その5 神さま
昨日の夜。
なんの前ぶれもなく、城に客人がやってきた。
どこのだれともしらない、あやしい女。
それが「人を探してるから、城に入れて欲しい」という。
門番は追い返そうとした。
しかし、女はあんまり美しかった。
ちょっと背が高くて胸がないけれど、顔が良い。
女王スウはとにかく美女が大好き。ほとんど会わない門番は男でも許されている。しかし側近はすべて美女でそろえていた。
「べつに同性愛者じゃないのよ。男が嫌いで、美しいものが好きなだけ」
と彼女はよくいっている。
もしかしたら女王が呼んだのかもしれない。そうじゃなくても、この女を気に入るのでは?
そう思った門番は、いちおう女王に確認をとった。
「女神みたいに美しい女がきてるんですけど、会いますか」
と。
女官にたのんで返事をまっていたら、女王本人がとんできた。
「どこよ!? 美人どこよ!?」
「やあ。ここに御巫(みかなぎ)って名前の女の子がいるはずなんだけど、知らない?」
女は気安い態度でいう。
ひどい無礼だ。
けれど女王ときたら、あまりの神々しさに言葉を失っていた。
女王自身も華やかな外見。
側近は美女ぞろいだから、美人は見なれている。
なのに、こんな人間がいるなんて思いもよらなかった。ザイの女神像がそのまま動きだしたかのようだ。
まるで男みたいな声だと思ったが、髪が長いし。こんなキレイな男がいるはずもない。
「ねえ、知ってんの? 知らないの?」
問われて、ようやく我に返る。
「そういえば、さっきレンヤが連れてきたゲジ人がそんな名前だったような」
「会わせて」
美女ににっこり笑いかけられて、
「はい」
女王はほほを染めた。
◆
「な……なによこれ! どうなってんの!?」
すっかり人気がなくなってしまった大広間。
女王がさけぶと、血まみれの美女はあっけらかんと笑った。
「人間のフリするのあきちゃった」
「は……?」
「いつまで経ってもナギがでてこないからさー、考えたんだ。城の中にいるのはわかってるんだし。片っぱしから食べちゃえば、最後にナギがでてくるんじゃないかなって」
そんなわけないだろ。だいたい探していたのは”ミカナギ”じゃなかった?
そこまで考えて、女王は眉をひそめた。
食べる?
ヒュッと風を切る音。
そばにいた女官の胸からなにかが飛びでた。こげ茶色の木の枝……いや、おそろしく大きな昆虫の脚だ。
ゴキブリの脚みたい。
それは美女のわき腹あたりから生えていた。
「え?」
見たものが理解できない。脳みそが理解したくないとさけんでる。
白ずくめの美女はかわいらしくほほえんだまま。
腹から生えた長い長い脚で女官をひきよせ、丸のみにした。
人形みたいに美しい顔が、悪夢のようにふくらむ。
頭が半分にわれてしまうのではないか。そう思うほどパックリとくちがさけ――美女はバケモノになっていた。
全身が人間の内臓のよう。
あっちこっちバラバラの方向を見てる、たくさんの目玉。腹から下半身には、ゴキブリの脚がびっしり生えていた。
「そういえば自己紹介がまだだったね。ボク、オオゲジサマっていうんだ」
姿にあわない、子どもの声。
むせかえるような血の匂い。
わけがわからなくなって、女王は吐いた。
◆
オオゲジサマ、たすけにきてくれたんですか?
でも聖山の封印はどうしたんですか? ていうか虫以外にも化けられたんですか?
ききたいことは山ほどある。
でも、いま1番いいたいことは……。
「なんで私まで攻撃するんですかーッ!?」
いまや、ザイ城はオオゲジサマの毒液で満たされていた。
木や布でできたものは一瞬で溶ける。恐ろしいことに、石や鉄までもがじわじわと形を失くし始めている。
そんな中、ナギたちは仲良く女神像によじ登っていた。他に逃げ場がなかったともいう。
ほぼ壁と同化しているそれは、オオゲジサマに負けず劣らず巨大。手のひらだけで子ども1人寝そべることができる。すでに足首まで溶けているのが心配だが、2時間くらいならもちそうだ。
オオゲジサマの目玉の1つがこちらをむく。
彼はゲジ語でたずねた。
「あんただれ?」
「な……っ!?」
それはそこそこ心をえぐった。
会って1週間も経ってないし、たしかにそんなに仲良くない。でも、顔すら覚えてないなんてあんまりだ!
