その71


 追手がこない内にこの国を出た方がいい。
 シロで移動すれば速いのだが、鳥目なので夜はあまり飛ばない方がいいし、休ませる必要がある。ナギは疲れていたのか、仲間と会えて安心したのか。はたまた9時を過ぎたからか爆睡している。
 本当は夜通し移動して逃げるべきなのだろうが、一人と一匹を気遣って一行は野宿していた。
 たき火をしていた場所からはなれ、息をひそめて休んでいる。
 そんなとき、見はりにおきていたヨウがふと空を見上げ、目をこすった。
「月が二つある……?」
 寝ぼけて見間違えたかと思ったが、消えない。
 下向きの三日月が右と左に浮かんで赤く輝いている。まるで、悪魔が空からこちらを見下ろしてほくそ笑んでいるようだ。
 らしくないことを考えて口を曲げていたら、片割れがむくりと身をおこす。
「謎の吐き気が……」
 うえっと青い顔で口元を押さえる兄を、ヨウは軽く一瞥した。
「なんか変なもん食ったんじゃね? 吐くならはなれた場所にしろよ~」
 二日酔いという可能性も浮かんだが、レンヤは酒を飲まない。
 酒も博打も女もやらないつまらない男だと思うのだが、不思議と女受けは良かったりする。
 そんなゆるい会話をした直後。
 生き物が近づいてくる気配などまるでなかったのに、いきなり本能的な危機を感じ、双子はとっさに抜剣した。
 ギインッと刃がはじき合う音が二重に交差してひびき、兄弟が同時に目を見開く。
 そこにはなんとも奇妙な光景が広がっていた。
 同じ顔の青年が四人もいて、それぞれ剣をかまえてむき合っているのだ。
「オオゲジサマ? ……にしては一人多いか。だれだおまえら?」
 ヨウはとりあえず、正面にいる者に問う。
 彼は無言で剣を鋭く突き出してきた。
 幾度となく襲ってくる刃は間違いなく自分の動きそのもの。まったくわけがわからなかった。それらをかわしながらヨウはレンヤがいた方向へさけぶ。
「おい、こっち来るなよ! 見分けつかねーからな!」
「こっちのセリフだ」
 少しはなれた場所で、あちらも似たような攻防をくり広げているらしかった。
 チラリと目をやると、ナギはよほど疲れていたのか気づかずに寝ている。シロはおきているものの、状況を把握できずに固まっていた。
 あちらは無事なようでなにより。
 ヨウは振り下ろされた刃をかわし、相手をふっ飛ばした。懐へ入ると同時に剣の柄であごを殴りつけ、直後にみぞ落ちを蹴ったのである。
「自分を痛めつける趣味はないけど、案外いい修行になるなこれ。俺ってあんな所に隙があるんだ」
 ヨウの分身らしき青年は地に倒れている。
 レンヤを見ると、あちらはかなり接戦していた。
 鋭く素早い突きが何度も連続してくり出され、それを突き返し、打ち落とし、攻撃をしかけたりと応酬が続いている。
「自分相手になにてこずってんだよ。手伝ってやろうか?」
「ふざけろ」
 激高したレンヤが相手の剣を力ずくで打ち落とし、そのまま返す刃で胴体を切り裂く。
 そこからは血ではなく、黒い液体のようなものがふき出した。
 やはり人間ではないようだ。なにかの魔術だろう。
 レンヤの分身は大きく飛びすさり、距離をとる。腹部の傷が修復していくと同時に、ヨウの分身がよみがえって並んだ。
 今度は二人がかりかと思いきや、彼らは入れ替わってそれぞれ双子に襲いかかった。
 思考する余裕もなく、本能と反射神経のみでヨウは斬撃をかわしていく。
 たぶん相性が悪いのだろう。自分の分身を相手するより、こちらの方がよほど戦いづらい。
 目、首、心臓、急所。
 嫌な所ばかり的確に突いてきて、大きく避けすぎるとその隙にまた次の刃がせまっている。さらに長年のつき合いでこちらの動きを読んでいるから、避けた先に拳や蹴りがまっていたりする。
 しかし。
 はっきり偽物だとわかっているなら、こちらも遠慮なくやれるというもの。
 分身が横なぎに剣を一閃する。
 ヨウはそれを剣で軽く受け流した。止めて勢いを殺すのではなく、攻撃の勢いを利用して相手の剣をからめとり、地面へと打ち払ったのだ。
 大きく音を立てて分身の剣が地面をはねる。
 レンヤの分身が一瞬それを目で追う。
 そのわずかな隙に、ヨウは彼の首を斬り落とした。
 ブシャアアアアアッと黒い液体が噴水のように飛び散ったのは数秒のこと。分身は影のように跡形もなく消えた。
 レンヤをふり返ると、あちらは少し前に片づいていたらしい。
「こっちの方が楽だった」
 目が合うと、そんなムカつくことをほざく。
「俺だってレンヤの分身の方がやりやすかったね。ちょっと腕がにぶったんじゃねーの?」
 そんな軽口をたたいていたら、ナギが身じろぎした。
 さすがにおこしてしまったか。かわいそうだが、追手がきた以上どのみちここにはいられない。
「ちびちゃん、歩けるか? また敵がきそうだからひとまず逃げるぞ」
「……」
 ナギは眠そうな目をこすり、こちらの背後を指さした。
「あれはなんですか?」
 少しはなれた岩陰の奥。
 そこには双子とナギとシロの分身らしきものが20体ほど、うじゃうじゃとたたずんでいた。

