その63


「さて、おちびちゃん。私にどうして欲しいですか?」
 焼死か溺死か刺殺か。
 お好きなものをどうぞといわれ、ナギはおそるおそる口を開く。
「はなしてください。人ちがいです」
「じゃあ絞殺で」
 ダメだこの人、話を聞く気がない。
 すとんと地面に下ろされたとたんに片手で首をしめられ、背筋が冷える。
 このまま首を折られるんじゃないかというくらいの痛みが走った瞬間。カマイタチのように鋭い水がグスタフの腕を切り裂いた。
「お礼はケーキでいいわよ。チョコレートのやつね」
 前より小さくなり、親指くらいになってしまったプルプルさまが浮かんでいた。
「ゲホッ……けえきとはなんですか?」
 最近だいぶ外国語にもなれてきたが、まだ知らない単語だ。
 首が解放され、後ずさりながらつい問う。
 が、彼女が答えるより先にグスタフの背後に水色の人影があらわれた。
 白目がなく、動物のような楕円形の瞳。長い髪の合間には魚のヒレのような耳がのぞいている。なのに顔や上半身は人間の女性そっくりで、下半身は魚。
 宙にただよう人魚の全身はプルプルさまと同じく、水でできていた。
「きゃああっ!?」
 パアンと不吉な音がひびく。
 同時にプルプルさまの小さな体はただの水にもどり、辺りにはじけ飛んだ。
「プルプルさま!?」
 グスタフも人魚もなにもしていない。
 ただ見ていただけなのに……。
「なにをしたんですか?」
「下位の精霊が高位の精霊に逆らうとそうなるんですよ? 同属性ならなおさらね」
 彼は血の流れる腕で人魚の髪を軽くなでる。
 人魚が彼の傷口をなで返すと、跡形もなく傷が消えた。
「死んで……しまったんですか?」
 彼女が落ちた地面をなでるが、指先が少しぬれただけだった。
「ダイジョブですよー? これくらいで消滅はしないから、時間が経てば復活する。まあ君はここで死ぬけど」
 その言葉に少しだけほっとする。仲間に死なれるのは辛い。
 グスタフの声に反応したように、人魚の暗い瞳がこちらを見すえる。
 殺気に鳥肌を立てながら、ナギは唇をかんだ。
「……殺させないでください」
「うん?」
「殺されるくらいなら、私はここであなたも町の人もみんな殺して逃げます。でもできるだけそれはしたくないんです。殺させないでください」
 彼は静かに失笑する。
 なにか攻撃がくる気配がして、ナギは少しだけ風の力を開放した。使うと本当に町の住人たちまで皆殺しにしてしまうので、一瞬だけフタを開けたようなものである。
 たったそれだけで、周囲のすべてがふき飛んだ。
 竜巻の目のようにナギだけを残し。草木はもちろんグスタフ、兵士たち、検問まちの人たち、大男、女の子……みんな数メートルほど飛び、目を丸くしている。
 兵士たちはすぐ体勢を立てなおして騒ぎ出したが、関係ない人々まで巻きこんでしまったのが申し訳なかった。ケガをしていないといいが。
「……腕一本、犠牲にしてでも殺しておくべきだったかな」
 少しはなれた地面に膝をついたまま、グスタフがいう。
 この隙に走って逃げたところで、ナギの足ではすぐ捕まってしまう。だからあえてその場に留まっていた。
「見逃してくれますか?」
「ダメです」
「殺しますよ」
「どうかな。君は人を殺せないタイプだと思うけど?」
 グスタフは軽くほこりを払って立ち上がると、ゆったりとこちらへ近づいてくる。背後では周囲がざわめく声が雑音のように遠く聞こえていた。
 ナギたちがなにかしていることには気づいていても、とても口をはさめないのだろう。
 いつのまにか人魚は消えているが、二人の周囲にはうすら寒くなるような空気が濃厚にただよっていた。きっとこれが魔力の気配なのだろう。
「すでに何人も殺しています」
 思わずナギが視線をそらしたとたん、
「でも迷いがある」
 グスタフが素早くその腕をとらえて引きよせた。
「あっ」
「ほら、捕まえた」
 さーっと血の気が引いて、ナギは早口で告げる。
「私を殺すことはできるかもしれませんが、死ぬ前にぜったい道づれにしてやりますからね!」
 はなせはなせと暴れると、彼はにんまり微笑んだ。
「そういうと思った。だからね、こうしましょう? 間をとって幽閉ということで」
「えっ?」
 捕まってしまったものの、殺意のない相手を殺す気になれない。まして一般市民も巻きぞえになるならなおのこと。
 それを見透かしての提案だったのだろう。
 呆然としている間にナギは半ば引きずるように連行され、さっさと馬にのせられる。周りをがっちり兵士たちに囲まれたかと思うと、あんなに苦労して移動した距離をわずか2時間で逆もどり。けっきょく元いた牢屋の近く、高い塔の最上階へと幽閉されてしまった。
「あの……なんでこんな待遇いいんですかね」
 トイレ風呂つきベッドと窓あり二部屋。ただし逃げ場なし。
 あやしさ爆発なのだが、風呂の魅力にはあらがえず。
 「ちょっと手続きしてきます。4時間くらいもどってきませんから、自由に使っていいですよ?」と一人残された隙に、ちゃっかり風呂に入って用意されていた服に着替えてしまった。
 血の匂いがしない服ってサイコー、お風呂サイコーである。
 夕方くらいにもどってきたグスタフとむかい合ってソファにすわり。出されたお茶を見ていたら、彼はのほほんといった。
「ここは元々囚人用の牢じゃなくて、看守たちの宿直部屋だから」
 その割にはなかなか良い部屋だ。けっこう大きな国なのだろうか。
「そういうことではなくて」
「過去の実験によるとね。囚人を劣悪な状況へおくと反発して脱獄者が増えるけれど、良い環境におくとだれも脱獄しないらしいんです?」
「それはそうでしょうけど、それって罰にならないのでは?」
 グスタフは見開いたままの両目でこちらをじーと見ながら、こともなげにいう。
「今回の場合、被害の拡大さえ防げれば罰にならなくていいんですよ? 国の偉い人が上手い処刑法を見つけるまで、お嬢さんにはここで大人しくしてて欲しいだけなので」
「なるほど。殺すまでの猶予期間、というわけですか。でも、毒入りのお茶なんて出されたらますます逃げたくなるんですけど」
 ナギは白い目で彼を見つめ返す。
 二人とも、テーブルに置かれたお茶にまったく手をつけていなかった。
 ちなみに、双子から毒入りの見分け方は少しずつ学んでいる。まだまだ気づけないことの方が多いのだが、さすがにこの紅茶は薬くさすぎた。石鹸みたいだ。
「毒、いいですよ? ギロチンや投石より痛くなくて」
「この塔いいですね。巻きぞえになる人間が少ないので、私も躊躇なく風を使えそうです」
「あはははははははは」
「フフフフフフフフフ」
 うっかり熟睡なんてしようものなら寝首をかかれそう。
 ひそかに背中を冷や汗が伝っていた。