「オオゲジサマ、私です! 御巫(みかなぎ)ですってば!」
「御巫がそんな青いわけないじゃん。役人にしては形がちがうし」
「はい?」
青い?
そういえば、さっきもそんなこといってたっけ。青いって、服のこと?
ナギはいま、青色のザイの服をきている。
――お役目中の御巫は、色のあるものを身につけてはいけない。
「あ」
しきたりの意味が、ようやくわかった気がした。
「もしかして、いままで服で私たちを見分けてたんですか?」
オオゲジサマはもう聞いていなかった。気まぐれに触手をふるってくる。
「わー!?」
地面が、いや。ナギたちがつかまっている女神像がゆれる。
こわれちゃったの?
ちがう。
女神像はただの置物じゃなかったらしい。
とっても固くて重そうなのに。まるで生き物みたいに動きだした。
シュシュシュッ!
女神像が素早くこぶしをくりだす。オオゲジサマの触手が何本か、たたき落とされた。
「な……なにこれ!?」
ナギは落っこちないように、必死でしがみつく。
そのそば。女神像の頭上でブツブツいっていた女王が笑う。
「うちにもワンワンはいるのよ、といっている」
まだ部屋のすみでつるされていたレンヤが解説した。
「ちがうと思います」
女神像は深く腰を落とし、正拳づきをはなった。
オオゲジサマがふっとんでいく。城内の壁が半分なくなった。
「あっ!? ちょっと、うちの神さまになんてことすんですか!」
女神像が反撃しなかったら、死んでたわけだが。それはそれ、これはこれ。
御巫はオオゲジサマのために育てられてきたのだ。
オオゲジサマのせいで自分が死ぬのは、あるていどしかたない。まあちょっとはうらむけど。だって神さまだから。
だけど、自分のせいでオオゲジサマがケガするのはダメだ。
愛国心――というより。
保護生物の飼育係として、従者としてナギはさけんだ。
それが聞こえたのか、女王の命令で女神像が身ぶるいした。ナギがふり落とされる。
「わっ!?」
毒液だらけの床にたたきつけられる前に。
「このザキ師らめ。てめえらグルだたのだろ! だそうだ」
レンヤが彼女を受け止めた。
彼は床につもったガレキの上に着地した。オオゲジサマがふっとんだ時にまきぞえをくらって、鎖が切れたらしい。まだ少し、ちぎれたクサリがからまっていた。
「あ、ありがとうございます」
ナギをおろして、レンヤは自分の手当てをする。クサリをほどき、さされた矢をぬく。服をさいて全身の傷口を止血した。
カラクリ人形のようなテキパキした動作だ。
「あの、そんなきびきび動いて大丈夫なんですか? なんかすごい血でてますけど」
レンヤは無表情のまま、青ざめた顔でうなずく。
「きと平気。どうしてか痛みない」
「神経あたりがヤバイんじゃないですか……?」
「脱出オススメ。俺弟さがし」
聞いているのかいないのか? 彼はさっと立ちさってしまった。
「……そういわれても」
主を置いて逃げられない。
毒液だらけの室内をふり返る。ちょうど、女神像のかかと落としが決まったところだったらしい。グチャッとオオゲジサマの目玉が5,6個つぶれた。
見かけは美女なのに、なんて武闘派な神像だ。
ついツッコミかけて、血の気がひく。
「やめてください! 降参しますから! これ以上やったら死んじゃいます」
オオゲジサマは弱っているのか、抵抗しない。攻撃を受けながら、残った目玉でじいっとナギを観察している。
「あんたは攻撃しないの?」
いまなら反撃しないよ、とそそのかすようなことをいう。
「するわけないでしょ」
あんまり変なこというから、ナギはびっくりした。
ゴキブリそっくりの巨大な脚が、ゆるゆるとのびてくる。ふれたそうなそぶりをするその脚に、思い切って手をのばした。
虫が嫌いな少女にとって、大変な勇気が必要だった。
だけど、思っていたよりは平気だ。ヨロイみたいにつるつるしてる。
