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●騒音注意・2
「それで、俺に泣きついてきたらしい」
私をヒザにのせたまま、和也はそう語り終えた。
そろそろしびれてきたんじゃないかと降りようとすると、引き留めるように腰へ腕をまわされる。
「重くないの?」
「ネコみたいに軽い!」
お世辞は結構です。重いなんていったら二度とやらないけど。
「谷口さんは、助けてあげたの?」
話をもどすと、彼は微妙な顔をした。形の良い唇がめずらしくへの字になっている。
「三ヶ月だけ」
「なんで、期間限定」
「ちゃんと除霊なり浄霊なりしようと思ったら一年くらいかかりそうだから。三ヶ月だけ抑えて、その間に引っこしてもらった」
そんなにかかるものなのか。
彼は写メを送って数分で除霊したこともあるから、余計おどろいてしまう。
目を丸くしていたら、和也は私のあごや首すじをなでながら解説した。
なでても音なんかでないよ。
「5,6年……一生かかるのだっているよ。そういうのは断ってるだけ」
「この前のおじいさんは」
「アレは簡単だったから。生きてる人間だって、話のわかるやつとそうでないのがいるだろ?」
「うん」
「谷口のマンションにいるやつは周りなんか見えてないし、他人の声も聞こえてない。ずーっと自分のことばかり考えて、口では謝りながら呪い続けてる。だから時間がかかるんだよ」
和也が谷口さんのマンションをたずねた前日。
マンションの管理会社から電話がかかってきたらしい。
「一日中壁を殴る音がしてうるさいと周囲の住人から苦情がきています。手紙で警告しましたが改善する様子も見られないので出て行ってください」
と。
つまり、谷口さんと霊の波長が合ったのが深夜三時だっただけで、女の霊は朝から晩までずっと同じ部屋にいたのである。
●雨の街
高校の夏休みが終わり、始業式が過ぎた週末。
シトシトと霧雨が降るくもり空の下。
私と和也はカサをさして街はずれを歩いていた。この辺りは人気もまばらで落ちついて歩けるから、嫌いじゃない。
しかし。
「休日が雨って嫌だね」
雨は嫌いだ。
服も靴もぬれるし、家から出たくない。
思わずつぶやくと、和也は楽しげに目を細めた。
「俺は好きだよ、こういう雰囲気。ひなみたいじゃん」
「えっ……不気味ってこと?」
それは傷つく。
わなわなと彼を見上げると、なんともいえない顔をされた。
「あのさー……いつもかわいいかわいいって褒めてるのに、そんな卑屈にならなくても」
「和也は趣味が特殊だから」
「人を勝手にB専にしないでくれ」
彼が手をのばし、私の髪を軽くなでる。
「ひなはかわいいよ。大人になったら美人になると思う」
「……ありがとう」
自分よりキレイな人にいわれると複雑だけど、とりあえず聞き流しておくことにした。
恋は盲目。アバタもエクボって本当だ。
●雨幽霊
こんど旅行へ行こうといいだした和也から話をそらすべく、私は頭をひねっていた。
このまえ泊まったばかりだし、休日はのんびり過ごしたい。
「幽霊は水が好きっていうけど、天気も関係あるのかな」
雨の降る街を二人で歩きながら、そう切り出す。
「うちの高校、雨の日に幽霊がでるんだって」
夏休み前のプールの授業。
その日は伊藤さんが風邪気味で見学していたので、私は更衣室で黙々と着がえていた。
うちの学校では雨が降っていても、台風レベルにならない限り中止しない。
夏にしては低い気温の中。ボタボタ降ってくる雨に身体を打たれながら、生ぬるいプールでバシャバシャ泳ぐ。
その結果。身体は冷えきり、少し寒いくらいだった。
クラスメイトたちは早々に着がえて出て行き、更衣室の人口密度が減っていく。
私は少しトロいので、まだ水着と格闘していた。
