その66


 ヨーゼフはフィロスを閉じこめたまま、地下を厳重に封鎖しました。
 ひそかに魔術師を呼んで呪いまでかけて開かずの間とし、人が近づくことを固く禁じます。
 あんなに綺麗で立派だった獣を汚い醜悪な化け物へ変えてしまった。
 これを知られたら、人々はヨーゼフを軽蔑し、許さないでしょう。
 特に彼の父親はヨーゼフから王位継承権を剥奪し、弟を王にするというかもしれません。
 まさかとは思いますが、処刑されてしまうことだってありえます。
 それほど大切な神獣ですが、己の罪が暴かれるくらいならこのまま地下で静かに死んで欲しいとすら思っていました。
 幼いころからの努力がようやく実を結び、最近の彼の評判はとても良いものです。臣下や民に優しく気さくで、公平な判断をする跡継ぎ。そんな地位を失いたくはなかったのです。
 ヨーゼフは夜中に父の部屋をたずね、人払いをしてから震える声でウソをつきました。
「フィロスは寿命で死に、灰になって消えてしまった」
 と。
 直後、彼は壁へふっ飛ばされ、何度かはねて床へ倒れました。
 父に殴られたのです。前歯が何本か折れたらしく、だらだらと口から血が流れていきます。
「おまえが殺したのだな」
 殺気すら秘めた、静かな怒声。
 ウソはあっさり見破られていました。
 ヨーゼフは絶望しましたが、すぐに周囲を見わたし。改めてだれもいないことを確かめると、泣きじゃくって謝り続けました。
 いそがしくて魔がさした、殺さないで、だれにも言わないで、王位継承権はそのままにして。
 いい訳と自己弁護の嵐でしたが、優しい父には通用したようです。
「他の者には寿命で亡くなったと伝えておこう。王位継承権もそのままでいい。……ただし、おまえは生涯フィロスさまに謝り続けて生きるのだ。たかが王族の血を引いているだけのバカ息子より、長年国に仕えた神獣さまの命の方がよほど尊くて重いのだと知れ。おまえがフィロスさまを忘れたときは、俺がおまえを殺してやる」
 次代の王として教育や鍛錬をしていたとはいえ、それなりに甘やかされて育ってきたヨーゼフです。
 父にとって息子よりも神獣の方が大切だといわれたことに少なからず傷ついていましたが、同時に心の中ではほくそ笑んでいました。
 フィロスがまだ地下で生きていることまでは、バレなかったからです。
 それからヨーゼフは毎朝、フィロスを型どった神像へ謝罪の祈りをささげました。一方で、地下にいる本物のフィロスのことは無視し、放置し続けるといういびつな日々を送ってきたのです。
 彼はだれよりも働き、だれよりも良い王であろうと努力し続けました。彼は自分で思っているほどあまり賢くはありませんでしたが、これといった遊びもせず、ただただひたすら国のためにつくす姿は、臣下から見れば好ましいものでした。
 けれど、それが罪悪感をごまかすためのものであることは、だれも知りません。

◆

 やがて、ヨーゼフが王になって数年目。
 しんと静まり返った夜の廊下を黒ずくめの男が歩いていた。
 規則的に置かれた燭台の炎がゆらめく中、のらりくらりと進んでいく。カチッとした軍人ばかりが集う城内で、男は奇妙に浮いていた。
 寝癖にも見える、ぴょんぴょんはねた紫の髪のせいかもしれない。
 兵士たちが控えた大きな扉の前までくると男は足を止め、ぽんと兵士の肩をたたく。
「入っていいですか?」
「ひいっ!? ぐ、グスタフさま!?」
 肩をたたかれた方だけでなく、隣にならんでいた方の兵士までのけぞって顔を引きつらせる。
「やだなぁ人を悪霊みたいに。ほら、味方ですよ?」
 心なしかキョトンとする魔術師からわずかに後ずさり、兵士たちが冷や汗をかく。
「気配を断っておどかすのはやめてくださいと、何度もいってるじゃないですか!」
「せめて足音を立ててくだされ!」
「絨毯の上で普通に歩いていたら足音なんかしませんよ? まあ、君らは鎧でガチャガチャうるさいけれど」
「文官だって、歩く時は音くらいするぞ……」
 気味悪そうに顔をしかめる兵士にとりつぎを頼み、グスタフは王の寝室へ入る。
「人に聞かれたくない話か」
 すでに寝ていたらしく、ヨーゼフは寝おきのままソファに腰かけていた。
 奥にある机には羊皮紙や本が山積みになっているが、それらはきちんと整理され、本にはしおりがはさまれている。
「ええ。ミカナギを殺すのに、陛下が地下にかくしているモノをお借りしたいんです?」
 グスタフの言葉にヨーゼフがさっと青ざめる。
「……」
 殺意と疑惑と動揺の入り混じるその様子を見て、グスタフが補足する。
「人払いしてあるので安心してください? ちなみにミカナギというのは例の死神の残党です。1週間で片づけるって宣言したでしょう?」
「おまえ……あれを見たのか?」
「いいえ? なんだかやたら厳重に張り巡らせている結界があるから、前から気になってたんです。正体はわかりませんけど、相当強いですよね? アレなら死神にだって対抗できたんじゃないですか?」
 ヨーゼフが両手で顔をおおう。その手は小さく震えていた。
「アレはまだ生きているのか……?」
 あれから約20年経っている。
 一年と半年であのおぞましい姿だ。いまどうなっているのか考えたくもない。
「もちろんですよ? あんな強い魔力を秘めた生き物、あと200年は軽く生きますよ?」
「殺せ!」
「ええ、だからミカナギを殺すのに借りたいと……」
「ちがう! あの地下の生き物を最優先で殺せといっているんだ!」
「……」
 なぜここまであせるのか。
 グスタフはかすかに疑念をいだく。
「そういえばあの気配、少しフィロスさまに似てますね? 比べるには禍々しすぎるけれど」
 ヨーゼフは射抜くような視線でグスタフを見た。
 もう殺意を隠そうともしていない。
 それ以上いったら殺すと、彼は明らかに脅していた。
「アレはただの化け物だ」
 その一言でグスタフは確信し、笑みを深める。
「そういうことにしておきましょう」

