その51
ナギは夢の中で初代御巫に手を引かれ、歩いていた。
オオゲジサマがまた化けているのかと思ったが、目が合ったとたんちがうとわかる。以前ミカがいっていたように、同じ姿でも表情から歩き方や仕草。まとう気配すら別物なのだ。
オオゲジサマはわりと無邪気でわかりやすいのだが、初代は穏やかなのにどこか近よりがたい。
目の前にはどこまでも続く砂漠の景色。
岩やサボテンの有無くらいしか代わり映えしないそこを、ひたすら歩く。
右へ曲がり、左へ曲がり。直進したかと思うと元きた道をもどる。進まずにその場で二回まわって斜めへむかう。
「この道を覚えておきなさい」
優しい手つきで頭をなでてもらったとき。
かすかに、身分の高い人がつけるお香みたいな匂いがした。
◆
三日後。
なにもない砂漠の真ん中でオオゲジサマが立ち止まった。
「この辺りのはずだけど……わかる?」
いわれて初めてここがあの夢の場所だと気づき、ナギは「あ」と口元を押さえる。冷や汗が額を伝った。
「あの……オオゲジサマはわからないんですか?」
「御巫はころころ道順変えちゃうから。最後どれだったか覚えてないんだよね」
ちなみに今日の主は大きな黒ネコの姿をしている。
目はなく、耳まで裂けた口。もふもふしてやわらかな身体にはしっぽが十本生えていた。普通のしっぽではなく、何百本ものクモの糸を束ねたように糸状で、しゅるしゅる妖しく蠢いている。とても暑そうだと思うのだが、衣服は嫌でも毛皮は気にならないらしい。
主の言葉にナギは正直に頭を下げた。
「ごめんなさい。教えてもらったんですけど忘れました」
おきてすぐなにかに書こうとしたのだが、おきた時点で既に忘れていたのである。
「なんの話?」
ヨウが話に入ってくる。
「この先を正しい道順で進めば御巫の隠れ家に行けるらしいんですけど、道順を忘れてしまったんです」
カクカクシカジカと説明すると、彼が首をひねる。
「もう一度聞けばいいんじゃね?」
聞けた。
その夜眠りにつくと、再び夢の中で初代御巫が目の前にいた。
「しょうがない子だね」
しゃがんだ状態で軽く頬杖をつき、こちらと目線を合わせている。
「おいで」
彼は少し苦笑して、再び道を教えてくれた。
「覚えた?」
「はい。ありがとうございます」
夢が覚める寸前なのか、ぼやけてきた初代の姿にナギは思わず声をかける。
「あの……私の父や母は夢に出てきてくれないんですか? 兄妹たちとも、一度も会えていないんですが」
いいつのると、彼は懐かしいものを見るような目をした。
「今は我慢しなさい。癖になってしまうから」
いつか夢に出てきてくれるのか、あるいは死ぬまでまてということか。
どちらかはわからないが、なるべく会わない方がいいのだと感じて寂しくなった。
◆
翌朝。
道順どおりに砂漠を進むと、なにもなかったはずの砂漠に中東風の大きな家が出現した。そばに井戸もあり、水が豊富に湧き出ている。
中には家具と大量の書物。そして、よくわからない物であふれていた。
ナギが興味しんしんで各部屋を探検し、オオゲジサマがそれについていく中。
ユルドゥズはなぜか入り口で硬直し、双子は神妙な顔で話し合っていた。
「なあこれ……食えると思うか?」
大量の食料が保管してある部屋があったのだが、見た目は良くても数百年前のものである。
呪いに常識は通用しないとわかっていても、食べる気にはなれない。
ヨウの言葉にレンヤは燻製肉をナイフで少し切り、匂いをかいで口に入れた。
「問題なさそうだ。毒見したものだけ調理すれば大丈夫だろう」
そばにいるシロや弟にさせるのではなく、まず自分で毒見。そんな所が兄と呼ばれるゆえんである。ヨウはレンヤに毒見させるつもりでいったわけではなかったのだが、迷っている内に先をこされた。
「なんか腹立つ……!」
「なぜだ」
怪訝そうな顔をする兄をよそに、ヨウは話題を変える。
「そういえば、おまえ金ってどうしてんの? そろそろつきてくる頃だろ」
子どもの前ではできない話なので、良い機会だ。
だが、レンヤは平然と答える。
「そうか? 傭兵時代の貯蓄があるし、不要な物や希少品を売ったりしているからまだもつが」
「え? 何回か荷物うばわれたりしたろ?」
「万が一とられても大丈夫なように、貴重品は小分けにして隠し持つものだろう」
「俺ちょっと町に行って一稼ぎしてくるわ」
「今度にしろ。追手に後をつけられたりしたら厄介だ」
「……」
レンヤのいうとおり、ヨウも死神のことは軽く見るべきではないと判断していた。
砂漠の町の住人の豹変ぶりには閉口したが、一方で、あれだけのことをされてもしかたないとも思う。
ユルドゥズはいつ暴れだすかわからない。
ナギがそばにいるからあるていど制御できているが、これまでどういう風に過ごしてきたか、想像がつく。
今ごろ討伐隊が近くまで来ているかもしれない。
「わかったよ」
うなだれるヨウ。
「金がいるならわけてやろうか?」
「そーいう問題じゃないんだ」
◆
