その49


 爆発したような音が周囲にとどろく。
 同時に地面から吹き出した大量の水は天に届きそうなほどの柱となり、ものの数秒で町を水浸しにした。建物は激しい水の勢いに飲まれて粉々になり、人々は溺れて悲鳴を上げる。かろうじて屋根や瓦礫につかまって水面をもがく者もいた。
 けれど、
「水だ!」
「水だぞ!」
 悲鳴に混じって、そんな声がいくつも上がり始める。
「あはははははは水だ! 水だっ!」
 町がこんな有様だというのに、彼らはこれ以上なく喜んでいた。
 無我夢中で水を飲み始める者が後を絶たない。わけがわからなくても水さえあれば良いのだろう。雨乞いの儀式のことなど忘れてしまったようだ。
 ちなみにオオゲジサマは水が吹き出す寸前に双子めがけて左手を一閃させ、彼らの縄を切っていた。双子がそれぞれ自力で瓦礫によじ登り、こちらへよってくる。
「ありがとうございます。プラウさまのおかげです」
 ユルドゥズに抱えられ、屋根に登った状態でナギは礼を告げた。
 彼女は宙でくるりと回って上下を正すと、不満げにこちらをにらむ。ぱっちりした大きな瞳につられて、長いまつ毛がゆれていた。
「プラウさまなんてかわいくないわ。プルプルさまとお呼び」
 人外の好みは謎に包まれている。
「ありがとうございますプルプルさま」
「私は水の精霊。また水で困ったら、助けてあげなくもないわ」
 この上なく偉そうなのだが、同じくらい嬉しそうにも見えてなんだか憎めない。この美少女が「だれもかまってくれない」と泣いていたなんて、かわいいではないか。
 プルプルさまはナギの手をとり、その甲に指先でなにかをえがく。
 水色の文様みたいなものが一瞬光って浮かび上がり、彼女の姿と同時に消えた。

◆

 なんだあのふざけた子どもは。
 水柱にふっ飛ばされ、瓦礫とともに流されていた呪い師は怒りと羞恥で震え上がった。
 あえて水の精霊に頼らず、生贄を求める水神に祈ろうとしたのは、手に負えないと思ったからだ。長年放置された水の精霊は怒り心頭で、あれに話しかけるなど狂気の沙汰。
 触れずにそっとしておくのが一番だと判断したのに、あの少女はいったいどんな手を使ったのか。精霊の怒りをといた上に気に入られ、契約まですませてしまった。実体のないものの姿を見て話すだけで呪力を消耗するというのに、あんな大きな術を行使して疲れた様子もない。
 町の人々は豊富な水が手に入り、涙ながらに喜んでいる。
 これでは「水が欲しければ代償がいる」と説き、嫌がる住人に生贄を求めた自分が無能のようではないか。
 呪い師はけして無能ではないし、殺人趣味なわけでもない。これでも宮廷呪い師として長年務めており、国一番といわれている。今も王の命令で死神を探すため、各地を旅していたのだ。
 道中、ちょっと人助けをしてやろうとしただけだったのにこの屈辱。
 もはや失った腕の痛みなど頭から消えていた。
 あんな小さな子どもが自分より優れているなんてあるわけない。インチキだ。仲間だって人間の手を食らうような×××だし。
 どうしてやろうかと血走った瞳でにらみつけていたら、少女のそばにいるものに気がついた。
 ふつうの人間のような外見だが、よく見ると……。
 呪い師はニヤリと笑んだ。

