その68
「ばっ、化け物……!」
「きゃああああああ!?」
いきなり空に現れた怪物と少女の姿に、世界中で悲鳴が上がった。怪物が襲ってきたと勘違いして、どこかへ逃げ続ける者までいる。
魔術師や呪い師は比較的はやく落ちつきをとりもどし、この映像が魔術によるものだと察しをつける。けれど、ほとんどの者は混乱におちいったまま呆然と空をあおぐ。
中にはナギの顔を覚えている者もいた。
「おい、あれこのまえグスタフさまが連行していった死神の手下じゃないか?」
「えっ、じゃあ……公開処刑ってことか?」
「あれが50人の兵士たちを惨殺した魔女……?」
「死神?」
「あんな子どもが死神なのか?」
正誤入り乱れた情報に人々はいっそうざわつき始める。
そして、それぞれ別の場所にいる二人が同時につぶやいた。
「ナギちゃん……!?」
いなくなったナギを探し、ジャクセン国にもどっていたアンリ。
「あのときの……!」
魔物に寄生され、たまたまナギに助けられた少女。
わけもわからず一同が見守る中、ナギは半泣きになっていた。
◆
大きく、鋭い獣の爪が振り下ろされるさまがやけにゆっくりと視界にうつる。
オオゲジサマや先代、レンヤ、ヨウとの思い出がナギの脳裏によぎった。
もはや走馬灯も見なれたものだが、見るたびに神経とか精神衛生上なにか大切なものがすり減っている気がする。
無意識に悲鳴をあげていたら、空からなにかが降ってきた。
刃に反射した光に目がくらむ。
獣は瞬時に動きを止め、後ろへ飛んだ。かわし切れなかった左腕から鮮血が舞う。赤い血しぶきが地面に落ちるよりも速く、降ってきた彼はそのままたたみかけるように獣の顔面へ斬りこんだ。
かなりの高所から落下してきたのに一度も動きを止めず、流れるように踏みこんで重心を移動。それでも殺しきれなかった落下の衝撃を攻撃に利用したのだ。
まばたき一つの間に行われた一連の動作は洗練された舞いにも似て美しく、状況も忘れて見惚れそうになる。
「レンヤ! 無事だったんですね」
黒髪に青い瞳。涼しげな美貌。露出の少ない旅姿の剣士。
懐かしい姿がそこにいた。
ちがう意味で涙がじわりとにじむが、金属音に我に返る。獣は刃を口で受け止め、今にも噛み砕こうとしていた。
「酷いことはされなかったか?」
獣をにらんだままレンヤが問う。
「……ユルドゥズが」
それだけで理解したらしく、「そうか」と一言。
「ヨウはいっしょじゃないんですか?」
「あいつは身代わりに置いてきた。そのうち追いつくだろう」
よく見ると、はるか上空をシロが旋回している。
シロに乗って空から探してくれていたのだろう。
「身代わりって」
「あいつは幸せだろうから気にするな。とって食われるかもしれんが、死にはしない」
「どーいう状況なんですか?」
「女の集団は時として魔物より恐ろしいということだ」
「さっぱりわかりません」
ヨウも生きてはいるみたいで良かったが、謎だ。
レンヤは獣の口から剣を引きぬき、そのまま斬りかかった。
刃は胴の辺りの毛皮を引き裂き、骨肉とともに大量の虫がはがれ落ちていく。いまや獣は黒と赤、黄土色のまだら模様と化していた。
すでに満身創痍なのに、いっこうに殺気がおとろえない。
まるで死地におもむく武人のようだ。
とても説得に応じてくれるとは思えない。ろくなあつかいをされていないのは一目瞭然なのに、どうしてそこまで戦おうとするのだろう。
こちらに怯えているようには見えない。理性を失い、やみくもに暴れているだけなのだろうか?
