その53


 レンヤの予想通り、ヨウはドロシー相手に苦戦していた。
 冷酷そうな切れ長の瞳に水色の髪。豊かな胸にくびれた腰つき。気品ただよう風情に高飛車な性格。
 むちゃくちゃ好みだったのである。
 戦いづらいことこの上ない。むしろ「好きだ! 結婚してくれ!」とさけんでしまいそうな勢いだ。
「お断りですわ。育ちすぎた男に興味ありませんの。身長150センチ以下の竜族に生まれ変わって出なおしてらっしゃい」
「心読むなよ。っていうか身長150センチって小さいな!」
 ドロシーはうっとりと微笑んだ。
「小さな男の子は乙女の夢ですわ」
 要するにショタコンか。
 彼女からの斬撃を受け流しながらそんなことを考えてつい、脱力してしまう。一瞬の隙をつき、ドロシーは片手でヨウの首を捕らえた。
「ぐっ!?」
 そのまま一気に上空へ飛翔する。
 ビキビキと締め上げられる首を押さえながら、ヨウはやむなく短剣で彼女に切りかかって抵抗した。
なるべく攻撃したくはないが、殺されるわけにもいかない。剣で傷つけることはできないくらい頑丈なのだしこれくらい平気だろうと思ってのことだった。
 しかし、やや手元の狂ったそれは予期せぬ所に当たってしまう。
 ドロシーの胸当ての繋ぎ目がさくっと切れた。
 素肌が露出したわけではない。あくまで服の上につけていた鎧がべろんとはがれ落ちただけである。
「あ」
 しかし、それを見てヨウのテンションが地に落ちた。
 胸当ての下が思っていたより平べったかったからである。
 あんな頑丈な皮膚もってんだから鎧必要ないだろと思ったら、あげ底か……。
 かつて良い仲になりかけた女騎士レティシアーナのあげ底ポロリ事件を思い出す。あれ以来ちがう意味で気のおけない仲になり、男友達のようになってしまったが元気だろうか。
 一言でいうと、ヨウは平たい乳に興味がなかった。
 ドロシーの顔がカーッと朱に染まる。
「ひ、ひひひらたいとかいうなぁぁぁぁぁぁぁ!」
 彼女はヨウの首をつかんだままハンマー投げのごとく高速で10回転し、空の彼方へと投げ飛ばした。
「チラッと考えただけで口には出してないだろおおおおおおおおおお!」
 小石かなにかみたいにぐるんぐるん回転しながらふっ飛んでいく。
 その先には巨大な岸壁。この勢いでたたきつけられれば内蔵破裂コースである。
 ヨウは高く指笛を鳴らした。
 岸壁まであと50秒。
 30秒。
 10秒。
 宙で黒い瞳と視線が合う。
 それは鋭利なクチバシでヨウの服をつかみ、逆方向へ引き上げて勢いを相殺した。やわらかい羽毛の背中で受け止められて、ヨウが笑う。
「おまえはいつも頼りになるよ」
 シロは得意げに短く鳴いた。
 ドロシーが「チィッ!」と激しく舌打ちをする。
「しぶとい虫ケラ野郎ですわね……無抵抗で降参するなら命はとらないつもりでしたけれど、気が変わりましたわ」
 彼女の前方の空間にざっと30個ほどの魔法陣が次々と浮かび上がり、それぞれから一斉に青い閃光が放たれた。
「おくたばりあそばせ?」

◆

 一方、御巫の館。
 竜の気配が館内に侵入してきて、ユルドゥズは反射的にそれを迎え撃った。
 自らも竜の姿へ変わり、人影に食らいつく。
 侵入者の半身を噛みちぎろうとしたのだが、牙が届く寸前で凍りついたように動きを止める。接近してからようやく、侵入者の容貌が目に入ったからだ。
 青と緑を混ぜた淡いミントグリーン。髪と同じ色の瞳は虹彩が縦になっていて、頭にも角が四本、背中には一対の翼としっぽが生えている。
 けれど、人型のそれは手足が小さくて背は小柄。
 11歳くらいの少年の姿をしていた。
「300年ぶりだな」
 少年は動きの鈍ったユルドゥズの攻撃を軽くかわし、両手を鋭く一閃させる。
 明らかに殺意のこもった攻撃。
 彼が竜族なことは理解している。憎い同族だ。
 しかし、人間の子どもそっくりの姿を前にすると、磔にされたように身体が動かない。
 ユルドゥズは彼を殺せなかった。

