その60


 灯りは牢の前に置かれたロウソク一つと、かすかに階段からもれる光だけ。
 ひんやりした空気に混じってただようのは油とカビと鉄さびの匂い。
 足元に散らばる骨の山を踏み砕きながら近づいてくる異形の姿は悪夢のようで、少しだけ背筋がぞくりとした。
「君はもっと僕にかまうべきだと思うよ」
 オオゲジサマがいう。
 なんとなく、ユルドゥズのことをまだ根にもっている気がした。
 あまり時間はないのだが、ここできちんと説得しておいた方が良さそうだ。
 でないと……双子を見かけても知らんぷりで見殺しにするんじゃないか、などと考えてしまう。そんなことはしないと信じたいが。
「二人きりでずっといたら、いつか、オオゲジサマは一人ぼっちになっちゃいますよ。長生きするつもりですけど、どうしたって私の方が先に死ぬんですから」
 主は寂しがり屋だから、そんなのたえられないだろう。
「そのときが来ても大丈夫なように、今から色んな人と仲良くしておきましょうよ。まだ早いですけど、二十年後くらいに次の御巫を育ててもいいですし」
 ゲジ国はもうなくなってしまったから、自分たちで育てないと次の巫女がいない。その辺りも考えておかないとなあと悩んでいたら、カイコは静かにこちらを見下ろしてきた。
「ナギは僕が別の御巫といても平気なんだ?」
「それは、ちょっと寂しいですけど……オオゲジサマを独りにしてしまうよりはいいです。今までだって代々別の御巫たちといたわけですし」
 出会ってから、もうすぐ二年。
 短いような長いような時間だけれど、ずっといっしょにいたから正直少し独占欲のようなものもある。できればずっとそばにいたいけれど、こればかりはしかたない。
「……考えておく」
 オオゲジサマが低くつぶやく。
「でも」
 そして、おでこにモフッとしたなにかがふれた。
 羽毛だと気づいたのは、カイコの口がはなれてから。
「僕はナギがいいなぁ。他のだれかがそばにいても、ナギが死んだら僕は寂しくて退屈で死ぬよ。きっとね」
 めずらしく自嘲するような、悲しげな声だった。
「……っ」
 巨大カイコにでこちゅーされた。
 普通なら悲鳴を上げて卒倒しそうな状況のはずなのに。なぜか胸にズキュンときてしまって両手で額を押さえる。
「う、う……」
 いくらフワフワでも虫の羽毛なんて嫌なはずなのに、嫌だと思わなかった自分が怖い。
 美少年のときにドキドキするならまだしも、いま、なんか。
「寂しくて死ぬとか、ウサギですかっ!」
 思考を断ち切るようにしてなんとかさけんだときには、現実の肉体にもどっていた。
「ウサギじゃないわ。プルプルさまよ。死にはしないけど、寂しくさせたら呪っちゃうから」
「えっ、プルプルさま?」
 暗い牢屋にいたはずなのに、辺りは林と化している。
 木陰ごしに暑い日差しがふりそそぐ中、ナギの全身は水にぬれていた。
 正面の上空にはプルプルさまがただよっている。
 赤くそまっていた彼女の身体は元の青にもどっていた。
「倒れてたから私がここまで運んで冷やしてあげたのよ。もっと水いる?」
 オオゲジサマはちゃんと逃げられるだろうか。
 もっと話したいことがあったのにと思うと残念だったが、無事を確認できただけでも良かったのかもしれない。
「お願いします」
 たっぷり水を飲み、ついでに水浴びもさせてもらった。
 さっぱりしたのはいいが、びしょぬれになった服はどうしよう。困っていたら、プルプルさまが手をかざすとすぐに乾いていく。
 服についた血のシミはとれなかったが、身体についていた血がとれてかなり気分が楽になった。
「ありがとうございます。プルプルさま最高です素晴らしいです」
 水浴びできた嬉しさに感激してお礼をいうと、彼女は得意気にふんぞり返った。
「フッ、当たり前のことをいわれたって嬉しくないわ」
 めちゃくちゃ嬉しそうな笑顔でポーズまで決めているが、そういうことにしておこう。
「このお礼はなにをしたらいいでしょうか」
「甘いお菓子とかわいい花束が欲しいわ!」
「プルプルさまは乙女ですね……」
 新たに増えた借金を脳内にしっかり記録し、いつか必ずあげると約束した。
◆

 ナギの魂がさったあと、オオゲジサマは再び竜王の姿へ化けた。
 魔剣をつかみ、使い心地を確かめるようにくるりと回す。片手で持つには大きすぎる剣だが、不思議と少年の手にはよくなじんでいる。
 そのまま一振りすると、魔力で強化された鉄格子はおろか、何重にも封印をかけられていた牢の壁が一瞬で半壊した。
 上の地面も少し削ったらしく、青い空がかすかにのぞく。
 一拍遅れてふってくる瓦礫をながめながら、オオゲジサマはニヤリと口をつり上げた。

