その56
そういえば2日くらい食べていなかったような気がする。
サンドイッチやらお茶やらもらってお腹がふくれるとなんだか気が抜けてしまい、いつのまにか眠ってしまった。
目を覚ますとちょうど朝。
上り始めた太陽を背に、お姉さんが小さな鍋でなにか煮こんでいる。
美人というよりはちょっとかわいい感じの素朴な人なのだが、赤い髪が光に照らされているのがすごく綺麗で見惚れてしまった。
「よく寝てたねー」
ナギがおきたのに気づくと、おわんによそってこちらに差し出す。
「はい、どーぞ」
鳥肉と野菜のスープだ。ふわりと良い匂いがして、お腹がなった。
「あ……ありがとうございます」
口をつけようとして、少しためらう。
すでに散々ごちそうになった後なので今さらなのだが。ここに双子やユルドゥズがいたら「毒入りかもしれない」といいだす気がしたからだ。
彼女がなにかする気ならナギが眠っている間にどうとでも出来たはずなので、大丈夫だとは思うが……。
「簡単に他人を信用するんじゃありません!」というヨウの声が聞こえた気がして、ひかえめにたずねた。
「あの……私が怖かったんじゃないんですか?」
おきたらいなくなっているかもと思っていたのに、むしろ親切になっているような。
助けてくれた人を疑うのは心苦しいが、不思議に思って問う。お姉さんは苦笑する。
「だって、どこからどう見てもただの子どもだし……以前、役人に連れてかれるのをだまって見てた負い目もあるからさ。あの時はゴメンね?」
彼女はアンリと名のった。
前回名のったかどうか忘れてしまったので、念のためこちらも名のり返す。
「いえ、気にしてないので。私は人間ですが、魔物の仲間みたいなものなんです」
オオゲジサマという神獣に仕えている巫女であり、仲間がいたが、はなればなれで生死不明なこと。
ユルドゥズのことなどを話すと、アンリはガタガタ震えて青ざめた。
「そんな深い事情ききたくなかったよ!」
彼女はというと、引き続き店を開く場所を探して旅の料理人をしているらしい。
ジャクセンに立ちよったが、雰囲気が物々しかったのですぐに出てきたという。
「死神が死んだ」という報せがあちこちに広まり、人々が喜びにわく一方。いまだに怯えるものもいたからだ。「死神の残党をすぐにでも公開処刑すべきだ」という声が多く、デモがおこっているのだとか。
「私が逃げたことはまだ公表されてないんですね」
ナギがのんきにつぶやくと、アンリはじわっと涙を浮かべた。
「どーしてそんなに落ちついてられるかな? 残党って君のことだよね? ナギを助けた私も共犯者あつかいで投獄……下手したら、処刑されちゃうよ!」
不思議なもので、自分より混乱している人がいるとかえって冷静になるのが人である。
「大丈夫ですよ。今から私と別れて、なにも見なかった、聞かなかったことにすればいいんです」
前に会ったとおり良い人そうなので、スープを飲み終えてから答える。アンリは冷や汗を流しながらも意外そうな顔をした。
「え? でも、一人で逃げられるの?」
「さあ。でも、あなたを巻きこむつもりはないので、安心してください」
「じゃあ、なんでこんな話したの?」
もっともないいぶんである。
なにも話さずに立ちさっていれば、彼女も後味の悪い思いをしなくてすんだのだ。わかっていて話したのはわがままに他ならない。
「”死神”は残虐なだけの生き物じゃないって、だれかに知って欲しかったんです。信じるかどうかは、あなたの自由ですが」
ユルドゥズは確かに悪いこともした。
だが、「世間を苦しめていた血も涙もない悪党が討たれた」なんて一言で済まされてしまうのはやりきれない。
もしナギがあのまま尋問され、処刑されていたら世間の評判はそのままだったろう。尋問の最中に知っている限りユルドゥズのことを話したとしても、それが正しく公表されるかは疑わしい。優しいところもあった、なんて不都合な事実は隠蔽されてしまいそうだ。
「ごちそうさまでした」
おわんを返して頭を下げると、腕をつかまれる。
「……こんな格好の女の子を放っておけるわけないじゃん」
いわれてみればひどい格好だ。
傷口を応急処置するために袖を破っていたので、ちょっと肩が寒い。でも、いつの間にか左手の傷はきちんと手当されていた。左手についていた黄色い粉薬も消えていて、ひそかに目を見張る。額は見れないが、右手にはまだついたまま。
「あれ? この黄色いの、どうやってとったんですか?」
ついたずねると、彼女は不思議そうな顔をした。
「え? 普通にふいただけだけど……って今はそんな話じゃないでしょ! かくまってあげるっていってるの!」
「お気持ちはありがたいですが、そういうことをするとあなたも追手に狙われたり処罰されたりしそうなのでご遠慮します」
ナギが首をふると、アンリはムキになったようにふくれっ面をする。
「つ、捕まらなければいいんだよ!」
ほほう。
