26.春

 電話でたい!
 さっきまでの憂鬱はどこかへすっ飛び、スマホを両手でにぎりしめてそわそわと意味もなく歩きまわる。
 用件はなんだろう?
 明日のカテキョも中止とか? それとも例のネコの霊について事情を説明してくれるんだろうか。またはいつもみたいに「声聞きたい」とか。
 通話ボタンを押しそうになる指に「明日には会える」と内心いい聞かせていたら、
「保月さん?」
「わぁっ」
 いつのまにか背後に中川さんが立っていた。
「なんかあった? 顔まっかだよ?」
「……なんでも、ない」
 震え続けるスマホをそっとバッグの中にしまう。
 やってきたバスに二人で乗りこみ、何気なく窓の外を見て心臓が破裂しそうになった。
 ちょうど実家からもどってきた所なんだろうか。
 駅の出入り口。階段の辺りに、電話中の高橋さんがいた。遠目だけれど、久しぶりに見る彼はやっぱりものすごく格好良い。足は長いしお洒落だし、一人でいるせいかめずらしくキリッとした表情してるのもいい。つい見とれそうになったものの、罪悪感を覚えて顔を隠した。
「その席まぶしかった?」
 と中川さん。
 そういうことにしておこう。
「うん、ちょっと夕日が」
「変わろうか?」
「ありがとう、でももう出発すると思うから大丈夫」
「そう? あー、そーだ。お菓子あるけど食べる?」
 彼女と雑談をかわしながら、そっと窓の外をうかがう。高橋さんは電話をやめてメールを打つような仕草でスマホをいじっていた。
 ごめん。また明日。
 心の中で手を合わせていたら、今度は別の意味でぎくりとした。
 彼の足元に白いネコがいる。
 斉藤さんがいっていたような恐ろしい形相じゃないから、ただの野良ネコだとは思うけれど。あんな話を聞いたからか少し怖い。
 毛並みがよくて上品。でも、気安くさわると噛みつきそうな雰囲気。
 黄色い瞳がきょろりと動いて目が合う。
 遠くにいるのに、細い縦線の瞳孔までよく見える。
「……っ」
 反射的に目をそらし、すぐ視線をもどすと白ネコはいなくなっている。
 どこへ行ったのかとまばたきを繰り返していたら。いつのまにか、高橋さんがこちらを見つめていた。
「わ」
 静かに動揺していたら、彼がこちらに近づいてきた。
 同時にバスが発車する。
 気まずくて顔をそらし、車内を見ると。中川さんがすやすや寝息を立てていた。