あくしゅするには手の大きさがちがいすぎる。
だから、なでるようにしていたら。オオゲジサマは不思議そうにつぶやいた。
「あれ、まさか本当にナギ?」
「やっと気づいてくれたんですね」
オオゲジサマの瞳孔がきゅう、と大きくなる。
「御巫なのに白くない……ナギも脱皮するのか」
「しません」
目の前をこげ茶色のものが横切った。
耳をつんざくような音が城中にひびきわたる。
オオゲジサマを攻撃し続けていた女神像が、くだけちった。
「じゃ、帰ろ」
オオゲジサマの脚が何本か合体し、巨大なカマに変化していた。
カマのつけ根は大きなハエにつながっている。オオゲジサマがハエに変身したらしい。ナギが目を丸くする。
「なんでケガが消えてるんですか……!?」
「御巫がいればボクは死なないから」
ハエは楽しそうに答えた。
◆
ザイ城と城下町のさかいめ。
「お、いいもん落ちてるじゃーん」
ヨウはガレキの中から宝石をひろい集め、ふところに入れた。
城はこなごな。牢屋にいた罪人たちがみんな逃げてしまって、町は大さわぎ。
ザイ国はひどいありさまだった。
そんなところで火事場どろぼうをしている、双子の弟。
「……」
レンヤは弟の背中を強めにけっとばした。
「どうあっ!?」
ヨウがずっこける。
「元気そうだな弟よ」
無表情でレンヤが告げた。
右腕を失くし、拷問までされて兄はボロボロだ。なんかめまいもする。
「あははっ、久しぶりだな兄貴。ちょっとやせた?」
「そうだな。腕1本分やせた気がする」
レンヤは軽くため息をつく。
いまは緊張状態だから、まだ体が動く。だけど少しでも休んだら、しばらくおきあがれないだろう。
「脱獄したのか」
ヨウは異国の短刀を見せ、ニヤリと笑った。
「ちびっこにいいもんもらってね。すげーんだぜこれ。牢屋のカギぜんぶぶっこわしたのに、刃こぼれ1つない」
「ちびっこ……ミカナギ?」
「あっ、そうそうその子! たすけてやりてーんだけど、見なかった!?」
少女を探してる途中だったと弟はいう。
「もうたすけた」
とレンヤ。
逃げたと思うが、まだ残っていたら保護しよう。
◆
女王スウはガレキの中からたすけだされた。
もちろん、ごきげんはよろしくない。
女神像が敵にこわされたなんて、宗教的にまずい。民の信仰心がゆらいでしまう。
きもいバケモノに負けたのもムカつくし。救助がおそくて、イライラする。
「なにしてたのよ!? おそかったじゃない!」
にらみつけると女官たちがさけんだ。
「どうしましょう女王さま! どうしましょうどうしましょうどうしましょう!」
「それ以上さけぶと焼いて豚のエサにするわよ! 落ちついて話しなさい!」
女官たちはぴたりとだまった。
1人がおそるおそる口をひらく。
「罪人たちが脱走してあばれてます」
「うちの軍なら、それくらいなんとかできるでしょ」
「おそれながら」
「なによ!?」
「ついさっき、サイハ将軍が反乱をおこしまして」
女王の首をうちとれと民衆をあおりながら、あなたさまを探しています。
反乱に参加しなかった者たちは、ほとんどバケモノに食われました。残りは暴動の対応でいっぱいいっぱいです。
か細い涙声で告げられて、女王は目が点になった。
「これだから男はーッ!」
きいーっと頭をかきむしる。
「即位のときも、婚約者も、教育係も! いつもわたくしを裏切る!」
いろいろうらみがあるらしい。
「どーしてどーしていつもこう――」
その胸めがけて線が走った。
弓矢だ。
あっと女官たちが息をのむ。ある者は目をそむけ、ある者は彼女をかばおうとした。
しかし、胸をつらぬくより先に矢が両断される。
短刀をかまえたヨウが、女王の前に立っていた。
少しはなれた岩陰にいた、弓を射た兵士をレンヤが斬る。いかにも嫌々といった、めんどくさそうな顔をしていた。
他に敵がいないのを確認したあと。
ヨウは女王の両手をがっしりとつかんだ。
