その79


 ユルから話を聞く内にナギは思わず涙ぐんでいた。
 彼は生後8ヶ月の白竜だという。
 もう、ユルドゥズの生まれ変わりだとしか思えない。
「今度こそ幸せになってくださいね……!」
 ナギの言葉に、彼はゆっくりとまばたきした。
「よく……わかりませんが」
 そっとナギの手をとり、空いているもう片方の手でジュナの頭をなでる。
「幸せです」
 あいかわらず体温が低く、冷たい手のひら。
 なめらかで骨ばったそれは前世の彼を思い出させるものの、じんわりと熱をおびてくる。
 ひかえめな微笑ではあるけれど、こんなにやわらかく笑う彼を見たのは初めてで、つい見惚れた。
「で……でも、覚えてないんでしょう?」
 彼は前世の記憶がないといった。自分がユルドゥズだったかはわからない、と。
 それなら初対面になるはずなのに。
「ナギとジュナのそばにいると、わけもなく嬉しいのです」
「……」
 心のどこかでほんのり覚えてくれているんだろうか。
 はずかしくなってきて身を引こうとするが、彼はしっかり手をつかんだままはなさない。
 そわそわしていたら、割って入ってきた影がべりっと二人の手をはなした。
「この泥棒竜」
 一つ目の黒い大蛇がキシャーッと牙をむく。
「どうやってもどってきたのかしらないけど、あまり調子にのるなよ……」
 こいつ殺すとキレる主のウロコをなでながら、ナギはたずねた。
「オオゲジサマ、彼がわかるんですか?」
「わかるもなにも、そのまんまじゃん」
 鎌首をもたげる大蛇を見上げ、ユルは眉をひそめている。
「……」
 なにかを思い出そうとしているようだ。
 が、けっきょくわからなかったらしく、ナギの腕をつかむ。オオゲジサマがすかさずそれをはねのけた。が、またつかむ。
 特に意味のない攻防を続ける彼らを止め、
「私の主人です」
 ナギは改めてオオゲジサマを紹介した。

