その64


 村は壊滅状態だった。
 立ち並ぶ家のほとんどは壊され、一部に火がついて燃えている。道端には魔物に食い散らかされた死体がいくつも散らばっていた。
 血と獣とこげた匂いの立ちこめる闇夜の中。生き残った村人たちはなすすべもなくおびえていた。
 生きながら食われて悲鳴を上げ続ける。
 立ちすくみ、涙をながす。
 逃げられないと察し、子どもたちを抱きしめてうずくまる。
 運良く村の外まで逃げられた少数をのぞき。100人ほどがだいたいそんな行動をとっていたが、今もなお死体を食らう魔物に立ちむかう者はいない。
 魔物が現れてすぐ、村の男たち50人ほどが一斉に襲いかかったのに瞬殺され、心が折れてしまったのだ。一撃で夫の首を飛ばされた女などは、生首を抱きかかえてうずくまったまま、もうピクリともしない。その婦人も背中から襲われ、地面を赤くそめた。
 それは奇妙でいびつなクモだった。
 足が人間の太ももほどもあり、本数が多すぎて小さな頭部と胴体が埋もれてしまっている。
 名前はアシグモ。本来は人里はなれた山奥などに生息し、影にひそんで旅人や動物などを食べる魔物だ。それがなぜ村を襲ったかというと、村人の一人が山でアシグモの卵を見つけ、宝石と間違えて持ち帰ってしまったのである。
 孵化したアシグモたちは人間をたらふく食べて急成長し、死体に卵を産みつけた。山奥であれば一人二人の犠牲だけですんだのだが、村の中にはご馳走であり産卵床でもある人間たちが豊富にいる。
 わずか一時間で孵化するアシグモはネズミ算式に増え続け、村をおおいつくしていく。
 生き残った村人の一部は身をよせ合って固まり、教会へ立てこもっていた。
 内側からカギをかけ、家具などで厳重に封鎖されたその扉へ、外から少女が駆けよってくる。
「開けて! 開けてぇっ!」
 半狂乱で扉をたたく。かつて村一番の美少女と称されたその顔は、涙とすすでぐしゃぐしゃに汚れていた。瓦礫かなにかで引っかけたのか、大きく裂けたスカートからほっそりした足が露出している。左足のひざから血を流していて、軽く引きずるようにして歩いていた。
 けれど、中からは返事がない。
 教会に立てこもった人々は死人のように青ざめ、震えながらもじっと息を殺していた。
「お願い、開けて……! 助けてっ!」
 少女の絶叫が木霊するが、アシグモたちがわらわらと集まってくるだけで、中の人間が身動きするような気配はない。かすかに「すまん……」とつぶやく声だけがして、少女は床に崩れ落ちた。
「そんな……っ」
 腰がぬけて立てない。思わず両手で顔をおおった。
 背後から少女の前に大きな影がさす。
 アシグモが襲いかかってきたのだと悟り、ぎゅっと両目をつむる。ブシャーッと液体が飛び散る音がして、もしや自分の血かと腰が震えた。けれど痛みはなく、ひたすら音だけが続く。風を斬る音が1つしたかと思うと、液体がしぶく音が4つ5つくらい連続でひびく。
 ジャリッ、と土を踏むブーツの音がした。
 まさか人間がいるとは思いもしなくて、反射的に少女がふり返る。
 この時の光景はきっと生涯忘れない。
 煌々と赤く燃える町並みの中。黒い影のように村をおおっていた醜いアシグモをいともたやすく斬り殺していく青年がそこにいた。
 彼が手にした剣には見覚えがある。魔物にやられた村人がもっていたものだ。武器がなく、落ちていたのをしかたなく拾ったのだろう。安物の短剣は早くも刃こぼれしていて、今にも折れそうだ。
 なのに、彼の一太刀でアシグモの太い足が面白いように飛んで行く。頭を潰されて紫の体液をまき散らす魔物を見上げながら、魔法みたいだと少女は思った。
 アシグモの攻撃を一度でも受ければ身体も剣も保たないからだろう。攻撃された時はすべてかわし、ひたすら攻撃のみに青年は剣を振るう。
 宿屋から着のみ着のままで飛び出してきたのか。彼はかなり軽装で、服が破れているがケガ一つない。すらりとした体躯は鍛えられ、引き締まっている。癖のない黒髪がさらりとなびき、かすかに横顔が見えた。
 鮮やかな青い瞳。すっと通った鼻筋に整った眉。真一文字に閉じた唇。中性的な顔だちながらも凛として、他者をよせつけない雰囲気がただよっている。
 名も知らぬよそ者が次々にアシグモを蹴散らしていく光景を、少女は神に出会ったかのような思いでいつまでもながめ続けていた。
 永久に続くのではないかとすら思われたが、終わりは突然おとずれた。
 朝日が上った瞬間、アシグモたちが一斉に灰と化したのである。
 この弱点こそがアシグモが陽の届かない山奥にしか生息していない理由なのだが、それを知らない二人はしばし呆然と立ちつくした。
 やがて青年は少女へ近づくと、
「悪いが、手当する道具は持ってない。後でだれかに消毒してもらってくれ」
 元々破れていた自分の服をさらに破って少女の足を止血した。
「あ、あの……」
 まっかになってモジモジする少女を一瞥して、青年は察したようにうなずく。
「村の反対側には弟が救助に行ったから、まだ生き残りがいるはずだ。中の連中が頼りにならないなら、そっちまで連れて行ってやる」
 少女は一瞬「え?」という顔をしたが、やがて蚊の鳴くような声で「お願いします」とつぶやく。
 村が太陽で明るく照らしだされ、青空がのぞいても教会の扉は固く閉ざされたままだった。
 青年が彼女へ両手をのばし、途中でなぜか動きを止める。
「あの、なにか……?」
「……いつもの癖が出た」
 子犬を抱き上げるような格好だったそれから少し体勢を変え、地面に片膝をついて少女を横むきに抱き上げる。
 青年はそのまま瓦礫や死体で荒れ果てた村をスタスタ歩き始めた。
 少女は喜ぶ余裕もなく、ショックに打ち震えていた。
 彼にはいつも抱き上げるような女の子がいる。
 しかもその子は自分よりも細くて軽いらしい。
 少女はけして太っていない。年ごろの乙女として理想的な体型である。
 けれど体勢を変えて膝までつかれると、遠回しに「おまえ重そうだからこうでもしないと持ち上げられないだろ」といわれたようで、乙女心が微妙に傷ついたのである。
 無論、青年にそんな他意はなく。
 実は比較対象が子どもだったりするのだが、彼女は知らない。
 伝わってくる体温にときめきつつ、傷心中でもあり。半ば呆然としていた少女はやっと我に返った。
「なにからなにまですみません! な、なんてお礼をすればいいか……私にできることならなんでもします。なんなりといってください」
 至近距離で見上げる青年の顔にぽーっとなりながら伝えると、彼は少し考える素振りをして口を開く。
「じゃあ、一つ聞きたい」
「はい」
 少女の愛らしい瞳がほんの少し期待に輝く中、青年は真剣な面持ちでたずねた。
「ここはどこだ?」

