その57
とある国境付近の砂漠。
黒と赤紫にそまった不吉な雲が浮かぶ中。沈みはじめた赤い夕日を背に、戦士が一人歩いていた。長身で男のように短い金髪だが、鎧ごしでもわかる身体の曲線は息をのむほど美しく、女らしい。
その足元にはいくつもの死体が転がっていた。
地面を埋めつくすほどのそれの合間をぬうようにして、彼女はぽつぽつと歩き、たまに遺体から金目の物をぬきとっていく。
そんなとき。
「隊長~! なにやってんスかそんな所で」
彼女より少し背の低い、十代半ばの少年が駆けてきた。魔術師風の格好で杖を手にしている。
「レジーか。おまえも目ぼしい物みつけたら頂いておきな。給料でないかもよ」
女戦士は軽く首をかたむけてふり返ると、すぐ視線をもどして死体あさりを続ける。
レジーは彼女が敵味方問わず身ぐるみはがすさまを見てゾッと身震いしていたが、その言葉に口をぽかんと開けた。
「ええっ!? どうして!?」
「負け戦になりそうだからだよ。それくらいわかれ」
「そんな……! 隊長が負けるなんていわないで欲しいッス」
「しかたねーだろ。あたしだってこんな戦、楽勝だと思って参加したのに……うちのお偉いさんはやる気がないんだ。大国との戦でいそがしくて、こっちは勝とうが負けようがどうだっていいんだろ」
あっけらかんと敗北宣言されて、レジーはしばし言葉を失う。
けれど、「負けるかもしれない」というウワサは今までも何度か耳にしていた。
「負けたら僕たち、どうなっちゃうんスか!?」
「良くてタダ働き、悪くて捕虜か、死ぬだけさ。あたしの部隊みんなにいってることだけど、あんたも隙みてトンズラしなよ。残ってたっていいことない」
「でも僕は……仲間を見捨てて逃げるなんて……」
それきり黙りこんでしまった彼を見て、隊長はフンと鼻を鳴らした。
血にぬれた両手を遺体の服でぬぐい、荷物をまとめて少年にむき直る。
「まあ、気高くまっとうに生きて仲間と死にたいなら死ねば? おまえの人生だ」
その瞳に怒りの色はない。
賛同でも拒絶でもなく、無関心ともちがう。行く末をただ見守るようなまなざしだった。
「……」
「敵前逃亡がバレたらどのみち殺されるしな。おまえは逃げるのも下手そうだ。うん、やめとけやめとけ」
「……」
からからと笑ってから、隊長は軽くため息をはいて彼をつっつく。
「おい、あたしになにか用があってきたんじゃないのか?」
レジーはようやく我に返って彼女の腕をつかんだ。
「そーでした! 忘れてた! 隊長、ケガ人ッス! 助けてあげてくださいッス!」
「はあ? アヴィーかルゥルゥにでも頼めよ」
腕を引かれるままに走りながら、隊長はイヤそうな顔をする。
レジーは彼女の率いる救護隊の魔術師だ。だがまだ経験が浅く、魔力も少ないのであまり深い傷は癒せない。しかし救護隊には熟練の魔術師たちもいるはずだ。
「味方だけで手一杯だって、断られたッス!」
「そりゃそーだ。てことはなにか、敵を治せってか」
捕虜の回復は別に珍しくないが、今のように余裕のない戦況でやることではない。
「それが、わかんないッス! 敵か味方か!」
「んだそれは。身元もわからない怪しい奴を治せって?」
「だって、鳥が泣いててかわいそうなんッス!」
わけがわからない。
が、隊長は足を止めずにふと思い出す。
いつぞやのちびっ子はかわいかった。ちっちゃくてちょこまかしてて、ちょっとマセてるのが生意気でいい。亡き旦那との間に子どもがいたらこんな感じかと、ついついかまってしまって情がうつって、頼みごとを断れなかった。
目の前の部下もかわいらしい。まだまだあどけなくて、ぜんぜん男っぽくなくて。
……困ったことに、こいつの頼みを断わる気になれない。
「あたしって、ちびに弱いのかなぁ……」
彼女はひそかに独りごちた。
やがて、目に見える死体の数が減り、殺風景な砂漠に倒れた人影があらわれる。距離をつめ、重傷患者二名の顔を見て、思わずうめき声を上げた。
「うげえっ!?」
あわててさっき死体から失敬した兜をつけ、両目以外の顔をおおい隠す。
そこには彼のいうとおり巨大な怪鳥が悲しげにキューキュー鳴いて……いや、泣いていた。獰猛そうな猛禽類のくせに鼻水までたらしている。
白黒模様の泣鳥はヒナを守るような仕草で怪我人たちを見守っていた。
「二人ともこいつが運んできたんスよ。……もー大丈夫だぞ。隊長が助けてくれるからな!」
レジーが優しく語りかけると、鳥はすがるような瞳で隊長を見る。長く人に飼われているらしく、言葉を理解しているようだ。
隊長は苦々しげにつぶやく。
「ったく、よく死にかける奴らだな」
血まみれで気絶している二人の青年はまったく同じ顔をしていた。