初代御巫の日記らしきものを発見し、ナギはわくわくしながら読み進めていた。
ちょっと悪趣味だが身内だし。本人公認だから大丈夫だろう。
日記というより研究日誌に近く、呪いに関わる重要な出来事があった時だけ記録されていた。大部分はあの呪いのここを改良しようとか、この術式は使えるといった内容で、魔導書のようでもあった。
その中に”オオゲジサマ”という項目があってドキリする。
そこにはこんなことが綴られていた。
「王の命令で護衛獣を作ることになった。獣の前では獣になり、人の前では人になる。会う者によって姿を変える神話の生き物を模して作ったはずだが、どうしてこうなった」
記録はそこでいったん途切れ、少し間をあけて次の文章が記されている。
「ゲジ国の守り神にする為、名前をつけることにした。なぜか虫やキモイ生き物を好むので”オオゲジ”にしようとしたのだが、王に『対外的には守り神とそれに仕える巫女なのだから敬称をつけてオオゲジ様と呼ぶように』などといわれてムカついたので、”オオゲジサマ”という名前にした。これなら自分の使い魔に敬称をつける必要はないだろう」
……なんか、会った時と印象ちがう。
ナギはそっと本を閉じ、ついオオゲジサマを見る。
黒ネコは丸くなって眠っていた。
◆
隠れ家でおだやかに過ごしていたある日。
ナギはたまたまユルドゥズと二人きりになった。基本的にはオオゲジサマもナギの後をついて回るのだが、主は気まぐれなのでふらっと姿を消すこともある。レンヤとヨウはあまりナギを人外と二人きりにしたくないようだが、この前の町以来、短時間ならかまわなくなった。
「ナギ」
「なんですか?」
呼ばれて、ナギは気軽に近よる。
ここなら知らない大人と遭遇することがないからか、最近の彼はとても物静かだった。
ユルドゥズはかすかに微笑み、ナギの手の甲に指で文様をえがく。
プルプルさまの時とは反対の手だが、同じように文様が赤紫に光って消える。
「感謝の気持ちです」
血だらけで荒れはて、濁っていた瞳が今は澄んでおだやかにこちらを見つめている。
それがとても嬉しくて、ほほえみ返す。
「なにしたんですか?」
「その内、わかります」
「よくわかりませんが、ありがとうございます。どうしたんですか、急に」
「予感が……したので」
不吉な言葉だが、追求はしない。
遠からずその日がくることはわかっていたからだ。
「なにか食べたいものとか、して欲しいこととかあったらいってください」
そう告げるとユルドゥズは膝をついて目線を合わせ、さっき印をつけたナギの手をそっとにぎる。ひんやりとした、冷たい体温が伝わってくる。
「幸せになってください」
どういう意味だろう。
「自分の幸せを望んだっていいと思いますよ」
最期くらい、という言葉をかろうじて飲みこむ。
ユルドゥズの赤紫の目を白いまつ毛がおおい隠した。こうして間近で見ると本当に美女のようだ。
「……俺は自分が一番嫌いです」
ポツリと彼はいう。
「アシュレイや、優しかったジュナ国の人たちでさえ死なせてしまった……皆がいうように、俺は死神なのでしょう」
おおまかに当時のことを説明され、ナギは首を振った。
「戦争だったんでしょう? あなたのせいではないですよ」
「そんな風には……思えません。怒りに駆られて関係ない者もたくさん殺したし……俺が封印されなければ彼らは死ななかった」
不意に彼は口をつぐみ、手をはなす。
「本当は……皆を幸せにする、神竜さまになりたかった……だから、一人くらい、幸せになって欲しい」
少し気まずそうな、その態度に違和感を覚えて、おそるおそるカマをかけた。
「すみません。もしかして、貴方を封印したのってうちのご先祖さまなんですか?」
「……」
ユルドゥズは視線を落とす。
ナギはどっと冷や汗をかいた。
「ごめんなさい。知らなかったとはいえ、こんなとこ連れてきてごめんなさい。封印してしまってすみませんでした!」
「やめてください」
この隠れ家に入ったとたん、封印されていた結界の中と同じ気配がして気づいたのだと彼は語る。
残酷なことをしてしまったとナギが青くなっていたら、ユルドゥズは薄くほほえんだ。
「ナギのことは、好きです」
顔がほてると同時に、泣きそうになる。
無口で口下手で疑心暗鬼の固まりみたいな彼のいう「好き」はとても重く特別だとわかったからだ。わかったからこそ、なおさら別れを予感させる。
「私もユルドゥズ好きですよ」
もしもオオゲジサマより先に出会っていて、ナギがもう少し大きかったら異性として惚れていたかもしれない。
……ふと「じゃあ今はオオゲジサマに惚れているのか? または年ごろになったら惚れるのか?」と自問したが、深く考えないでおく。あまり考えると精神衛生上よくない。きっとよくない。まだ11歳。恋なんかしてない……はずだ。
ユルドゥズは軽くナギの手をとってささやく。
「彼らが本性を表したら、逃げてください」
まだオオゲジサマと双子たちを疑っているらしかった。