その52


 朝と昼の中間くらいの時間。
 館内の広間で、ナギはユルドゥズの髪を三つあみにして遊んでいた。
 サラサラすぎてすぐにもどってしまうのだが、なかなか面白い。
 ユルドゥズは不思議そうにそれを見つめている。
 視線に気づき、ナギが我に返る。
「あ……嫌だったらいってくださいね」
 了承をとってから始めたものの。さすがに鬱陶しくなってきたかと心配したが、彼は軽く首をかしげた。
「あなたが楽しいなら……いいです」
 そんなことをいわれたら、きせかえ人形にしたくなる。
 それから彼は自分の髪を一房つかみ、見よう見まねで小さな三つあみを作る。怪訝そうに眉をひそめるユルドゥズに気づき、ナギはひそかに吹き出した。
 不意に、つんつんとそでを引かれる。
 オオゲジサマこと謎の毛むくじゃら物体がなでて欲しそうにこちらを見ていた。顔はないのだがそんな気がした。
 屋敷中に異様な音がひびいたのは、それから間もなくのこと。
 大きな氷が砕け散ったような、金属をひしゃげたような。
 奇怪なそれは屋敷全体から聞こえた。
「なんですか、今の?」
 辺りを見まわすが、特に壊れたところはない。
「今のって?」
 少しはなれた所で剣の手入れをしていたヨウがたずね返してくる。
 レンヤも問うような視線でこちらをむけた。
 どうやら彼らにはさっきの音は聞こえなかったらしい。
「えっ、なにかが割れたみたいな大きな音が……しましたよね?」
 同意を求めたが、ユルドゥズは虚空を見つめていて返事をしない。
 ピリピリと警戒した様子に、双子が身がまえる。
 そばで寝ていたオオゲジサマが静かに目を開けた。
「だれかきた」
 すかさずレンヤが席をたつ。
「見てくる」
 床にころんと転がったまま、オオゲジサマはぽつりとつぶやく。
「下僕には荷が重いかもしれない」
 どこか面白がるような、興味深げな口調。
 主がここまでいうのは滅多にないことだ。
「俺も行ってくる」
 ただならぬ様子にヨウが顔色を変え、レンヤの後を追った。