短い黒髪に混血の肌。まだあどけなさの残る綺麗な顔は苦痛に歪んでいる。
「……ミカナギはどーした」
手当するのに邪魔になるので、傷口付近の服をビリビリ破きながら隊長がつぶやく。
「あれ、知り合いッスか?」
「いーや、ぜんぜん」
夕方から明け方近くまでかけて彼らを治療したあと。
隊長はレジーに水と食料、いくつかの金目の物などを持たせ、彼らを戦場からはなれた人里の近くへ捨ててくるように命じた。
「せめて、意識がもどるまでは介抱してやった方がよくないッスか?」
「ダメだ!」
「敵か味方かわからないような連中をそばにおいて味方を刺激するといけないから」といい含められ、一兵卒の魔術師は素直にしたがう。
けれど彼らを捨てて元の野営地へもどってみると、そこはすっかりもぬけの殻になっていた。
「隊長……?」
場所を間違えたのかと何度も地図を確認するが、合っている。
砂の上にまだ野営の跡が残っている。なのに、味方の影すらも見えない。
レジーはその時ようやく、彼女が自分を逃してくれたことに気づいた。
◆
少し遅い朝。
小さなテント内。寝袋ですやすや寝息を立てていたナギはアンリのあせった声におこされた。
「うわあああ! ナギちゃんおきてええええええええ!」
小声で絶叫するとは、器用なお姉さんである。
「魔物でも出ましたか?」
眠い目をこすりながら問うと、彼女がガクガクゆさぶってくる。
「あたし魔物よけ持ってるから魔物にあったことない……ってそうじゃなくて、もっとヤバイやつ!」
「ワア」
彼女が指さす平原の先には、ウロウロしている2人の騎兵が見えた。
ナギといっしょに大量の犯罪者が逃亡したので、各地を探しているのだろう。他の犯罪者を捕まえるのにいそがしくて、今まで会わずに済んでいたのかもしれない。
まだこちらには気づいていないが、見つかるのは時間の問題だろう。
「と、とりあえず荷物で隠すから、しゃべらないでじっとしててね!」
「でも、手荷物検査とかありそうですし、それよりは近くの茂みにでも隠れたほうがよくないですか?」
「どっちでもじっくり探されるんだから同じことだよ!」
アンリに巨大な鍋をかぶせられ、中でうずくまる。上に寝袋やらなにやら荷物を置いていく音がした。
「……」
そのまましばらくじっとしていたら、十分ほどして馬の蹄と鎧がこすれる音が近づいてきた。かすかに話し声がし始める。
あまりよく聞こえないが、なごやかな口調が数分続く。
このまま上手くごまかせるかと思いきや。
ごそっと荷物を動かす音がした。
ゴソゴソ、カツッ。
それはだんだん近づいてきて……とうとう、鍋が持ち上げられる。
念のために荷物を調べただけで、善良な一般人そのもののアンリが死神の仲間をかくまっているなんて思いもしなかったんだろう。
まさか本当に人がいるなんて。
鍋を持ち上げたまま、騎士はそんな顔をして固まっていた。
同じく、鍋の中でうずくまっていたナギもどう反応したものか迷ってしまい、だらだらと冷や汗をかく。
「……」
「……」
非常に気まずい沈黙が流れたあと、ナギは苦しまぎれにつぶやいた。
「か……かくれんぼの最中なんです」
アンリが絶望したように地面へ両手とひざをつく。
騎士が鍋を近くへ放り、大きく指笛を鳴らした。
「うわああああああああああ! と、捕らえろ!」
「死神の仲間がいたぞおおおお!」
テントの外にいたもう一人の騎士をすぐに気づき、剣をぬきながらさけぶ。銀色に光るものが目の前に降りかかってきたと思ったら、ドンとやわらかいものにぶつかった。
ピッと生ぬるい液体が額にかかる。
つい手でぬぐうとそれは赤い血で、頭がまっ白になった。
「え」
呆然と前を見るとそこにはアンリがいて、腕を押さえてうずくまっている。
ナギをかばったらしい彼女の右腕には15センチほどの刀傷ができていた。傷は深くないようだが、血が流れている。
「……アンリ」
料理人の利き腕に。
女の子になんてことを。
「かばうなら貴様も斬る」とかどうとかアンリと押し問答を続けている彼らの会話がどこか遠く聞こえて、左手が熱を持つ。
ごうと風がうなる音が聞こえて、とっさにアンリにしがみついた。
そうしていないと、きっと彼女も巻きこんでしまう。”彼”は子ども以外には容赦なかったから。
「ナギちゃん!?」
「じっとしててください」
いつぞやのユルドゥズの言葉が脳裏に浮かぶ。
――感謝のしるしです。
なにが、と問うと赤い瞳がおだやかに細められた。
――その時がくれば、わかります。
彼のいうとおりだった。
手をのばすように、歩くように。気づけば自然と使い方を理解している。
ユルドゥズのくれた風の力は斬りかかってきた騎士二人をまたたく間に斬り裂き、彼らの応援に駆けつけてきた騎士団たちを皆殺しにしていった。