その54


 目を覚ますと、ナギは見知らぬ牢にいた。
 全体的に白っぽくて、窓はない。ベッドとトイレが一つあるだけの殺風景な部屋で、扉の代わりに鉄格子がはまっている。
 また牢屋か、と考えて、竜族の少年に気絶させられたことを思い出した。
 そうだ。
 ユルドゥズが死んでしまった。……殺されてしまったのだ。
 血しぶきが飛び散る音が脳裏に蘇ってきて、涙がこぼれる。
 無口で口下手な彼から曖昧に聞いただけだから、実際どんなことがあったのか詳しくは知らない。
 でも彼が壊れそうなくらい傷ついていることはわかったから、せめて、おだやかな最期を迎えさせてあげたかったのに。
 悲しくて悔しくていつまでも泣き続けていたら、足音が近づいてきた。
 あわてて顔をぬぐって、自分の両手に手錠がはめられていることに気づく。
 もう悲しむ時間もないようだ。

◆

 牢にやってきたのは北欧系の兵士だった。二人組で、でかくてごつい。常に睨んでいるような厳しい顔つきをしていて、機械のようにキビキビ動く。
 彼らは公用語でナギに牢から出るよううながした。大人しく従うと、両脇をはさまれるようにしてどこかへ連れて行かれる。
「ここはどこなんですか?」
 背中を押され、歩きながらたずねると右側のおじさんが短く、そっけなく答えた。
「おまえが知る必要はない」
「オオゲジサマは? レンヤとヨウにシロは? ……ユルドゥズの遺体は、どうなったんですか?」
「おまえに質問する権利はない。覚えておけ」
「……」
 まさか全員、死んで……。
 恐ろしいことを考えてしまって、ぞっと血の気が引く。肩を震わせていたら、なにかに足をつかまれた。
「きゃあ!?」
 床に転んで軽く頭をうつ。けれど、痛みに顔をしかめるヒマもない。ズルっと横の牢に引きずりこまれそうになってガリガリと床を引っかいた。
「きゃああああああ!?」
 ガッと鋭い打撃の音とともに低いうめき声。
 足が解放されたのを感じてふり返ると、ごつい槍が見えた。どうやら、横の牢に入れられていた罪人がナギの足をつかんで引きよせたらしい。その手を、左側にいた兵士が槍でどついて大人しくさせた、といったところか。
「なんなんですか!? なんなんですかあの人!?」
 ヒイイと後ずさってさけぶと、そこら中の牢からどっと笑い声が上がった。なにがおかしいのか、囚人たちはゲラゲラと腹を抱えて転げまわっている。
 混乱しているナギに、左側にいた兵士のおじさんが淡々と告げた。
「意味のないイタズラだ。歩け」
 つかまれた足がじんじんと痛く、熱い。
 でもこんな所に長居するのも嫌で、足を速めた。
 途中、囚人たちが鉄格子の間から手やら足やらのばしてきて妨害したが、兵士たちが容赦なくそれらをたたき落としていく。兵士たちの表情はとても機械的で、慣れを感じさせる。
 ちょっかい出してくるのは男の囚人ばかりで、女はジロリとこちらを睨むか、無関心が大半だ。ツバを飛ばしてくる者もいたが。
 牢とはいえ、男女別にしておいて欲しい。
 待遇改善を要求する。
 拳を握りしめてしまったが、今まで入った牢屋もすべて男女ごっちゃ混ぜだったし、よほどの大国でもない限りはこうなのかもしれない。
 ようやく牢の中をぬけると、近くの地下室へ入る。
 ……そこは明らかに拷問部屋だった。
 窓はなくうす暗い。そこまでは牢と変わらないが、針やら鞭やらオノ、木槌、ノコギリ……どうやって使うのか想像もできない怪しげな器具が山と置かれている。いくつかには、赤黒い血のりがべっとりと付着していた。
「洗いざらい吐くので勘弁してください!」
 その部屋に一歩入ったとたんナギは白旗を上げた。
 ムリムリ痛いのムリ。怖すぎ。
「察しが良くてなによりだ。こちらとしても子どもに乱暴はしたくない……必要でない限りはな」
 兵士たちとは違う声がして顔をむけると、部屋の奥に二人の男がまっていた。
 おそらく彼らの上官かなにかだろう。身分のありそうな軍服。つるりとしたハゲ頭で、でかくてごつい。
 もう一人はエムリスみたいなずるずるした服……ローブとかいうらしい。それを深く被っていて、顔以外ほとんど皮膚が見えないが、背は高く骨ばっている。
 ナギは室内の中央におかれたイスにしばりつけられた。
 ローブの男が鼻先に人差し指をかざしてくる。それは松明のようにぼんやりと赤く光っている。
 なんのつもりかとヒヤヒヤしながら見つめていたら、やがて、男が顔をしかめて上官をあおぎ見る。
「この娘、上級呪い師か神官長クラスですね。私の術は効きません……グスタフ殿にお任せした方がいいでしょう。それと、なにかする前に魔封じを」
 上官は露骨に疑わしげな顔をした。
「上級呪い師? とてもそんな風には見えないが……おまえの間違いだろう。なあ?」
 兵士たちの方をあごでしゃくって同意を求める。
「囚人たちにちょっかい出されて泣きべそかいてました」
「すでにすくみ上がって声も出ないようですが」
 左右それぞれの兵士たちが答えた。
 ローブの男は「やれやれ」といわんばかりにため息をつく。
「呪い師は肉弾戦や物理攻撃に弱いものです。力で脅せばなにかは吐くでしょうが、前時代的で正確性に欠ける。恐怖で精神崩壊し、妄想と現実の区別がつかなくなってしまった前例もあります。きちんと術を使って吐かせた方が良いでしょう。……まして、今回は我が国だけの問題ではないのだし。必ず公的な記録に残りますよ?」
 上官は面白くもなさそうにフンと鼻を鳴らした。
「わかったわかった、もういい。明日グスタフ殿を呼んで仕切りなおす。魔封じもその時にしておけばいいのだろう。おまえら! そいつを牢にもどしておけ!」
「あ、少々おまちを。私の魔封じでもないよりはマシでしょう」
 男はそういって黄色い粉薬をとり出すと、ブツブツとなにかをつぶやきながらナギの額、右手と左手にちょんとぬりつける。
 ふと目が合うと、暗い瞳で見下ろしてくる。
「自白に術を使うのは本当ですがね……あの壁の血は偽物ではないし、器具も実際に使われているのですよ。重要な案件以外では今も拷問が主流ですから。……多少傷めつけて心を折ったほうが術にかかりやすかったりしますしね」
「……ッ」
 ナギが冷や汗をかくと、上官が笑った。
「おまえも、なかなか容赦がないな」
 男はしらっと答える。
「これに温情を与えたと思われては不愉快です。私も死神を憎む者の一人なのですから」
 つい力が入ってしまったのか、わざとなのか。
 彼の爪ががりっとナギの左手の甲をえぐった。
「いたっ」
 ぷつっと皮膚が裂け、小さな血の玉がうかぶ。
「おまえに味方などいないよ」
 寒気がするような声音でそういい残して、彼らはさっていった。

