その62
六分割された竜の島は大きな大きな水しぶきを上げて海へと沈み、辺りのいくつかの国が津波に襲われた。瓦礫や大地が小隕石のごとく落ち、そのたびに嵐のように荒れていた海面がようやく静かになったころ。
なにもなかった海に点々と、いくつかの小島が並ぶように浮かんでいた。
どこにあるのかわからないとされていた”竜の島”が世界に姿をあらわした瞬間である。
空に浮かんでいたころの原型はなく、現時点では住人が一人もいない。その島々を、上空からながめる人影があった。
「あれ? もしかして竜王死んだ?」
いまだ竜王の姿のままのオオゲジサマである。
島を粉々にされて怒り心頭の竜王をからかいながらなぶり殺すつもりだったのだが、どうもアテが外れたようだ。
周囲に動く気配はない。
オオゲジサマはつまらなそうに舌打ちし、どこかへ飛び立とうとした。
が、すぐにピタリと動きを止める。
「そういえば、ナギって今どこにいるんだっけ」
◆
実はナギも同じことを考えていた。
幽体離脱したときにおたがいの現在地を伝えておけば良かった、と。
まあすんだことはしかたない。とりあえず生きているのは確認できたし、むこうも探してくれるだろう。ならば今することは決まっている。
当初の予定通り、追手から逃げながら仲間を探す。
いいかげん屋根のある所で寝たいという下心も混ざりつつ、ナギはさくさく足を進めた。
荷物や装備が整っている状態ならばともかく、丸腰の野宿はなかなかつらい。
空腹状態で走るとまた倒れるので徒歩ではあるが、そのかいあってか翌日の夕方にはつくことができた。
が、町の中へ入れない。
ここでもすでにナギが逃げたことが知られているらしく、入り口で厳しく検問が行われているのだ。
門の前にはいかつい兵士たち4,5人と魔術師らしき者が1人。彼らとなんやかんや話し、荷物検査を受けた者だけが中へ入っていく。門の外にはその検問をまつ者たちのそこそこ長い列ができていた。
ふつうここまで厳しくとりしまるのはよほどの大国か、治安の悪いところくらい。個人の旅人ならほとんどの国や町は審査なしで入れるから、検問対策はまるで考えていなかった。
どうしたものか。
食べられる野草をちまちま齧りながら、ナギは近くの林に身をひそめた。
ちなみにこの野草。小枝のようなひょろっとした棒状で実はなく、茎の部分を生で食べる。やたらすっぱいし腹にたまらなくてまずいのだが、そのすっぱいのが美容と健康に良く、都では薬として高値で売られている。
そうヨウに聞いたのを思い出して食べてみたのだ。案外、癖になる。
「盗賊に家族が殺されて、命からがら逃げてきたんです。孤児です」
と主張して真正面から検問を受けるのはどうだろう。ウソはいっていないし服の血染みもごまかせる。
……死神の仲間が子どもだったことも知られているだろうし、詳しく調べられるのは避けられない。バレたらその場で殺されそうだ。
こんな所であの風を使ったら無害な町の住人たちまで殺してしまうから、あれは使えない。
どこかにぬけ穴でもあればいいのだが。
2本目の野草に手をのばしたとき、突然男の怒鳴り声がひびいてナギはビクッと数センチ飛んだ。
「あんた魔術師なんだろ!? なんで娘を看てくれねえんだよ!」
商人でも貴族でもない。なにか用事でもあって出かけていた平民だろうか。イノシシのようなごつい大男が検問中の兵士たちに食ってかかる。
「おい、おまえ! 順番を守らんか! 次は俺の番だ」
だいぶ検問でまたされていたらしい剣士が怒鳴り返す。
「魔術師殿と話したければ後ろへ並べ!」
「なにも命がかかっているわけではないのだろう? 我慢させろ!」
兵士たちも口々にさけび、一気に門がさわがしくなる。
審査まちの者たちは男に同情的なものもあり、迷惑そうにする者もありと様々だ。
「俺の娘が苦しんでるっつってんだろ!」
邪魔そうにする待機列の剣士をおしのけ、門へ駆けようとした大男を兵士たちが数人がかりで止めに入った。
「いいかげんにしろ! これ以上暴れるならたたっ斬るぞ!」
鈍い銀色の切っ先をむけられ、大男がくやしそうに歯噛みする。
そこへ、今までだまって門壁にもたれかかっていた魔術師が近よっていく。
