その76
双子と合流し、ナギたちは船の上でくつろいでいた。
のっているだけで目的地につくなんて、船というのは便利なものだ。オオゲジサマがクラーケンに化けて海に飛びこもうとしたのをなんとか阻止し、船員をうっかり丸のみしたのを吐き出させてごまかしたりと些細な問題はおこったが、おおむね平和な船旅である。
竜王の一件については”港で竜にあって、髪をもらった”とだけ双子に伝えておいた。
不意に、ヨウが問う。
「おまえってたまにその姿に化けてるけど、なんか意味あんの?」
船員や他の乗客を混乱させないように、オオゲジサマはまだ港で化けていた少年の姿でいてもらっている。
オオゲジサマはいろんな生き物に化けるが、一度しかならない姿がたくさんある。その中で、何度か化ける姿がいくつかあるのはナギもひそかに気になっていた。
「本性の1つだから化けやすいんだよ」
主は特にこだわりなくあっさり答えた。
「おまえの本性って?」
「この姿の人間と、ヘビ、3つ目のトカゲ、ゲジゲジ、あと……それくらいだったかな?」
「なんで本性が4つもあるんですか?」
思わずナギが聞く。
「もともと”すべての生き物の姿をもつ神”を模して造られたからね。少なすぎるくらいだよ。まあ、他の生き物を食べることで化けられる姿が増えていったんだけど」
「いちおう人間混じってるのか……信じられん」
とヨウ。
「爬虫類多めだから虫が好きなのか」
納得したようにレンヤがいう。
ナギはうつむき、こっそり船の物陰に移動していた。
本性はゲジゲジだとばかり思っていたのに。あんなキレイな人間の姿も本性の一つとかいわれたらもう、オオゲジサマの顔が見れなくなってしまったのである。なんか目合うだけでドキドキする。
顔の熱が引くまで、そのまましばらく壁と仲良くしていた。
その後、「ねーねー、もしかして人間の中だとこれが一番好き? 年上と年下と同い年、どれが好き?」などとオオゲジサマに笑顔で問いつめられたが、逃げ切った。
主を初めて意識してしまったのがこの姿のときだったので、確かにこの姿が一番好きだが……。
船を降りたらしばらくゲジゲジでいてもらおう。
◆
先代御巫ことミカたちがまつ名無しの町について、一行はしばし立ちつくした。
そこはもう、村や町ではなく小さな国と化していた。
森に囲まれ、人目につきにくくはあるのでかろうじてかくれ里としての対面は保っている。が、明らかに増えた人口。整備された道。あふれる活気。豪華になっている家々。
「ちょっと留守にした間になにが……」
短期間に急成長しすぎである。
呆然としていたら、ミカに声をかけられた。
「あらお帰り。長旅だったわねー。ていうかあんたたち空に映ってなかった? みんなでお菓子食べながら見てたわよ」
白髪混じりの長い黒髪を結い上げ、玉のかんざしで留めている。洋服の生地を着物風に仕立てたらしく、鮮やかな着物姿。
どこかの女将のような貫禄があった。
「ただいまもどりました……なんだか、みんな豪華になりましたね」
「こっちもいろいろ大変だったのよ」
彼女の家に招かれて話を聞く。
使用人として働いているらしく、ヤギ角の女性がお茶を出してくれた。
ミカいわく。
キノコの利権をだましとられて借金をこさえ、一文無しになった。危うく全員奴隷として売られるところだったが、パスカルのおかげでなんとか回避。魔術の使えない魔術師だが、医学と薬学に長けている彼をしたう患者は数多い。そんな中の一人にやり手の商売人とツテをもつ者がいた。
彼は重箱の隅をつつくごとくささいな不備をつき、キノコと借金に関わる契約を白紙にもどしてのけたのである。
おかげさまで借金もなくなり、キノコの利権も返ってきた。
けれども、すっかり商売が怖くなってしまったミカは自ら商売に関わることをやめ、いくつかの条件と引きかえに彼をここで雇うことにした。
「こういうかくれ里とか廃墟とか好きだからかまわんよ」
商人はそういって快諾した。実はヤギ角の女性に一目惚れした様子らしいが。
とにかく、その商人が仲間に加わってからもうかってもうかってウハウハだそうだ。
借金騒動のさいにやってきた奴隷商人たちに、亜人化したゲジ人たちが目をつけられていたようで、一同が襲われたりもしたという。
そのときは双子の元傭兵仲間たちや男たちでなんとか追い払った。
などなど。
「そんなわけでお金はあるのよね。どうする? いっそ城でも建てちゃう?」
「別にいらない」
ミカが提案するが、オオゲジサマは住処にこだわりはないようだ。
が、ぽんと煙のように出現したプルプルさまが元気よく手を上げる。
「お城! 私お城欲しいわ!」
「……ど、どちらさま?」
ミカがナギを見る。
「プルプルさまっていうんです」
◆
罪の重い生き物ほど次が早く、軽ければ遅い。
ここはそういうところらしい。
代表的な例では、ある悪人は亡くなった翌日にアリへ生まれ変わった。
そして生まれ落ちた瞬間ゴミに潰されて死に、数時間後にハエへ生まれ変わって5分で鳥に食われた。
