ユルドゥズ


●人間怖い

 ある晴れた日。
 ナギが神社の境内を掃除していたら、庭の奥から金色の犬が走ってきた。
「わん!」
 いつもユルといっしょにいる、ジュナである。
 とても愛嬌のある顔をしていて毛艶もよく、人懐っこい。
「一人でいるなんて珍しいですね。散歩ですか?」
 ナギがホウキを置き、なでようとする。
 が、ジュナはナギの周りをくるくる走ってから庭の奥へ走り、立ち止まって吠える。
 こっちきて、といっているようだ。
 呼ばれるまま、彼についていくと……そこには黄色い声がひびいていた。
「わあ」
 庭を歩いている内に参拝客につかまったのだろう。
 ユルが女の子たちに囲まれ、青い顔で硬直している。
 前世ではジュナ国の人たちと仲良くやっていた時期もあるから、昔は好意をよせてくる者なら平気だったのだろう。が、それから色々あって大人も子どもも苦手になってしまっていた。
 しかし生まれ変わってからは記憶がなく、大人を見ても襲いかかったりしなくなっている。
 だからもうすっかり人間が平気になったのかと思っていたのだが……。
 そんなことを考えていたら、ユルがこちらに気づいた。
 一目散に駆けてきてナギにぎゅっと抱きついてくる。おびえているようだ。
 この抱きつき癖はなんとかしないとなぁ、などと考えながらその背を軽くたたき、引きはがす。が、彼はかくれるようにナギの背にしがみついた。
「え? なに、その子どうしたの?」
「私たちなにか怒らせちゃった?」
「変なこといったかな? 名前聞いてただけなんだけど」
 いきなり逃げられ、少女たちがとまどっている。
 無理もない。
 今のユルは滅多に殺生しないし、あまり竜の姿にもならない。
 さらさらの白い短髪にうすい赤紫の瞳。芸術品みたいに整った顔と華奢な身体は、どこか幻想的。
 しらない人からすれば、十代半ばの幸薄げな美少年にしか見えないのだ。
 近よってきた少女たちに警戒して、ユルは口を閉じている。
 攻撃するなよとヒヤヒヤしながら、ナギは彼女たちに微笑んだ。
「ごめんなさい。彼はユルっていうんですが、ちょっと対人恐怖症というか……人見知りなんです。またこんど、彼が落ちついているときに一人ずつ、はなれた所からそっと声をかけてあげてください。何度かそうやっていれば少しずつ慣れていくはずですから」
 少女たちが納得してさっていったあと。
 ようやくはなれたユルにナギはたずねた。
「前世のことでも思い出しましたか?」
 さっきの女の子たちはナギと同じ14歳くらい。外見だけならユルも変わらない。手ぶらだったし、囲まれた所でそう怖い存在とも思えない。
 ユルは軽く首を振る。
「敵か味方か、わからなくて……」
 彼はつり上がり気味の一重なのだが、それと対照的に眉を下げている。
 よくこんな風に困ったような、疑心暗鬼に駆られたような表情をするのだが、ナギはひそかにこの顔がちょっと好きだった。もちろん笑顔が一番とは思うが、なんか色っぽくてかわいい。ついよしよししたくなる衝動を抑えつつ、口を開く。
「味方だから大丈夫ですよ。この国の中に敵はいません」
「……」
 ユルは足元にすりよってきたジュナの頭をなでながら、黙っている。
 彼がこの国になれるまで、まだまだ時間がかかりそうだ。

●抱きしめたい

「ユルはよく抱きついてきますが、そういうのはやめましょう」
 縁側に彼を正座させ、ナギは単刀直入に告げた。
「……」
 ユルは捨てられた子犬みたいに悲しげな目でこちらを見上げる。
 透きとおった赤く、大きな瞳がとても美しくて魅入られそうになる。
「そんな顔してもダメです」
「なぜですか?」
「小さいときならともかく、私ももう14です。困ります。オオゲジサマも気にしますし……おさわり厳禁で」
 やや声が小さくなってしまったがいい切ると、
「ナギは、まだちいさ」
「情緒の問題です」
「……嫌です」
 彼はそっと手をつかんできた。
 生まれたてだからだろう。彼の手は骨っぽいのになめらかでやわらかい。
「俺はあなたにさわりたいのに」
 睨むような、こがれるような。
 こんな真剣な瞳で見つめられたのは初めてだった。
「……ッ」
 一気に顔に血がのぼり、とっさに身を引くが、がっちり手をつかまれていて動けない。ブンブン手を振って振りほどこうとするが、彼はますます指先に力をこめ、ナギの手を絡めとったままはなさない。
「あの……は、はなしてください」
 そういうとはなしてくれたが、切なそうな顔をされて落ちつかない。
「手とか、頭くらいならいいですから」
 たえきれなくなって妥協すると、ユルは嬉しそうに微笑んだ。
 負けた気はする。

