その1 キモイばけもの

 オオゲジサマ。
 美しく気高く、罪人に天罰を落とすという神獣。

 その生き物のために育てられ、お会いする日を楽しみにしていました。
 でも、あらわれたのはキモイばけものでした。

「き」

 きもちわるうッ!
 美しいどころか悪夢みたい。

 人を丸のみにできそうな、大きなくち。キバなんか刀より長い。数百本ある手足でカサカサと地面をはいまわっている。ゲジゲジとカマキリとネズミをごちゃ混ぜにして、とても大きくしたみたいな身体。

 そんなバケモノが、死刑囚を頭からバリバリ丸かじりしている。

「ひいい……っ」

 八代目の御巫(みかなぎ)は腰をぬかして泣きべそをかいていた。

 御巫というのは神獣につかえる巫女の名前である。
 一族の中でもっとも呪力が高いものが選ばれる。十歳から四十歳までの三十年間を、神獣と共にすごすのが仕事。

 八代目も今日で十歳になった。

 だから聖山にまねかれて、オオゲジサマを紹介されたのだが……これのどこが神獣なのだ。よくて魔物だ。
 それは死刑囚を食べおえると、両足だけぺっとはきだした。

「うっ」

 つい顔をそむける。

 罪人の処刑やひきとり手のない遺体の処分。外国に攻められた時の防衛などがオオゲジサマの仕事だ。ほとんど死と共にあるといっていい。

 そのため、御巫は物心ついた時から葬儀に連れまわされ、埋葬の手伝いなどをして死体になれる。

 だけど、いくらなんでもこれはひどい。
 これはひどい!

 こんなバケモノにつかえなければならないなんて……貧血で頭がくらくらしてきた。

「初々しいわねえ」

 七代目の御巫(みかなぎ)が笑う。
 白装束に白ゲタと、白ずくめの女性だ。

 こちらは四十歳。年や背格好はちがうものの、二人はまったく同じ服装をしている。お役目中の御巫は色のあるものを身につけてはいけないからだ。

「そのうちなれるわよ」
「ムリです!」

 御巫は必死にうったえる。

「なにがムリなの?」

 子どもみたいな、高い幼い声。
 背後をふり返ると、金色に光る2つの目玉がこちらを見ていた。
 つんと血の匂いがただよってくる。

「ヒイッ」

 やれやれ、とばかりに七代目が肩をすくめる。

「あなたが下品な食べ方するからひいてるじゃない。残しちゃダメっていつもいってるでしょ!」

「せ、先代! そんな失礼ないい方したら……!」

 怒られますよ食われますよ殺されますよっと御巫が青ざめる。
 だけどバケモノは怒るどころかしゅんとして、

「わかったよ。ちゃんと食べるから」

 ”食べ残し”を飲みこんだ。
 主人にしかられた犬。あるいは母親に怒られた子どもみたいだ。

「怒られるから食べよう、なんて思ってないでしょうね? 命の大切さについてこの前たっぷり教えてあげたのに、もう忘れちゃったの?」

「忘れてない。ちゃんと覚えてるよ、覚えてるってば」

 バケモノが先代の肩に前足をこすりつける。

 まさか、愛情表現のつもり?
 死刑囚のいかつい男をまばたき一つの間にひきよせ、背骨をへし折った足だ。彼女は平気な顔をしているが、見ているこっちが心配になる。ハラハラしていたら、先代は軽く笑った。