「グスタフさま……!?」
まさか、とでもいうかのように兵士たちの表情が驚愕にそまる。
魔術師らしいずるっとした黒ずくめの服に、くせっ毛なのかくるくるはねている紫の髪。同じ色の瞳は人形みたいに見開かれていて、なんか怖い。
美しくもなく醜くくもない顔は、見るからに変わった人という雰囲気をまとっていて、いったい何歳なのかわからない。
大人なことは確かだが、若いような年よりなような、よくわからないたたずまいなのだ。まるで影そのものだ。
「魔術師さま! うちの娘が急に頭が痛いといって……」
さっきまで激高していた大男はほっとしたように笑顔を浮かべる。
グスタフと呼ばれた魔術師ははりつけたような笑みで告げた。
「どの子?」
「あの木陰で休ませてるんだ。いま連れてくる」
「ああ、いいよ。このまま私がついて行ったほうが早そうだ」
グスタフはそういうと、なぜか「ウソだろ!?」という顔をしている兵士たちにひらひら手をふる。
「すぐもどるから検問は続けておいて。なにかあったら呼んでください?」
どうやら、丸く収まったようでなによりだ。
ざわついていた周囲もやがて静かになり、ナギがまた野草をポリポリやっていたとき。
「ふざけるな!」
少しはなれた木陰で、さっきのおじさんがまた怒鳴りはじめた。
よく聞こえないが、顔をまっかにしてグスタフに抗議している。
今度はどーした。
ちょっと気になったので、茂みの中をひそかに移動し、彼らに近づく。
「妥当な見返りだと思うけど? 私はこれでも忙しいんだ」
「だからって、娘を実験台にさし出せなんざ……鬼かあんた! 助けてもらう意味がないじゃねーか!」
そしてなんとなく察した。
魔術師や呪い師という人種はとかく実験がお好きらしい。
以前パスカルに聞いてみたことがあるが、「人で試さなければわからないことも多いんだよ。俺は自分で試してるけどね」と苦笑していたっけ。
やいのやいのと二人がもめる中、彼の背後に女の子を見つけた。
大男の娘だろう。木にもたれてすわりこんだまま青白い顔でうつむいている。同い年くらいだ。ながめていたら、彼女の頭に妙なものを見つけた。
双葉?
植物の芽らしきものが頭から直に生えている。
「イッパイソダツゾーイッパイソダツゾー」
しかもなんか歌ってる。
彼女はその声に気づいた様子もなく、不安そうな顔で父とグスタフを見守っていた。
「……」
ナギは周囲をうかがい、グスタフたちがこちらを見ていない隙に少女に近づく。
「あの、頭に変なのついてますよ」
そっと声をかけると、彼女はおどろいたようにこちらをふり返った。
「えっ?」
不思議そうに自分の頭にあちこち手をやり、草にふれるが気づかない。
「ここに……」
いいながらナギが手をのばすと、いきなり双葉がビビッと震えて絶叫した。
「キイヤアアアアアタベナイデエエエエ!」
おどろいて手を引っこめるが、よほど怖かったらしい。魔物はぴょんと高く飛びはねた。そのとたん少女の頭から10センチくらいの根っこがずるっと出てきて、思わず鳥肌が立つ。根に血がついていなくて良かった。
そんな一瞬の隙に、
「タベナイデエエエエ!」
双葉はそのままぴょんぴょんはねて逃げていった。
食べない食べない、ぜったい食べない。
かすかに首をふりながら魔物を見送っていたら、
「なんだか急に頭が痛くなくなったわ」
少女がハッとしてつぶやく。
「もしかしてあなたが治してくれたの?」
「ええと……たぶん」
うなずいて、ひやっと背中が寒くなる。
まだ熱弁をふるっている大男をよそに、こっちをじーっと見ているグスタフと目が合ってしまったからだ。
「それじゃ、私はこれで」
走るとますます怪しまれそうなので、わざとゆっくり、検問の方へ歩いて行く。検問を受けるふりをして、注意がそれたらまた林にでも逃げよう。
そんなつもりだったのだが、気がつくとナギは宙を歩いていた。
グスタフに首ねっこつかまれ、持ち上げられていたのである。
「おちびちゃん、魔物みえてます?」
魔物には人に見えるものと見えないものがある。さっきのは魔力や呪力がないと見えないものだったと彼はいった。
「十歳前後、女、呪い師……逃亡中の死神の手下だったりするのかな?」