◆

「すまん」
「助かったよ」
 レンヤとヨウは無事にもどってきた。
 だが、彼らと町の人々にはプルプルさまの姿は見えなかったらしく、なにやら誤解が広がっている。
「神さま……?」
 幼い少女がつぶやく。
 その父親が首を振った。
「いや、呪い師さまだろう。伝説の呪い師さまだ……」
 町の人々が次第にささやき始め、こちらを見つめてくる。
 ナギが呪文を唱えて無から大量の水を創りだした。
 彼らの話し声を聞いたところ、そう思われてしまっているようだ。
 ユルドゥズはなにを考えているのかよくわからない。オオゲジサマは状況を正確に把握しているが、説明する気は皆無。
「水の精霊が助けてくれたんです。私の力ではありません」
 ナギが訂正するが、まるで聞いてくれない。
「ちびちゃんって呪い師だったんだな」
 ヨウまでそんなことをいう。
 気がつくと、町中の視線が集まっていた。
「呪い師さま……」
「伝説の呪い師さま……」
 さっきまで別の人物をそう呼んでいたのに。
 熱っぽい眼差しに怖気づいたとき。
「だまされないで。そいつらは魔物の手先だ」
 そんな声が辺りに木霊した。
 全身びしょびしょの呪い師が瓦礫によじ登り、服を絞りつつ口を開く。絞ってからいえばよかろうに。
「ボクの儀式をその娘が邪魔したから、町がこんなに壊れて水浸しになった。何人か怪我人も出てしまった……」
 悲しげな顔をしてこちらをまっすぐに指さす。
「このまま町の人たちを襲うつもりだろう。正体を現せバケモノめ!」
 パアンと間近で破裂音がひびく。
 けれどなにも見えなかった。視界は白いものでおおわれている。
 ひっと息を飲むだれかの声。
「し、死神……ッ!?」
 呪い師が震えた声でさけぶ。
 頭上をあおぐと怒りに燃えた赤紫の瞳が見える。白銀のウロコが呪い師の攻撃から守ってくれたようだ。さっきまでしっかり手をつないでいたのに、いつのまにかユルドゥズは竜へ変貌していた。
 大量殺戮の予感に血の気が引くが、それより先にせまった危機にナギはさけぶ。
「駄目ですオオゲジサマ!」
 おそらく呪い師の術だろう。
 次々くり出される小規模な爆発をかわし、オオゲジサマは彼に接近していた。
 ここで呪い師を殺したら、町の住人すべてと敵対することになってしまう。しがみつくくらいでないと止められそうにないが、距離が空きすぎている。
「駄目ですったら!」
 聞こえているくせに知らんぷりする主。その鋭い爪が呪い師の心臓へとどく寸前。
 その手に短刀が刺さった。
「どういうつもりかな下僕一号」
 無機質な黒い瞳がヨウを射る。
「気持ちはわかるが今は駄目だ」
「曲がりなりにも助けてやったのにこの態度……もういいよ。おまえいらない」
 主は冷え冷えとした目で彼を見すえ、短刀をずるりと引きぬく。
 なにやらまた別の危機が生じたが、とりあえず呪い師の命は救われたようで良かった。ナギは少しだけ安堵したが、周囲の人々はそう思わなかったらしい。
「きゃあああああああ!」
 女が悲鳴を上げて泣きさけぶ。
「呪い師さまが死神の手先に殺されかけた……!」
 壮年の男がオオゲジサマを指さした。
「やはりこいつらは我々の敵だ」
 若い青年がきっとこちらを睨みつける。
「ウワサ通り無差別に国や町を襲うのね。なんて恐ろしいバケモノなの!」
 年頃の少女が非難の声を上げる。
「呪い師さまは我々を救うために身をていして戦ってくださったのだ。呪い師さまを守れ!」
 もはや町すべてが敵に回っていた。
 ちなみにその”呪い師さま”は死にかけた恐怖で失神している。
「出て行けバケモノめ!」
「だれか城門の竜の死体もってこい! 死神に投げつけてやる!」
 人々が瓦礫の破片を投げつけてくる。
「おまえたちが邪魔さえしなければ、町は水浸しにならずにすんだのに……!」
 ナギの顔面めがけて飛んできたそれを白い羽が防いだ。
「あ、ありが」
 礼をいおうとして言葉を失う。
 ユルドゥズは火を吐く寸前だった。
 大きく開いた牙の先に大量の炎が渦巻いている。
 そんな技もできたのか。
 などと感心している場合ではない。
「ユ」
 声をかけるより先に彼がビクリと反応する。
「どっか行け! 出てけよ死神!」
 ガクガクと震え、涙や鼻水をたらしながら瓦礫を投げつけてくる幼い少年がいた。
 当たってもウロコに傷一つついていないのに、ユルドゥズはまるで心臓に杭を打たれたような顔をする。赤紫の瞳の瞳孔がきゅっと開いた。
 溜めていた炎はたちまち霧散し、大きく見開いた瞳で少年を見下ろす。
「……ユルドゥズ?」
 どうしたっていうんだろう。
 子どもが好きだから、拒絶されて傷ついたんだろうか。でも、それだけではなさそうだ。彼はいきなり自らの爪で顔や頭をかきむしり始めた。
「ど、どうしたんですか、落ちついてください!」
「消えて……しまいたい」
 か細い声が聞こえて、ナギは思わずウロコをなでる。
「あなたが消えたら私は泣きます」
 刃のように長く鋭い爪の合間から、赤紫の瞳がおどろいたようにこちらを見た。
 直後、ふわりと両足が浮く。
 レンヤにつまみ上げられたらしく、
「とりこみ中悪いがあいつをなんとかしてくれ。そろそろ弟が死にそうだ」
 オオゲジサマめがけてぶん投げられた。
 あなた酷くないですかと苦情をいう間もなく、主にふわりと受け止められる。
「ナギ? ちょっとまっててねすぐ片づけるから」
 ナギを抱えながらも片腕はヨウの剣をバキバキと砕き、素早く彼の体に傷を増やしている。
「ちびちゃん!? 危ないから下がってろ」
 応戦しながらヨウがいう。
 仲間割れしている場合か。こうしている間も瓦礫やらガラクタやら投げつけられているというのに。
 ナギはやけくそになってオオゲジサマの首に両手をまわし、ぎゅーっと抱きつく。
 自惚れているみたいで嫌なのだが、こうすれば主の機嫌が治るとなんとなくわかっていた。
「お願いです。仲間を連れて今すぐここから逃げましょう」
 オオゲジサマはピタリと動きを止め、
「いいよ」
 上機嫌で快諾した。
 それからの行動は早かった。双子はシロで脱出し、茫然自失状態のユルドゥズはオオゲジサマが外へ投げ飛ばしてやっと我に返った。
 ナギは深海魚もどきに化けたオオゲジサマに乗って、しばらく飛んで移動。
 徹夜で移動を続け、ようやく落ちついたのは翌日の昼のことだった。
 双子と主はすっかりいつもどおりなのだが、ユルドゥズの様子がおかしい。人の姿にもどってからずっと、彼は初めて会ったときのように両手で頭を抱え、小さくうずくまっていた。