その58


 赤い草原が広がっている。
 その上にはぽつぽつと人間だったものの残骸が転がっていて、数日はとれそうにない死臭に満ちていた。
 自分たち以外に動く者がいなくなってから、ようやく風が止む。
 アンリからそっと身体をはなすと、ナギは地面に嘔吐した。
 今まで仲間が自分のために殺しをしてきた。なのに自分の手を汚すのはたえられないなんて、甘えている。
 頭ではそう思うのに、体がついていかない。
 しばらく吐いたあと、どうしようもない自己嫌悪で落ちこみながら、アンリを振り返った。
 彼女は惨劇の光景にたえられなかったのか、気絶している。その右腕からまだ血が流れているのを見て、胸が痛む。
「シュカみたいにケガを治せたらいいんですけど……」
 自分で呪力を使えないと、こういうときは不便だ。
 もっとも、仮にオオゲジサマと契約を切った所で使い方すらわからないのだが。
「フフフ。お困りのようね?」
 得意気な少女の声。
 空気とも風ともちがうなにかがゆらめく気配。目をむけると、淡く光る少女が宙に浮かんでいた。全身が水でできていて、青い花を飾った長い髪とスカートがひらひらとゆれる。いつもどおりの姿だが、なぜか彼女は手のひらくらいの大きさしかない。
「プルプルさま」
 聞きたいことは山ほどあるし、こんな時でなければ「かわいい!」と大喜びしてしまう姿だ。
 プルプルさまはおびえるようにキョロキョロと周囲を見回してから、ホッとしたような顔をして胸をそらす。
「わかっているわ、そこの小娘にトドメを刺せばいいんでしょ?」
「ちがいます」
 殺伐とした雰囲気のせいで誤解したらしい。
「彼女のケガを治せないでしょうか」
 消毒して応急手当しようしてはいるが、跡が残ってしまわないかが心配だ。調理にも支障が出たら気にするだろう。
 ダメ元で聞いてみると、プルプルさまは目をキラキラさせた。
「私、アクアマリンが欲しいわ!」
 たしか、宝石の名前だったような。
「ええと……”あくあまりん”をあげたら、彼女を治してくれるのですか?」
 おずおずとたずねると、プルプルさまは眉根をよせる。
「ルビーやダイヤも捨てがたいけど……そうね、アクアマリンがいいわ」
 そういえば前回は花を供えた。
 オオゲジサマやユルドゥズなら頼むだけで叶えてくれるのだが、本当は、人外にものを頼むときはなにか対価が必要なのかもしれない。
 彼らは特別だったのだとしみじみ思う。
「ごめんなさい。今はもっていないんですけど、いつか必ずあなたにアクアマリンをあげますから……彼女を治してあげてくれませんか?」
 頭を下げると、プルプルさまは嬉しそうに笑う。
 幼い顔立ちなのに瞳は底が知れないような、神秘的な輝きを秘めている。
「約束よ」
 彼女はふわふわ漂ってアンリの腕にふれる。
 十秒ほどそのままでいたが、やがて腕をつうと横になでて放すと、周りについていた血液ごと傷口は消えた。まるで水で汚れを洗い流したかのようだ。
「ありがとうございます」
 ナギは喜んだが、すぐにぎょっと目を見開く。
 小さなプルプルさまの全身が、青から赤に変色している。
「疲れちゃった。しばらく寝るわ」
 すぐに薄れていく彼女に、ついあわてる。
「だ、大丈夫なんですかそれ? あと、まだ聞きたいことが……!」
「ちょっと血で汚れただけだから、半日もすれば治るわよこんなの」
 プルプルさまは霧みたいになった姿でこちらを見つめる。聞くならさっさと聞くがよいという顔だ。
「どうしてこの前は呼んでも出てきてくれなかったんですか? 小さくなってしまったこととなにか関係あるんですか?」
 彼女はふあ~とあくびを噛み殺しながら説明する。
「小さいのは、この土地と相性が悪いからよ。私より上位の水の精霊がいるから、私に従う水が少ないの。だから、今はかすり傷を治したりたき火を消したりするくらいしかできないわよ」
 その理屈でいくと、すごく相性が良い土地では巨人みたいになるのだろうか。
「この前でてこれなかったのは、その邪魔な魔封じのせい。そんな可愛くないもの、もうつけないでよね!」
 好きでつけたわけじゃないですプルプルさま。
 反論する時間もなく、彼女はさっさと消えてしまった。
 魔封じというと、牢屋で会ったあの魔術師につけられたやつだろうか。ふと見ると、ケガをしたアンリにしがみついていたからか、ナギの右手は血にぬれていた。
 もしかして、この術は血でとれるのかもしれない。
 左手はケガをして血が出ていたし、額にも血がかかったから、もうとれただろう。
 普段は見えないけれど、左手はユルドゥズ、右手はプルプルさまに印をえがかれた場所だ。額はなんだろう。心当たりといえば……。
「う……」
 考えごとをしていたらアンリがかすかに身動きした。
 ぼうっとしているヒマはない。
 辺りをうかがったあと。両手の血を落としてからアンリと彼女の荷物を森の中へ引きずっていく。途中でおきてしまわないか心配だったが、なんとか目立たない岩陰にかくすことができた。
「ごめんなさい。またいつか、どこかで会いましょう」
 これ以上アンリが巻きこまれて傷ついてしまったら、たえられそうにない。
 追われているのはナギだけだし。アンリの顔を見た兵士はみんな殺してしまったから、彼女一人ならどうとでも逃げられるはずだ。
「……」
 無意識に心細くなっていたのか、はなれがたい。けれど、また追手がこない内にきびすを返した。
 全滅させたといってもそれは追手の一部にすぎない。見つかればその何倍もの軍隊が襲ってくるだろう。またあの風の力を使えばなんとか逃げられるかもしれないが、最後の手段としてとっておきたい。
 使ってみてわかったが、ナギはほとんどあの風を制御できない。
 本来はユルドゥズのものだから、彼のように自由自在には使えないのだ。発動したら最後いっさいの手加減ができず、敵を皆殺しにするまでしばらく止まらない。彼らしいというか……護身用の爆弾を贈られたようなものである。怖すぎて滅多なことでは使えない。
 だが、それでも勝機はある。
 ユルドゥズとちがい、ナギは普通の子どもにしか見えない。ナギの顔を知らないよその国や町の中で他の子どもと紛れてしまえば、逃げきれると思うのだ。
 無一文だし身一つだが、プルプルさまがいるから飲み水は確保できる。それに、次の町はうっすらと視界の端に見えている。丸一日かけて走れば行けない距離ではない。
 御巫に選ばれただけあって、幸い呪力だけは強い……らしいし。町で魔術師に弟子入りしながらオオゲジサマと双子の情報を集めるのもいいだろう。
 そんなに上手くいくかは不明だが、やるしかない。
 ナギは物陰にかくれながら、根性で走り続けた。
 そして、四時間くらいでぶっ倒れた。