◆

 4日後の朝。
 ちょこちょこきてくれるコウモリが毒味してくれるので、生活には困らないものの。ナギはこれといった脱出法を見つけられずにいた。ちなみに毒の混入率は3割だった。普通の食事より魔物に合うらしく、コウモリがおいしそうに食べていた。気をぬいたころを見計らって入れる辺りが恐ろしい。
 一度だけ、寝込みを襲われたこともある。
 夜中ふと目を覚ましたら短剣を手にしたグスタフがいた時は本気で泣きさけんだが、彼は「人間の女に興味ないので、そっち方面では心配しなくていいですよ?」とか見当ちがいなことをいって出て行った。
「さて、魔女さん。処刑の時間ですよ?」
 心なしかうつろな目をしたグスタフが迎えに来て、ナギは迷う。
 窓から飛び降りるか、処刑される前に風を使って逃げるか。
 飛び降りたら即死だ。
 いざとなったら殺すしかないと息をのみ、前へ出る。
「魔女ではないですよ。呪いの方法はなにも知りませんし……私はただの巫女です」
「死神の?」
「オオゲジサマという神獣の巫女なんです」
「へえー……国によっては、ただの生贄の称号だったりするけれど。君が本当に神に愛され、加護される巫女だというなら、生き残れるかもしれませんね? 他宗教の神に通用するかは謎だけど」
 じゃあ死ぬかも。
 そんなご大層なものではなく、ただの世話係兼、呪力回復薬である。
 考えている間にがっちり手をつかまれ、そのまま外へと長い階段を降りていく。
「処刑とか神とか、これからなにが始まるんですか?」
「一石二鳥な大掃除ですよ? 一気に長距離は移動させられないから毎日ちょっとずつ移動させて、四日間徹夜でがんばりました。褒めてください?」
「えっ、嫌ですよ。私を殺すためにがんばられたって褒めたくないですよ。むしろ罵りますよこの人でなし!」
 グスタフは見開いたままの両目でこちらを見下ろす。
「世間的にはミカナギの方が人でなしなんですけどね? まあ、私は君のこと嫌いじゃないですよ?」
「嫌いじゃないのにあっさり殺せるのもどうかと思いますが……」
 ナギはまだそこまで割り切れない。
 双子たちのように必要とあらば、を目指していた。
「死神にそそのかされ、利用されていたバカでかわいそうな子ども。だから殺さなくても、生涯塔の中で監禁するくらいでいいかと思っていたんですよ? 研究費のためなので死んでもらいますが」
「そうですか、研究費のために私を殺すわけですね」
 今までだってけっこう積極的に殺しにかかっていた気がするが。
 特に期待していないので軽く聞き流すと、彼もあっさりうなずいた。
「そう、だから少しだけ残念だ」
 この長い長い階段はいったいいつまで続くのだろう。
 話しながら降りているのにいっこうに終わりが見えてこない
「私はだまされていたわけじゃないですよ。自ら進んで彼の仲間になったんです。それから」
 左手の甲がじんわりと熱くなる。
「彼にはユルドゥズって名前があるんですよグスタフさん」
 ナギはあえて微笑んでそう告げた。