◆

 命はしばしばロウソクの炎に例えられる。
 力強く赤々と燃えていても、風が吹けばあっけなく消えてしまう。そんな有様が似ているからかもしれない。
 ユルドゥズの死もあまりにあっけないものだった。
 侵入者の気配に彼が竜と化して飛び出し、大きな物音がしたかと思うと。オオゲジサマがナギの前方に立って姿を変え、視界をかくした。
 肉と骨を断つ生々しい気配。
 びしゃびしゃと血があふれ出すような音。
 鉄の香りがただよってきて、ナギは無意識に震えた。
 オオゲジサマが静かに問う。
「ナギは知り合いの死体は見たくないんだっけ? しばらく目をつぶっていればまた食べてあげるけど、どうする?」
 嘘だ。こんな一瞬で彼が死ぬわけない。
 オオゲジサマには負けたし、弱っていたけれど、それでもユルドゥズは十分強い。今朝は意識もちゃんとあったし、さっきまで元気に会話もしていた。なのに助ける暇もないなんて。
 なにかの間違いだ。たとえ致命傷でもまだ息があるかもしれない。
「み……みます」
 今のオオゲジサマは青と黒のアゲハ蝶になっていた。
 自分よりも何倍も大きな蝶の影から身を出すと、前方に人影が見える。
 少し近づいて目をこらし、ナギはユルドゥズの敗因を悟った。
 ナギと同じくらいの小柄な背丈。宝石のような光沢の翡翠色の髪と目。頭に二対の白い角。耳は魚のヒレに似ているが硬そうだ。服の合間からヘビみたいなしっぽが揺れている。顔立ちは芸術品のごとく左右対称で整っているが、小さな手足ともに人間と酷似している。
 彼の全身はおびただしい赤い血にまみれていた。
 竜の気配に飛び出したものの、ユルドゥズは彼を殺せなかったのだろう。硬直して反撃もできなかったのかもしれない。
 彼は人間の子どもそっくりだ。
「おまえたちは死神の仲間か?」
 その足元にユルドゥズの亡骸があった。
 まだ助けられるかもしれない、そんな希望も失せる。
 じわじわと広がり続ける血の海の中。竜の姿のまま、彼の首が転がっていた。かすかに人の姿の面影が残る、きれいな獣。もうピクリとも動かない。
――幸せになってください。
 彼の声が脳裏に蘇り、視界がゆがんだ。
 目からぼろぼろ涙が落ちたが、ナギはかまわず名も知らぬ少年めがけて駆けた。
「ナギ?」
 後ろからオオゲジサマの戸惑った声がするが、どうしても足が止まらない。
 ナギは思いっきり少年の頬を引っぱたいた。
 パアンと乾いた音が室内中にひびく。
「もうすぐ寿命だったんです。殺す必要なんか、なかったのに……!」
 が、彼は眉一つ動かさずに告げる。
「死ぬまでにだれも殺さない保障はないだろう」
 少年の両目が淡く光ったかと思うと、ナギの意識はそこで途切れた。

