥズはどことなくオロオロした風情でこちらを見下ろしている。
 ナギは力なくつぶやく。
「大丈夫です。彼らを埋めてあげましょう」
 笑顔まで作る気力はなかった。
 むこうも片づいたらしく、レンヤがこちらへやってくるのが見えた。

◆

 竜巻が忍装束たちを一掃している間。
 レンヤは刀をかまえた佐田と対峙していた。
 武器は折られて既にない。小さい武器ならまだいくつか隠し持っていたが、あえて素手のままだ。余計な武器をかまえていたら避けられない。先ほどの居合い切りは瞬速だった。
 かすかに佐田が息を吸う。
 直後、鋭い斬撃が襲ってきた。
 胴体すれすれでかわすが、間をおかずに次の斬撃がせまる。髪の一部が切れて散った。いくつもの連撃をくり出し続ける最中、彼が浅く息継ぎをする。
 次の斬撃がほんのわずか遅れた。一秒にも満たないその瞬間を狙って、レンヤは佐田の懐へ踏みこんだ。刀を持つ手首をひねり、斬撃をくり出そうとしていたのと同じ方向へ投げ飛ばす。
「がはっ!?」
 固い地面にたたきつけられた佐田がたまらず刀をとり落とした隙に、レンヤはその首と頭部を両手でつかみ、ひねった。
 ゴキャッと鈍い音とともに佐田が痙攣し、動かなくなる。
 レンヤが息をはく。
 ちらりと佐田の刀に目をやった。
 なかなかの名刀のようだが、形状が独特でレンヤには使いこなせそうにない。以前ナギから似た形状の刀をもらって使っていたヨウなら使えるかもしれないが……。
 なんとなく、そのままにしておいた。
 どこかで新しい長剣を買わなければならないが、それまでは短剣で十分だろう。
 そこまで考えて、ようやく周囲に目をむける。
 ユルドゥズがなにかしたことは視界の隅でとらえていた。だから心配はしていなかったが、なかなか派手にやったらしい。
 辺りに散乱した肉塊のせいか、ナギがげえげえ吐いていた。
 近づこうとするとユルドゥズが威嚇する。
 彼女が落ちつくまで、レンヤはしばらくまっていた。