「大丈夫か!?」
「おまえ……どうしてここに」
女王が目を白黒させる。
「脱獄したけど、なんか反乱もおこってるみたいだし。スウのことが心配で」
「自分を処刑しようとした相手を、心配……?」
女王が顔を赤らめ、ヨウがほほえむ。
「ああ。よかったら俺たちと一緒に逃げないか。ここから離れて、どっか遠くの国でくらそう」
女王は一瞬だけ笑う。そして、ヨウの股間にするどいけりをたたきこんだ。
「――ッ!」
「調子にのるな無礼者」
イモムシのように地面を転がるヨウ。
女王は冷たく女官たちへ告げた。
「行きましょ。まずは反乱をなんとかしなきゃ。いまゲジに攻めこまれたらおしまいよ」
女官たちがうなずく。
「あの者を始末いたしましょうか? 腹いせに女王さまを反乱軍に売ろうとするかもしれません」
女王は投げやりに答えた。
「ほうっておきなさい」
彼女たちがさったあと。レンヤは剣をおさめて指笛をふく。
上空に大きな鳥の影が差した。
◆
ゲジ国とザイ国は敵対しているといってもいい。
しかし、ザイの危機にゲジは攻めこまなかった。
それどころじゃなかったのである。
「オオゲジサマが逃げた!」
きっかけは聖山の門番たち。
殿が口止めするひまもなかった。
その一言は、あっというまに国中へ広がっていく。
善良な民はおびえ、荒くれ者や罪人たちはおおよろこび。
もっともこまっていたのは殿さまだった。
オオゲジサマに頼りきっていたから、兵は弱小。暴動がおきても治める力がない。
「ただのウワサだってぇ。オオゲジサマはちゃんと聖山の頂上にいるよ」
そう宣言しても。
「俺たちは見た! オオゲジサマは海のむこうへ飛んで行ったぞ!」
などと門番どもがいいふらす。
みんなの前で口封じするわけにもいかない。苦しまぎれに、ひそかに買収しようとしたら。
「この国はもうおしまいだー!」
「うわー! たすけてー!」
恐怖で頭がおかしくなったようだ。
門番2人はそんなことをさけんで、どこかへ消えた。
こーなったら、もうどうしようもない。
「俺も逃げよ~っと」
殿さまはあきらめた。
ゲジ国は長く平和にくらしていた。その反動だろう。
あちこちで略奪や殺人。放火などの犯罪行為がおこり、国はまたたくまに荒れた。
◆
ゆらりゆらり。ゆりかごのように地面がゆれている。
「う……」
目がさめると、ナギは暗い場所に横たわっていた。
やわらかいような、硬いような。ふしぎな感触の床はあたたかくて、きもちいい。でも、ここはどこだろう。まぶたを軽くこすって、主を呼ぶ。
「オオゲジサマ?」
「あ、おきた?」
どこからともなく声がする。
けれど姿は見えない。きょろきょろとあたりを探した。
「どこですか?」
「ここにいるよ」
「見えないです」
「ボクの口の中だからね」
ナギの悲鳴がひびいた。
「たたたた、食べたっ!? 私食われたんですか!?」
「だいじょうぶ。毒液や消化液はだしてない」
「そういう問題じゃありませんっ!」
オオゲジサマがしゅんとしたような声をだす。
「えー……ダメ? ナギ寝ちゃったし。落とさないよーに、風が当たらないよーにと思ったんだけど」
「お気もちだけでけっこうですから。とりあえず外にだしてくれませんか」
ぱかっと前方の壁……オオゲジサマの口が開いた。
上下に開いた。いまは哺乳類に化けてるのかもしれない。
「ちょうどゲジについたよ」
外はまだ夜らしく、空は紺色にそまっている。
ナギはわあ、と声を上げた。
「季節外れのお祭りでしょうか?」
はるか下の地面。
山や川、民家などがあちこち明るく照らされている。たいまつやかがり火をともしているんだろう。
「血の匂いがするけどな……」
「えっ? なにかいいましたか?」
「ううん。火がいっぱいあってキレイだね」
せっかくだから、もう少しながめてからおりようよ。
そんなオオゲジサマの言葉に、ナギはのほほんとうなずいた。