◆

 名無しの国にユルが加わり、数日たったころ。
 ナギはオオゲジサマと国の周りにある森を散策していた。今日は商人が来る予定はないのに、主が「人の気配がする」というので様子を見に来たのである。
 たまにやってくる移住希望者かもしれない。
 ユルもついてこようとしたのだが、オオゲジサマの機嫌が悪くなるので留守番してもらっている。
 来訪者はすぐに見つかった。
 剣士風の美青年と魔術師風の美少女、まんまるい体型のおじさん僧侶。なかなか目立つ三人組である。
 ナギたちが近づくとむこうも気づいたらしく、にこやかに手を振ってくる。
 怖がらせないように、オオゲジサマにはあらかじめ人間に化けてもらっていた。
「君はこの辺りの人?」
 金髪碧眼の剣士が問う。
「はい」
 移住希望者らしくない様子に、ナギは少し警戒しながら答える。
「えっ、こんな所に住んでいて危なくないのかい?」
 こんな深い森の奥に国があるとはしらないのだろう。
 生い茂った森に軽装の少女がいたら危ないと思うのは普通かもしれない。
「この辺りはとても平和なので、大丈夫ですよ。オ……彼もいますし」
 愛想よく告げると、オオゲジサマがニコニコしながらナギの頭をなでる。
 久しぶりにユルがいないので機嫌がいいようだ。
 あいかわらず日替わりでいろんな生き物に化けている主だが。最近、人間のときはこの姿になることが多い。
 癖のない黒髪に褐色の肌。女性みたいに綺麗で華やかな顔立ち。すらりとした体つきで、謎めいた雰囲気がなんとも色っぽい。大人にも子どもにもなれるが、今は17,8歳くらい。
 本性の一つらしいので他意はないのかもしれないが、好みどまん中すぎて「もう人外でもいい……」とかなりグラグラきてしまっていることだけはしられてはならない。けっして。
 踏みとどまるためにゴキブリだのゲジゲジだのにしょっちゅう化けてもらっていることも合わせて乙女の秘密である。
「おかしいな。この辺りが魔国だって聞いてきたんだけど……」
 剣士が首をひねる。
「まこく?」
 いわく、そこは魔王が治める国だという。
 魔王は切っても焼いても死なず、不死身。おそろしく強く、一人で千人を蹴散らす。その姿は見るものすべてを魅了するほど美しいとも、目をそむけたくなるほど醜いともいわれている。
「……」
 ナギはチラリとオオゲジサマを見る。
 彼はにこりと微笑んだ。
 剣士が続ける。
「魔国には他にもいろいろ、恐ろしい生き物が住んでいるらしい」
 かつて死んだ、悪名高い死神にそっくりだという白竜。
 あでやかな美女の姿をした水の精霊。
 剣の一振りで城壁を半壊させる双子の剣士。
 頭にヤギの角が生えた女性や、下半身がヘビの男。犬頭の男にネコ耳の中年男性。
 そこに住む魔族はみんな黒髪黒目で魔力が高い。
 そのせいか、実年齢よりもずっと若く見えるのだと彼は語る。
「微妙に尾ひれが……」
 ナギは冷や汗を浮かべている。
 金髪碧眼の住人だってそれなりにいるし、呪力がなくて老け顔のゲジ人もいるのだが。
「そうそう、魔王には巫女がいるらしい」
 あらゆる魔物を手懐ける彼女を魔王はいたく気に入っていて、常にそばからはなさないのだとか。
「懐かない魔物だってたくさんいますよ」
「え?」
「いえ、なんでも……それより、その魔国の人たちはなにか悪いことをしたんですか?」
「ああ、このまえ戦があっただろう?」
 剣士が軽く肩をすくめる。
 彼がいっているのは約半年前、ユルがくる前にあった戦のことだ。
 昔、名無しの国がまだ村だったときに土地を買った、アシモフ国。
 名無しの国が大きくなりすぎたのが気に食わないらしく、そこがいろいろと無理難題をふっかけてきたのである。
 出て行け、さもなくば多額の場所代を払え。
 最初にそういわれたので色をつけて場所代を支払った。土地を借りているのではなく買いとっていたので払う必要はないはずなのだが、払えない額でもなかったので良いかと判断したからだ。
 すると今度は「怪しげな者たちがうろついていて気味が悪い。出て行ってくれ」という。しかし払った金は返さない。断るなら武力行使すると軍をむけてきた。
 ナギは彼らを哀れとさえ思った。
 この面子にケンカを売るなんて、どうかしている。
 いうまでもなく圧勝だった。
 オオゲジサマは実に楽しそうに暴れていたし、プルプルさまは「やっと私の出番が来たわね!」とはりきって山を水浸しにした。
 双子の剣は切れ味が良すぎて屍の山をきずき、いまだに周囲を震え上がらせている。
 アシモフは呪い師の多い国だったのだが、エマからもらった髪が役に立った。
 竜の髪は一度だけ魔術や呪いを無効化する。
 オオゲジサマや双子にもたせれば、短時間無敵状態みたいなもんである。物理攻撃は無効化できないが。
 やりすぎだ。もう十分だ。
 止めたときにはすでにアシモフ国は壊滅状態とかしていて、王も民も心の底からびびりまくっていた。
 こうして、アシモフ国は名無しの国の属国にくだったわけである。
 あくまで水面下で、での話だが。
 二度とうちの国に口出ししてこないよう誓わせただけで、表むきのアシモフ国は今までどおりなにも変わっていないはずだ。
 どこからかウワサがもれたのか。
「非公式国家とはいえ、そんなに強大な力を持つ恐ろしい国があるなら、一度この目で見て確かめておかないと、って思っている国はいまたくさんあるんだよ。俺の国もその口でね。こうして使者として派遣されてきたんだ」
 ナギはあいまいに笑って剣士へ告げた。
「でも、そんな国だれも見たことないんですよね? ただのウワサじゃないですか? ここには私と彼しか住んでいませんし、道を間違えたんだと思いますよ」
 ね、とオオゲジサマにふると彼は意味もなくナギと両手をつなぎながらいう。
「そーそー、しらないそんな国」
「そうか? おかしいな……」
 剣士たち一行は首をひねりながらもさっていった。
 ナギはそれを見届け、やっと息をつく。
「オオゲジサマ、いまの話」
「うん。名無しの国に名前がついたね」
 ナギの両手をもてあそびながら、彼が目を細める。
「聞かなかったことにしましょう」
 ナギはきっぱりと宣言した。
 魔国とか魔王なんてしらない。
 だれがなんといおうと、うちのオオゲジサマは神獣である。