自分をこんな目に合わせた人間を恨み、手当たりしだいに襲いかかっている。
そう考えるのが自然なのだろうが、どうしてもそうは思えなかった。
「レンヤ、できれば……」
いてもたってもいられなくて口をはさむと、いいきるより先に彼が答える。
「わかってる。殺したくないんだろ?」
「なんでわかったんですか?」
「ナギは変な生き物が好きだからな」
「……否定はしません」
ごく普通にウサギや犬やネコが好きなだけだったはずなのだが、いつのまにか守備範囲が広がってしまった。明らかにオオゲジサマの影響である。
うなり声がして目をやると、獣は翼をばたつかせていた。動いてようやく翼だったのかと認識できたくらい穴だらけで、ボロボロと虫が落ちていく。
すでに相当膿んで腐っていたのだろう。
見ている間に羽は肉ごとそげ落ちた。血のしたたる骨だけがむき出しになって残るが、飛べない羽をなお必死に動かし続けている。
「もうやめましょう。ボロボロじゃないですか」
見ていられなくて声をかけると、獣は拒絶するように遠吠えをした。
直後、ナギとレンヤをとり囲むように地面が盛り上がっていく。オオカミくらいの大きさに盛り上がったそれは獣とよく似た形に固まっていく。石と土くれでできた十匹ほどのオオカミたちが、一斉に飛びかかってきた。
「ひっ!?」
たまらずナギが硬直する。
レンヤはオオカミのようなヒョウのような獣たちを次々に切り捨て、土に還しながらいった。
「説得を続けろ」
◆
そのころジャクセン城。
「陛下、空にバケモノと少女と剣士が……!」
城内を走っている最中に兵士たちからそう告げられ、ヨーゼフはほんの少し余裕をとりもどした。
そういえばさっきの臣下もいっていたではないか。
”バケモノ”と。
汚物の固まりのような醜い姿を見て、あれがフィロスだとわかる者はいないのだ。剣士が乱入してきたというのがよくわからないが、おそらく奴も死神の仲間だろう。国にとって脅威ではあるが、力を合わせてフィロスを殺してくれるならなんだって構わない。そのあとはグスタフがなんとかしてくれる。それでムリなら全軍投入してでも殲滅するだけだ。
笑みを浮かべそうになるのをこらえて、ヨーゼフはいう。
「落ちつけ。あれは死神の手下たちにバケモノをけしかけて処刑しているだけだ。おまえたちも国民たちも公開処刑しろとさんざん訴えていただろう? だから公開してやったんだよ。遠い地の映像を空にうつしているだけだ。ぞんぶんに観戦すればいい」
あせることはなかったな。
冷や汗をぬぐいながら観覧席の用意などをさせていたら、窓から身をのり出していた老爺がつぶやいた。
「あのバケモノ、なんだかフィロスさまに似ているような……」
60と少しくらいの歳。
しわくちゃの身体を軍服に包んださまは老いてなお精悍だ。幾度となく戦で活躍した英雄の一人だが今は引退し、陸軍の指南役を務めている。
ヨーゼフは鼻で笑って否定する。
「まさか。美しかったフィロスとは似ても似つかないよ」
けれど、老人は空から目をはなさない。
「ええ、まるで似ていない……なのに、あの声。あの技を見ているとなぜか血が騒いでたまらんのです。かつて戦場で目にしたものと同じ気がして……クソッ! せめて素顔が見えていれば……!」
邪魔な虫どもめと悪態をつく。
ヨーゼフの顔が再び青ざめた。
フィロスの全身をおおっていた虫たちは剣士との攻防で少しずつはがれ落ちていき、もう半分くらいしか残っていない。
やはり水晶玉は破壊すべきだ。早急に。
窓辺に長イスを運んできた兵士たちを無視し、ヨーゼフは中庭をめざした。
◆
説得を続けろとレンヤに励まされ、ナギはぐっと拳をにぎりしめた。
「わかりました! じゃあまずあの子を死なない程度にボコボコにしてください!」
倒しても倒しても出現するオオカミたちを屠りながらレンヤがふり返る。めずらしく冷や汗を浮かべていた。
「いつのまにそんな鬼畜な子に……」
「ちがいます」
育て方を間違えたかなどとつぶやかれて、あわててナギが補足する。
「あの子、すごく脳き……武人っぽいじゃないですか。自分に勝った相手のいうことじゃないと聞いてくれない気がするんです」
「武人っぽい、のか? これは……ゾンビっぽいというならわかるが」
レンヤは神妙な顔で土くれのオオカミたちを斬り続けている。
本体のフィロスとちがい、オオカミたちはもろい。素早くて牙と爪の威力はあるが、一撃で朽ちる。
それがせめての救いだが。
フィロスの攻撃を避けながらオオカミの相手をして、さらにナギをかばっている。そんな状況だから、なかなかフィロスへの攻撃ができないでいた。
ナギの風を使えばオオカミは一掃できるが、レンヤも攻撃してしまうので使えない。レンヤと密着していれば使えるかもしれないが、フィロスはその隙を見逃さないだろう。
「仕草や態度が、なんとなくそんな感じしませんか?」
「俺には理解できない感覚だが……要は殺さない程度に勝てばいいんだな」
近くにいたオオカミたちを倒すと、またフィロスが遠吠え。新たなオオカミたちが生まれてくる。
彼らが襲いかかってくるより先に、レンヤはナギを抱え上げ、
「目をつぶっていた方がいいかもしれない」
「えっ?」
空高く放り投げた。
こういうの、でじゃぶっていうんですよね。
忠告どおり固く目を閉じ、全身を襲う浮遊感に青ざめながらナギは現実逃避した。いまどのくらいの高さまでふっ飛んでいるかなんて考えたくもない。ちゃんと落ちる前に受け止めてもらえるのかと不安に思ったりもするが、信じるしかない。地面に激突したら祟ってやる。
やがて、ガシッとお腹の辺りをなにかにつかまれて目を開く。
この感触は人ではない。
「し、シロ!?」
とっさに頭上をあおぐと、予想通り双子の愛鳥がいた。
上空に投げられたナギを上手いこと受け止めてくれたらしい。
「ありがとうございます」
お礼をいうと、「うむ」といわんばかりにうなずく。
シロはナギにも親切だが、双子以外には淡白なのである。逆に双子への態度は愛があふれすぎている。
地上に残ったレンヤを探すと、ちょうど勝負がついたところだった。
彼はナギをシロへ投げたあと、土くれのオオカミたちにかまわずまっすぐ獣へ接近したのだろう。オオカミたちは無傷のままだ。
その中央に彼らはいた。
体勢をくずし、地にふせる獣。
その背にのり、首に剣を突きつけたレンヤ。
「あとはまかせた」と彼の目がいっていた。