オオゲジサマ番外編

●とある雪の日

 オオゲジサマはたまにその辺を散歩してくる。
 今日もふらっとどこかへ出かけて行ったが、ナギは寒いのでお留守番していた。
 たくさん雪がふって凍えそうなときは、暖炉や火鉢の前で毛布をかぶってじっとしているのが一番である。
 そのまま絵巻物を読んでいたら、オオゲジサマが帰ってきた。
 2時間くらい出かけていただろうか。
 でっかい虫の姿だった主は雪まみれで、動く雪のかたまりと化していた。
 かすかに見える足元がふるっと小きざみに動いたのをみて、ナギはとっさに毛布で自分を防御する。
 予想は的中した。
 オオゲジサマは全身をぶるぶると振るい、こびりついた雪を部屋のあちこちにまきちらした。
「外で雪を落としてから、家の中に入ってきてください」
 雪まみれでビショビショになった部屋をみて、ナギはじとりと主をにらんだ。
 床や壁はふけばいいし、ぬれた布は乾かせばいいが、巻物がぬれたら大変なのである。
「うん」
 なにが悪いかわかっていないのか、わかっていてとぼけているのか、彼はニコニコと笑う。
 ナギが巻物や書類を読んでいると、なぜかやたら邪魔をしたがる傾向があるようだ。
 昨日も、オオゲジサマの頭をなでながら巻物を読んでいたら、巻物をかじられてしまった。
「前にも何度かいったはずなんですけどね~……」
 ナギがにらみを利かせると、オオゲジサマは嬉しそうに顔をよせてきた。
 いかにも毒をもっていそうな感じのイモムシ姿なのだが、不思議と愛嬌がある。
 ゴキブリやカメムシになった姿を知っているせいか、かわいいとすら思えるくらいだ。
 毒針はあるし、足もたくさんあって、まぎれもなく虫なのだが……どことなく丸っこくて、ちょっと鳥に似ている。
 彼は鳥のくちばしみたいな、三角形にとがった口元をちょんとナギの鼻にくっつけた。
「つめたっ!」
 のけぞるナギをみて、くふふと満足げに笑う。
 雪まみれな時点で予想はしていたが、彼は氷のように冷えていた。
 ナギは自分の鼻とイモムシの頭を交互になでた。
 頭の触手には猛毒がありそうなので、細心の注意をはらっている。
「今日はなんだか意地悪ですね」
「いじわる」
 オオゲジサマはきょとんと目を見開いた。
 愛情表現のつもりだったらしい。
「外が寒くて楽しかったから、ナギにもおすそわけしたかったんだ」
 頭部の触覚がしょんぼりと力なくたれ下がっていく。
「そ、そうだったんですか」
「あと体が冷えたから温めて欲しくて」
「はい?」
 じりじりと近づいてくるオオゲジサマをみて、ナギはつい先日の出来事を思いだした。
 あの時も寒い雪の日で。
 雪まみれになって凍えてしまったナギは、ウサギに化けたオオゲジサマにだきついて温めてもらったのである。
「温めて欲しいなぁ」
 犬だったらしっぽをぶんぶんふっていそうな声で、イモムシは言った。
 つぶらな瞳は期待に輝いている。
 もしやこのためにわざわざ体を冷やしてきたんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。
「……」
 ナギはあきらめて、覚悟を決めた。
 受けた恩は返さねばならぬ。
 自分もやってもらったのに、どうして「寒いからヤダ」なんていえようか。
「毒針で刺さないでくださいね」
 イモムシの体はとっても冷たくて、やわらかかった。
 部屋は、あとで2人で掃除した。

