もふもふふわふわパク
御巫のかくれ家を目指す道中のこと。
オオゲジサマは学習していた。双子やユルドゥズにちょっかいを出せばナギがかまってくれることを。
殺すと嫌われそうなので、あくまで”嫌がらせ”程度がミソである。
ナギには「四六時中一緒にいてじゅうぶんかまってるじゃないですか」といわれたばかりだが、オオゲジサマは歴代の御巫たちと三十年も二人きりで過ごしてきたのである。たりない。全然たりない。ていうかナギが自分以外をかまうのが気に食わない。
御巫たちの中には結婚した者もいたし、初代は色んな人間と仲良くしていた。その時はこんな感情は抱かなかったのだが……。
とにかくユルドゥズへ八つ当たりしようとしたとき。
「寝ないんですか?」
ナギに声をかけられて動きを止めた。
肩くらいの黒髪に丸っこい黒目。通気性のいいワンピース姿。まだまだあどけない顔立ちだが、たまに大人みたいな表情をする十一歳の少女だ。今夜は野宿をするため、仲間たちは焚き火から少しはなれた辺りに敷き布を引いていた。
地域によっては昼は極暑。夜は氷点下まで気温が下がる砂漠もあるが、この地方は夜でもじわりと暑く、風も少ないため、この程度の支度で就寝できる。
「寝る」
オオゲジサマは素直にうなずいた。
かまわれたい時にかまってもらえれば満足なのである。
ちなみに今日はダイオウグソクムシになっていたのだが、一度足を止め、目が6つある大きなハツカネズミに姿を変えてから近づいていく。
以前「朝おきてでかい虫にへばりつかれてたら心臓止まりそうになるので勘弁してください」といっていたのを思い出したからだ。
「オオゲジサマって複眼とか単眼とか好きですよね」
ナギは眠そうにつぶやき、もふっとしたオオゲジサマの背によりかかってきた。
彼女はもふもふ好きらしく、毛皮のある生き物に化けているとふれてくることが多い。今日は少し肌寒いからか、そのまま毛布を被って眠ってしまった。
機嫌よく枕にされていたら、焚き火のむかいでレンヤが小さくくしゃみした。
寒いからってこっちくるなよとかすかに警戒したが、彼もその気はないらしくシロを呼ぶ。
白黒もようの巨大な猛禽類は誇らしげにファッサアアアァァと両の翼を広げた。
「羽を広げる必要はない」
レンヤは軽く手を上げてシロを座らせ、軽くもたれて腰かけた。
ちなみにヨウは毛布を被って寝ていたものの、やっぱり暑くなったのか毛布を脱いでごろごろ寝返りをうっている。
ユルドゥズはナギの後方。はなれた位置で座り、ギロリとこちらを睨んでいた。
◆
翌朝。
白く長いヒゲを痛くない程度にみょーんとのばされる。
円形状の口元が軽く引っぱられて牙がのぞくが、オオゲジサマは抵抗せず、されるがままになっていた。
楕円形の耳を軽くなでられ、気持よくて六つ目を細める。
「あ、まぶたあったんですね」
ナギが感心したように声を上げる。
「うん」
頬をなでられ、肉球をぷにぷにと押される。
そのままころんと押し倒され、お腹をなでなでされてオオゲジサマはしっぽをゆらす。
「ナギはげっ歯類が好きだね」
「そうかもしれません」
答えた彼女はどこか恍惚としていた。
「ちびちゃん、それオオゲジサマだぞ。わかってるか?」
はたで見ていたヨウが冷や汗を流していたが、余計なことはいわないほうが身のためである。
今度ナギにもやってあげようと思いながら、ハツカネズミはうっとりと目を閉じた。
◆
後日。
昼食を食べるために休憩していたときのこと。
「近づくな」
ユルドゥズが冷ややかにこちらを睨む。
その背にナギが隠れてしまって、オオゲジサマは思わずたずねる。
「どうしたの? なにもしないよ」
おいでおいでと手招きするが、彼女はじとーっと疑惑のまなざしでこちらを見ている。
「さわりませんか?」
「さわるけど」
軽くなでた時点で逃げられたので、その続きはしたいところだ。
ふと、人間の少年の姿をしていたから駄目だったのかもしれないと気づく。
角の生えたウサギに化けて声をかけなおすと、
「頭と頬と両手くらいなら……それ以外は駄目です」
ナギはウサ耳を凝視しながらおそるおそるよってきた。
「信用してはいけません」
ユルドゥズが余計なことをいうが、問題ない。彼女はこちらの従者。基本的に従順なのである。
肉球でナギの頭をなでると、少女は満更でもなさそうな顔をした。頬をちょっとつまんだりのばしたりすると、不服げな目をする。なかなか面白い。