◆

「意味がわからないんだけど」
 右近に問われて、オオゲジサマはそっけなく答える。
「私を御巫にしてくださるなら、人でも酒でも、望むものはなんでも差し上げます。うかうかとさらわれ、ゲジ国を滅ぼした役立たずなど捨てて新しい国を作りませんか」
 右近の両目は野心に燃えていた。
 オオゲジサマは呆れたように息をはく。
「……あのさあ。僕はナギを気に入ってる、ってさっき君がいった言葉なのにもう忘れたの?」
「いいえ? いうことを聞かないなら力ずくで聞かせるだけですから」
 しゅるりと静かな音。
 いつのまにかオオゲジサマは全身を赤い縄で拘束されていた。
 右近は両手を組み合わせ、複雑な印を組んでいる。室内にいた村の住人たちもそろって同じ印を組んでこちらを見つめていた。さっきまで踊っていたもの、配膳していたもの、楽しげに談笑していたもの。老若男女とわず物々しい雰囲気をただわせている。
「やっと本性見せやがったな」
 ヨウが得意気にいう。
 しかし、彼も同じように全身を赤縄でまかれていた。
「笑顔がうさん臭かったからついてってみれば、飯も酒も毒入り。どういうつもりかと思ったら、オオゲジサマを使い魔に下したかったのか」
 毒を盛られていることは既に伝えていたのだが、オオゲジサマは「僕に毒は効かない」とかまわず飲み続けていた。手駒にすることが目的だったようなので、弱らせるくらいの毒しか入れていなかったのかもしれない。
「へえー。気づいてた割にはあっさり引っかかったな」
 右近はころっと口調を変えた。
「こんなヒモで縛ったくらいでいい気になるなよ」
 ヨウが抵抗するが、赤縄はいっこうに解けない。
 右近が低く笑う。
「これはかつてご先祖さまが魔物を調伏するさいに使った遺物。オオゲジサマでも解けまいよ」
 きつく首を締めつける縄を指先で軽くなぞりながら、オオゲジサマが問う。
「僕との契約がある限り、御巫一族は呪いを使えないはず……契約といたね?」
「くくく、元々我が一族は呪力が強いからな。オオゲジサマからはなれてしまえば契約をとくのは簡単だったし、呪いを覚えるのもそう難しくはなかったよ」
「すぐに気づけよそんなもん」
 ヨウが小さく非難するが、オオゲジサマはしれっとしている。
「近くにいるのに呪力入ってこないなあとは思ってたんだけどねー……まあいいか。これで君たちを生かしておく理由はなくなった」
 何気ない言葉に右近の肩が一瞬ゆれるが、やがてそれは高笑いに変わった。
「自分の立場がわかっていないようだな。生かすも殺すもこちらの権利。おまえは今日から俺の下僕だ! せいぜいつくしてもらうぞ!」
「は?」
 ハチもどきの姿が消えた。
 拘束していた赤縄が宙に浮き、室内を黒い影がよぎる。かと思うと、右近の体が後ろへふっとばされ、彼の顔面めがけてなにかが激しく着地する。
 少し癖のある短い黒髪。三白眼にそばかす。白装束の青年。
 右近が右近の顔面をぐりぐりと踏みつけ、見下ろしていた。
「右近さまが二人!?」
「初代様の赤縄がとけた!?」
「そんな馬鹿な……!」
「でも縄は切れていないぞ!」
 周囲にいた村人たちがどよめく中、ヨウは平然としている。
「なんでわざわざそいつに化けてんだ? 成りすますなら、村人たちが見てない時じゃないと意味ねーだろ」
 踏みつけている方の右近がニヤリとする。
「だって、人間って自分そっくりの生き物にコテンパンにされるのが最大の屈辱なんでしょ?」
 その間もグリグリグリグリ顔を踏み続けるのをやめない。よく見ると、踏みつけられている方の右近は左腕の一部が欠損していた。つい今しがた肉食獣に食いちぎられたかのような傷跡だ。
「ばひゃな……! なへ縄が!?」
「おまえは知らなかったっけ? 僕は一度食べたものにならなんにでも化けられる。例えば空中にただよう微生物とか。ものすごく小さな生き物に化けて縄を抜けるのはとても簡単なんだよね。一人じゃ使いこなせない呪具を村人総出でがんばって使う、なんて涙ぐましい努力してくれたみたいだけど、これくらい一人で使えなきゃ御巫になんかなれないよ。半日もたたずに呪力切れで死亡」
 村人の一人が青ざめた顔でさけぶ。
「右近さまを放せ! ヨウを絞め殺すぞ!」
 オオゲジサマがふと顔を上げる。
 ヨウはいまだに赤縄で拘束されたままだった。村人たちは必死に印を組み、念じ続けている。
「……足手まとい。なんでついてきたの?」
 ものすごーく嫌そうな顔でオオゲジサマが聞く。
「悪かったよ! 二度とついてきてやんねーよバカヤロー!」
「目はなした隙に死んだっていったら、ナギ怒るかなぁ……面倒くさい」
 オオゲジサマが右近から足をどける。
 が、すかさず立ち上がろうとした右近の胸をもう一度強く踏んづけた。
「そうだ。ヨウが死ぬ前にこいつら皆殺しにすればいいだけじゃん。いまだに僕にバカヤローとかいう下僕がちょっと苦しんで良い躾になるし、敵も倒せて一石二鳥」
「おまえほんっっと性格悪いな」
 ヨウが毒づく。
「お、おまちください! 神を下僕にしようなど、私が間違っておりました! 心を入れかえてお仕えしますから、どうか温情を……!」
 踏んづけられたまま右近が涙を浮かべる。
 オオゲジサマはじい~っとそれを見つめた。
「それじゃ、一つ選択肢をあげるよ。むかしおまえと同じことをいった二代目の御巫は泣いて土下座したあと、生涯ゲボクと名乗ったよ。同じことをするなら命はとらない。どうする?」
「もちろん! 生涯ゲボクとして忠誠を誓わせて頂きます!」
 それを聞いて、オオゲジサマは真顔で口を開く。
「実は僕、耳もいいんだ。じっくり心音に耳をすませば、嘘をついてるかどうかくらいわかる」
「……ッ」
 右近の顔から血の気が引く。
 オオゲジサマは彼の顔をしたままうっすらと微笑んだ。
「残念だなあ。とても残念だ」