こんな時は男子がうらやましくなる。男子の水着はいかにも着がえやすそうだが、女子のスク水は面積が広い分、肌にはりついて着るのも脱ぐのも一苦労なのである。
「保月さん、まっててあげよっか?」
着がえ終わったクラスメイトが声をかけてくる。
気がつけば、更衣室の中はもう三人くらいしかいなかった。
ということは、次の授業の時間がせまっているのかもしれない。
「ありがとう。でも、大丈夫」
彼女まで遅刻してしまったら申し訳ない。
「そう? ホントに大丈夫?」
なぜか彼女は心配そうに室内をみわたしてもう一度たずねる。
うん、とうなずくと早足でさっていく。やはり時間がなかったのだろう。
更衣室には私と見知らぬ女子二人だけになってしまった。
プールの授業は隣のクラスと合同でやるから、きっと隣のクラスの子だろう。
彼女はまだまったく着がえていないみたいで、スクール水着のままぼうっと壁を見てつったっている。黒髪のショートカットによく日焼けした肌。少しうつむきがちなのが気になったけれど、まだ着がえていない子がいてとても安心した。
雨のせいか、電気をつけているのにここはとても暗い。
ひんやりと寒くて、静かで。塩素と雨と木の匂いがする。
石の壁とコンクリートの床。木製のロッカーにプラスチックの足置き場。
簡素な更衣室はなんだか怖くて、一人きりだったらとてもたえられなかった。
チャイムが鳴る前にとあわてて着がえていたら背筋がゾクッとして、反射的にふり返る。
自分の背後なんか見えないはずなのに。なぜか、くっつきそうなほど近く、真後ろにだれかが立っていたような気がした。
けれど、ふり返ったそこにはだれもいない。
さっきまで壁際にいたもう一人の女子すらいなかった。
私はドア付近にいたから、出て行ったなら気づくはず。
サーッと血の気が引き、転びそうになりながら着がえて教室へもどった。
そこにはもうクラスメイト全員がそろっていたけれど、チャイムが鳴るまでまだ7分もあった。
後日。
その話をしたら、図書部の部長は声をひそめてささやいた。
「うちのプールは出るんだよ、保月ちゃん」
昔からなぜか雨の日だけ、目撃者がたえないという。
いつの間にかしらない女子がいる。
プールで足を引っぱられる。
泳いでいるときに水面を見上げると大きな顔が映る。
その他もろもろ。
「だから、みんな雨の日はすぐにプールから出て行くでしょ」
昔、プールで死んだ女生徒じゃないかとウワサされているらしい。
和也にそう語ると、彼は無表情でこちらを見下ろした。
整った容姿でそういう顔をされると、人形めいていてちょっと怖い。背後の空で雷が光った。
「その先輩って男? 女? 仲いいの?」
「……気にするところ、そこ?」
「最重要事項」
その後しばらく。
ふだんどんな話をするのか、どのくらいの頻度で話すのか。伊藤さんと部長ならどっちが仲いいのかなどの質問攻めにあった。
●墓穴
とある平日の夜。
いつもどおり和也と電話していたら、彼が聞いた。
『そういえば、最近木崎先生はどう? またいじめられたりしてない?』
「大丈夫だよ。むしろ、木崎先生が担任してるクラスの子たちに虐められてるんだって。もうすぐ学校辞めるんじゃないかってウワサになってる」
あの怖い先生が年下の生徒たちに虐められているなんて、まるで想像できないけど。
『へー。良かったじゃん』
くくくと彼が笑う。ボソッと「ざまぁ」とか聞こえた。
「……」
最近はキツく当たられることもなく、だれにでも優しかったからちょっと可哀相な気もする。
そこまで考えて、違和感を覚える。
「私、和也に木崎先生のこといったっけ」
『怖い数学の先生がいるっていってたじゃん』
「……いってないよ。私、お姉ちゃんにしかいわなかった」
学校の先生が怖い。
どの先生? アレでしょ。数学の木崎でしょ? それか保体の遠藤?