◆

 そのころ、グスタフは。
 忌まわしい魔女をとっとと処分しろ、と王にせっつかれていた。
「また脱走して被害者が出たら、おまえに責任がとれるのか? 頼みの綱の竜族が行方しれずとなった今、世界の平和はおまえにかかっているんだぞ」
 ジャクセン国の王宮、謁見の間。
 豪奢な広間で王と対峙し、グスタフはポリポリ頭をかいた。
「私、単なる魔術師のはしくれですので。勇者になった覚えはないですよ?」
「じゃあ今、おまえを勇者に任命するから。魔術師と兼任でいいからやってくれ。うちの国民はおろか、世界中から注目されているんだぞ! 極悪犯をいつまで生かしておくつもりかってな!」
 現在、三十路ほどの国王は気がぬけるとその辺の若者みたいな言葉づかいをする。
 前王が退位してまだ間もないので、いまだに王子気分がぬけていないようだ。
「その場の気分でけったいな称号つけるの勘弁してください? やれることはやってるつもりなんですけどね。殺そうとすると自爆して周囲も巻きこむっていうので、あの子。処分方法は参謀と相談してください?」
「おまえが参謀だろうが!」
 王に指摘され、グスタフが見開いたままだった両目をパチリとまばたく。
「そうでしたっけ?」
 王は諦めたようにため息をつき、玉座に頬杖をつく。
「前の参謀が戦で死んで、おまえが繰り上がっただろう」
「あー……どおりで。最近、会議に呼ばれる回数が増えてうっとうしいと思ってたんです?」
 口をはさまず、だまって控えている周囲の臣下たちが顔面をひくひくと引きつらせる。怒り、笑い、呆れ。様々である。
 王がゴホンと咳払いし、左目につけた片メガネを光らせる。
「まあ、それはともかく。……必要とあらば、おまえの判断で兵士を見つくろって使ってもいいんだぞ? 今までもそうしてきただろう?」
 兵士を捨て駒にして魔女を殺せ。
 暗にそう告げられて、グスタフは無言で笑みを浮かべた。
 それを見て、王がつけ加える。
「今月中に処分できなければ、おまえの研究費用を打ち切るからな」
「今週中に片づけます」
 笑みを引っこめ、心なしかキリッとして魔術師は宣言した。

◆

 謁見の間を後にして、広く長い廊下を歩いていたとき。
 グスタフは別の宮廷魔術師に声をかけられた。
 いつぞやナギを尋問していた魔術師で、グスタフはそのときの報告書を読んだことがある。
「どうしてあの娘に自白術をかけてしまわないのですか? あなたにならたやすいはず」
「そうでもないですよ? 空間移動系は得意だけれど、どうも精神操作系は苦手でね」
「しかし、過去に使ったこともあったでしょう!」
 すべて吐かせ、傀儡にしてから殺してしまえという男にグスタフは肩をすくめる。
「なんだか私にはね、あのおちびさんが極悪人の仲間のようには思えないんですよ。血も涙もない悪魔のようなガキならいざしらず。その辺にいそうな子どもをらりぱっぱにしてしまうなんて、気分悪いじゃないですか? 命令だから殺そうとはしていますけど、本来私は女子どもを殺すの嫌いですしねぇ」
 魔術師は不満げに鼻白む。
「人体実験推進派のグスタフ殿とは思えぬセリフですね」
「心外ですね? 私は人体実験のときも常に被験体の意思と人権を尊重してますよ? 意思のない人間で試すなら死体で十分ですからね。どこが痛いとか、ちゃんと教えてくれないと」
「我が国に死神を擁護するような輩がいるとは思わなかった!」
 彼はかんしゃくをおこして立ちさってしまった。
 死神に親でも殺されていたのかもしれない。
 グスタフはそれを見送り、
「死神を~、擁護する気はないけど、おまえは嫌い~」
 鼻歌交じりに歩き出した。