◆

 すっかり陽も落ち、人気もまばらになったころ。
 私は高校見学を終えて元の駅にもどり、中川さんと別れて帰り道を歩いていた。
 暗闇にぽつり、ぽつりと小さな電灯がついた駐輪場をぬけて、細道にさしかかったとき。するりと横から手がのびてきて飛び上がりそうになる。
「なんで電話でないの?」
 面白がるような、怒りを押し殺すような低いささやき声。
 片手で通せんぼするように高橋さんが立っていた。こちらを見下ろす顔がけっこう近くて、一気に体温が上昇する。最近わりと慣れてきていたのに、久しぶりなせいで心臓がうるさい。
「ず、ずっと駅でまってたの?」
「●●行きのバスだったから、おおかた受験の下見だろうし。そんな時間かかんないだろーと思ってた。つーか、話をそらさないように」
 目が笑ってないのがちょっと怖い。
「ごめん。いま連絡とると危ないって、さい」
「なんだ、斉藤から聞いてたのか」
 とたんに機嫌が回復して拍子ぬけした。彼はころころ表情が変わる。
「もう大丈夫なの? さっき足元に白いネコがいたけど」
 高橋さんは私の髪をなでながら意味深に笑う。
「大丈夫」
 近くの喫茶店に入って、彼は事情を説明した。
 実家が呪われていた、と。
 去年の秋ごろから父が体調をくずし、つい先日検査入院した。そうしたら、肺に腫瘍が見つかった。手術しても助かるかどうかは賭けらしい。そして弟は原付の走行中にタイヤがパンクし、横転。入院するほどではないが、全身傷だらけで包帯男のようになっていた。母はなぜか首が痛いと訴えている。
「俺も実家帰ってから体調悪くてさー」
 無気力で食欲がわかず、なにを食べても吐いてしまう。常に頭痛がともない、足がふらつく。
 これはなにかあるなと家の周囲を探すと、庭の片隅に小さなビンが埋められていた。
 一見ただのゴミだが、フタを開けると異臭が鼻をつき、どろりとした赤黒い粘液があふれてくる。
 中には腐ってつぶれかけたネコの目玉がぎっしりつまっていた。
「だれかの呪詛だ」
 私が顔をしかめたせいか詳しい方法はいわなかったが、複数のネコを虐殺し、その怨念を利用したものらしい。だいたい斉藤さんから聞いた話と一致するが、そう伝えても高橋さんはおどろかなかった。
「あいつも霊視できるから、知ってても不思議じゃない」
 信じがたいが、帰省してからはまだ一度も斉藤さんと連絡をとっていないという。
「それで、それからどうしたの?」
「俺の手に負えなかったから、上に頼んだ」
「なにそれ」
 高橋さんが悪戯っぽく笑う。
「ネコ神神社って知ってる?」
 その名のとおり、ネコをまつっている神社らしい。
 企業秘密とかで詳しい説明はされなかったが、そこの力を借りて、呪いに使われたネコをなんとかしてもらったそうだ。
 こうして家の様子が元にもどり、高橋さんの体調不良が治った翌日。
 彼の父の腫瘍が消えた。
 レントゲンの不具合だったのかもしれないと医者に謝罪されたらしいが、真相はわからない。
「じゃあ、私が見た白いネコって」
「神社のお使いだな。お礼参り行った時にほとんどは帰ってったんだけど、なんか気に入られちゃって1匹残ってる」
「でも、だれに呪われてたの? 失敗したってわかったらまたなにかしてこない?」
「大丈夫」
 彼は冷めた目をしてささやく。
「ネコ神が、ネコ虐殺されてだまってると思う?」
「どうなるの?」
「俺もネコ好きだし。なんだかんだいって家族もそれなりに大事だからさー、ムカついたっつーか」
「……どうなるの?」
 めずらしく、彼は笑って答えなかった。
 ちなみに家族との仲はいつもどおり。
 一度ちゃんと話し合ったほうがいいのではと思ったが、彼は現状維持で満足らしい。たまに顔を見て軽く話をする、いまの距離感がちょうどいいのだとか。
 本当にそうなら帰省するくらいであんなにしぶらないだろうと思ったが、実家にいた間は薬を飲んでも毎日一時間しか寝れなかったというし、まだ時間が必要なのかもしれない。しばらくはそっとしておこう。
 食後。
 店をでて二人で歩いていると、
「ひな、うちよってかない?」
 楽しげに誘われて言葉につまった。
 せっかく静まりかけていた心臓がひそかにはねる。
 嫌じゃない。嫌じゃないけど……やっぱりこういうのってまだ早いかもと思ったりして複雑なのだ。
「やめ」
 とく、というより先に高橋さんが続ける。
「今日はなにもしないからさ、映画でも見よう」
 魅力的なお誘いだ。
 だが断る。
「もうすぐ受験だし、明日も学校だから……高橋さんこそ、寝不足なんだからゆっくり休みなよ」
「ひながいた方が眠れる」
 そんな目で見ないで欲しい。
 寝不足はかわいそうだけど、彼のマンションなら薬を飲めば一人で眠れるはずだし。どうせ明日もカテキョで会うし。でも、泊まりじゃなくて2時間くらいなら……。
 迷っているうちにそれに気がついてしまって、全身が凍りつく。
 周囲にはだれもいないはずなのに、彼の肩を女の手がつかんでいた。
 手だけで、身体はない。顔も髪もなにも見えない。
 普通の肌色で、生きている人間と変わらない。声に反応したように、指の数本にじわりと力がこもって、かすかに動く。顔はないのに見られた気配がハッキリとして、ざわりと背筋があわだつ。
 首をしめてきた女の霊だと直感した。
「高橋さん……それ」
 おそるおそる指摘すると、彼はバレたかとでもいいたげに笑う。
「親に憑いてたから、もって帰ってきた」
 呪いとは別に霊も憑いていたらしい。
 もちろん、私は速攻で帰った。

