小話つめあわせ


●ナギの服
 くせのないさらさらの黒い髪。深い青色の瞳は透き通っていて、空のように美しい。すらりとした身体は鍛えぬかれているものの、線が細いので一見そうは見えない。いつぞや、腹筋がわれているのを見せてもらっておどろいたくらいだ。ナギのつるんとした腹とはちがいすぎて、別の生き物かと思った。
 色男と呼ぶにはまだあどけなく、少年とも青年とも呼べる風貌。
 ヨウはふとこちらを見下ろして、つぶやく。
「そろそろ新しい服買うか」
 そんな一言で、ナギは町の服屋へ連れだされた。
 ナギの背がのびた、気候が変わった、服が痛んだ。そんなときに加えて、ヨウの気まぐれで服や装飾品を買ってもらっている。いつもこちらからいいだす前に気づいてくれる辺りがさすがである。
「これとこれとこれ、試着してみ」
 店内をざっと見てから服をわたされ、大人しくしたがう。
 ゲジ国がなくなってしばらく経つが、異国の服はいまだによくわからない。特にスカートとローブはどうちがうのだ。ローブは男女どちらも着ていいのに、なぜ男がスカートをはくのは特殊なのか。貴族や王族がたまに着ているズルズルのあれはどっちに分類されるのだ。
 要するに。
 よくわからない異国の服のことはヨウに任せていた。彼は趣味が良いので安心である。
 ただし、気になった点は聞くが。
「いつも一着はフリフリヒラヒラ系があるのはなぜなんですか? 旅にはあまりむかないような……」
 基本的に動きやすくてかわいいものを買ってくれるのだが、そこに動きにくい服を混ぜる理由は不明だ。
「ちびちゃん……悪いことはいわない。小さい内にフリフリを着ておきなさい」
 ヨウはナギの肩をぽんとたたき、預言者さながらの口調で告げる。
「は、はい」
 迫力に気圧されてうなずくと、彼はしみじみとつぶやく。
「子どもとはいえ勝負服はあった方がいいしな」
「11歳が着飾ってなんの勝負をするというんだ」
 面白くもなさそうにレンヤが口をはさむ。
 そういえば、今日は珍しくついてきていたんだった。
 ヨウはしれっと答える。
「どこぞのボンボンに見初められるかもしれないだろ」
「まだ早すぎる」
「普段から着なれておかないと、いざってときに大変だし」
「……だいたい、少し露出が多くないか? 腕やら足やら出していたら草で肌が切れるし、獣や変質者に襲われたらどうする」
 いいながらレンヤが選んだ服を見て、ヨウは軽く手を振って却下した。
「だからってこのくそ暑い時期に露出ゼロの完全防備とかねーよ。つーかこれくらいの素肌でんな心配するおまえの方が、なにかやましい気持ちがあるんじゃ……」
 えんがちょーとでもいいたげな弟に、兄は憮然とする。
「前例があっただろう」
「おまえ好みの服もたまに着せてるからいいだろ。いいから俺に任せとけって」
「安全性の話をしているだけだ」
 子ども服を前に口論する双子に、店主のお姉さんがちょっと困った顔をしている。
 いつものことなので店内でなければ放っておくのだが、そういうわけにもいかず、ナギは手短に告げた。
「服はヨウが選んだのでいいです」
 ヨウは得意気に笑い、レンヤは無言で肩を落とす。
 お礼をいって店を出ながら、ナギはなんとなくオオゲジサマにたずねる。
「似合いますか?」
 主は人間の服装に関して無頓着なので、こういう時は口をはさんでこない。
 わかっているのになぜか聞いてみたかった。
「なにを着ててもナギはナギだよ」
 街中なので青年に化けていたオオゲジサマは不思議そうに答える。
 ボロを着ていようが絹を着ていようが主にとっては同じこと。歴代の御巫たちが根気よく躾けたので服を着てはいるが、自分のことですら裸の方が楽でいいのにと思っているフシがある。
 今の服だって、食べられた青年本人や別のだれかがしていた服装をそのまま着ているだけなのだ。
「ですよねー」
 わかりきった答えにナギは苦笑した。