◆

「あら、人間が出てきましたわ?」
 竜の目と耳をもつ女が不思議そうにレンヤを見下ろす。
 長い水色の巻き髪に鋼の胸当て。ロングスカート。
 人間とほとんど変わらない姿だが、背には大きな青い翼が生えていた。
「妙な結界があったから破ってみましたが、ここにはいないのでは?」
 竜の目と耳に加えて、角の生えた男が仲間をふり返る。
 彼は長い黒髪を三つ編みにし、東洋の鎧を着こんでいた。
 三匹目が悠然と答える。
「いや、ここだ。中に奴の気配がする」
 彼らは全員、上空に浮いていた。
「会ったこともないのに気配がわかるものですの?」
「我の中には歴代竜王の記憶が残っているからな」
 親しげに会話する彼らを前に、レンヤは何気なく問う。
「なにか用か」
 表むきは平然としているが、背中を冷や汗がつたっている。
 まるでオオゲジサマが三匹いるような、得体のしれない威圧感を覚えていた。
「中に竜がいるだろう。そいつをこちらに引きわたして欲しい」
 その一言で彼らがユルドゥズを殺しにきたのだと悟る。
「断る」
 答えたとたんに痛いほど空気が張りつめた。
「わからないな。なぜあいつをかばう?」
 男がこちらを鋭く見すえ、レンヤは短く答える。
「つれが悲しむ」
 それに、短い間とはいえ一緒に過ごした生き物だ。多少は情もわく。ナギ以外にはまったく懐かなかったが、彼女と接しているときのユルドゥズはまるで普通の青年のようで、微笑ましいとすら思った。彼が無害とはけして思わないが、いま殺す必要はない。
「悲しむ!?」
 聞き間違いかと男が声をあげる。
「別の竜……というわけではないようですわね。確かに白いウロコに赤い瞳。人と竜を大量虐殺した生き物が死んだら、ふつう泣いて喜ぶどころかお祝いしますのに。ナギという娘はどういう神経をしてますの」
 こちらをまばたきもせず凝視しながら、女がいった。よほど意外だったのか、頬に冷や汗が浮かんでいる。
「なぜナギの名を知っている」
「さあ、なぜかしら?」
 くすくすと彼女は笑う。
 頭の中をのぞかれたようで、気味が悪い。
 奥にいた者が渋々といった風に口を開いた。
「我々が竜族なのは見ればわかると思うが。こちらとしても同族の恥をすすがねばならない。……いや、それは建前だな。正直にいおう。いつ仲間を襲うかわからない脅威をとり除きたいのだ。抵抗するなら力ずくで通る」
 臨戦体勢に入る前に、手前の二匹が進み出る。
「ここは我らにお任せを」
「そうですわね。ちょうどもう一匹出てきたことですし。一匹ずつですわ。竜王さまは先にお進みくださいまし」
 ヨウが来たのだと察し、レンヤは女の方へ一歩近づく。弟に彼女が斬れないことはわかりきっていたからだ。
「ああ。頼んだ」
 竜王と呼ばれた者がうなずくと、彼らは誇らしげに微笑む。直後、瞳を殺気で光らせた。
 竜王の姿が消える。
「させるかっ!」
 おおよその話は聞こえていたのか。
 ナギたちのいる館へ急接近していた竜王を、ヨウが剣で迎え撃つ。
 ヨウが斜め正面から、レンヤが斜め後ろから。
 合わせ鏡のように完璧な左右対称の同時攻撃。
 攻撃を仕かけるタイミングも角度も毎回ちがうが、打ち合わせをしたことはない。同じ敵を攻撃しようとするといつの間にかこうなってしまうのである。わざとタイミングをずらして交互に攻撃することもあるが。
 キィンッ!
 剣と剣とがぶつかり合うような音。けれど、二つの刃は同時に受け止められていた。
「我らを無視してはもらっては困るな」
 一つは男の腕。
「まったくですわ。あなた達のお相手はこちらよ」
 一つは女の腕。
 男の腕は着物にかくれて見えないが、女の腕にはうっすらと青いウロコが浮かんでいる。
 大きく亀裂が入った二つの剣はビシビシと音を立て、折れた。
「げっ、剣が!?」
 ヨウがとっさに後退し、レンヤは残った剣の柄で女に殴りかかる。が、それはたやすく片手でつかまれてしまった。
 素早さ、硬さ、腕力。すべてが人間と違いすぎる。以前会ったエマは竜族の中ではとても弱い方だったのだと、ようやく悟った。
「チェンロン、ドロシー、油断するなよ」
 ドロシーは女性名なので、おそらく女がドロシーで男がチェンロンだろう。
 竜王が館へ羽ばたく。
 男女二匹に阻まれ、追うことができなかった。
 苦し紛れに短刀を投げるが、ドロシーがそれをはじく。
 すぐに反撃してくるかと思いきや、彼女は宙に浮いたままじーっとこちらを観察し、ほほえんだ。
「チェンロン、交代ですわ。そちらは女が斬れないらしいですから、わたくしがやりますわ」
 顔には出さないが、レンヤは内心動揺した。
 こいつ、やはりこちらの心を読んでいる。
「格下相手に弱みをつくのは好かん」
 チェンロンが渋い顔をするが、ドロシーは冷ややかにさとす。
「獅子はウサギ相手にも全力をつくすものでしてよ。竜王さまも油断するなといったでしょう。確実に勝つ為には最善をつくすべきですわ。あなた読心術も使っていないでしょう。ちゃんとなさいな」
 ヨウがちゃんと「読心術」という言葉を聴きとっているといいのだが。
 こちらの動きまで読まれる可能性が高いのだから。
「……わしにはわしの考えがある。勝てばいいのだろう?」
 ゴキャキャッと音がする。
 チェンロンの両手がウロコにおおわれ、爪が大きくのびていく。
 次の瞬間、レンヤの眼前に鋭い爪が迫っていた。
 とっさに右へかわすと、さっきまでいた地面がクレーターのようにえぐりとられた。まともに食らえば一撃で全身がバラバラになるだろう。
 視界のほとんどが砂塵におおわれる中。
 レンヤは彼を無視し、ヨウと攻防を始めたドロシーを追う。
 固くつややかな翼をつかんで引きよせ、細い首を腕で締める。いつでも絞め殺せる体勢でレンヤは告げた。
「おまえの相手は俺だ」
 ドロシーは横目でこちらを見ると、不機嫌そうに眉根をよせる。
「しつこい男は嫌いですわ。むこうでチェンロンと遊んでらっしゃい!」
 彼女は自分の首を締めつけるレンヤの腕を両手でつかむと、やすやすと引きはがして投げ飛ばした。
 まるで大人と赤子のような力量差。力では勝てない。
 ざっと500メートルほどふっ飛ばされたとき。
 ふっと上空に影がさす。
「あちらが気になるというなら、わしを倒していくのだな」
 まだ宙にいたレンヤをチェンロンが両拳で地面へたたきつけた。
 衝撃波が砂漠の砂をえぐり、家一つ埋まりそうなほどの大穴があく。
 視界をおおう粉塵が消えたあと。
 力なく倒れたレンヤを見て、チェンロンはつまらなそうにつぶやく。
「なんだ、もう死んでしまったのか?」
 興味が失せたようにふっと視線をそむけたとたん。
 短刀が飛んできて頬をかすめた。
 音を立ててはじくのみで傷はつかない。けれど、彼は嬉しげに牙をのぞかせる。
「邪魔だ」
 レンヤは体勢を立て直していた。