◆

 やがて3月になり、私の高校受験は終わった。
 すべり止めと本命の2つとも無事に合格。卒業式もすませ、あとは高校の入学式をまつばかりというころ。
 家庭教師の授業も今日で最後になるので、母と私と高橋さんの三人で、お茶を飲みながら話をした。
 客室でソファにすわり、母が頭を下げる。
「100点満点のテストで2回も0点とった時は、うちの子こんなに馬鹿なの!? って絶望して、塾やら通信教育やらたくさんやらせたんだけど、全然ダメだったの。それが1年でこんなに成績上がって……ほんと、高橋さんのおかげです。大変だったでしょ。私も勉強教えたことあるんだけど、もう手がつけられなくて」
 酷いいわれようだ。
「ひなたちゃんは、もともと頭いいと思いますよ」
 高橋さんが苦笑する。
 彼にひなたちゃんって呼ばれるとなんか落ちつかない。
「今まで成績が悪かったのは全然、まったく、これっぽっちも、勉強してなかったからです。予習復習はおろか授業すらまともに聞いてなかったみたいですから」
 あれ? フォローしてるようでフォローしてないような。
「ああ、そういえば三者面談で授業中ぼーっとしてるっていわれた! 授業くらいちゃんと聞きなさい」
「……ハイ」
 聞いてはいたのだが、内容が理解できなくてぼーっとしてるように見えただけである。予習復習をするようにしてからは改善されている。が、口答えすると説教がのびるだけなので大人しくうなずく。
「それにね、高橋さんが来てからこの子明るくなったような気がするの。口数が増えたし、あんまりうつむかなくなったし、よく笑うようになったし、最近たまに目が合うし。人見知りも治ってきたんじゃない? 前はあんなに暗かったのに」
 くり返す。お母さん酷い。
 そうか私そんなに暗かったのか。内心ちょっと泣きそうになっていたら、高橋さんがやんわりたしなめた。
「お母さん、娘さんがショック受けてますよ」
「あ、ごめん。傷ついた? でもほんと暗かったから」
 これ以上いったら1日部屋に引きこもる。
「暗いっていうか、大人しいんですよ。俺は暗い子もいいと思いますけど」
 高橋さん優しいから好きだ。でもそれけっきょく暗いっていってない?
 母が笑う。
「今日で終わりなのが残念だわー。よかったら大学受験の時も高橋さんにお願いしたいんだけど……」
「いや、それが俺もう家庭教師やめるんですよ。来年は自分の就活もあるんで、短期や単発のバイトだけにしようかと思ってて」
「やめるの?」
 聞いてない。
 急に不安になって問うと、なぜか2人同時に笑われた。
「でも、ひなたちゃんなら個人的に勉強みてもいいですよ」
「あら本当に? 本気にするよ?」
 母が目を光らせる。
「本気にしていいですよ。連絡先も交換してあるんで、ひなたちゃん通して連絡もらえればいつでもきます」
「どうする? 高校も勉強みてもらう?」
 急にいわれても。
「ええと、でも私が大学受験するころって、高橋さんが社会人になって仕事大変な時期なんじゃない? 大丈夫なの?」
「大丈夫」
 即答された。本当だろうか。
「でも、高橋さんの就活の時期とはかぶらない方がいいだろうし……えーと、とりあえず、高校の授業が始まってから考えるよ。また連絡するから」
「うん。遠慮しなくていいから」
 それから少し世間話をして、彼は帰った。
 すでにプライベートで会う約束もしているし。別に家庭教師として会わなくてもと思っていたのだが、あの様子をみると高校でも頼んだ方が彼は嬉しいんだろうか。むしろ頼めという顔をしていた。そのほうが会う回数が減らなくてすむから私は嬉しいけど……。
 悩んでいたら、玄関で一緒に高橋さんを見送っていた母がニヤリとほくそ笑んだ。
「アレはうちの子に惚れてるな」
「……」
 つき合ってます、とはとてもいえない。
 こうして、私の家庭教師はひとまず終わりを告げた。