「大丈夫、大丈夫。これは例え殺されかけたって御巫には手をださないの。神さまみたいに崇められちゃいるけど、あたしらにとっちゃただの子どもみたいなもんよ」

 人間を食べる、怪物の姿をした子ども。しかも家くらい大きい。
 イヤだそんなの。

「よろしくね」

 どうやら握手がしたいらしい。
 異形が長い前足を一本、こちらにのばす。

 御巫はそれにさわれなかった。

◆

 むかし、むかし。ゲジという治安の悪い国がありました。

 道を歩けば死体にぶつかり、店に入れば強盗にあう。家で閉じこもっていたら、放火される。役人は金もちだけしか助けてくれず、見てみぬふりをする。

 そんなだから、善良な一般市民は死ぬかでて行くかで減り続けます。残るのは荒くれ者や犯罪者ばかり。殿さまはとても困っていました。

「治安維持とかめんどくせぇ~……わしも国すてて逃げちまおうか」

 ところがある日。
 御巫(みかなぎ)という旅人が、城で雇って欲しいといってきました。

「えっ、こんなクソみたいなとこで働きたいの!? 正気!? 大歓迎だよ! いっそ君が殿さまやる?」

 どんどん人が減っていたので、即採用です。
 チヤホヤされて、御巫はとまどったようにたずねました。

「どうしてこんなに親切にしてくれるのですか?」

 どうせわかってしまうことだからと、殿さまは正直に話しました。

「いやぁ~、それがさぁ~……この国、治安悪すぎてつぶれそうなんだよね」

 こんなところで働きたがる物好き、めったにいない。人がいなさすぎて、護衛が家事やってるくらい。

 だいたいそんなことを説明すると、彼は納得。
 じつは自分は呪い師(まじないし)なのだと打ち明けました。

「海のむこうの国でやとわれていました。しかし王さまの使い魔を作るつもりが、まちがってバケモノを作ってしまったのです。それで、処刑されそうになったので逃げてきました」

 殿さまは大しておどろきませんでした。

「ま、そりゃそうだよな。ワケアリじゃなきゃこんな国こないさ。いいよ別に。まじめに働いてくれるなら罪人でも」

「ありがとうございます。それで、そのバケモノなのですが……」

「まさか、そのバケモノも連れてきたんじゃねーだろーな?」

「ええ。じつはこのツボに封印してあるのです」

 御巫は人の頭くらいのツボをさしだしました。
 どこにでもありそうなありふれたツボです。奇妙な文字が書かれた札のようなもので、何重にもふたをされていました。

「すててこおおおおい!」

 殿さまの命令で、家来たちがツボをとり上げようとします。御巫はいいました。

「このバケモノはお役に立ちますよ」

 殿さまはハッと鼻で笑います。

「役に立つなら、処刑されそうになるわけがない」

「あそこは治安が良かったもので」

「……というと、治安の悪い国では役に立つのかね?」

 御巫がうなずくと、殿さまが少し身をのりだしました。

「治安を良くしたいのなら、刑罰を重くすればよいのです」

「そんなの、とっくにやったさ! でもうちの国民、強くていうこときかないんだもん。武器もいっぱいもってるし! 犯罪者を処刑しようとしたら、逆に役人が殺されまくったんだよ」

「では、殿さまがだれよりも強くなってしまえばいい」

「それができれば苦労は……えっ、できんの?」

「これは人を食らいます」

 御巫は声をひそめて、ささやきます。

「武装していても、人間に負けることはまずありません。そして、生みの親である私のいうことはよく聞きます」

「ほう」

「これに罪人を食らわせればよろしいかと」

 殿さまは自分の白いあごヒゲをなでて考えたあと、いいました。

「やってみよう!」

 それから、ゲジ国の治安はとても良くなりましたとさ。
 めでたし、めでたし。

◆

「これが私たちの国の本当の歴史よ」

 聖山の中腹にある、御巫がすむための家。
 白装束を着た40代の女性──7代目の御巫(みかなぎ)が古い巻物を読み終えて告げた。

 8代目の御巫はその対面にすわり、肩をふるわせている。

 肩上くらいで切りそろえられた黒髪。先代と同じ白い着物。愛らしい顔だちの童女だ。しかし、いまは丸い瞳をきりきり怒りでとがらせていた。

「あの……いままで教わってきたことと、ぜんぜんちがうんですけど」

 別の巻物を広げ、たどたどしい声で読み上げる。

「『国が乱れてこまっていた殿のもとに、ある日天人が舞いおりた。天人は神獣と巫女を使わしてくださった。神獣は罪人たちに天罰をくだし、国は平和になった』……これがゲジ国の歴史じゃなかったんですか?」