◆

 けっきょく、今の状況がちっともわからない。
 再び牢屋にもどされて、ナギは固いベッドに腰かけた。
 わかっているのはここが敵地だということ。あの竜族の少年がこの国に連れてきたのだろうから、彼らは協力関係にあるのだろう。
 ”死神”の仲間であるナギから残党がいるかなどの情報を聞き出し、殺すつもりなのかもしれない。
 そこまで考えて肩を落とす。
 オオゲジサマや双子たちはどうなったんだろう。
 彼らは強い。簡単に死ぬとは思えないが、同じように思っていたユルドゥズだって殺されてしまったのだから……死んでいたって、おかしくない。
 また泣きそうになって、目をこすった。
 生きていて、別の牢に囚われている可能性だってあるではないか。
 なんとかここを脱出して、みんなの状況を調べるのだ。2回牢に入って助かったんだから、3回めだってきっと助かる。
 無理やり自分にそういい聞かせて、ナギは眠った。
 窓がないので時間がわからないが、ひどく眠かった。夜だからなのか、泣きつかれたからか……あるいはずっと緊張していたからかもしれない。
 左手に激痛を感じてとびおきたのは、だいたい3時間後くらいだったと思う。
 見ると、ローブの男に引っかかれた場所に黒いカタマリがくっついていて、反射的にそれを払いのけてしまった。
「キイッ!」
「えっ」
 黒いカタマリが悲鳴を上げたので目を見はる。
 松明の灯りで照らされたそれは、瞳のないコウモリだった。じたばたと床でもがいていたが、体勢を立て直してこちらにむき直る。
「オオゲジサマ……?」
 期待してしまったが、すぐ違うとわかる。コウモリはナギの左手めがけて襲いかかってきた。
 とっさにかわすと、低く不気味な声が耳にとどく。
「血」
 しゃべった。魔物だ。このくらいの弱そうなものは基本的によってこないはずなのに、魔封じとやらのせいでオオゲジサマの気配が消えてしまったのだろうか。
「やめてください」
「血、血、血」
 あまり知能が高くないのだろう。言葉にならず、同じ単語をくり返している。
 寝ている間に血を吸われていたらしく、左手の傷が広がっていた。つうと血が皮膚を伝って床に落ちる。すかさずコウモリが床に飛びついて血をすすった。
「目がないのに、わかるんですか?」
 ついたずねると、意外にもコウモリは返事をする。
「キィ」
 人語ではないけれど、「あたぼうよ」とドヤ顔された気がする。……なんとなく。
「取引、しませんか?」
 ナギが静かに提案すると、コウモリはぐるりと首を回転させた。小首をかしげたつもりだろうか。フクロウみたいな真似をする子だ。
「私を助けてください。そしたら、ちょっとだけ血をあげます」
「血! 血!」
 不満らしい。ちょっとではなくたくさんよこせ、丸ごとよこせ、といったところか。
「嫌ならけっこうです。……ちなみに、こんど勝手に血を吸おうとしたら枕でたたき潰しますから」
 枕を抱えて宣戦布告すると、コウモリは考えるように押し黙る。
 やがて、今度はゆっくりと飛び、ナギの膝の上に着地した。
「キィ……?」
 勝手に脳内補完すると、「まあ、ヒマだから手を貸してやってもいいよ?」である。
 隙を見せたら噛みついてきそうで油断ならないけれど、味方ができたのはありがたかった。