◆

 気絶させた娘を人質にすると、異形は大人しく捕まった。
 その割に隙を見せたとたん反逆しそうなので、厳重にいくつも封印を施し、ひとまず手持ちの石の中に閉じこめる。
 それから竜王は外に出ると、死神の遺体が残ったままの屋敷に火をつけた。
 竜の死体は捨てるところがないといわれている。
 血、皮、ウロコ、骨。身体の隅々にいたるまで、すべてが呪具の材料となる。特に竜の遺体で作られた武器は竜の頑丈な皮膚やウロコもやすやすと断つ。そんなものが人間の手にわたってしまっては困るのだ。
 悪用されるのを防ぐため、弔いの意味もこめて。骨も残らないように館を綺麗に全焼させた。
 そうしている内にドロシーがやってくる。
「無事に死神を討ったのですね」
「……ああ」
 竜王の声は暗い。
 先代の仇をうち、同族の危機を防いだ。それは喜ばしいことのはずなのに、どうしても気分は晴れない。
 死神が襲った国や村では子どもばかりが生き残っていた。だから、奴は子どもに弱いのではないかと憶測し、あえて本来の姿ではなく人型で戦いを挑んだ。確実に勝つためにと立てた作戦で、後悔はしていない。
 戦で相手の弱点をつくのは基本だ。
 なのにこうも後ろめたい気分になるのは、死神の目を見てしまったからだろうか。
 おどろき、傷ついたような瞳が忘れられない。
 そして……。
「その人間は?」
 竜王が小脇に抱えた子どもを、ドロシーがのぞきこむ。
「死神の仲間だ」
 少女は眠るように気絶している。しばらくは目を覚まさないはずだ。
「奴が死んで、泣く者がいるとは思わなかった」
 思わずつぶやくと、ドロシーがうなずく。
「ああ、これがナギとかいう……この子、どうするのですか?」
「人の処遇は人に任せた方がいいだろう。ジャクセンに引きわたす」
 そこまでいって、竜王は彼女の元気がないことにようやく気づいた。
「なんだかおまえも浮かない顔だな。……そっちも片づけたんだろう?」
 ドロシーは眉間にしわをよせ、複雑そうに口を開く。
「殺そうとしたのに、私に危害を加えようとは微塵も考えなかった……あんな人間、初めてだったから……ちょっと手元が狂ったのですわ」
「よくわからんが、色々あったようだな」
 単に悪の一味としか考えていなかったが、この一行、ただそれだけでもないようだ。
「……チェンロンはどうした?」
 若爺やの姿が見えないので聞くと、同時に速い足音が近づいてきた。
 竜王は羽ばたいて上空へと逃げる。ドロシーはその場で避け、襲いかかってきた人影に右手を一閃した。が、逆にその手をつかまれて青ざめる。
「な!?」
 竜の力をもってしても抗えないほどの力で引きよせられ、ドロシーは地面に組みふせられた。
「おどろいたな……おまえ、本当に人間か?」
 竜王が目をすがめる。
 彼女をねじふせたのは人間の青年に見えた。
 黒髪に青い瞳。額から血を流し、かなり疲弊しているようだが、いい動きをする。
「この女の首をへし折られたくなければ、その子どもを放せ」
 青年が鋭く警告した。
 竜王は彼の心を読んで、ひそかに納得する。
 どうやら彼の右腕はあの異形から授かったもののようだ。竜族の力に対抗できたのはそのせいか。
 ……チェンロンは彼にやられたらしい。
「惜しい仲間を亡くした」
 胸が痛んで独りごちると、ドロシーが察して表情を曇らせる。
「まさか、チェンロンが……!?」
 青年は油断なく彼女を押さえつけ、こちらを睨んできた。
 意思の弱い人間や抵抗力の低い子どもなら睨むだけで眠らせられるのだが、さすがに剣士相手には通じないようだ。
 竜王は地上へ降りると、子どもを抱えたまま青年に近づき、しっぽでふっ飛ばす。
 しっぽとはいえ手加減なしの一撃を喰らい、遠くの地面に落ちた彼はもうおき上がらなかった。
「無事か?」
「はい……すみません」
 ドロシーがしおらしく身をおこす。
「トドメを刺さなくていいんですの?」
 チェンロンの仇だ。
 だが、彼女の言葉に竜王は軽く首を振った。
 すでに重傷のようだし、放っておけば死ぬだろう。
「今日はもう殺しはしたくない」
 少女を連れて竜族たちがその場をさったあと。
 砂漠で倒れる青年の身体を砂が少しずつおおい隠していった。