◆

 オオゲジサマは甘えたがりというか、なにかとナギにふれたがる。
 もう慣れたのでそれはいいのだが、人前でも平気でさわってくるので、少し困っていた。
 例えばいま。
 オオゲジサマとナギの館には、お手伝いさんが10人くらいいるのだが。
 お手伝いさんと話している最中にオオゲジサマがナギの髪をなでようとした。
 それをやんわりとさえぎると、今度はナギの手をなでなでとさわり始め、それも止めさせると不機嫌になってしまった。
「ナギ、冷たい」
「いま人と話してるでしょうが」
「御巫(みかなぎ)さま、私たちのことはお気になさらず、オオゲジサマのお相手をしてさしあげてくださいませ」
 お手伝いさんは気をきかせてそそくさと退散してしまった。
 それがなんだか恥ずかしくって、ナギはうつむく。
「最近、あんまりさわらせてくれないよね。僕が嫌いになったの? もう愛してないの?」
 こういう時に極上の美少年に化けて悲しそうな顔を浮かべるあたり、主はあざとい。
 人間が好む姿と嫌いな姿をぜったいにわかってやっていると思う。特にナギの好みの外見とか。
「そういうわけではありません。あなたのことは変わらず愛していますよ、オオゲジサマ」
「僕もナギ好き。愛してる!」
「ただ……私もお年頃になってきたので、人目が気になるんですよ」
「どういうこと?」
「昔は私が小さかったので、あんまり気にならなかったんですけど、もう15になりましたし、周りがそういう目で見てくるというか……」
 他の人間といるときに限ってオオゲジサマが美少年に化けてくっついてくるせいでもある。
 ヘビに化けてナギのひざでごろごろしていたのに、他の人が部屋に入ってきたとたん美少年に化けたこともある。
 双子やユル相手でさえ2人きりにさせたがらないし、いったいなにを企んでいるのやら。
「よくわからないよナギ」
「……イチャイチャするのは2人きりの時だけにしましょうね」
「2人きりならいいんだね」
 ん?
 オオゲジサマが笑顔でそう告げて小走りで廊下をさっていったあと。
 なんだか嫌な予感がしてナギはその後を追った。
 点々と廊下や部屋に物が散乱している。
 まるで、なにかに襲われて逃げだしたかのような形跡だ。
 いつもは何人かのお手伝いさんとすれ違うのに、1人も会わない。
 まずいことを言ったかもしれない。
 ナギが冷や汗をかいたころ、奥の部屋からキャーッと悲鳴が聞こえた。
「オオゲジサマ! 食べてはいけません!」
 とっさにさけんで扉を開けると、そこには予想どおりの光景が広がっていた。
 バケモノとしかいいようのない、よくわからない生き物。
 肉食獣特有のギザギザした牙がたくさんついた大きな口が20個くらいついたその生き物は、お手伝いさんを頭からぱっくりくわえて飲みこもうとしていた。
 すでにお腹くらいまで飲みこんでいる。
「吐いて! いますぐ飲みこんだ人を全員吐いてくださいっ!」
 ナギが半泣きでさけぶと、彼は困ったように小首をかしげた。
「えっ、ごめん……2日くらいで消化しちゃうからいままで食べたの全部はちょっと無理かなぁ……」
「今日食べた分だけでいいですから!」
「うん、わかった」
 すでにお手伝いさん10人全員飲みこんでいたらしい。
 切りきざんだり噛みちぎったりせず、丸のみで良かった。
 みんなちょっとベタベタしているけど、ケガもなく無事に救出された。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
 ナギがスライディング土下座して全員に謝ったが、
「ほ……本日限りで……やめさせていただきます」
 心に深くきざまれた恐怖は消えないらしく、お手伝いさんみんなその日で辞めてしまった。
 また同じような事件がおきそうで、新たな人員を補充する気にはとてもなれない。
「これで2人きりだね」
 美少年に化けてぴったりとくっついてきたオオゲジサマのほっぺを、ナギは軽くつねった。
「えへへ」
 しかしそれでもなお嬉しそうに笑うものだから、この生き物を嫌いになれないのであった。