◆

 そのころ、竜王は自室でウジウジじめじめしていた。
 豪奢でだだっ広い部屋の床で三角座りする彼を見て、扉を開けて入ってきたドロシーがため息をつく。
「そんなに気になるなら、とっとと会いに行けばよろしいのに」
「我はもう汚れてしまった……合わせる顔がない」
 聞く者によっては誤解を招きそうな発言だが、その意図を知っている彼女はやる気なく肩をすくめた。
「バカバカしい」
「なんだと?」
 アクアグリーンの瞳が鋭くドロシーを射る。
 けれど彼女はまるで動じず、優雅に語りかける。
「竜族を守るためにしたことでしょう? みんな喜んでいますわ。なにを恥じることが?」
 竜王は彼女から視線を外し、地面を見つめながらつぶやいた。
「……目的のためならどこまでも冷酷になれる気がする、自分が恐ろしいのだ。彼女は虫も殺せない優しい俺が好きだといってくれていたのに……これじゃもう、別人だ」
 ドロシーは軽く一歩後ずさって冷や汗をかく。
「また、よくわからない電波なことを……そのかわいい顔に免じて、一つ大切なことを教えてさしあげますわ竜王さま」
「大切なこと?」
 ドロシーはきょとんとする彼の両足をがっしりとつかみ、力ずくでガーッとドアまで引きずった。
「今の貴方を嫌うかどうかはエマが決めるということですわ! 貴方、彼女とは一言も会話したことがないでしょうが!」
「ちょっ、うわまて引きずるなあああああああああああ!」
 竜王があわてて床に爪を立てて抵抗する。
 それはさながらヒッキーな息子と強硬手段に出たおかんの図であった。
 約5分後。
 抵抗をあきらめた竜王がずるずると城の廊下を引きずられていたときのこと。
 激しい物音とともに飛竜が一匹逃げこんできた。
「大変だ! 竜王さまが! 竜王さまが!」
 悲鳴を聞いて周囲からゾロゾロと兵士たちがわいてくる。
 竜王たちも首をかしげて飛竜へよっていった。
「どうかしましたの? 竜王さまならここで元気にボロ雑巾と化していましてよ」
「うむ」
 ドロシーが彼を示すと臣下たちがギャアアアアと悲鳴を上げる。
「竜王さまああああ!?」
「おいたわしい! いったいだれがこんなことを!」
「わたくしがやりましたわ」
「ドロシーにやられた」
「ドロシイイイイイイイイイイイイ! なにやっとんじゃおまえええええ!?」
 怒り狂う一同をよそに、ドロシーはケロッとしている。
「あら、竜王さまはドMだからこれくらい許してくれますわよ」
「いや、エマ相手ならともかく虐げられるのはちょっと……」
 エマならいいのかよ。
 と一同が思ったかどうかはともかく。竜王はホコリを払って立ち上がると、飛竜へたずねる。
「それで、なにがあった?」
 悲鳴を上げる気もそがれてしまったらしく、彼はなんだか普通に答えた。
「あ、はい。竜王さまがご乱心して島を破壊してるんです。同族食べちゃうし、死傷者も出てるし、このままじゃ島が海へ落ちます」
「は?」
 全員の声が一つになった。

◆

 ドガアアアアアアアアッ!
 ずうううんと派手な地響きや破壊音がそこら中から木霊している。
 元凶は島内を素早く飛び回る小さな人影。
 さらりとなびく髪に大きな瞳。つやつやの翼としっぽはアクアグリーンに輝いていて、生きた宝石のようである。
 温厚で元ドジっ子で、今や死神を倒した英雄としてあがめられている竜王その人だ。
 けれど今は幼くも美しい顔に凶悪な笑みを浮かべ、虫殺しを楽しむ子どものように嬉々として大剣をふるっている。
 かつての竜王の骨から作られたという魔剣は、一振りで島の大地を分断していく。
 今や島全体がゆれ、落ちるのは時間の問題。
 ほとんどの竜たちは人型から元の竜型へもどって島を脱出し始めていた。
「どうしちゃったんですか竜王さま! なぜ、こんなことを……!」
 乱心した竜王をなんとか止めようと、島に残っていた精鋭の竜たちが立ちむかう。
 甲冑をつけた巨大な緑色の竜が上空から襲いかかってくる。それを軽く羽ばたいて後ろへかわすと、竜王は剣の一振りで首をはね飛ばした。
「ぐげっ!」
「なぜかって? ナギと下僕に手を出した。僕を閉じこめて退屈にさせた。このごたいそうな剣で標本みたいにもしてくれたよね。まだまだあるけど、一言でいうなら」
 黒い竜が三匹、竜王をとり囲むようにして一斉に跳びかかり、噛みつこうとする。
「この僕が! コケにされっぱなしで黙ってるわけないだろが!」
 竜王が咆哮する。
 回転斬りで三匹の胴体を一刀両断したが、それだけでは飽きたらず、返す剣でそれぞれの頭を粉砕する。
「今ならナギにも止められないし」
 くくっと小さなふくみ笑いとともにつぶやきがもれたが、だれも聞いていない。
 パッと鮮血が舞うのを見て、残りの竜たちの顔は絶望に染まっていた。
 最強の長である竜王に敵うはずがない。
「だ、ダメだ……」
「もう終わりだ……!」
 腕に自信のある竜たちですらすくんでしまい、宙で動けなくなってしまう。
「おまえたちなにをしている! 戦えないのならさっさと逃げろ!」
 その眼前に、美しい緑の閃光が走った。
 竜王の残像である。
 生き残っていた竜たちはとてもマヌケな顔をした。壁画にでも描かれそうな美麗な獣も、こんな表情をするとそこらのわんこと変わらない。
 彼らは自分たちを虐殺していた竜王と、今まさに自分たちをかばった竜王を何度も見つめた。
「竜王さまが……二人!?」