●おかん
 町に泊まったある朝、宿屋の食堂にて。
 トマトの刺さったフォークを前に、ナギはそっぽをむいていた。
「ちびちゃん。トマトはな、”トマトが赤くなると魔術師が青くなる”といわれるくらい栄養があるんだ」
 ヨウが妙に真面目ぶって力説し、フォークを近づける。
「もうお腹いっぱいなんです」
「嘘つけ。こんなトマトばっかり綺麗に残して」
 ゆで玉子やらレタスやらで彩られていたサラダの器には、今やトマトのみがいくつか残っている。
「好き嫌いはよくないな」
 のほほんと茶を飲んでいたレンヤまでそんなことをいう。
 正論過ぎていい返せず、押し黙っていたらオオゲジサマがぴとっと肩にくっついてきた。人目があるので、いまはナギと同じくらいの少女に化けている。
 食べ残しはいけない。
 いつぞや主にそういってしまった前科があるので、主に食べろといわれたら逆らえない。ぐぬぬと冷や汗を浮かべたが、オオゲジサマはぱかっと口を開けた。
「いらないなら食べてあげるよ」
 そうして、ヨウのフォークをしっしっとはねのけると、皿に残っていたトマトを一気に丸のみする。お行儀は悪いが、美少女がぺろりと舌なめずりする様はかわいらしく、ナギにとっては頼もしい。
「さすがムグっ」
 感謝の言葉をのべようとした瞬間、フォークに残っていた最後のトマトを口につっこまれていた。
 しかたなく飲みこむナギを前に双子はそれぞれ神妙な顔でお説教する。
「ちびちゃん、それじゃいつまで経っても大きくなれないぞ」
 ゲジ人は基本的に小柄だから、こんなもんなんです。
 そう反論したいが、口直しに水を飲んでいてそれどころではない。
「ナギの好きなお菓子にはさんでしまえば食べられるんじゃないか」
 嫌な予感がするのでご遠慮します。
 トマト対策会議を始めた双子を前にナギはひそかに照れていた。昔、お母さんともこんな会話をしたのを思い出したからだ。
 ……なつかしい。
 物思いにふけっていたら、なにを勘違いしたのかオオゲジサマがささやいた。
「あいつらも食べてしまおうか」
「それはダメです」

●ユルドゥズがまだ無事だったころの話
「おはようございます」
 ナギの声がして目を開けると、彼女はこちらの顔の前にかざしていた手を引っこめ、ほっとしたように微笑んだ。
 おはようございます。
 そう返事しようとしたけれど、眠すぎて言葉にならない。彼女が近づいてきた気配にも気づいていたけれど、まどろんでいて反応が遅れたのだ。これが他の人間なら警戒して一気に目が覚めるのだが、ナギの気配はもう覚えているし、安心する。
 こんな無防備な姿をさらしても、彼女は攻撃してこない。
 睨まないし、さけばないし、おびえない。
 ただ普通に接してくれることが、ユルドゥズにはなによりも嬉しい。
 他にそんな態度をとってくれる者はもうだれもいないから。
「眠いなら、まだ寝ていますか?」
 考えこんで鬱々としていたら、ナギが心配そうな顔をした。
 彼女はなにも求めてこない。
 望むならどんな国でも命をかけて滅ぼしてみせるのに。一向にそうした命令をするそぶりがない。一度だけ助けて欲しいと頼まれたことはあるがそれきりだし、大した手間ではなかった。
 必要とされていないのかと思って最初は少し辛かった。
 自分のようなバケモノは役に立たなければそばに置いてもらえない。このままではいつか、出て行け、ついてくるなといわれてしまうかもしれない。
 けれど、そんなおそれは少しずつ薄れていった。
 殺したい者や滅ぼしたい国をたずねてもナギは首をふるばかりだが、毎日これといった用もなく声をかけてくれる。嫌な顔一つせず、むしろ楽しげに世話を焼いてくる彼女にユルドゥズはとまどいつつも惹かれていた。
 ひそかに和んでいたら、ナギは小さい手をぶんぶん振ってあせったように聞く。
「ユルドゥズ、ユルドゥズ。い……おきてますか? ちゃんと息してますか?」
 どうも、微動だにしないでいると不安にさせてしまうようだ。
「はい」
 そう答えてもまだ半信半疑のようだったので、彼女の頭へゆっくりと手をのばす。
 この手を払いのけられ、悲鳴を上げられたらどうしようとかすかに不安がよぎる。ナギに嫌われるのが怖い。アシュレイを連想させる人間の子どもは好きだ。けれど、その子どもでさえ敵になりえるのだと知ってしまった今では勇気のいる行動だった。
 そんな内心も知らず、ナギはいう。
「ならいいんですが……あなた、たまにまばたきすらしてませんよ」
 軽く髪をなでても平気な顔でいる彼女にほっとしながら、ユルドゥズは目を細めた。
 手負いの自分をかばってくれたあの時から、ナギは大丈夫なのだとわかってはいるけれど。こうしてふれる度に嬉しくてたまらない。
「した方が……いいのですか?」
 考えごとをしているときも。
 という単語を入れるのを忘れてそう問うと、ナギは「え……まばたきしたことないんですか!?」となにやら衝撃を受けている。
 もちろんまばたきくらいするのだが。
 真面目な様子で考えこむ彼女が面白くて観察していたら、すっかり訂正しそびれてしまった。