キングコウモリへの道


●あなたのお名前なんですか
 ナギがジャクセン国の塔で幽閉されていたときのこと。
 最上階で再会した次の夜に、コウモリはまた会いに来てくれた。
 ギザギザの形の黒い羽。小さな身体は鳥に似ていて、犬やネコ、キツネ、ネズミみたいな愛らしい顔立ち。ちんまりとがった鼻に三角の耳。両目は元々ないものの、見えているみたいに自然に動く。
 黒い魔物はひらりひらりと飛んで室内に入ってきて、両手の上にとまった。
「そういえば、あなたって名前あるんですか?」
 私はナギっていうんですよと告げてたずねると、小さな魔物は小首をかしげる。
「キ?」
 ないけど? といっている気がする。
「よかったら、名前をつけてもいいですか?」
 コウモリと呼ぶのもなんだか味気ない。
 小さな頭を人差し指でなでながら問うが、
「キィ」
 ダメ。
 残念なことに返事はつれないものだった。
 名前はとても大事なもの。ずっと自由でいたいから、人間に名前をつけさせたりしない。呼びたかったら”コウモリ”って呼びな。
 途中わからない仕草も多かったけれど、小さな魔物はだいたいそんなことを語った。
「それだと、あなたの仲間と見分けがつかないじゃないですか」
 コウモリはにんまりと笑う。
「キ」
 まあ、呼べば応えてやるよ? 聞こえる範囲にいたらだけどさ。
 そんな意図をさっしてナギはあきらめた。
 コウモリが話し相手になってくれたり、毒味をしてくれたりするのはあくまで気まぐれ。幽閉生活でヒマをもてあましていたのでとても助かっているが、それは野良ネコに何度かエサをやったら頭をなでさせてくれたようなもの。この子はあくまで野生の魔物だから、人に飼われるつもりはないのだ。
「コウモリ」
 試しに呼んでみると、魔物は満足気に鳴いた。
「キィ」

●ぽっちゃり系コウモリ

 次の夜。
 いつものように毒味をしてくれたお礼にコウモリへ血を少しあげたあと。ナギはわずかな変化に気づいた。
 コウモリを手のひらにのせようとすると、両手からちょっとはみ出してしまうのだ。それになんだか重くなった気がする。
「ちょっと、太りました?」
 血の味の余韻にうっとりしていた魔物はガバッと飛びおきた。
「キシャーッ!」
 だれがデブだーッ!
 意訳するときっとそんな感じ。コウモリはキイキイ抗議しながらナギの周りを飛びまわり、やがてその右腕にぷらんとぶら下がった。やはり、初めて会った時に比べてちょっと重い。
「毎晩毒味して血も飲んでたらそりゃ太りますよ。小さな魔物や動物は、ちょっとぽっちゃりしてるくらいがかわいいと思いますけどね」
「血!」
 コウモリは逆さまにぶら下がったまま、両翼をパッと広げた。
「なんですか?」
 よく見ると黒い翼はとても大きく、ナギの腕より長い。そこに、以前はなかった角みたいなトゲが生えていた。
 デブかどうか確かめてみろとばかりにさらけ出されたお腹。
 そこにはぜい肉らしきものはなく、均整がとれている。もっとでっぷりしてる方がかわいいと思う。
 翼だけでなく、胴体も少し大きくなったようだ。
 なるほど。
「太ったわけじゃなくて、血を飲んで少し進化したんですね」
 公用語ではれべるあっぷというのだったか。
 ナギの血には濃い呪力がふくまれているらしいので、特に不思議はない。
 やや残念に思いながら告げると、コウモリは「わかればいい」とばかりに翼をたたんだ。