◆

 オオゲジサマは守り神なので、いろんな願いごとをされる。
 届いた手紙の中から、主にできそうな仕事とできない仕事を分類しつつ、ナギはふとたずねた。
「私はあなたの8代めの御巫(みかなぎ)。つまりいままで7人の巫女がいたんですよね」
「そうだね。みんなそれぞれ面白い人だった」
「その人たちと恋に落ちたりとか、しなかったんですか?」
 さり気なく聞いたつもりだったのに、主はぽんと美少年に化けて近づいてきた。
 さっきまで1つ目のネコになっていたのに。
「僕の過去が気になるの?」
 主は老若男女問わずなんにでも変身できるのだが、なぜかナギと接近するときはこの姿になることが多い。
 この姿が1番好みだとバレているのかもしれない。
 歳もだいたいナギと同年代に合わせることが多かった。
 さらさらの黒髪。
 ネコそっくりのつり上がり気味の目はパッチリとしていて、まつ毛が長い。
 鼻や唇、あごのラインは華奢で整っていて、気の強い美少女みたいだ。
 しかし体の骨格はたしかに男の子のもので、しなやかな筋肉がある。ナギより肩幅があるし、手も大きい。
 服はころころ変わるが、いまはハカマみたいな着物を着ていた。
 ささやかだが成長し、女の身体に近づきつつあるナギよりも、色気のある少年。
 うすい唇を三日月のようにつり上げて、彼は問う。
「僕が他の人を好きだとイヤなんだ?」
「……」
 ナギは言葉につまって目をそらした。
 闇のようにまっ黒な彼の目は、こちらの考えをすべて読みとってしまいそうでたまに恐ろしい。
 醜い嫉妬を見透かされて恥ずかしかった。
「どうして私なんだろう、と思ったんです。私みたいな人、他にいくらでもいるでしょう?」
「見た目だけならね」
 優しくナギのほおを両手でなでて、オオゲジサマがささやく。
「いまだに人間の見た目はあんまり見分けがつかないけど……ナギだってウサギをかわいく思うでしょ?」
「オオゲジサマにとって私はウサギですか?」
「ウサギに恋したのも初めてだし、ウサギが恋してくれたのも初めてだけどね」
 くすくすと主が笑う。
「バケモノを愛してくれる女の子なんて、なかなかいないよ」
「でも、御巫ならきっとだれでも……」
「そんなことないよ。ミカはお母さんみたいだし、ゲボクは家来だし、ナナシは飼育員だし、ゴンべは友達だから……なんかちがうんだよね」
「そうなんですか」
 ついほっとすると、ちゅっと口づけられた。
「ナギはかわいいね。なにしててもかわいい」
「……」
 オオゲジサマにニコッと笑いかけられても、ナギはなにもいえなかった。
 ちゅって。
 ちゅって、いま。ちゅって!?
 なにをいきなり。なぜそんなにさらっとできるのか。
 いやそもそもこういうのは結婚してからするもので。
 一瞬だったから感触なんてわからなかったけど、良い匂いがした。
 とか色々考えて固まっていたら、またオオゲジサマが顔を近づけてきたので、ナギはあわてて手で防いだ。
「ちょっとウサギになってもらえませんか? 1週間くらい」
「なんで!?」
「私の心臓がもちません」
 大人の階段を上るにはまだまだ早いと判断したナギだった。

◆

「ナギは何歳で大人になるの?」
 オオゲジサマとはいっしょに寝ている。
 しかし、最近お年頃なせいか、布団の上で美少年になられると非常に落ちつかない。
 ソワソワと視線をただよわせながら、ナギは答えた。
「20歳で成人です」
 ウソではない。
 国によるが、だいたい16~20歳で人間は成人する。
 ナギが生まれたゲジ国では16歳で成人のため、あと1年で成人といってもいいのだが……。
 成人したら”なにか”される気がする。
 ただの自意識過剰かもしれないが、身の危険を感じているのである。
 あとたった1年で心の準備ができる気がしないので20歳と答えておいた。
 そもそも自分は巫女なわけだし、そういうのしませんとつっぱねてしまっても良いかも?
「あと5年か。もうすぐだね」
 オオゲジサマがにこりとほほえむ。
 300年くらい生きている彼にとって、5年なんてまばたき1つほどの時間なのかもしれない。
「ソウデスネ」
「ねえナギ。なにを怖がってるのかしらないけど、大丈夫だよ」
 安心させるようにゆっくり、ゆっくりと体を近づけて彼はささやく。
 ほのかに温かい体温が伝わってきて、ドキリとした。
「僕は君が嫌がることはしない。10年でも20年でも、いつまでも待つよ」
 至近距離でこちらを見おろす黒い瞳は捕食者の目そのもので、怖い。
 なのになぜか胸が高鳴るから不思議だ。
 きっと、どこまでも甘く優しいこの声のせいだろう。
「……」
 いや、本当に怖いのはオオゲジサマじゃない。
 ナギ自身だ。
 あなたの美しい顔で、優しい声でささやかれると、自分からホイホイあなたを求めてしまいそうになる。そんな自分が怖いんです!
 とは言えず、ナギは黙ってにっこりほほえんだ。
 ちょっと顔が引きつっていたかもしれない。