数学のほう。
それだけの会話だ。別にバレても問題はないが、知らない間に詮索されるのは少し気になる。
「お姉ちゃんに聞いた?」
しんと静寂が流れる。イエスか。イエスなのか。
彼は私の姉や母とメル友らしいから、その気になればいろいろ調べられるのだろう。そういえばスマホで私の位置情報チェックしてるとかもいってた気が……。
ちょっと怖くなってきたので、私は考えるのをやめた。
「なにかしたの」
大学生の和也が行ったこともない高校のことでなにかできるとも思えないけど、念の為に聞く。なにかやったとしたら、同じ高校にいる姉の方かもしれないが。
和也は話をそらすように答えた。
『次から、困ったときは俺にいって』
●発作みたいなもの
和也は元気なときは普通だ。
明るくて爽やかで優しい美青年という、腹が立つほどの完璧っぷりである。
しかし不眠症などで体調を崩したり、嫉妬に火がつくとおかしくなる。
そんな時はイチャイチャすれば治る。早めに治しておかないと暴走しそうで後が怖い。
そういうわけで、私は彼の部屋に遊びにきていた。
「俺のこと好き?」
和也は大きな手のひらで私のほおをなでながら微笑む。
すっと通った高い鼻にキレイな肌。艶やかな黒髪の合間にのぞく瞳は横に大きくて、まさしく切れ長って感じ。目尻の切れ上がった二重はまばたきもせずこちらをじいっと見つめている。怖い。
「うん」
「じゃあ、好きっていって」
「好きだよ」
「咲月ちゃんや斉藤や、伊藤さんより俺が好き?」
……お姉ちゃんと同じくらいかな。
内心少し迷っていたら、和也から笑みが消える。無表情で見つめるのは怖いからやめようよ。
「和也が一番好きだよ」
そう答えると、彼は嬉しそうに相好を崩した。
「愛してる?」
「愛してるよ」
どこのメン●ラさんだと思わなくもないが、催促されるまましたがう。
ふだんなかなかいえないし、こういう時くらいは良いと思う。
和也はずっとつかんでいた私の手首を持ち上げ、手の甲に口づけた。
「もっと。もっと感情こめていって」
いつの間にか、彼の目はとろけそうに甘くなっている。
なにか、イケナイ喜びに目覚めてしまっていそうなその顔を見て、私はそっと身を引いた。
「帰る」
「なんで!?」
もう機嫌治ったみたいだし。
これ以上ここにいたらヤられる気がした。
●ビニールガサ
たまに、無料でビニールガサを貸し出している駅がある。
急な雨にふられたときなどに便利で重宝していたけれど、和也には「やめた方がいい」といわれた。
「本でもカサでも、なんでもそうだけど。だれがさわったかわからない中古品には、たまに変なのが混じってるから」
彼が小さなころ。
地元の駅で同じように置きガサを貸し出していたそうだ。
駅に数年放置されていた忘れ物のカサを再利用したもので、普通のカサから安いビニールガサまで多種多様。
それは改札口付近に置かれていて、だれでも自由にもっていくことができる。
その中の一本に”変なもの”が混ざっていた。
ごく普通のビニールガサなのに、持ち手の部分が人の手になっているのだ。
白く、ほっそりとした女の手は生身の人間のものにしか見えない。なのにマネキンのように動かず、カサ立てに刺さっている。
「うわ、なにあれキモっ」
当時、小学生だった和也はカサを指さして友だちに話した。が、彼らには普通のカサにしか見えないらしく、だれも信じてくれなかったという。
「……」
今では大抵の人をいいくるめてしまう彼にも、そんな時代があったとは。
なにかフォローをと内心あせっていたら、彼はまるで気にした様子もなく続けた。
「その後、街でそのカサが使われてる所を見かけたんだけどさ。その時が一番ゾッとした」
名も知らぬサラリーマンと恋人のように手をつなぎ、カサは使われていた。
「大丈夫なの? その人」
問うと、彼は嫌そうに眉をひそめた。
「なんか気持ち悪かったから、ろくな目にあってないと思う」
カサ怖い。
●雨の朝
平日の朝。
洗顔して着がえて。学校へ行く支度をしていたら、姉がのそりとおきてきた。
リビングの窓ごしに暗い外を見て、うげっとつぶやく。
「また雨? 今年、雨おおすぎじゃない?」
うんざりした声に苦笑する。
「確かに多いけど、雨も悪くないよ」
朝食をとりながらそう答えると、姉は意外そうな顔をした。
「あんたも雨嫌いじゃなかったっけ」
「最近、好きになった」
短く答えつつ、ひそかに顔が熱くなる。
雨みたいにしっとりとして落ちついた色気があって、好きだよ。
そんな和也の一言で宗旨変えしてしまった私はけっこう単純かもしれない。