抱え上げて膝にのせ、小さな手のひらを堪能する。水の精霊の印がついているのが少し気に食わないが、役に立つので見逃しておく。オオゲジサマの印はナギの額につけてあるのだが、これは彼女の呪力を頂く以外の効果はほとんどない。せいぜいおたがいの気配を察知しやすくなる、魔物に遭遇しなくなる、くらいだ。多少は毒耐性もつくかもしれないが。
「楽しいですか?」
ナギが問う。
「うん」
やわらかくて美味しそうな手だ。
オオゲジサマは目を細め、しばらくふにふにと彼女の手をもてあそんでいた。
不意に、いま人間にもどったらどういう反応をするのか興味がわく。
これまで抱っこしたり一緒に寝たり平気でベタベタしていたのに。ここ最近、人間の男に化けるとナギが動揺するのだ。
嫌がるわけではなく、照れてはずかしがる。かわいらしいことだ。
オオゲジサマはニヤリとほくそ笑む。
さっきまで化けていたのと同じ赤髪の少年になると、毛皮が消えて気づいたのかナギが腕の中で硬直した。
「も、もう十分ですよね」
この体勢で逃がすわけがない。
抱きしめて頬ずりすると、彼女の心拍数が急上昇した。
「……ッ」
少しはなれた所でレンヤが難しい顔をしてつぶやく。
「あれは助けてやるべきか……?」
だが、話しかけられた弟はシロの羽毛に顔をつっこんでふわふわしていた。
「なにをしている?」
「もふもふが羨ましくなってつい」
「シロは羽の部分より鶏胸の辺りがふわふわしている」
「あ、ホントだ」
双子たちがそんな会話をしている間にナギはじたばたともがき、自力で脱出した。
正確には満足したオオゲジサマが解放してあげたのだが、それはともかく。
「なんで急に人間になるんですか」
はずかしいのを我慢するように軽く震え、赤い顔をしてナギが問う。
「面白いから」
つい上機嫌でそう答えたら、その日は二度と近よってくれなかった。
◆
オオゲジサマは意外とレンヤが嫌いじゃない。
人間にしては腕が立つことは評価しているし、イライラしていたらナギを持ってきてくれるなど、わりと気が利く。
死んでも悲しくはないが、積極的に殺さないくらいには気に入っていた。
ヨウのことは嫌いである。
反抗的な態度が気に入らない等いろいろ要因はあるが、おそらくウマが合わないのだ。しかし必要な下僕だとも思っている。人間の世話……引いてはナギの世話が上手いのだ。オオゲジサマやレンヤではわからないような細かい世話まで気を配るので、ヨウが仲間に加わってからナギが喜んでいるのを知っていた。
ユルドゥズは隙あらば殺したい。
そして――
「それで、おまえはなんでついてきてるの?」
皆が寝静まった深夜。
オオゲジサマがたずねると、生意気そうな少女の声が返ってきた。
「あんたには関係ないわ。私の勝手よ」
上空に水滴が集まり、十代後半ほどの少女の形が作られていく。
長い髪に青い花を飾り、ふわふわしたワンピース姿。
勝気な瞳が冷たくこちらを見すえている。
オオゲジサマはうっすらと笑んだ。
「へー、断りもなくうちの巫女に手を出しておいて、そういうことをいう」
長い長いいくつもの黒い脚。タカアシガニやクモを連想させるその脚の中央にはむきだしの目玉が複数ついていて、獲物を狙うように少女を見ている。
「脅したって無駄よ。私は」
ハッと鼻で笑う精霊の身体がパアンと盛大に砕け散った。
血の代わりに水のつぶてがいくつも宙へはじけていく。
けれど、彼女をバラバラに切り刻んだばかりの脚をながめてオオゲジサマは違和感に気づく。
手応えがない。
「私は水だもの。切っても殴ってもノーダメージよ!」
散らばった水滴が再び宙へ集い、少女の形を成す。
「ざまーみなさい! あーはっはっはっ……はぅあッ!?」
くるくる踊りながら高笑いしていた彼女は突然のけぞった。
目と鼻の先にあんぐりと大口を開けたオオゲジサマがせまっていたからだ。
ちなみに口は目玉の裏側にあり、真円で無数の牙におおわれている。
パクッ。
そんなかわいらしい音だったかどうかはさておき。
オオゲジサマは彼女を丸のみにし、二日間ほどそのままにしていた。
消化吸収する気満々だったのだが、「出してよー出してよー! うわあああん」と精霊が泣きつき、忠誠を誓ったので吐き出した。
なんとか生還した水の精霊はすっかり大人しくなったのだが、心に深い傷を負ったらしく、それきり滅多に姿を現さなくなった。