斉藤の家系の話


 まだ暗い、早朝の明け方。
 ベッドの中でまどろんでいたら、人の気配がした。
 床が軽くきしみ、かすかに息づかいがする。
「兄ちゃん」
 みちるが呼んでいる。
 小さいころは「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とかわいらしく呼んでいたのに。中学生になったくらいからはずかしがって「お」がとれてしまった。
 外では内気でシャイなくせに、なぜそんなオッサンか不良みたいな呼び方を?
 初めて呼ばれたときは少しおどろいたが、もう慣れた。
 それに、声が小さくて呼び方も静かだからか、あまり下品な感じはしない。あだ名で呼ばれているような発音だ。
「兄ちゃん」
 眠いので無視。朝食にはまだ早いだろう。
 ウトウトしていたら、ポンポンと背中をたたかれた。
「お父さんが事故にあったよ。命に別状はないけど、さびしがってるから会いに行ってあげて」
 おどろいて目を開けたが、背後の気配はもう消えていた。
 上半身をおこして目をこらしても、暗い室内にはだれもいない。
 それはそうだ。
 自分はいま一人暮らしで今日はだれも泊めていないし。妹は数年前に死んだんだった。
 スマホを確認すると、朝の4時25分。
 のそのそと寝直しながら、「顔が見たかったな」とぼんやり思った。

◆

 亡くなった妹が枕元に立つのは、別に初めてのことじゃない。
 母や恋人も亡くなっているが、たまに化けて出てくる。死に際のボロボロのときではなく、元気だったころの姿で現れるので「いまはもう苦しんでないんだな」と思えて嬉しい。
 ……逆に、俺が生まれる前から苦しみ続けているのはこいつだ。
 実家に帰るとき、必ず通らなければならない橋がある。
 地理的には迂回できるのだが、迂回するとなにかしら不幸があるので通らざるをえない。
 斉藤家の先祖が娘を人柱として沈めたという、大きな川の橋。
 車やバイクだと数分で通過できるが、そこを通るといつも黒い女が立っている。
 白い着物姿でずぶ濡れ。髪はさほど長いわけでもないが、ずっとうつむいていて顔が見えない。
 白い着物に黒髪なだけなのに、どうしてか自分には全体的に”黒く”感じる。
 それが、今日はどうしたことか。
 前を通り過ぎるときにすうっと顔を上げてこちらを見た。
 14くらいの娘。
 彼女はまるで獲物を見つけたように。狂気じみた顔でケタケタケタケタ笑っていた。
 うちの家系がもうすぐ滅ぶと喜んでいるのか。別にかまわないが、その後こいつはどうするんだろう。
 おそらく、満足して消えるなどということはない。それでいいと思う。
「一度見てみようか?」
 以前、高橋がそう聞いてきたことがあるが、断った。
 確かにあいつならなんとかできるかもしれない。
 母、妹、恋人が亡くなる前に出会えていたら頼んでいただろうが、もう遅い。
 彼女たちを祟り殺した霊なんて、このまま地獄へ堕ちればいい。だからほうっておく。
 橋を通過した後は墓参り。
 先祖の墓の近くに慰霊碑がある。先祖の後に慰霊碑へ手を合わせていたら、じゃりっと土を踏む音がした。視線だけを動かすと、斜め後ろの地面に女の白い素足が2つ。
 晴れているのに足はぬれて白い着物がまとわりつき、うす汚れた縄が巻かれている。不気味なほど血の気のない肌には、赤紫の縄の跡がついていた。
 ふふふふふっ、と女の笑う声がする。
 ふり返ると、黒いもやの固まりのようなものが一瞬見えた。
 もう、ほとんど妖怪化しているようだ。

◆

 墓参りを終えてようやく実家へたどりつく。
 うちに関わると女が死ぬ。
 地元ではすっかりそうウワサになっていて、女はうちの近くを避けて通る。本当になにか”さわり”があるといけないので、それがいいと思う。
「お帰り」
 家の門をくぐると、亡くなった母の声がした。
 辺りを探しても姿はない。
「……ただいま」
「おお、お帰り!」
 バイクの音で気づいたらしく、父が玄関から出てきた。こちらは生きている。思っていたより元気そうだ。
 心なしか喜んでみえる、母と妹の遺影に手を合わせたあと。
「事故にあったって?」
 妹が夢枕に立ってそういったと伝えると、父は笑っていた。
「俺も今朝、台所に行ったらエプロンつけたお母さんが立ってるのを見たんだ。樹(いつき)が帰ってくるから料理でも作ろうとしたのかな」
 無茶するな、母よ。妙な怪奇現象をおこさなくていい。
「それで、ケガは?」
「ああ、車にぶつけられてちょっとネンザしただけだから。大したことないよ」
 それでも連絡しろよと呆れたが、父はのん気な様子。
 そのまま実家に泊まり、翌日の帰り道。
 例の橋の上でバイクがエンストした。
 運良く車が少なかったのでそのままエンジンをかけ直そうとして、息を飲む。
 タイヤを抱きしめるように、細い女の手が2本、バイクから生えていた。
 またこいつか。
「おまえが生きてる人間の男だったら、気絶するまで殴ってやるのに」
 思わずつぶやくと、ひるんだように腕は消えた。
 通りすぎてから橋をふり返ると、また黒い女が立っている。けれど、いつも通りうつむいていて顔は見えなかった。

◆

 自分のマンションにつくまでの間。
 なんとなく、ひなたの顔が見たくなった。
 ……少し遠回りだが、あっちの方角へ行けば会える気がする。
 直感にしたがって本屋により、買い物をしていたら目当ての少女を見つけた。
 あいにく姉といっしょらしく、親しげになにか話している。
 その姿が昔の自分と妹に重なって、なんともいえない気分になった。
 みちるとは本の趣味が似ていたから、別々の本を買って後で交換したりしたものだ。
 邪魔するのも悪い。
 また今度、高橋経由で誘ってみよう。
 きびすを返したとたん、
「斉藤さん」
 見つかったらしく、むこうからよってきた。
「いま、なにか呼んだ?」
「……呼んでない」
 声には出してない。
「ひなた、って斉藤さんに呼ばれた気がしたんだけど……」
 気のせいだったみたい、と彼女はとまどっている。
「会いたいとは思ってた」
 答えると、ひなたが目を丸くする。
 仕草や話し方、雰囲気がどことなくみちると似ている彼女は、今年の春から高校生になった。
 みちるが生きていたら、きっとこんな風に育っていたと思う。
 この顔が見たかった。