◆

 そのころ、オオゲジサマは地下牢で見張りをたぶらかしていた。
 「だれもこの牢に近づくな」と竜王が命じていたけれど、やはり危険物をそのままにしておくのは気になるのだろう。たまに竜王の目を盗むようにして監視にくる者がいるのだ。
「フン、まだ死なんのか。命汚いことだ」
 それを利用して、彼らに剣をぬかせようと誘いこむ。
「ねえ、これとってよ」
「は? バカか貴様。なぜ私がそんなことを……」
「さっさとこの目障りな剣をぬけっていってるんだけど?」
「わ……私、は……」
 黒い瞳を金色に輝かせてそうささやくと、年若い竜の兵士はふらふらと牢へ入ってくる。
 本当は相手の好む姿に化けた方がもっと魅了をかけやすいのだが、あまり力を消耗すると死にそうなので節約し、少年の姿のままである。
 竜王や彼の護衛クラスには効かないが、ザコ相手ならこれでも通用する。姿を変えれば、なんとか中級の竜族まで、といったところだ。
 心臓の魔剣はムリだろうからと、両手につき刺さった格下の剣をぬかせようとした。
「うああああああああっ!」
 けれど、剣の柄に手をかけたとたんに兵士の全身が燃え盛るように朽ち、骨と化してしまう。
 オオゲジサマはそれを冷めた目つきで見下ろした。
「役立たず」
 竜族の女にでも化けて中級を引っかけるかと舌打ちしていたが、不意に宙をあおぐ。
 ここ数日ずっと妙な術に邪魔されていたが、ようやくナギと繋がった。

◆

「ナギ、ナギ」
 オオゲジサマが呼んでいる。わずかに意識が浮上したものの、まだ眠っていたかった。気力体力ともにすり減ってしまい、疲れているのだ。オオゲジサマが今いるはずがないし、どうせ夢か幻聴に決まっている。
 ……のだが。
「ナギナギナギナギナギナギ」
 いつまでも止まない奇声のような呼びかけに観念して目を開いた。
 するとすぐに少年と目が合っておどろく。いつかと同じ黒髪に黒い瞳。ゲジ人と似ているけれど、顔立ちや褐色の肌がちがう。ゲジ人はわりとのっぺりというか、大人でも少し幼い顔立ちをしているのだが、目鼻立ちがくっきりしている辺り、やはり異国人なのだろう。
「やっと話せた」
 オオゲジサマが嬉しそうに笑う。けれどすぐに表情をくもらせた。
「弱ってるみたいだけど大丈夫? だれにやられたの?」
「剣が三つも刺さってる生き物に心配されるほどじゃないです」
 青ざめながらナギがいう。
 主は暗い地下牢のような場所で磔にされていた。
 両手と心臓にそれぞれ深く剣がつき刺さっている。主の傷はすぐに治るから大丈夫。そうとわかってはいても血の気が引く。今は人間に化けているから、なおさら痛々しい。
「悪夢とはいえこれはひどい……いまぬきますからじっとしててください」
「危ないからダメ」
「えっ」
「この剣、どれもさわっただけで死ぬから。ナギにはムリ」
「それじゃ、どうすれば……」
「あとこれは夢じゃないよ。僕がナギの魂だけ呼んだんだ」
 なんと。
「え……じゃあ、本当に現実でオオゲジサマこんな所に捕まってるんですか?」
「心配してくれるの?」
「当たり前じゃないですか」
 ナギがそう答えると、オオゲジサマはえへへと目を細めた。