◆

 隣町。
 ナギが連れさられた少し後、頭が痛いといっていた少女は父の袖を引いた。
「お父さん、あの子どうなるの?」
「む」
 大男はいかつい顔をへの字に曲げ、押し黙る。
 正直、なにがなんだかさっぱりなので、聞かれても答えられない。魔術師に娘を治してくれとごねていたら、ひょっこり現れた小娘と魔術師がいい争いを始め、暴風がふき荒れた。
 その後。門にわずかな兵士を残し、ほとんどの兵を率いて魔術師が少女を連行していった。
 まったくもってわからないことだらけだが、父にとっては娘が無事ならそれで良いのである。……連れて行かれた少女が治してくれたというのが気にかかるが。
「あの女の子、魔物の仲間だったらしいじゃないか。そりゃ処刑だろうよ」
 返答に困っていたら、同じように検問まちの列に並んでいた男が口を出す。
「ああ、あの死神の残党だろ!? 脱獄してたっていう……怖い怖い、きっと正体は醜いバケモノだろうよ。小さな女の子に化けるなんて、あざといことをする」
「魔術師さまがいなかったら、あたしら食われてたのかしら……」
 他の人々も同様に肩を震わせている。
 その勢いに気圧されそうになりながら、少女は訴えた。
「でっでも、あの子私を助けてくれたの。魔術師さまは見返りに実験台になれといったけれど。あの子は挨拶でもするみたいに、すごく気軽に……魔物がそんなことするかしら」
「魔術師さまが間違えたっていうのか? バカなこというな! 不敬罪でとっ捕まるぞ」
 怒鳴られて少女がびくりと父の影にかくれる。
 大男は娘をかばってやりたいものの、魔物をかばうのは良くないことだとわかっているので黙っていた。
「そんなこといってない……でも、死神ってそんなに悪い竜だったのかな。あの子の仲間なら、そんなに」
 少女は最後までいえずに息をのむ。
 周囲の目が急に得たいの知れないバケモノを見る目に変わったからだ。
「妙に死神をかばうな」
「おい……あの娘、もしかして」
「そういえば年ごろも同じくらいだ」
「死神の仲間?」
 一同の猜疑心や恐怖が殺意に変わりかけた瞬間、大男が怒鳴った。
「すまんな! うちの娘はちょっと錯乱しているようだ! 俺たちが怪しいかどうかは検問を受ければハッキリする! さっさと前に進んでくれんか? 俺はとっとと便所に行きたいんだ!」
「う、うるせえな。大声だすなよ」
「チッ」
 とまどいながらも、一同があわてて列へともどっていく。
「……」
 涙を浮かべながらうつむく少女の頭を、父がぽんとなでた。
「おまえを助けてくれたんだから、良い子に決まってるよ」
 小さくいわれたその言葉に、娘の顔がほんの少しだけ明るくなる。
「うん!」
 殺すだの殺さないだの、ものすごく物騒な会話してたからいまいち信用できないんだけどな。
 などという本音はとてもいえなかった。