その61


「そいつは偽物だ」
 竜王が偽物から目をはなさずに告げると、竜たちはほっとしたように表情をゆるめた。
「りゅ、竜王さま……!」
「おまえたちは早く逃げろ。まだ島に残っている者がいたらムリヤリにでも連れて行け。いくら竜族でも島の崩壊に巻きこまれたら無事ではすまん」
「良かった! 俺たち信じてましたっ」
「いいから早く行け!」
 ぶわっと涙をまきちらしながらよってこようとする竜たちを叱責し、彼らがあわてて逃げはじめた直後。
 鋭い斬撃が竜王をかすめた。
 青い炎にも似た斬撃の余波はとどまらず、その背後の大地にまで大きな亀裂を入れていく。砕かれた大地のいくつかがはるか下の海へと落ちていった。
「この島、ケーキみたいに六分割にしてやろうか。飾りはもちろんおまえの死体で」
 自分そっくりの姿で偽物はうっすらと笑みを浮かべる。
 およそ普段の自分とはほど遠い表情が気味悪く、つい眉間に力が入る。
「その剣……まさかおまえ、封印していた死神の仲間か」
 確か、オオゲジサマという名だったはず。
「いや、別に仲間じゃないよ。僕はおまえがユルドゥズを殺したことを怒ってるわけじゃない」
「復讐のために暴れているんじゃないのか」
 密かに魔術を構成させながら問うと、オオゲジサマは魔剣をなぐ。
「それ以外のことに怒ってるんだ」
 本音らしく、そう告げる顔からは笑みが消えていた。
 ギィンと耳ざわりな音。
 彼がかすかに目を見開く。
 竜王は刃を両手で受け止め、ギリギリとわしづかみにしてなお無傷でいた。そのまま、刃を睨みつける。
「おい……自分の主もわからないのか?」
 エマのことを考えているときはヘタレなのだが、竜族のメンツに関わるときや戦闘中は少し人格が変わる。どうも歴代の竜王たちや前世の記憶が影響しているようだと自覚はしているのだが、深く考え続けると記憶や人格が混乱して精神崩壊しそうになるので考えるのはやめた。
 まるで動揺しているかのように、魔剣をつつむ淡い光が点滅する。
「偽物にそそのかされるなよ」
 さも本物は自分だとでもいうかのように、オオゲジサマが声をかける。
 魔剣の点滅がさらに早くなった。
「盗人がずうずうしい。おまえにはこの剣をあつかう資格などない」
「おや? てっきりくれたのかと思ったんだけど? 深々と心臓に刺していったからさぁ。痛かったよ、すごく」
 邪悪な笑みを浮かべたまま、オオゲジサマが魔剣を引きぬこうとする。
 竜王の両手がガリガリとすれるが、血の一滴もにじまない。たとえ見分けがついていなくても、魔剣が己の主を傷つけるはずがないのだ。
 怪物とおりこして神の域の二人にぐいぐい取り合いされ、魔剣の点滅はどんどん加速していく。よくみるとかすかに震えていた。泣いていたのかもしれない。
 そして、とうとうこっぱみじんに壊れてしまった。
 主の見分けがつかないなんてプライドが許せず、自殺もとい自壊したのか。はたまた二匹の馬鹿力のせいで物理的な限界に達したのかは謎である。
 「ごめんなさ~い!」といわんばかりにパーンと四方八方へ砕け散っていく魔剣を見て、竜王はつい呆けた。
「ま、魔剣が……」
「あーあ、壊れちゃった」
 が、オオゲジサマの声に我に返る。
 おまえが壊したんだろうがといい返すより速く、腹部に奴の足がめりこむ。
「ぐ……!?」
「もう用なしだからいいけどね」
 オオゲジサマは竜王を蹴っとばして距離を作ると、急降下して大地を強打した。
 竜の島がゆれる。
 直後、鼓膜がおかしくなりそうな轟音と風圧が襲ってきた。
 気まぐれに魔剣をふるっていたように見えたが、ひそかに軌道を計算して亀裂を入れていたのだろう。
 島の大地は六つにわれ、数秒ほど宙に浮き上がってから海へ落下し始めた。
 住居や城は跡形も残らないだろう。が、幸い落下地点は海だし他の生き物たちを巻きぞえにする心配は少ない。
 代々受け継いできた聖域や竜の墓場、城や宝物を失うことになって臣下たちは阿鼻叫喚するだろうが、竜族が生きていればそんなものはどうでもいい。また作ればいい。
 全員、島から逃げるよう命じたので残っている者はいないはずだ。
 浮き上がった瓦礫で埋めつくされた視界の中、竜王は近くの瓦礫をたたき落としながら上空を移動してオオゲジサマを探す。
 不意に接近してきた気配を反射的に爪で切り裂こうとした。
 が、すんでのところで動きを止める。
「竜王さま!」
 ほとんど戦闘力のない小さな緑色の飛竜。
 人間よりは頑丈だとはいえ、腕一本失うと再生に一年はかかる。それくらい竜族の中ではひ弱なので、瓦礫に当たるだけでも相当危ない。一番に逃げなければいけないくらいなのに、それどころか飛竜は必死に瓦礫を避けながら近づいてくる。