●お別れは突然に

 塔でナギと再会して数日。
 また夜になったら遊びに行こうと、コウモリは日中物陰で休んでいた。ところがナギの気配が塔の中からこつぜんと消えて、少しあわてる。
 彼女の気配はなかなか目立つ。
 おいしそうな呪力の匂いがただよっているし、恐ろしく危険な生き物の残り香みたいなものもある。
 それらがまったく感じられなくて、コウモリは塔を訪れてみた。
 影が多い所を中継していけば、昼間でも一応活動することはできる。
 彼女がいた部屋はもぬけの空だった。
 夜になっても、もうここにはもどってこないのだろう。
 そんな予感がして、コウモリは天井へぶら下がった。
 いないのはわかっているけれど。
「ナ」
 キ、と鳴きそうになって、のどを調節する。
「ナ、ギ」
 初めて少女の名を呼んだけれど、返事はなく。室内はしんと静まり返っている。
「……」
 らしくもない。
 コウモリは塔をさり、森の奥へ飛んだ。
 できるだけ自然に近い所へ行って、野生の自分をとりもどしたかったのだ。大きな大きな樹の幹へ入り、再び夜まで眠りにつく。けれど、そう時間が立たない内にコウモリは騒音でおこされた。
 悲鳴、物音、獣の遠吠え。
 聞き覚えのある声がどこからともなく聞こえてくる。
 空にナギと獣、知らない青年が映っていた。いつのまにか巨人になったのかと思ったが、鏡のようにどこかの光景を反射しているだけのようだ。
「血」
 思わず眠気がふっとぶ。
「脳みその小さいコウモリだって人の言葉がわかるんですから。こんなに強くて魔力が高くて、人よりも大きいあなたが理解してないはずないです」
 ナギが獣にむかってそんなことをいって、コウモリは憤慨した。
「キィ……?」
 おまえ、こんど会ったら全身の血吸うぞ?
 つい独り言をもらすと、まるで声が届いたかのようにナギが弁解する。
「ちなみに今のはコウモリの悪口をいったわけではないです。コウモリ好きですよ!」
「……」
 その一言でコウモリは許した。
 別れも告げずにいなくなったことも、悪口いったことも。
 まあ、元気そうだし? 仲間と合流できたみたいだし。良かったじゃないか。自分はこれからも気ままに自由に生きるだけだ。なにも変わらない。あの血を飲めなくなってしまうのは残念だったが。
 ペロリと舌なめずりして、コウモリはまた眠る。
 なんだか、さっきよりいい夢が見れそうだった。
 その後。
 数ヶ月ほどでコウモリはさらに急成長し、群れの長になる。
 他のコウモリとは明らかに違う巨大さと強さに、近隣住民からは「キングコウモリ」と呼ばれてそこそこ恐れられている。
 名前は変わってしまったが、不特定多数につけられた呼び名なので契約などの縛りはない。
 だから、キングコウモリは今でも名のるときは自らを”コウモリ”という。

●蛇足的なオマケ

 ナギとフィロスとレンヤの姿が空に映しだされていたとき。
 少しはなれた国でオオゲジサマはそれを見上げ、ジャクセン国のどの辺りかを割り出そうとしていた。
 山岳地帯が映っているから、西の方か。
 だいたいの辺りをつけ、移動を始めたとき。
「ちなみに今のはコウモリの悪口をいったわけではないです。コウモリ好きですよ!」
 ナギの口から聞き捨てならないセリフが飛びだして、オオゲジサマは足を止めた。
「……好き?」
 彼女はまだぴーちくぱーちくしゃべっているが、耳に入らない。
 僕だって好きっていってもらったことないのに……!
 オオゲジサマの殺傷対象の優先順位1位がナギを襲ったフィロスからコウモリへ繰り上がった。しかし、ナギたちと合流したときにはすでにコウモリはおらず、フィロスはレンヤに倒されていた。
 そんなわけで溜まり溜まった憎しみの矛先はグスタフに向けられたわけである。
 彼が片目を奪われただけで生きていられたのは命ごいの賜物といえる。
 ちなみに、ナギたちが空に映ったときにレンヤの姿も見てはいたのだが、興味がないので彼のことはすぐに忘れた。