●見てない所でいろいろやってる

 ある夜、ナギは胸騒ぎがして夜中に目が覚めた。
 なぜかそわそわして落ちつかなくて、廊下をウロウロする。
 なにが気になるんだろうと思っていたら、オオゲジサマだと気づく。いつも気がつくと同じ布団にもぐりこんでくるのに今日はいない。
 どうしたんだろうと探していたら、裏庭にいた。
 黄色と黒のしましま模様にトゲトゲの足と牙。背中に大きな目がついた巨大グモの姿でユルを糸でスマキにし、食べようとしている。
「なにしてんですかオオゲジサマ」
 ナギが声をかけると、ギクリと動きを止める。
「……殺してないよ?」
 白々しい。
「いま、食べようと」
「ムカつくからもう一度シメておこうかと思って」
 でも殺してない、と弁解を始めるクモ。
 どうしたものかと頭を抱えていたら、ユルが竜になって糸を引きちぎり、ガブリとクモに噛みついた。クモが長い足の一つでその頭をぶったたく。
「庭で怪獣大戦争はじめないでください。家が壊れます」
 ナギはさして警戒せずに二匹の間に割って入った。
 本来なら野生動物や魔物の争いに割って入るなど愚の骨頂なのだが、この二匹だけは例外だ。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
 聞くとユルはコクリとうなずく。
 軽いかすり傷だから、すぐに治るだろう。竜は治癒力が高いので、これくらいなら手当もいらない。
 それからオオゲジサマを連れて外へ歩いて行く。
「滝にでも打たれて反省してきてください」
 ビシッと山を指さしていうと、
「えー……」
 クモはしょんぼり肩を落としながら、カサカサと山へ歩いて行った。

●神竜さま

 まだ少し風が冷たいものの、だんだん日差しが強くなってきたころ。
 5歳くらいの小さな男の子が神社にお願いをしに来た。
「屋根にボールが引っかかってとれなくなっちゃった。とって」
 賽銭代わりにさし出されたおにぎりを受けとり、ナギはユルを呼ぶ。彼を人にならすにはうってつけの相手だと思ったからだ。
 前世のトラウマを魂かなにかが覚えているのか、ナギの後ろにかくれるユルを連れて男の子の家に行く。
 ニ階建ての屋根の上に、茶色いものがかすかに見えた。
「あれをとってあげてください」
 ナギが頼む。
 これくらいなら竜になるまでもないと思ったらしく、ユルは風をまとってふわりと浮き上がる。あっさりボールをとってもどってきた彼はナギにわたそうとしたが、直接男の子へわたすようにいう。
 ユルは数秒硬直していたが、おそるおそるボールをさしのべた。
 男の子は少しいぶかしがりながらもニコッと笑う。
「ありがとー! ねえ、お兄ちゃんオオゲジサマじゃないよね? だれ?」
「……」
「ユルっていうんです。竜族なんですよ」
 ナギが代わりに答えると、
「へー、うちって神さまが二人もいるんだね」
 男の子は無邪気に笑ってさっていった。さっそく遊びに行くのだろう。
「お疲れ様でした」
 ナギがふり返ると、ユルは両目を見開いて固まっていた。
 無表情のまま呆然として立ちつくしている。
 なんだか、とても喜んでいるように見えた。

●ごはん

 ユルがまだユルドゥズだったとき、寿命がつきかけていたからか彼はほとんど食事をしなかった。食事は疲れるから嫌いだといっていたくらいだ。
 今はどうなんだろう。
 ナギは一通りのごはんを少量ずつ用意し、彼を部屋に呼んで実験してみた。
 まずは水。普通に飲んだ。
 次に焼き鳥。食べた。
 前世ではけして食べようとしなかったので、謎の感動が生まれた。
 次は野菜サラダ。
「……」
 食べたが、口に合わなかったらしい。いつもどおりの無表情だが、どことなく不味さをこらえているように見える。
 焼き魚、刺し身、肉類は普通。米やパン、果物なども普通。
 とりあえず一通りは食べられるようだ。
 良かった良かったと安心していたら、ユルが初めて自分からなにかを手にとる。
 ワインだ。
 白と赤両方飲んだが、特に白が好きらしい。おかわりまでして、今までの食事では崩れなかった無表情がほんのりやわらいでいる。少し血色の良くなった顔がなまめかしかった。
「それ好きなんですか?」
 問うと、首を傾げる。
 そのままうつむいたかと思うと、本性の竜にもどってころんと眠ってしまった。美しい純白の小さな竜が、とぐろを巻いてくうくう寝息を立てている。
 生後八ヶ月に酒は早すぎたのかもしれない。成体になるまでは与えないようにしよう。
 ナギはメモ帳に「人外は酒が好き」と記しておいた。