「おまえは……確かリコリスといったか。どうした!? なぜ逃げない」
 オオゲジサマは自在に姿を変えられるようだ。
 もしや奴が化けているのではと警戒したが、彼女の一言を聞いて頭がまっ白になってしまう。
「エマが、エマが逃げようとしないんです!」
「……ムリヤリにでも連れて逃げろと命じたはずだ」
 飛び散った瓦礫はまだ収まらない。自分と彼女の周囲の瓦礫を片づけながらいうが、リコリスは首をふる。
「それが、木といっしょに死んでもかまわないなんていって死に物狂いで抵抗して……私だけじゃムリだから、他の竜にも協力してもらってもひどく暴れるし……とうとうみんなエマを置いて逃げてしまいました。私も、これ以上は……どうかエマをお助けください!」
「わかった。一人で逃げられるか?」
「いそがしいのはわかっていますが……えっ」
 断られるとでも思っていたのか、拍子ぬけしたようにリコリスがぽかんとする。
「は、はい! いま案内します!」
 くるりと背をむけたその後ろ首をネコの子のようにつかみ、竜王が告げる。
「いやいい。木の場所ならわかる。しっかり逃げろよ」
 リコリスは空のかなたへと投げ飛ばされた。
 風車よろしく高速回転して悲鳴を上げていたが、その内速度が弱まってくれば自力で飛べるだろう。
 六分割されて空中落下している最中とはいえ、だいたいの場所は変わらない。
 宙にさらに細かく分解し、四散していく瓦礫や大地、家などが竜巻のように飛びかう中。いつもの場所から少し斜めにズレた辺りで、エマは木にしがみついて落下していた。竜の姿にさえなっておらず、人型のままである。乱れた長い亜麻色の髪に、ぎゅっと閉じられた大きな瞳。しなやかな身体は重力と風でなぶられてゆれている。自殺行為にしか見えないその姿にどうしようもない怒りを覚えて、竜王は叱責した。
「このバカ! なぜ飛ばない!?」
 不意打ちで怒鳴られておどろいたらしく、エマの全身がびくりとはねる。けれど、目が合うとよりいっそう木にしがみついてしまう。
「ほうっておいてください!」
 エマはたれ目を一生懸命つり上げてこちらを睨む。その愛らしさについきゅんとしそうになるが、そんな場合ではない。
「ほうっておけるか!」
 この暴風の前では足の方が速そうだ。
 竜王は翼をたたむと、いくつかの瓦礫を蹴って彼女に接近する。
「死んだ夫と約束したんです! この木に誓ってまた会いに来るって……っ竜に生まれ変わって、来てくれるって!」
「……」
 竜王の胸にすさまじい罪悪感がグサリと刺さる。
 心当たりがありすぎる。
 はじめて自覚したのはいつだっただろうか。単なる一目惚れだと思っていたけれど、成長するにつれ少しずつ記憶を思い出していき、今ではすっかりわかっている。
 歴代の竜王たちの記憶と混じったせいか、だいぶ性格が変わってしまったが……他ならぬ竜王の前世が彼女の夫なのである。
「いや、その……そんなにその木が大事なら、抱えて逃げればいいだろう?」
 冷や汗だらだらで説得するが、エマは瞳をかげらせた。
「……もう、まつのに疲れたんです。ここでこの木と死ぬならそれでいい」
 かれこれ300年以上だ。長命の竜とはいえイヤにもなるだろう。
 それなら忘れてくれてよかったのに。彼女は律儀にまち続けて疲れてしまったのか。
「……」
 竜王は表情をゆるめると、さらにエマへ近づいた。
 木からはなされるのかと彼女が警戒する。が、竜王はかまわずおだやかに微笑んだ。
「なら、俺もいっしょに死ぬ」
 そのままエマを抱きしめると、あわてたように彼女がみじろぎした。
「竜王さま!?」
 前世とちがっていまは少年の身体だから、エマの方が少し大きい。それがなんだかおかしくて、寂しい。けれど暖かくてやわらかい感触が懐かしかった。
「なにす……っ」
「約束しただろ。今度生まれ変わったらおまえを一人にしないって」
「え?」
 エマが抵抗をやめ、目をまん丸にしてこちらを見下ろす。
「長い間またせて悪かった」
 その目尻にじわじわと液体がたまり、ポロっとこぼれた。
「ぽち!」
 ぎゅうっと抱きしめ返されて、竜王は懐かしさに目を細める。
 元々はちゃんとした名前をもつ、商人の息子だった。けれど旅の途中に盗賊に襲われ、一家が全滅した。生き残ったのは自分一人。瀕死で平原に横たわっていたところ、島を抜けだして散歩していたエマに拾われた。
 最初は本当にペットあつかいだったのだが、まさか人間に”ぽち”と名づける女と結婚するとは夢にも思わなかった。
 今ではこの名も気に入っているが。
 話している間にどれくらいの勢いで落下していたのだろう。気づけばもう眼前が海だった。
 もう逃げる暇はない。
 海にたたきつけられた後に山のように襲ってくる瓦礫を予期して、竜王はできる限りエマをかばうように抱きしめた。