生まれては死に、死ぬために生まれる。
そんな生をもう1000回近くくり返している。それが罰なのだという。
逆に、死んでからもう500年くらいそのまま過ごしている聖人もいる。
喜怒哀楽からときはなたれ、無のような存在になってたゆたうだけ。今度いつ生まれるのか、まだ予定すらたっていないそうだ。
この2人ほど極端ではないが、彼はやや罪が重かったのだろう。
死んでから約2年で機会がめぐってきた。
人間として生まれ、親から虐待を受けて育つか。
また白竜になり、同じ苦しみと迫害を味わって短命で死ぬか。
選べるのはそのどちらか。
――もし生まれ変わるなら、来世では人間になりたい。
人間の子どもが好きだったから、彼はずっとそう願っていた。
けれど、迷いがうまれる。
人間では育つまで時間がかかりすぎてしまい、その間はあの人たちを探すことができない。竜なら2、3年で成体になる。
1人はまだ生きているはずだ。もう1人も死んで300年以上経つのだから、どこかに生まれ変わっているかもしれない。
早く会いたい。
その一心で彼は再び竜を選んだ。
ボロボロに傷ついた魂はすべての記憶をなくし、じょじょに癒えていく。そして、まっさらな魂で生まれ落ちた身体は白いウロコに赤い瞳をしていた。
300年以上前に1匹だけ生まれた白竜が数年前に死に、落ちた葉が生え変わるようにまた新たな白竜が生まれたわけである。
だいたいの野生生物と同じように、竜は生命力の強い子どもしか育てない。これは育たないと見切りをつけると、育児放棄するか、殺してしまう。
突然変異の白竜は生命力が弱いと判断され――育児放棄された。
親は他の兄弟をつれ、どこかへ飛びさっていく。
けれど生まれてすぐに空を飛び、狩りをするのが竜である。生きていくのに支障はない。白竜は寿命が100年ほどしかないが、それ以外に劣る点はなかった。
生まれたばかりの白竜はこがれるように東を目指した。
そこになにかがまっている気がする。
育つにつれ自然と人型をとるようになり、旅を続けていたころ。
1匹の犬と出会う。
森にいたその犬はやわらかい金色の毛並みに緑の瞳をしていた。
野良にも関わらず最初からなついてくる。竜と出会った動物はおびえて逃げ出すものだが、そういったそぶりもない。
白竜は自然と犬を抱きしめていた。
なぜかはわからない。
ただ、ずっと昔に失くしてしまった大事なものをようやく見つけた思いがした。
◆
あれからナギは14歳になった。
髪は肩の下くらいまでのび、身長もほんのり育った。
オオゲジサマ、双子、プルプルさまはあいかわらずで。たまにゴタゴタに巻きこまれながらもおおむね幸せに過ごしている。
平和っていいなあ、などと考えながらのんびり散歩を楽しんでいた時のこと。
だれかが走ってくる足音が近づいてきたかと思うと、いきなり後ろから抱きしめられた。
オオゲジサマかと思ったが、違和感に目を見開く。
ふれられたとたん、”風”の力が消えてしまったのだ。まるで本来の持ち主の元へもどっていったような、不思議な感覚。
背後をふり返ると、そこには同い年くらいの少年がいた。
年の割に背は高く、細身。銀にも似た白い髪。かすかに紫がかった赤い瞳。かなり軽装の旅姿。
記憶とちがって髪は短く、怜悧な美貌はやや幼いものの、”彼”に生き写し。
「ユルドゥズ!?」
思わずさけぶと、彼は遠慮がちにこちらを見下ろした。
「すみません……なぜか体が勝手に動いて」
「え、いや……ユルドゥズですよね? 死んだはずじゃ……」
彼は不思議そうな顔をして首を振る。
「人ちがい、でしょう」
そのゆっくりゆっくりした話し方とかがもうまさにユルドゥズそっくりなのだが……。
よく見ると彼の足元には大きな金色の犬がよりそっていて、ぱたぱたしっぽをふっていた。
考えてみれば、ここは名無しの国のどまん中である。
大人があちこちにウロウロしているし、ナギももう小さな子どもではない。なのに平気な顔で立っている所をみると、確かに別人なのかもしれない。
ユルドゥズがこんな所にいたら、今ごろ血の海ができている。
「あの、外から来た旅人さんですよね? 名前はなんていうんですか? 私は御巫のナギといいます」
「名前……」
彼は困ったように犬を見て、つぶやく。
「この犬の名前はジュナです」
「へえ、かわいい犬ですね……って、あなたの名前は?」
いいたくないならいいですが、とナギがつけ加えると、彼は答えた。
「ありません」
いいたくないからごまかしているのかと思ったが、こちらを見つめる赤い瞳はどこまでも邪気がない。
「なんで犬に名前があるのに飼い主に名前がないんですか……」
「犬はしゃべれないので」
犬以外に名前を呼んでくれる生き物がいないとでもいうのか。
今までどうやって生きてきたんだと頭を抱えていたら、彼が思い出したようにいう。
「飼い主ではなく、友達です」
「そ、それはすみません」
名前があった方がいいですよと勧めると「では、つけてください」というので、ユルと呼ぶことにした。