「アンリって、お人好しってよくいわれるでしょう」
「なぜそれを……ていうか、そんなキレイな言葉づかいなのに呼び捨てなんだ」
わりと崩れるし、大してキレイな言葉づかいではないと思うのだが。
意外そうな顔をされて、こちらも目を丸くした。
「失礼しました。基本的に王族と神獣以外に敬称はつけなくていいと育てられたもので……ええと、アンリさん?」
つい最近まで知らなかったが、ふつう、年上にはさんづけが多いらしい。
それにしてはナギが呼び捨てにしても気にしない人が多い気がしたが、ヨウは「ちびちゃん貴族っぽいから」とかいっていた。
高い服を着ていると悪い人に狙われるというので、格好は町娘そのもの。服に合うように髪型ももうおかっぱではないので、それなりに溶けこんでいるはずなのだが……。
「なにそれ。どこのお姫さま?」
「……巫女です」
ナギが訂正すると、アンリはしばらく頭を抱えて混乱していた。難しい話は苦手らしい。
やがて、立ち直ったのかガシっと両手をつかむ。
「アンリでいいよ! よろしくね」
よくわからないが味方が増えた。
◆
一方、そのころの竜王は神獣の処分方法に悩んでいた。
オオゲジサマというらしい神獣は再生力が尋常でなく、切ってもついても平気な顔をしている。
とても殺せそうにないし、人質がいるとはいえ野放しにしておくのは危険すぎるので、とりあえず手持ちの琥珀に封じこめた。
黄金色の石に包まれた青い蝶は目に鮮やかで、美しく毒々しい。
これでしばらく持つかと思いきや、人質の娘をジャクセンにたくして出国した翌日。
娘の危機でも察知したのか、いきなり琥珀に亀裂が走った。
中から神獣が飛び出してきたが、幸い、そのときには新たな封印の手はずが整っていた。
竜の島、元聖域。
元あった封印は跡形もなく壊されてしまったが、おそらく世界で一番魔力を集めやすいこの地。竜王は臣下たちの力を借りて、地下牢に新たな結界をはっていた。
すぐさま臣下たちが一斉に術を行使し、オオゲジサマを封じこめる。
一瞬動きを止めたその身体を、竜王が剣でつらぬいた。
無論、ただの剣ではない。三代目竜王の亡骸から作られたそれは魔剣、宝剣、あるいは聖剣と呼ばれても遜色がない。かざすだけで退魔の効果があり、味方の傷を癒やす。どこに保管していても呼べば飛んできて、主以外がふれれば命を喰らう。
一振りで海を割るといわれる剣に胸を貫かれ、オオゲジサマは声にならない悲鳴を上げた。
「……ッ」
神獣の全身が朽ちたが、すぐ別の姿で再生する。
それを何度か繰り返し、やがて人間の少年の姿で落ちついた。
黒髪に褐色の肌。華やかな顔立ちで、上半身に刺青が刻まれている。
「おどろいたな。この剣でさえ殺せないとは」
いちおう効いてはいるようだが。
彼が心臓に刺さったままの剣に手をのばすと、すぐさまその手がただれて崩れ落ちる。崩れた端から再生するが、とても剣を抜くことはできそうにない。
竜王はそれを冷たく見下ろして、告げた。
「しばらく大人しく封印されていろ。いずれ殺す方法が見つかれば殺してやる」
「人質に危害を加えられて、大人しくしているとでも?」
明らかに劣勢だというのに、殺気をかくしもせずにオオゲジサマはいう。
二匹の威圧と殺気の余波をくらい、臣下が数匹気絶したのが見えた。
「あれは我が同族ではない。すでに人質としての役目を終えたので処遇はすべて人に任せている。拷問されていようが処刑されていようが我は知らん」
「僕だっておまえの同族じゃない」
「おまえのような異形を人にたくせるか。たくした国が滅んだらまた竜族のせいにされるのだから」
オオゲジサマが嫌そうに眉をひそめる。
「……プライドの高い竜族にしては、ずいぶん姑息な手を使う」
「なんとでもいえ。正義の味方になったつもりはない」
なりふり構わず、竜族を守るだけで精一杯。
それ以上の余裕はなかった。
「あっそ」
オオゲジサマは口の端を上げた。けれど黒い瞳は笑っていない。
彼は右手を素早く一閃させた。
竜王がとっさに左腕で我が身をかばうが、たえきれずに血がふき出す。背後では臣下たちの首がいくつか飛んだ気配。血しぶきを散らして倒れる同胞たちをふり返って、竜王が牙をむく。
「貴様……!」
手足くらいならば斬られてもつく。けれど首はだめだ。竜族とはいえ首を斬るか心臓をつらぬかれれば死んでしまう。
魔剣につらぬかれ、石壁に縫い止められた状態でなおこの力。
竜王は腰の剣をさらに二つ抜き、神獣にせまった。
「竜王さま! 危険です、お下がりください!」
後ろでドロシーがさけぶ。
「来るな!」
同じようにさけんで近よってこようとする臣下たちもまとめて一喝し、竜王はオオゲジサマの両手を二本の剣でそれぞれ突き刺し、壁に磔にした。
魔剣の足元にも及ばないが、これらも竜の骨から作られた名剣だ。そう簡単には抜けない。
「これでこいつは動けない。こいつが死ぬまで、この一帯にはだれも近づけるな」