◆

 ナギたちがいる場所からはなれた小高い丘の上。
 下界からは見えない位置で岩に腰かけ、グスタフは魔術にいそしんでいた。
 軽く足を組んだひざに顔くらいの大きさの鏡を置いている。
 楕円形の鏡は一面赤くそまり、ナギたちの姿を映し出していた。多数を前に恐れをなしたのか、一行は怪鳥にのり、必死に分身たちから逃げている。
 同じ場所をぐるぐる回っているのだが、気づくまで何分かかるだろうか。
「しぶといな……早くくたばってくれないとこっちが干上がりそうなんですけどね?」
 グスタフはそれなりに魔力が多く、質も高い方だ。
 それでもこの術は消耗が激しい。補助アイテムをいくつも装備し、魔力回復効果のある果物や飲み物などをこまめに摂取しながらなんとかこなしていた。長期戦はできない。
 さらに20人くらい分身を増やして囲ませよう。
 右手の人さし指と中指、親指でそれぞれ小さな術式をえがき始めたとき。
 とん、と肩をたたかれた。
「面白そうだね、それ。僕にも教えてよ」
 ふり返ると、そこには奇妙なバケモノがいた。
 大きな角だらけの黒翼が二対。ヤギのガイコツに似た頭部。胴体の骨格は人間に近く、黒衣をまとっているが足がなく黒衣と闇に溶けるようになっていて見えない。腕もないのに、骨でできた大きな手だけが六つほど周囲に浮いている。
 頭部の内側。しゃれこうべの奥に浮かんだ一つの黄色い目玉がこちらを見すえる。
 獲物を前にした捕食者の瞳だ。
「ナギを助けてあげるにはその鏡を壊せばいいの? あいつら皆殺しにすればいいの? それともおまえを食べればいいのかな?」
 うすく微笑んではいるものの、まるでかくす気のない殺気。
 バケモノとしかいいようがない魔力と潰されそうになる威圧感。
 こいつだったのか、と直感する。
 少し前から”なにか”の気配に動物や魔物たちがおびえていた。ちょうどフィロスの封印を解いたころだったから、堕ちた神獣の気配を感じとっているのかと思っていたが、ちがったらしい。
 わずか一秒でそこまで思考し、グスタフは迷わず両手を上げた。
「降参します」

◆

 固い氷が割れるような音がした。
 急に扉を開けたときみたいに突風が吹いたかと思うと、追ってきていた分身たちが砕け散るようにして消えていく。
「た……助かりました」
 ナギがほっと胸をなでおろす。
 双子はナギとシロの分身を殺せないし、風で一掃しようとすると双子の分身が次々と風を斬って無効化してしまう。八方ふさがりで危うく全滅するところだった。
 さすがにシロも疲れたらしく、鳥なのにクチバシを開けて犬のように呼吸している。
「吐き気が消えた」
 レンヤがいぶかしげにつぶやく。
「よくわかんねーけど助かった。次がこない内に逃げるぞ!」
 とヨウ。
「でも、まだシロが……」
 いいかけたとき、ナギの眼前に奇妙なバケモノが降ってきた。
 見なれないガイコツの異形に双子が同時に剣を振るう。
 けれど、攻撃せずにやんわりと手をのばしてきたそれに気づいてナギが表情をゆるめる。
「オオゲジサマ」
 ほぼ同時に、宙に浮く二つの手が双子の剣を受け止めた。
 何事もなかったかのように異形は笑う。
「やっと見つけた」
 剣をつかみ止めたのとは別の二つの手がナギを上にのせ、胸元の辺りへ持ち上げる。
「おまえ、今までどこ行ってたんだよ」
 剣を引きながらヨウがたずねる。
「竜の島沈没させて、ナギを探してたら色んな奴が邪魔してきたから全部ぶっ潰してきた」
 なんだ生きてたんだ、とオオゲジサマが双子を一瞥した。