 幼いころからの教育はなんだったのかとにらむ少女。
 先代はほほえみながらゆっくりとさとす。

「ぶっちゃけ、ウソなのよ」

「先代いいいいいいいい!?」

 涙を流す御巫を無視して、彼女が続ける。

「いままで教えてきたのは、国民や外国への建前的な歴史なのね。だって、バケモノに守られている国家なんてブキミでしょ? そんな国と仲良くしたがる国はないし、住みたがる民もいない」

 先代はそっと人さし指を立てた。

「だからこの事実を知っているのはごく一部だけ……あなたも口外しちゃダメよ。巫女と信じられている御巫一族の先祖が罪人で、しかも実際はバケモノの世話係でしかないなんて! バレたら迫害されちゃうわよ」

「そんな!?」

 御巫が全身をこわばらせる。
 先代は顔の前で手をふった。

「へーきへーき、なれれば案外楽しいわよ。あたしは今日で引退だけど、わからないことがあれば聞きにきてくれていいからね」

 ふすまに手をかけた彼女に、御巫がためらいがちに声をかける。

「先代……先代はオオゲジサマをきもち悪いとは思わなかったんですか?」

「……」

「あの……先代?」

「大丈夫。なれる! 最初はみんなそーいうけど、なれなかった人なんていなかったし」

「じゃあ、いまはきもち悪いと思ってないんですか?」

「……」

「あの……さっきからその間はなんですか?」

 先代はアハハと笑い、目を合わせずにさっていった。

◆

 次の日の朝。
 御巫(みかなぎ)は酒瓶を手に、長い長い石段をのぼっていた。

 オオゲジサマが住む、聖山の頂上へむかっているのだ。
 大人にとっては軽い運動くらいの距離。しかし10歳の子どもには少々きつい。

「や……やっとついた」

 つくなり、軽く汗をぬぐう。
 そこにはまっ白な鳥居がぽつんと立っている。まわりには木々しかなかった。

「オオゲジサマーお酒もってきましたー」

 呼ぶと、数秒もしないうちにしげみがゆれる。しかし、そこから飛びだしてきたのはバケモノではなかった。

 ケガをした大男。

 腐った果実のように肩が変色している。片方の腕は重力のままぶら下がってゆれていた。目が合うなり、獣のようにおそいかかってきた。

「……っ」

 御巫は悲鳴すら上げられずにすくみあがる。
 けれど、男の手が彼女にとどくより速く。細長く巨大な脚が男の全身をがんじがらめにした。

「うわあああああああ!」

 骨にひびくような断末魔が山にひびく。男の五体はふ菓子のようにひきちぎられ、巨大な口に放りこまれていった。
 あとには、赤い血だけが残る。

「ごめーん、ちょっと遊んでて」

 小さな家ほどもあるカメムシがこちらを見下ろす。カメムシなのに、なぜか口は肉食獣によくにていた。ギラギラしたキバがみえている。

「お……オオゲジサマ?」

 ふるえて泣きながら御巫が聞く。すっかり腰がぬけていた。

「そうだよ。他にだれがいるの」

「この前と姿がちがうような気がするんですけど!?」

「ボクは一度食べたものなら、なんにでもなれるから。毎日姿を変えて遊んでるんだよ」

 最近は虫にハマってるんだ、とカメムシが笑う。夢でうなされそうな笑顔だ。
 御巫はそっと目をそらし、ふとたずねた。

「いまの男は死刑囚ですか?」

「うん」

「ここに運ばれてくる死刑囚って、動けないようにがっちりしばられてるはずですよね。……なんであの男、自由に動きまわってたんですか? それに処刑日は昨日の夕方だったような」

 いままで死刑囚が逃げたことなんて、ないはずなのに。

「ボクにはこれくらいしかストレスのはけぐちがないんだよ。少しくらい遊んでもいいと思わない?」

 オオゲジサマはよくわからないことをいって、調子はずれな口笛をふいた。

「すとれすってなんですか?」

「カゴの鳥は退屈だってこと」

「へえ……?」

 彼は少女の手からするりと酒瓶をとると、あっというまに飲みほした。